R-side 00

※本編第一章より過去のお話になります





なかなか筋のある炎の呼吸の使い手がいた。
そう宇髄から聞かされたのは、煉獄が己の父親から引き継いで炎柱になったばかりの冬の終わり頃であった。





「まだ階級が"戊"らしいんだけどな。ありゃ伸びるぞ」




ゆらりと湯気のたつ温かい蕎麦に七味をかけ回しながら、煉獄の真横に座る宇髄はそう述べる。
情報収集の任務中にたまたま出くわした宇髄に誘われて、煉獄は彼と共に街中の定食屋で少し遅い昼食を取っていた。

何でもそれは昨夜の任務で偶然出会った隊士らしい。
緊急の応援要請を受けて宇髄が駆けつけた時、ほとんどの隊士が鬼に殺られており、現場はかなり悲惨な状況だったそうだ。
そんな中、唯一その戊の隊士が鬼と互角に渡り合い、宇髄が到着するまで逃げ遅れていた一般市民や瀕死状態の仲間を守っていたらしい。
赤き刀身を振りかざし、炎の呼吸を使うその隊士のことを、宇髄は久しぶりに骨のある奴だったと感心した様子で語る。





「そうか!宇髄が誰かを褒めるなんて珍しい!炎の呼吸の者ならぜひ会いたいな!名はなんと言う?」

「苗字って名前だ。胸元までの黒髪で、見た目はまぁ悪くないんだが、仏頂面で愛想のない女だったぜ」

「苗字か!覚えたぞ!」



自分と同じ炎の呼吸の使い手で、将来有望な者がいると聞き何だか嬉しくなる。
いつか会えるだろうかと、その名を胸に刻みながら煉獄は勢いよく目の前の饂飩をかきこんだ。
図らずも、煉獄のその願いはすぐ成就することとなる。





***





流れるように繋がれ、次々と繰り出される剣技に思わず目を奪われる。




「炎の呼吸、壱ノ型 不知火」




そのかけ声とともに、黒髪の少女は地面を踏み込むと一気に鬼の元へと距離を詰め、その頸を一瞬にして切り落とした。
崩れ落ちて消えていく鬼を横目に、彼女は刀身についた血を振り払う。

そして少し離れた場所で一部始終を見ていた煉獄の姿に気づいたのか、かしこまった様子で背筋を伸ばしてこちらに頭を下げた。
胸元まで伸びた艶やかな黒髪と静かに燃える炎のように紅い瞳を持つ少女。
間違いない、彼女だと煉獄はその少女に高らかに声をかけた。





「もしや、君が噂の苗字か!?」

「・・・苗字名前は私ですが」




噂とはなんだと言いたげに、名前は少し訝しげな顔をしながら首を縦に振る。
こんなにもすぐ目当ての者に会えるなんてと、煉獄は嬉しさのあまり破顔せずにはいられなかった。
煉獄が自身の管轄内を見回っていたところ、たまたま通りかかった山中で鬼と対峙している隊士を見かけ、何かあってはいけないと近くで様子を伺っていたのだ。
それがまさか、宇髄の言っていた隊士−苗字名前だったとはと煉獄は己の運の良さに感謝をした。





「宇髄の言っていた通り、技の練度がかなり高いな!筋もいい!育手はどなただ?」

鶴来山つるぎやまの久我様です」

「なるほど!久我殿か!」





どうりで動き出しが自分と少し違うわけだと煉獄は頷いた。
炎の呼吸の中でも煉獄家が一つ一つの技の威力を全て最大限に出す動の型だとすれば、久我家は力を温存しつつ連続して技を繰り出し繋ぐ静の型だと言われている。
今の状態でこれほどの技の威力を出せているとなると、修行を重ね、さらには煉獄家の動の型を学べばどのような化け方をするのだろうか。
見てみたい。
そう思うや否や、煉獄は名前の目の前に飛び出すと、そのまま彼女の手を掴みあげた。




「よし!苗字、俺の継子になるといい!面倒を見てやろう!」

「・・・私がですか?」

「嫌なのか!?」




予想だにしていなかった返答を受け、目を大きく見開いて驚く煉獄の反応に、名前は思わずたじろいだ。




「・・・その、突然すぎて、答えが出せません」

「そうか!では一週間ほど考えてくれ!答えは後日聞きに行こう!それでは!」




彼女の言うことにも一理あると、煉獄は力強く頷くと、掴んでいた名前の手をするりと離した。
そして快活な笑顔を浮かべると、そのまま踵を返してその場を後にする。
風のごとく去っていく煉獄の後ろ姿を、名前は一人、ぽかんと口を開けたまま見送った。






***




それから一週間後。
鎹鴉を使って苗字名前の所在を調べると、どうやら任務で怪我を負って蝶屋敷にいるらしいとの情報を得た。
煉獄が蝶屋敷に訪れると、姉の跡を継いで屋敷の主となっていた胡蝶しのぶが突然の煉獄の来訪に何事かと出迎える。





