第二章 05



「隊士二名ガスデニ戦闘不能ー!残リ一名デ応戦中ー!!」



闇夜を駆ける名前の耳元で鎹鴉が金切り声を上げる。
音柱邸から件の女学校までは名前の足でおよそ十分ほどの距離だ。
鴉が出発した時にすでに二名の隊士が鬼に殺られていたとするならば、今どのような状況になっているのか想像することが恐ろしい。
名前は深く息を吸い込み、地面を蹴る力を強めた。


女学校に到着し、すぐさま最上階の窓辺が目に入る位置に付ける。
窓硝子は格子を残すのみで全て粉々に砕けており、月明かりで中の様子が手を取るように見てとれた。
しかしそこに鬼の姿は見当たらない。
その代わり男の隊士が二名、硝子の欠片が散らばる血の海の中で横たわっているのが見えた。
身体を喰われている様子はない。
やはり女しか喰わない鬼かと、名前は辺りの気配を確かめながら細心の注意を払ってその場に降り立った。

ぴちゃりと血の海の中に入り隊士の生存を確認する。
一人はすでに事切れていたが、もう一人は出血は多いもののまだ命はあるようだった。





「傷の手当をします。喋れそうなら、状況報告をお願いします」



息のある隊士の身体を近くの教室の物陰に連れていき、出血した部分に布を当て応急処置を施す。
名前の姿を見て少し安心したのか、隊士は息も絶え絶えに口を開いた。




「一瞬、だったので・・・鬼の・・・能力はっよく、分かりませんでした。・・・一名の、隊士がっ・・・はぁ・・・女生徒を連れて、逃げています」

「女生徒の人数は?」

「三・・・」

「ありがとう。隠が来るまで何とか持ちこたえてください」




これ以上喋らせると身体への負担が大きくなってしまうだろう。
励ますように手を強く握り、隠を呼ぶために名前は自分を音柱邸まで呼びに来た鎹鴉を空に放った。
そして隊士を横に寝かせると鬼の姿を探しに教室の外へと飛び出す。


赤く血塗られた足跡が転々と廊下と階段に続いていたため、それを辿ると呆気なく鬼の姿を捉えることができた。
その鬼は角が生え鋭い爪を持つものの、外見は普通の人間の男性と相違ない姿形をしていた。
しかしその顔はまるでのっぺらぼうのように目や鼻、口が一切ついていない。
あのような風貌の鬼を今まで見たことがなかったうえに、どんな風に戦い、どのように人間を喰うのかまったく検討も付かなかった。
鬼は未だ名前の存在には気づいていないようで、何かを探すかのようにうろうろと所在なさげに廊下を歩き続ける。
恐らく逃した隊士と女生徒たちを追っているのだろう。

息を潜めて様子を伺っていると、突然がしゃんと校庭の方で何かが大きく落ちる音が鳴り響いた。
その音に釣られるように鬼が階段を降りて行くのを見届け、名前が廊下へ出た時、ふいにどこからか細い声が降ってくる。
少女の声だ。しかも、己の名を呼ぶ声。
その声がする方を見やれば、名前の立つ場所のすぐ横にある教室の扉が少し空いているのが目に入る。
極力音を立てないように教室に入れば、そこには机の影に隠れて縮こまる少女たちの他に、思いもよらぬ人物の姿があった。





「琴子様・・・!?」



名前の目の前に現れたのは、煉獄の婚約者である如月琴子であった。
その姿に驚いて声を荒げれば、彼女は慌てて両の手を伸ばして名前の口を塞ぐ。




「静かに・・・!どうやらあの鬼は音に反応して動いているようなのです。私たちを連れて逃げてくれた隊士の方が、校庭に鬼をおびき出そうと机を外に投げ捨てたところで・・・」




微かな声で告げられる琴子の言葉に、名前は姿勢を低くすると窓辺に近づいて外の様子を伺う。
琴子の言う通り校庭には窓から投げ捨てられたであろう机が一つ転がっており、その近くに隊士が身を潜めて待機しているのが見えた。
顔をあまり見た事のないまだ若い隊士だ。
この三人を逃がしてすぐにでも加勢をしに行くべきだろうと判断し、名前は目の前の琴子に向き直った。




「安全なところまで私が三人をお連れします。お怪我はありませんか?」

「はい。一人硝子の破片で頬を切りましたが軽い怪我で済みました。隊士の方が庇ってくれたので皆無事です」

「ではすぐにでも行きましょう。その間分かる範囲で結構です。少しでも情報を頂けますか」




名前の言葉に琴子は大きく頷くと、隅で泣きながら震える少女たちの元へと近づく。
「もう大丈夫よ。苗字様はとてもお強い方だから」と、慈愛に満ちた表情で少女たちを励ます彼女の姿に名前は思わず舌を巻いた。
こんな状況下でも、泣きもせず凛とした姿で周りを気遣う彼女の精神力の強さたるや鬼殺隊の人間とも引けを取らないだろう。
彼女はまさに煉獄を支えるのに値する女性なのだ。
必ず生かして彼の元へと帰さなくてはと、名前は己を律するように深く息を吐いた。


