第二章 02



本当に容赦ない。
いくら打ち込んでも弾き飛ばされ、気がつけば地面に伸されている。
とは言っても昨日に比べれば些か彼の懐に入れる確率が上がってきた気がする。
もう少し瞬発的に速さを上げれば次こそは首元を叩けるかもしれない。

そんなことを頭に思い描きながら、名前は砂まみれのまま地面に仰向けになり、入道雲が広がる青空を見上げていた。


任務の合間に不死川から稽古を付けてもらって今日で二日目。
今朝も早くからひたすら打ち込み稽古が行われていたが、つい先程不死川の左腕に竹刀を叩き込めたため、ようやく彼から休憩の一声がかかったのだ。




「名前」



不意に名が呼ばれ、名前の視界に銀色が広がる。
こちらを見下ろすように真上に現れた不死川は名前の腕を掴むと、そのまま彼女の身体を引っ張りあげた。




「腹減ったろォ。おはぎでも食えェ」




そう言って不死川は庭に面した縁側を指さす。
いつの間にやらそこにはおはぎが大量に乗った大皿と湯のみが並べられており、割烹着姿の風柱邸の女中がこちらにお辞儀をして下がっていく姿が見えた。
休憩と言い放った後、不死川がどこかへ姿を消したと思っていたがどうやらこれを手配してくれていたらしい。
縁側の方へ歩を進める不死川の後ろを、名前は身体に着いた砂ぼこりを払いながらついて行った。




「いただきます」



縁側に腰かけ、手を合わせておはぎを頬ばれば、程よいあんこの甘みが口いっぱいに広がる。
その美味しさに思わず心が安らぎ、ここ最近続いていた緊張の糸が解けたように名前はへにゃりと柔らかく笑った。





「うめぇかァ?」

「はい、とても」



そう言うと、ふいに不死川の手がこちらに伸びてきて名前の目元を拭う。
知らず知らずのうちに気が抜けて涙がじわりと滲み出ていたらしい。
もう泣かないと決めたのに、どうしてか不死川の前では気が緩んでしまうようだと、名前は慌てて鼻をすすった。





「すみません、実弥さん」

「テメェは俺の前で泣いてばっかだなァ」

「・・・そうですか?」

「あぁ。初めて会った時も、目の前で仲間が死んじまった時も、名前が泣いてる時にいつも居合わせてる気がする」




口下手な不死川にしては今日はよく喋る日だなと朧気に思いつつ、名前は手にしていたおはぎを小皿に置きながら、昔の記憶をほろほろと掘り返す。

不死川と初めて出会った時、すなわち鬼に殺された両親と兄の遺体を前にしていた時、涙が枯れ果てるまで泣き続けた名前の傍にずっといてくれたのは彼だった。

そしてまだ階級が低い頃に初めて仲間を失った日。
鎹鴉の応援要請を受けてその場に駆けつけてきたのは不死川であった。

『私がもっと強ければ助けられたのに』

そう言って仲間の屍を目の前に、ほろほろと涙を流す名前の姿を見て、強くなれと背中を叩いてくれたのもまた彼であった。


今思えばそれからあの柱合会議の日までは涙を流した記憶が無い。
仲間の死には悪い意味で慣れてしまっていたし、己にとってどれだけ辛いことがあろうが悲しいことがあろうが泣くことはなくなっていた。
感情の揺れが戦いの足枷になるかもしれない世界だ。
階級が上がるに連れて技の練度のみならず、精神的にも強くなった自負がある。

そう考えればここ最近の涙腺の緩さは異常と言うべきだろう。
それほど煉獄に恋焦がれていたというのに、自身の気持ちに中々気づかなかった己の鈍感さに今更ながらほとほと嫌気がさしてしまう。




「情けないですね。こんなに弱い精神力じゃいつまでも柱になれないです。蜜璃さんと違って新しい呼吸もなかなか生み出せないし・・・」

「そのことだけどよォ」



思わず溜息をつき、弱々しい声で呟きながら名前が面を上げると、ふいにこちらを見ていた不死川の瞳とかち合った。
ぶれることの無い、彼の意志の強さを感じさせる瞳が名前を捕らえて離さない。





「名前、俺のとこにくるか?」





紡がれた不死川のその言葉に、名前の心臓がどくんと跳ね上がった。





「新しい呼吸を生み出すために、炎の呼吸と他の呼吸を混ぜて応用できないかってことで色んな柱に頼んで稽古をつけてもらってんだろォ。デタラメに色んな呼吸を試してみるより、どれか一つに絞った方がいいんじゃねぇかと思ってなァ」

「それは・・・実弥さんの継子になるということですか?」

「ああ。俺ならお前の癖とか苦手な部分をよく分かってるからなァ。それにテメェは炎の呼吸と風の呼吸どっちにするか迷ったくらい、風の呼吸とも相性が良かったろォ」



確かに全て不死川の言う通りである。
四年前、不死川に救われ鬼殺隊に入りたいと言った名前に、不死川は己と同じ風の呼吸の育手の元へ修行に行かせた。

そこで数ヶ月、風の呼吸を学んでいた名前であったが、その育手と交流があった炎の呼吸の育手である久我がほんの戯れのつもりで名前に炎の呼吸を教授したところ、とても相性がよく筋も良かったため、名前を弟子として譲り受けたいと風の呼吸の育手に頼み込んだのだ。
最後まで悩みぬいた末に、名前は己のために頭を垂れて弟子に迎えたいと言ってくれた久我の元で学ぼうと、炎の呼吸を選ぶことになる。
今や次期柱とまで言われるほどに成長したため、当時のその選択肢は間違えではなかったと言えるだろう。






「それとも、継子としてでもいいから、ずっとあいつの傍にいてぇか?」




すぐに答えが出せず、押し黙ったままでいる名前を見て、不死川は遠慮なく核心に触れてくる。

その言葉を聞いて名前の脳裏には寄り添うように立つ琴子と煉獄の姿が浮かんだ。
今は煉獄の傍にいればいるほどただ胸が苦しいだけで、精神的に不安定な状態が続いている。
そのため極力煉獄に会わないよう炎柱邸に帰らずに任務を詰め込み転々としていたのだ。

いつかはそんなこともあったなと笑える日が来るのかもしれない。
ただそれがいつになるのかも分からない。

このような状態であれば、新しい呼吸を生み出すこともままならないうえに、いつか任務に支障をきたすかもしれない。
さらには師の前にまともに姿を現さないのであれば、継子として煉獄にも迷惑をかけ続けるだけだ。
それならばいっそ、彼から離れてみるのも手なのかもしれない。





「・・・少し、考えさせてください」

「あぁ。ちゃんと自分で考えて決めろよォ」




ようやく発せられた名前の言葉に、不死川はぽんぽんと彼女の頭を撫でると、そのままおはぎを頬張りだし何も言わなくなった。


煉獄がいつも名前を照らし導いてくれる太陽のような存在だとすれば、不死川は名前が誤った方へ行かないようにと後ろで静かに見守ってくれている月のような存在だ。
煉獄という光を失い、暗闇の中を迷い子のように彷徨う名前に差し出された不死川の手。
その手を取り、彼の優しさに甘えてしまってもいいのだろうかと、名前は空を見上げながら己の心に問いかける。

そんな名前の背中を押すように、新緑の間をぬって、風柱邸に夏の訪れを感じさせる青嵐が吹き荒れた。




back/top