07


産屋敷邸では当主である産屋敷耀哉を筆頭に、錚々たる顔ぶれが揃い、半年に一度行われる柱合会議が開かれていた。

名前は煉獄に帯同して柱合会議に出ることを特別に許可されており、今日で参加するのは三度目となる。
名前に色々な経験を積ませたいと、煉獄が隠や本人の反対を押し切って柱合会議に名前を引きずって行った時、伊黒が信じられないと言わんばかりにねちねちと嫌味を飛ばしてきたのも記憶に新しい。
「継子はのちのち柱になるような大事な子だからね。柱合会議がどんなものか経験しておくといいよ」という産屋敷の一声でその場は丸く治まり、それ以降、名前は柱達からだいぶ離れた隅の方に控えて話を聞くのが恒例となっていた。




「それではまた半年後。みんなの武運を祈っているよ」



産屋敷の心地よい声が響き渡ると、静かに襖が閉まる音がした。
その音を聞いて、名前はようやく視線を落としていた畳から面を上げる。
隅に控えているだけとはいえ、柱合会議はかなり気を張るものであり、終わると同時にどっと疲れが押し寄せてくる。

緊張を解すためにふぅと息を吐き出し、煉獄の元へ向かおうと名前が立ち上がると、ふいにこちらに向けられた視線を感じる。
視線の先を追いかけると、そこには胡座をかいて座る不死川の姿があった。

柱合会議が始まる前、人目をはばかって彼に「美味しいおはぎを買ってきたので、帰りにお渡しますね」と告げていたことを思い出す。
煉獄は他の柱達と何やら話に花を咲かせている様子であるため、少しくらい離席しても問題ないだろう。
皆が見ていない隙に廊下に出て渡してしまおうと、静かに控えの間に荷物を取りに行こうとした瞬間、突然名前の顔前に柔らかいものが降ってきた。




「名前ちゃん!お久しぶりね!今日もとっても可愛いわー!!」

「蜜璃さんお久しぶりです。お元気でしたか?」

「ええ、元気いっぱいよ!」



勢いよく名前に抱きついてきた人物、恋柱・甘露寺蜜璃は名前の問いかけに満面の笑みで答えた。
短い間ではあったが、彼女は煉獄の継子として共に過ごした仲で、名前をとても可愛がってくれている姉のような存在だ。
蜜璃が柱になってからは炎柱邸を出ていってしまったため、こうして会うのは久方ぶりである。

自分より後から煉獄の継子となった蜜璃が新しい呼吸を習得して柱になると聞いた時は悔しい気持ちもあったが、彼女のこの笑顔を見るとそんな浅ましい気持ちは全て吹き飛んでしまっていた。




「私ね、初めての柱合会議だからとっても緊張してたの!でも煉獄さんと名前ちゃんがいたから安心できたわ!」

「それは良かったです。就任のご挨拶、とても素敵でしたよ」

「ほんとに?そう言ってもらえて嬉しいわ!一生懸命練習して良かった〜」



名前の言葉に、蜜璃は嬉しそうに両頬に自分の手を添えた。

初めて柱合会議に参加する柱は、就任挨拶を産屋敷や他の柱たちの前で行うのが通例となっている。
いつか自分も部屋の隅ではなく、柱達と肩を並べて柱合会議に出たい。
皆の前で緊張した面持ちながらも凛々しく挨拶を述べていた蜜璃の姿を見て、ますます名前はそう感じた。



そんな中、ふいに部屋の一角でざわついた声が上がる。

蜜璃の肩越しにそちらに目をやると、そこには煉獄の他に宇髄と冨岡の姿が見えた。
あまり見た事のない珍しい組み合わせだ。
「もっと早く言えよ!」と宇髄が興奮したように声を荒らげ、煉獄の背中をばしばしと叩きだす。
何かあったのかと蜜璃と名前が不思議そうに顔を見合わせていれば、宇髄がこちらに顔をむけ、二人に声を投げた。




「甘露寺に苗字!お前らこれから暇か?」

「ええ、大丈夫です!」

「私は杏寿郎様の許可があれば・・・」



蜜璃と名前が順に答えれば、宇髄は声高らかに笑い、その逞しい右腕を煉獄の肩に回した。







「いいねぇ!今から行けるやつで派手に飲みに行くぞ!煉獄の婚約祝いだ!」





突然降り注いだその言葉に、
名前の世界から音が消えた。



今、なんと言った?煉獄の婚約?
誰?いつから?なんで?どういうこと?
そんな言葉がぐるぐると頭の中をただ駆け巡る。
まるで心の臓が自分のものでないかのようにずきずきと悲鳴を上げていた。