「こんにちは、煉獄さん。こちらにお越しになるなんて珍しいですね。お怪我でもされましたか?」

「苗字名前がここにいると聞いた!彼女はどこにいる?」

「名前ですか?彼女なら一番奥の個室の病室にいますけど、今は・・・」

「そうか!ありがとう!!」




怪訝な顔で口を開いたしのぶの言葉を全て聞き終わらないうちに、煉獄は足早に名前のいる病室へと歩を進め出す。
慌ててしのぶが彼を制止しようと声をかけるが、煉獄の耳にはもうその声は届いていなかった。


果たして彼女は己の継子になってくれるのだろうか。
不安と期待で入り交じった胸の高鳴りを抑えながら、煉獄は病室の前まで来るとその扉に指をかける。
同時、部屋の中から名前ではない、男の声が聞こえてきた。





「こんな時に言うのもあれなんだけど・・・俺は君みたいな可憐な子が刀を握る必要なんてないと思うんだ。もっと女の子として幸せに生きれるような相応しい場所があるんじゃないかな」



その言葉に煉獄はぴたりと動きを止めた。
外で誰かが聞き耳をたてているとは露知らず、声の主はそのまま話を続ける。




「例えばだけど・・・隊士を辞めて誰かと結婚するとかそういう道がさ。そうしたらこんな怪我をする必要もなくなる。女の子はいつもにこやかに笑って、男に守ってもらう存在でいたらいいんだよ。俺が君を―・・・」




そこまで聞いて、煉獄はいてもたっても居られなくなり、勢いよく扉を開けると病室の中に飛び込んだ。
部屋の中には突然の炎柱の登場に驚いたように飛び跳ねる隊服姿の男が一人。
そのすぐ横には、体を起こした状態で寝台に寄りかかっていた名前の姿があった。
ずかずかと歩を進めて二人の元へ行くと、煉獄は名前の紅い瞳を見据え、彼女と目線を合わせるように寝台の横に膝を折った。





「苗字、この間の返事を聞きに来た」




苗字名前と会うのは今日でまだ二度目だ。
正直言って彼女のことは名前と階級以外何も知らない。
だが、あの日見た静かに燃ゆる炎の剣技が煉獄の脳裏から離れない。
あれほどの練度になるまで一体どれほど稽古をしてきたのだろう。
初めて出会った日に握った掌は、小さな傷や豆で埋め尽くされていて、彼女の努力を物語っていた。
その手を美しいと思った。





「君には才がある、力がある。その力は弱き者を守るために磨き、使うべきだ。俺が君を必ず強くする。君の幸せは何か、君の夢は何か。それは他人ではなく、君自身が決めるべきだ」




君はこんなところで立ち止まるべき人ではない。
共に炎の呼吸を極め、剣士として高みを目指したい。
その思いがただ、煉獄をつき動かしていた。


ふいに静まり返った部屋の沈黙を壊すように、寝台に身を預けていた名前の手が煉獄の方へと伸びる。
そのか細い手が、床に跪いて名前を見上げていた煉獄の手にそっと優しく触れた。




「全ての鬼を倒したい。そして皆が笑って暮らせる世を作りたい。それが鬼殺隊に入った時からの私の夢です。そのためには柱になれるくらい強くならないといけない。だから―・・・」




名前の紅い眼が燃え盛る炎のようにゆらゆらと揺れながら、煉獄を真っ直ぐと見つめる。
決意に満ちた眼差し。
彼女の唇がゆっくりと弧を描く。




「継子として、ご指導よろしくお願いいたします」



その凛とした美しい姿に、思わず煉獄は名前の手を強く握りしめた。






「もしもーし。お取り込み中失礼しますね。申し訳ありませんがお二人の世界から戻ってきてください」



名状しがたい雰囲気を壊すように、突然ぱんぱんとかしわ手を打つ音がし、煉獄の背後からしのぶの声が降ってくる。
反射的に繋いでいた手を離し、二人がしのぶの方へ顔向けると、彼女はにっこりとした笑顔を浮かべたまま扉の外を指さした。




「可哀想に、先にいらっしゃってた隊士の方、泣きそうな顔で屋敷を出ていきましたよ?そりゃそうですよね。好きな女の子に告白しようとわざわざ来たのに、突然柱に邪魔なんてされてしまったら誰でもあぁなっちゃいますよ」



しばらく人払いをして欲しいとわざわざ頼まれていたのに、としのぶはため息をつく。
その言葉に、煉獄は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で立ち上がると寝台の名前を見下ろした。





「そうだったのか!?」

「ふふっ。・・・さぁ、どうなんでしょう」



鬼殺隊の中で柱を務める実力者である煉獄だが、色恋に関してはてんで疎い。
「無粋な真似をしてしまった!」とくるくると目を丸めながら些か動揺する煉獄の姿を見て、名前は思わず声を出して笑った。

初めて見る名前の屈託ない笑顔を見て、煉獄の胸中がさわさわと波を立てて揺れる。
今まで感じたことの無い不思議な感覚。
しかしそれがどういった感情なのか、煉獄にはまだ少し分からなかった。



開け放たれた扉から、柔らかい風が流れ込み煉獄の髪を揺らす。
二人の門出を祝うように、春の到来を告げる鶯の囀りが蝶屋敷に響き渡った。


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