R-side 05




「炎の呼吸、伍ノ型 炎虎!」



木々が鬱蒼と茂る森の中。
切羽詰まった名前の声が夜の闇に響き渡る。
同時、彼女の赫き炎刀が目の前の鬼の頸に食らいつくかのようにくい込んだ。
しかし血鬼術により撒き散らされた粉を吸い込まないよう咄嗟に呼吸を止めたせいか、刃のくい込みが些か浅い。
このままでは頸を切り落とせずに、名前と彼女が庇った隊士が返り討ちにあうやもしれない。

慌てて煉獄が助太刀に入ろうとした次の瞬間、名前はお構い無しに大きく息を吸い込むと腕に渾身の力を込め、そのまま鬼の頸を切り落とした。
形を崩し、跡形もなく消える鬼の姿をその紅き眼で確認する。
そして安堵したように薄く笑みを浮かべると、名前はそのまま地面に落下した。




「−っ名前!」



寸での所で煉獄が彼女を受け止める。
慌てて名前の顔を見やれば、吸い込んだ粉の影響をもろに受けたのか、頬は赤く染まり、目も虚ろな状態で大人しく煉獄の腕の中に収まっていた。
隊服が血で濡れているが、恐らく鬼の返り血だ。
目視で確認できる範囲では名前に怪我がないと分かると、煉獄はほっと安心したように息をついた。


【相手を酩酊状態のようにしてしまう粉を振りまく鬼に苦戦中】との応援要請を受け、煉獄と名前が現場に駆けつけたのはつい先程だ。
現場では数名の隊士が粉を浴びて地面に伸びており、手負いの隊士一名が何とか仲間をかばって戦っている状態であった。





『俺が頸を落とす!名前は他の隊士の回収を!』

『はい!』



地面に転がって居られては何かあった時に不都合だ。
状況を判断して即座に名前に指示をすると、煉獄は刀を抜き地面を強く蹴りあげる。
それと同時、鬼が煉獄に向かって例の粉を振り撒いた。

情報をすでに得ていたため、粉を吸い込まないよう煉獄は息を止めると、鬼の頭上を飛び越して背後に回る。
そして深く息を吸い込み技を繰り出そうとしたちょうどその時であった。
鬼の目標が煉獄ではなく、刀を握るのもやっとな状態で立ち尽くす隊士の方に変わったのが見て取れた。

間に合うかどうかの瀬戸際。
狙われた隊士を助けるために煉獄が地面を蹴るよりも先に、名前がその隊士の前に飛び出したのだ。
そして話しは冒頭に戻る。




「名前!俺が分かるか!?」




意識の確認をするために、腕の中の名前に声を投げると彼女は弱々しく首を縦に振った。
鬼を倒したと言えども血鬼術はその効果が消えるまで残る。
報告で聞いていた効果から考えるに、特段命に別状は無さそうだが何とも心配だ。
とりあえず蝶屋敷に運ぶべきかと煉獄が思い悩んでいた時、煉獄への応援要請と同時に隠にも連絡がいっていたようで、数名の隠がこちらに走り込んできたのが見えた。




「炎柱様! お怪我はありませんか?」

「ああ、俺は問題ない!四名の隊士が血鬼術を食らって伸びている!一名、意識のある隊士の怪我が酷い!即時蝶屋敷に運んでやってくれ!」

「かしこまりました!おいっ後藤!応急処置して運ぶぞ!他はそれぞれ倒れてる隊士を診てやれ!」





煉獄の迫力ある声に、緊張した面持ちで隠たちは即座に散らばって作業に当たる。
うち一名の隠がこちらに近づいてきて煉獄に頭を垂れると、そのまま彼の腕の中にいた名前の手首に手を当て、脈を取り始めた。





「どうだ?」

「脈拍が通常より早いですが、熱や怪我は無さそうです。報告の通り酩酊状態のようなものでしょう。一晩たてば自然に戻るとは思いますが、念の為に蝶屋敷にお運びしたほうがよろしいかと」




煉獄の問いかけに隠はそう答える。
ふーっと気だるげに息を吐く名前を見て、隠の言う通りにしたほうが良いだろうと、煉獄が彼女の身を隠に渡そうとした瞬間。
ふいに名前の腕が伸びてきて、煉獄の首に縋り付くかのように纏わりついた。





「やだ・・・杏寿郎様と、離れたくない」





煉獄の首筋に名前の柔らかい吐息がかかる。
思いがけない彼女の言動に、煉獄の身体が一気に熱を帯び、思わず彼女を抱きとめる腕に力がこもった。
酔っ払いと同じで、無意識にやっているのだろう。
それだから余計にたちが悪い。
煉獄は動揺した表情を隠に見られないよう立ち上がると、地面に落ちたままであった名前の日輪刀を拾い上げた。




「懇意にしてる藤の家紋の家が近い。とりあえずは名前はそちらに運ぼうと思う!何か異常が起きればすぐ蝶屋敷に向かうと胡蝶に伝えておいてくれ!」

「か、かしこまりました!」




二人の様子を間近で見ていた隠はただならぬ雰囲気に慌てふためきながら頷くと、そのまま他の隊士の様子を確認しに駆けていく。
この場は隠に任せていれば大丈夫であろうと判断し、煉獄は名前の身体をしっかりと抱き直すとその場を後にした。







