R-side 04




「やはり巣蜜パンケーキにしようかしら。でもクリーム餡蜜も捨て難いわ・・・」



煉獄の目の前に座る琴子はそう呟きながら、品書きと睨めっこを続けている。
そんな彼女を横目に、女子というものは華奢なのにまぁあんなにもたくさん甘い物を食べれるものだと、煉獄は周りの席で甘味に舌鼓をする婦人たちを眺めていた。

煉獄と琴子がこうして対面するのは今日で二度目である。
気を張らないように二人で出かけてこいと伯母が手配してくれた歌舞伎を見に行き、その後はモダンな雰囲気の喫茶店で休憩を取ることになった。
先日とは違い、若葉色の着物に身を包んだ琴子は今日もころころと表情を変えながら愛らしく笑う。




「杏寿郎様は何もお食べになりませんの?」

「ああ、普段から甘いものはあまり食べないからな!気にしないで好きに頼んでくれ」




昼餉に二度もおかわりした白米でまだ腹がいっぱいだと、煉獄は柔らかく断りを入れる。
そうですかとにこりと笑うと、琴子は横を通った店員に声をかけクリーム入りの餡蜜を注文した。
そしてすでに空になっていた煉獄の分の飲み物を一緒に頼んでくれる。
ほわほわとした雰囲気ながらも、存外よく気が回るらしい。




「ところで、不躾ながら杏寿郎様はこの縁談にあまり乗り気ではないですか?」



注文を終えてこちらに顔を向けた琴子は、煉獄の目を真っ直ぐと見つめると、意表を突く言葉を投げかけてくる。
あまりに直球な問いに、煉獄は思わず目をくるりと丸めた。




「乗り気ではない・・・というより、俺は琴子殿のことをまだよく知らないからな!それは君も同じだろう?そんな状態で夫婦になれと言われても、まだ気持ちの整理が出来ていないというところが本音だ!」

「杏寿郎様のお気持ちも分かります。でも縁談というのは大概がそんなものでしょう?」

「むぅ。逆に問うが、君は親の言う通りの相手のところへ嫁に行けと言われて嫌では無いのか?」




如月家は水柱を何度も排出している名門の家系だ。
きっとこうした類の縁談話は幾度となく持ち込まれてきたであろうが、如月家も己の娘が嫁ぐのに相応しい相手をと色々吟味していたのであろう。
その中でたまたま昔から縁のある煉獄家より話が舞い込み、炎柱という肩書きを持つ男が相手ということで、両親が有無を言わさず琴子にこの縁談を受けるように言ったのではないか。
勝手な推測ながら、当たらずと雖も遠からずと言ったところだろう。


そう煉獄が告げれば、琴子はその小さな唇をキュッと横に結び、眉を八の字にして俯いた。
何か彼女の癇に触れたのであろうか。
しばし流れる沈黙に耐えかねて煉獄が困ったように頬をかけば、琴子はぽつりと言葉を零した。





「私は、自分の意思でこの縁談を受けようと決めました。如月家に生まれたのにも関わらず剣士としての才が無く、鬼殺隊に入れなかった私が世の人々のためにできることは、己に流れる血を・・・水柱として沢山の鬼を退治してきた父や先祖の才を後世に引き継ぐことです。それが私の責務だと思っています」




ぎゅっと着物の裾を握りしめながら、少し悲しそうな表情をする琴子の姿に、煉獄は亡き母の言葉を思い出した。

幼き頃、母に自身の才の使い方について説かれたことがある。
強き力を持つ者は、弱き人を守るためにその力を使うべきだ、それが強き者の責務であり使命であると。
その母の言葉が今の煉獄を形成したと言っても過言ではない。

そんな煉獄とは反対に、目の前の琴子は煉獄が守らなければならない弱き者の一人で、市井の人々と同じように何かあった時は強き者に守ってもらえばいいはずだ。
しかし柱を何人も輩出してきた名門の家系の中で周囲の期待に答えることが出来ず、鬼殺隊士としての道を諦めざる終えながった彼女はきっと肩身の狭い思いをしてきたのだろう。
そんな琴子の姿が己の弟・千寿郎と重なって見えた。





「代々炎柱を担ってこられた煉獄家の方との縁談があると父から聞いた時、すぐにお受けしようと思いました。私は杏寿郎様と夫婦となって貴方様を支え、影ながらですが世を守るお手伝いがしたいのです」




自分は弱き者だとただ受け入れるのではなく、彼女は彼女なりに、前を向いて己のできることをひたむきにやろうとしているのだ。
それが結婚かと、人は笑うかもしれない。

しかしそんな琴子の姿を見て、求められているのならば自分がその手を取ってやればいいのではないか、という気持ちが煉獄の中で生まれていた。
これはただの同情なのかもしれない。
けれど、彼女の芯の強さと健気さに心惹かれるものがあったのもまた事実であった。




「琴子殿は凄いな」

「・・・私がですか?」

「ああ。普通の者ならば挫けてしまうような状況でも前を向き、精一杯己のできることをしようとしている。君は立派な人だと俺は思う」





柔らかく紡がれた煉獄の言葉を聞き、琴子は面を上げると今にも泣きそうな顔で微笑んだ。





***




それから一週間後の明け方。

鳥の囀りが薄く響きわたる朝靄の中、任務から帰還して湯浴みを終えた煉獄は屋敷の庭園にいた。
昨日の雨でぬかるんだ地面を水溜まりを避けるように進むと、中央に植えられた桜の樹の下にたどり着く。
緑の葉が青々と茂る枝を見上げていれば、ふいに背後から視線を感じた。