名前の隣にいた蜜璃が興奮した様子で煉獄たちの方へと駆け寄っていく。




「おめでとうございます!お相手はどなたなのかしら?」

「先々代の元水柱に如月っていう渋い顔のおっさんがいるんだけど、そこの娘らしいぜ。まさかそんな重大なことを冨岡より後に知るなんてな」

「・・・俺はただ、先日如月殿にお会いした時に聞いただけだ」

「いやぁ、でもまさか煉獄が結婚するなんて考えもしなかったぜ!苗字もこれでこいつの世話が少し楽になるん・・・痛っ!」



じゃねぇか、と宇髄が言葉を全て吐き出す前に、突然煉獄が己の肩に乗せられた宇髄の腕を掴みあげた。
爪がくい込むほどの煉獄の力に驚いた宇髄は思わず言葉を詰まらせる。




「宇髄」


煉獄がそう彼の名を呼んだ。
落ち着いた表情ながら、びりびりとした空気を纏い、鋭く怒気を含んだ声に、賑やかだった場がしんと静まり返る。





「件のことは名前にまだ伝えて無いんだ。また後日皆にもきちんと報告するから、今日はこれまでにしてくれないか」



有無を言わさぬその言動に、宇髄や他の者たちはただ黙って首を縦に振るしかなかった。
こちらに顔を向けた煉獄の赤々とした瞳が名前の姿を捕らえる。


今、自分はどんな表情をしているのだろうか。
そんなことを朧気に考えながら、名前は自分の方へ向かってくる煉獄の険しい顔をただ呆然と見つめていた。




「名前、帰ろう」



そう言って煉獄の手が名前の腕を取ろうと伸びてくる。

嗚呼、駄目だ。
今彼に触れられてしまったら、自分はきっと悲しみに溺れてしまう。
煉獄杏寿郎の継子である苗字名前ではいられなくなってしまう。
こんなことになるなら、こんな辛い気持ちになるなら、自分の恋心になんて一生気づきたくなかった。

思わず涙が溢れでそうになった瞬間、突然後ろから伸びてきた大きな手に名前の目元が覆われた。





「煉獄。ちょっとこいつ借りるぞォ」



耳慣れた少し癖のある声。
その声の主・不死川はそのまま勢いよく己の肩に名前を担ぎあげると、呆気に取られる面々をよそにそのまま足早に部屋を出ていった。

廊下の床を軋ませながら静かに歩く不死川は、何も言葉を発しない。
その身を委ねた名前の視界の端で、彼の羽織の殺という文字がゆらゆらと揺れる。


柱合会議で会っても名前と不死川は全くと言っていいほど関わらない。
過去のことを根掘り葉掘り聞かれたり、他人に茶化されることを毛嫌いする不死川の様子を見て、二人が昔からの顔なじみだということを他の者に気取られない方がいいだろうと考えた名前の判断であった。
彼もそれを何も言わずに受け入れていた。
二人の関係を知っているのは、名前の過去を知るしのぶと煉獄くらいであろう。

そんな彼が、だ。
きっと何かを察して助けてくれたのだろう。
涙がこぼれ落ちるのを隠すように伸びてきた掌は、とても暖かかった。



「実弥さんは・・・やっぱり、優しいですね」

「そんなこと言うのはおメェくらいだけどなァ」



ぽつりと呟くと、無意識のうちにほろほろと流れ出てきた涙が不死川の羽織りに染みを作る。




「すみま、せん。羽織り・・・汚しちゃうかもしれないです」

「鬼の血で汚れても綺麗に落ちんだァ。テメェの鼻水なんて雨粒みたいなもんだろォ」

「・・・ほら、やっぱり優しいですよ」




この気持ちは涙と共に全て流してしまおう。
思いきり泣いたら、きっと大丈夫。
次に煉獄と顔を合わせた時は、彼に恋い焦がれる者ではなく、煉獄杏寿郎の継子・苗字名前として、師範の婚約を心から祝福できるはずだ。

不死川の肩に唇を押し当てて、名前は声を殺すようにして泣いた。


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