***





「先程眠られました。顔色も戻ってきていますし、大丈夫でしょう」



そう言って藤の家紋の家の内儀・則はにこやかに笑うと、居間で待機していた煉獄へ温かい茶が入った湯呑みを差し出した。
その言葉を聞き、煉獄はほっと胸を撫で下ろす。

則の家にたどり着く少し前、煉獄が担ぐ揺れで酔いがだいぶ回ったのか、名前の顔は青白くなっていた。
早く彼女を休ませてやろうと少し歩みが早すぎたのかもしれない。
夜明け前にも関わらず、慌てて屋敷に駆け込んだ煉獄たちを則は快く迎え入れてくれ、名前のことを引き受けるとテキパキと着替えなどをさせて布団に寝かせてくれたのだ。





「もしかして、あの方が噂の継子の方ですか?」

「そうだ!名を苗字名前と言う!ここに連れてくるのは初めてだな」

「ええ。管轄区域が変更になってから、炎柱様が我が家にお越しになる回数がめっきり減っておりましたので・・・」




「炎柱様が継子を取ったと風柱様から聞いておりました」と則は鈴の音のような声でころころと笑う。
現在則の住まうこの付近の管轄を担当しているのは風柱の不死川だ。
本来であれば今日の任務も不死川が応援要請を受けるべきものであったが、彼が既に別の任務に当たっていたため急遽煉獄たちが駆り出されたのだ。


その言葉に不死川の顔が過ぎると同時、名前が妙に彼に懐いていることを思い出す。

不死川と名前の付き合いは煉獄より遥かに長い。
彼女の命を鬼から救ったのは不死川であり、鬼殺隊に入隊するために色々と世話を焼いたのも彼だそうだ。
初めて名前からその話を聞かされた時、あの無愛想で他人に興味が無い不死川がそんなことをと心底驚いたものだ。




『皆さん誤解しているだけです。実弥さんはとても優しい方ですよ』



思ったことをそのまま伝えると、名前は眉を八の字にして少し怒った口調でそう言った。

さらに二人は当初からお互いを下の名前で呼び合う仲だ。
自分は"様"付けなのに対し、不死川は"さん"付けでより親しい関係なのが分かる。
煉獄など最初の三ヶ月はずっと炎柱様と呼ばれており、下の名前で呼ぶように煉獄が何度も指示してようやく"杏寿郎様"に落ち着いたのだ。

それはまるで、師弟として苦楽を共にし、四六時中時を同じくしているのにも関わらず、不死川に己は適わないと言われているようであった。


苦々しい記憶を思い出し、蓋をしていたはずの感情がまたずくずくと湧き出してくる。
己の感情はこうも節操なく、忙しないものだったのかと呆れ果てる。
そんなことを考えていると、ふいに壁に取り付けられた柱時計から朝の六時を告げる深い鐘の音がゴーンと鳴り響いた。





「あらもうこんな時間。簡単なものですが朝食の用意をして参りますね。その前に苗字様の隊服の汚れも落とさないと!よろしければその間に湯浴みでもされてくださいな」




音につられて則はややぁと時計を見やると慌てて立ち上がり、用意してあった浴衣と手ぬぐいを煉獄へ渡すとそのまま厨へと消えていく。
一人取り残された煉獄は、念の為、名前の様子を見てから湯浴みをしようと居間を後にした。


勝手知ったる廊下をしばらく歩くと客間にたどり着く。
襖越しに聞き耳をたてると、中からはすーすーと小さな寝息が聞こえてきたため、煉獄は名前に断りを入れることなく静かに襖を開けた。
布団に横たわり、すやすやと安らかに眠る名前の姿を見て、煉獄は安堵のため息を吐く。
則の言っていた通り顔色はだいぶ良くなっているようで、このままであれば蝶屋敷に世話になる必要はないだろう。





「大事がなくて良かった」



煉獄は名前の横に腰を下ろし、手を伸ばすとやわやわと彼女の頭を撫でた。
艶やかな黒髪が、煉獄の指から逃れるようにさらりと布団の上に滑り落ちる。
同時、ふわりと名前の澄んだ花のような香りが煉獄の鼻をかすり、先程彼女が己に抱きついてきた記憶が蘇ってきた。




『離れたくない』

その言葉と同じ台詞を彼女に言えたら、どんなに幸せだろうか。

しかし自覚した自身の気持ちを、煉獄は名前に伝える気など毛頭なかった。
彼女は己のことを師範としてしか見ていないだろうし、如何せん、婚約者ができたばかりの自分が他の者に恋焦がれること自体あってはならないことだ。


そして何よりも煉獄家のために一刻も早く所帯を持つことを決めたのは己自身である。

家と己を天秤にかけた時、どう足掻いても煉獄は自身の感情を優先する選択肢を選ぶことができなかった。
煉獄家に生を受けてから、ただひたすら世の人々を守るため、炎柱になるために邁進してきたのだ。
それを今更私利私欲のため、自分の好きなように生きることなど到底できない。
煉獄がこの感情を飲み込めさえすれば、煉獄家も千寿郎も、如月家も琴子も、全て丸く収まるのだから。





「名前、少しだけ俺の我儘を聞いてくれるか?」




ぽつりと呟くように煉獄がそう問うても、目の前の彼女は目を覚ます様子もなく、ただ静かに寝息をたて続ける。





「きたる時がくるまで・・・師範としてでいい、一番傍で君を見守らせてくれ」




いつか君の隣に立ち、君のその美しい手を取る者が現れても、心から祝福できるように。

陰りを帯びた笑みを浮かべると、煉獄は名前の髪をすくいあげ、慈しむようにそれに唇を落とした。




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