琴子の言葉によって少女たちがようやく立ち上がったため、名前が先頭に立ち、息を潜めて廊下に出る。
同時、鬼と隊士の攻撃が交わる斬撃音が鳴り響いた。
宇髄に事前に渡されていた女学校の見取り図を脳内に呼び覚まし、鬼を避けて外に出る最短の道順を思い描くと名前は足早に歩を進める。
周りの様子を伺いながら先を急ぐ名前に、琴子は彼女が見ていた内容を事細かに教えてくれた。




「私は用事があって夕暮れまで学校に残っていました。帰ろうと街を歩いていた時、たまたま同級生のこの子たちが学校に向かっていく姿を見かけたのです。まじないの噂があることは聞いていました。悪い予感がして気になって追いかけたのですが、学校に着いた頃には陽が落ちてしまい、すでにまじないを行っていた彼女たちの前に鬼が現れてしまいました」



何ともまぁ運の悪いことか。
宇髄や煉獄も琴子がこの女学校の生徒だということを知っていたかは定かではないが、彼女がこの事件に巻き込まれたことは計算外だったであろう。
一階まで降りてようやく外に出られたため、名前は少女たちを連れて校舎の外壁に背を預ける形で植え込みの影に隠れた。
ここからは裏門までは隠れることのできる場所が極端に少ない。
最後は外まで走りきった方がいいだろうと判断し、彼女たちの逸る息をここでしばし整えることにした。




「鬼の能力はどんなものか見ましたか?」



名前がそう問えば、琴子は少し困ったように眉を八の字にして、後ろにいた一人の女生徒の顔を見る。



「それが、あの鬼・・・この子の恋人の顔をしていたらしいのです」


琴子の言葉に、彼女の後ろで涙ぐんでいた少女はこくこくとただ首を縦に動かす。


「ま、まじないをしたら何かが私の頬に触れて、窓硝子に祥太さんの顔が映って・・・。そしたら、次の瞬間・・・祥太さんの姿をしたあの化け物が襲ってきたんです・・・!」

「私が咄嗟に持っていた藤の花の匂い袋をかざしたところ鬼が怯んだので、その隙に逃げたのですが、次に姿を見た時にはもうあの鬼はのっぺらぼうになっていました。目や鼻がない分、耳を頼りに動いているようだったので息を潜めてやり過ごしていたのです。ただいつまでも隠れている訳にはいかないとのことで、隊士の方が囮になると言って下さり、部屋を出ようと準備していたところ苗字様が来て下さったという訳です」



彼女たちの話を統括すると、もしかしたら血鬼術を使えるような手練の鬼なのかもしれないと、名前の心臓がばくばくと音を立て始めた。
嫌な胸騒ぎがする。
そう言えば、先程まで聞こえていたはずの斬撃音がいつの間にか聞こえなくなっていた。
いつからだ?外に出た時にはもうすでに聞こえてなかったのではないか?


そう考えると同時、ふいに背後から強い殺気を感じた。
真上だ、と名前が顔を上げた瞬間、頭上にあった窓硝子が割れて何かが視界に飛び込んできた。
のっぺらぼうの鬼。
その腕がこちらに伸びてくる前に、瞬時に腰から日輪刀を抜き名前は深く息を吸った。




「炎の呼吸、弐ノ型 昇り炎天!」



下から上に向けて素早く刀を振るう。
炎が昇るように空を斬りあげるが、瞬時に身を引いた鬼は刃から逃れるように名前から距離を取った。
鬼の爪が掠ったのか、名前の頬を一筋の血が滴る。
同時、そんな名前を嘲笑うかのように高らかな笑い声が辺りに響き渡った。
耳慣れた声。
ぞわりと、名前の全身に鳥肌がたった。




「ほう。お主、次期柱と言われるほどの腕前の隊士なのか。それほど強い者と相見えるのは初めてだ」



何も無かったはずの鬼の顔ににょきりと口が生え、流暢に言葉を語り出す。
その声は、間違いなく名前がよく知った人物のものだった。
なぜ、彼の声が鬼から紡がれるのだろうか。





「血鬼術 写鏡内秘しゃきょうないひ




その言葉と共に、鬼の顔の皮膚がまるで生きているかのようにぼこぼこと隆起と沈降を繰り返す。
しばらくして鬼が面をこちらに向けた時、名前の後ろにいた琴子がひっと小さく悲鳴を上げた。




「いささか歌舞いた見目の男だが、なかなかの色男だな。気に入った!」



風に舞う獅子色の髪。炎のように燃える赤い瞳。
煉獄杏寿郎の姿へと変貌した鬼は、満足そうに己の顔を撫でながら恍惚の表情を浮かべる。
ぎょろりとこちらに向けられた左の眼球には、煉獄にはあるはずのない文字が刻まれていた。
下弐の文字。目の前の鬼が十二鬼月である証。


その姿を目の前にして、名前は戦慄く身体を抑えるために、日輪刀をより一層強く握りしめた。





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