「どうした名前、眠れないのか?」

「はい。寝つけなかったので鍛錬でもしようと思い、出てきました」




共に任務を終えて帰還し、半刻前には湯浴みを終えて自室に戻って行ったはずの名前が、廊下からこちらを見ていた。
彼女はいつも鬼の頸を斬った日は妙に気分が高揚してなかなか寝付けないらしい。
鬼が人を食らうところを見てしまった日は特にだ。
稽古着に身を包み竹刀を手にした名前は、縁側に揃えて置いてあった草履を履くと、煉獄の元に近づいた。




「杏寿郎様もですか?」

「ああ。目が冴えてしまったので、少し散歩でもしようと思ってな」



そう述べる煉獄の手には、先程まで彼が読んでいた文が握られていた。
帰還後、自室に戻ると机の上に置かれていた文。
煉獄が不在時に届いたため、千寿郎が置いてくれたのだろう。
伯母の穂高の達筆な文字が並ぶその文には、様々な喜びの言葉が書き綴られていた。


一週間前に琴子との二回目の顔合わせを終えた後、煉獄は父と伯母に彼女との縁談を進める旨を伝えた。
それを聞いて穂高もすぐに動いたのだろう。
手紙に書かれていたのは、如月家からも了承の返事が来たことで、晴れて二人は婚約者となったとの内容であった。

己が出した答えと言えど、まったく実感がない。
こんなにも息を吸うように事が進んでいくのかと、煉獄は少し戸惑いを覚えていた。
そんな頭を冷やそうと庭に出ていたところを名前と鉢合わせしたということだ。
なんとまぁ、彼女はいつも自分が何かに悩んでいる時に計ったように現れるものだと、煉獄は薄く笑いながら名前の顔を見やった。


自分に婚約者ができたことを伝えるには、今がちょうど良い機会だ。
彼女は驚くだろうか?
笑顔で祝福してくれるだろうか?
しかし己の口はまるで鉛になったかのようにきつく閉じたままで、言葉がなかなか出てこない。

そんな煉獄を不思議に思ったのか、名前は訝しげに彼の顔を見上げた。




「・・・どうかされましたか?」

「・・・いや、何でもない。そろそろ自室に戻るとしよう」




何故だか居た堪れない気持ちになり、煉獄はそう言って部屋に戻ろうと名前に背を向ける。
しかし次の瞬間、ふいに後ろから浴衣の袖を引っ張られ、煉獄は歩みを止めざる終えなかった。
振り返ると、そこには俯いたまま煉獄の浴衣の袖を強く握りしめる名前の姿があった。




「名前?」



思わず彼女の名前を呼ぶと、我に返ったように名前がぱっと面を上げる。
その顔は呆気に取られたような、己でも何をしたのか分かっていないような、そんな表情であった。




「・・・申し訳、ありません。何故だか、杏寿郎様がどこかに行ってしまいそうな気がして」




彼女は聡い。特に人の心の機微には敏感だ。
煉獄の不安定な感情に当てられでもしたのだろうか、今にも泣きそうな顔をした名前はぽつりとそう呟く。
その顔を目の当たりして、煉獄は一口では言えない感情に襲われていた。


煉獄は未だかつて名前の泣き顔を見たことがない。
出会ってから一年、煉獄や千寿郎の前ではよく笑うようになった名前だが、いくら過酷で辛いことがあろうが、骨を折るような怪我をしようが涙を見せることはなかった。
そんな名前がだ。
目を潤ませ、まるで幼子のように自分を引き止める彼女の姿を見て、煉獄の心がざわざわと波を立てて揺れ動く。


先日千寿郎と名前について話をした時に感じた気持ちとよく似ている。

あの時、名前が別の男の傍で微笑む姿を想像して、なぜそれが自分ではなく他の男なのかともやもやした気分になっていた。
そして今も彼女の潤んだ瞳を見て、心配な半面、何故だか嬉しいという感情が沸き起こっている。
決して誰にも見せなかった泣き顔を、己のことを想って見せてくれるのかという高揚感。

以前琴子の泣きそうな顔を見た時は決して感じなかったものだ。
煉獄の心臓がどくどくと、まるで別の生き物のように波を打った。


この感情に気づいてはいけない。
師範と継子という関係なのだから。
彼女を決して欲してはいけない。
己には婚約者ができたのだから。


煉獄と名前の間には、幾つもの超えては行けない線が張り巡らされている。
鬼の頸を斬るように、その線を赫き炎刀で勇猛果敢に断ち切れればどんなにいいだろうか。
しかし様々な現状を目の前にして、今の煉獄にはそれができなかった。






「部屋に戻るだけだ。名前はおかしな事を言うな」




いつの間にか陽が完全に昇り、柔らかい日差しが当たりを照らし出す。
煉獄はぽつりとそう呟くと、顔をのぞかせた感情に蓋をするように貼り付けたような笑みを浮かべた。
そんな煉獄の様子に名前は彼の袖から手を離し、何とも言えない表情をしながらも小さく会釈をすると、そのまま足早にその場を去っていった。


一人取り残された煉獄を嘲笑うかのように、真上の桜の樹に燕が留まり、喧しく鳴き喚く。
屋敷の裏門に巣を作った親鳥だろう。
つい先日無事に卵が孵り、巣の中で小鳥が囀っている姿を名前と千寿郎と三人で眺めたことを思い出す。

朝焼けに輝く空を見上げながら、煉獄は自分の胸中に芽吹いた感情を呪った。





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