R-side 01





「杏寿郎さん。貴方に縁談を持ってきました」



青天の霹靂とはこのことを言うのか。
父に瓜二つな目元をした伯母の穂高は背筋をぴんと伸ばし、お茶を啜りながらそう宣う。
突然すぎる言葉に煉獄は茶菓子の饅頭を掴む手を止めて、思わず目をぱちくりと見開いた。




「伯母上!些か唐突すぎやしませんか!」

「何を言いますか。貴方ももうすぐ十九ですし、炎柱を継いでから一年ほどたって落ち着いてきた頃合でしょう。ちょうど良い機会ではありませんか」




困ったように眉を顰める煉獄に対して、穂高はさも当然かのように言い放つ。
年末年始や盆くらいにしか屋敷に顔を出さない彼女が何の行事もない春先に訪れるなんておかしいと思ったと、煉獄は思わずため息をついた。

確かに長い歴史をもつ煉獄家では縁談話など珍しくもなんともない。
現に父も祖父も良い縁談に恵まれて良家の子女を代々娶ってきたと聞いている。
だがしかし、自身のこととなるとまったくの別問題だ。
煉獄家の長男として幼き頃から剣の道をひたむきに歩んできた煉獄にとって、色恋というものは人生において二の次三の次となっている。
そんな自分が嫁をとるなど考えたこともなかったし、まだまだ必要ないと思っていた。





「お相手は如月殿のお嬢さんです。如月殿は槇寿郎と同時期に水柱だった方だから貴方もよく知っているでしょう」

「もちろんです!何度も稽古をして頂いたことがある!だがしかし、縁談は・・・」

「あらまぁ、まさか好いた女子でもいるのですか?」





あっけらかんと投げられる穂高の言葉に、ふいに煉獄の頭の中をある人物の顔が過ぎる。

黒髪に紅い瞳の清廉な少女−。
一年前に煉獄が声をかけて己の継子とした苗字名前の顔だ。

いや、まさか。
彼女のことをそのような目で見たことはないはずだと、思わず己の思考を否定した。

彼女とはこの一年間、任務や稽古を共にしたことで師範と継子としての深い絆を結んだという自負はある。
さらに私生活でも常に一緒なことから、名前のことを家族のような存在として感じていた。
最初は硬い表情だった彼女が、少しずつ心を開いて煉獄や千寿郎の前では笑顔を見せてくれるようになったのがとても嬉しかった。

そんな変哲もない関係だ。



恐らく名前の顔が過ぎったのは、彼女のことが気がかりだからだろう。

鬼殺隊に入隊してからずっと、名前は自分に言い寄ってくる者たちに手を焼いていたそうだ。
彼女の凛とした見目は異性を引き寄せる。
さらに彼女は他人に隙を見せないよう、親しくない相手に対して特段丁寧な振舞いをするのだが、それを自分への好意だと勘違いする男が後を絶たなかったらしい。

現に煉獄も、過去に一度名前が隊士に言い寄られていたところに鉢合わせてしまったことがある。


しかし煉獄が師範としてついてからは、そういう類の事がぱたりと無くなった。
名前があっという間に昇格して次期柱と言われるまでに成長したことと、背後で炎柱が睨みをきかせているらしいという噂が出回ったことが原因だ。
この一年でほとんどの男が恐れをなして名前に近寄って来なくなっていた。

だがしかし自分が結婚して所帯を持ってしまえばどうだろうか。
彼女を狙う鬣犬たてがみいぬが、好機と言わんばかりに舌なめずりして近寄ってくるに違いない。

名前にとって自分のような体のいい風よけがいなくなる弊害を鑑みて、一抹の不安を抱いたからだと煉獄は己の感情をそう処理した。




穂高の問いかけに煉獄が首を横に振ると、彼女は少し物憂げな目をして、開け放たれた襖の間から庭園を見やった。
庭の中央に植えられた桜の木。
蕾をたくさん携えた大木は、開花の時期を今か今かと待ちわびている。






「人の命は短いものです。気がつけば昨日隣にいた者が突然いなくなる、そんな世界に貴方は身を置いているのです」




きっと彼女の脳裏には今は亡き夫の姿が浮かんでいるのだろう。

穂高の夫は鬼殺隊の岩柱にまで登りつめた男だ。
しかし、彼は穂高が嫁いで十年ほどで上弦の鬼に敗れて亡くなっている。
勝気な性格の穂高が、煉獄家当主であり、己の弟でもある槇寿郎の堕落した姿を目の当たりにしても彼に対して強く出れないのは、半呂を失う辛さや悲しみを知っているからだろう。





「このままでは貴方にもしものことあれば煉獄家の炎柱の継承が途絶えてしまいます。それを防ぐためにも、所帯を持って子を成すことに悪いことなんてないでしょう」

「・・・もちろん伯母上の仰ることも分かります。だかしかし、煉獄家にはまだ千寿郎がおります」

「先日貴方の縁談の打診を槇寿郎にした時に聞きました。千寿郎さんの刀の色が変わらなかったと。・・・あの子はきっと、優しすぎるのです」




ああ、もうそんなことまで知っているのかと、煉獄は泣き腫らした千寿郎の顔を思い出し、思わず口をきゅっと横に結んだ。

今でも稽古の後、こっそりと刀を握って色が変わらないかと試している千寿郎の姿を煉獄は陰ながら見ていた。
万が一何かあれば、炎柱自体は継子の名前がしっかりと継いでその役を担ってくれるだろう。
しかし今のままでは、己が未熟なせいで煉獄家の炎柱の継承が途絶えてしまったと、千寿郎はきっと自身を必要以上に責めてしまうはずだ。
あんな小さな弟に全ての責務を背負わせる訳にはいかない。






「分かりました。すぐに答えを出せないやも知れませんが、縁談を受けようと思います」




己が少しずつでも歩を進めることで、全てが良い方向に動きだすのであればそれでいい。


その言葉を口にした時、何故だかまた名前の顔が煉獄の心に浮かんだ。
彼女は千寿郎と共に夕餉の買い出しに勤しんでいる頃だろうか。
それを振り払うかのように、煉獄は真っ直ぐとその赤い眼で目の前の穂高の顔を見据えた。



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