後日談 01
「はい!そこまで!」
パンっと景気の良い音が鳴り響くと共にアオイの声が道場に響き渡る。
その声を聞いて名前はぴたりと動きを止めると、目の前で立ち尽くすカナヲの服の裾からゆっくりと手を放した。
「流石ですね名前さん。あんな大怪我を負ったのにも関わらず、もうほとんど機能が回復してらっしゃる」
「皆がお世話してくれたおかげだよ。ありがとう」
「いえ!私達もお役にたてて光栄です!ねぇカナヲ」
そう言ってアオイが同意を求めるようにカナヲを見やるが、彼女はただに貼り付いたような笑顔を浮かべるだけで、お辞儀をすると足早にその場を去っていった。
「すみません名前さん・・・」
「大丈夫。カナヲちゃんがいい子なのは知ってるから」
困った顔で頭を下げるアオイに対し、名前は問題ないと言わんばかりにゆるりと笑った。
しのぶと今は亡き彼女の姉・胡蝶カナエに拾われた過去を持つカナヲとは名前も旧知の仲である。
名前の機能回復訓練をするのにあたり、アオイたちだけでは少し力不足であろうとしのぶから特別にカナヲを使っていいと許可が降りたため、こうして訓練に付き合ってもらっていたのだ。
蝶屋敷に運ばれ目覚めてから安静期間が一週間、そこから訓練を始めて今日で三日目。
まだ左腕が完全に引っ付いていないため本調子とまでいかないが、本来の八割ほどの力が戻ってきているように感じていた。
昼餉の用意をしに行くというアオイと別れ、部屋に戻るために一人廊下を歩いていると名前の視界の端に黒い塊がちらつく。
庭の方を見れば、いつの間にか近くの木の枝には一羽の鴉が留まっていた。
煉獄の鎹鴉・政宗である。
かの有名な武将から名を貰ったこの鴉は彼と同じく隻眼で、右眼の視力がない。
名前の姿を探していたのか、彼女を見つけるや否や政宗はさも当然といわんばかりに名前の肩の上に止まった。
政宗は代々煉獄家に付いていた鎹鴉の子孫で、寡黙な性格から煉獄家以外の者には懐かないうえに口を聞かない気質らしいのだが、何故だか名前には昔から気を許していた。
「政宗、ありがとう。今日も杏寿郎様からの文を届けてくれたのね」
足に結び付けられていた文を解きながらその羽をひと撫ですれば、政宗は満足そうにカァと鳴いた。
任務で見舞いに来れない日は煉獄からこうして文が届くのが日課となっている。
忙しい中でこのようなことに労力を費やさせてしまい申し訳ないと思いつつも、すれ違っていた空白の期間を埋めるような煉獄の気遣いが名前にとっては純粋に嬉しかった。
綻びそうになる顔を抑えながら文を開こうとした時、肩に止まっていた政宗が急に翼を広げガッガッと濁った声を出す。
何事かと視線の先を辿れば、そこには思いもよらない人物の姿があった。
「よぉ。だいぶ元気になったみてぇだなァ」
「実弥さん!」
名前の目の前に現れたのは、隊服姿に身を包んだ不死川であった。
名前が意識を失っていた時に様子を見に訪れていたとしのぶから聞いていたが、目を覚ましてからは結局会えずじまいだったため、こうして面を合わせるのは彼に継子の返事をした日以来である。
継子のこと、煉獄とのこと、不死川に話さなけらばならないことはたくさんある。
こちらに近づいて来た彼に対してまずは詫びなければと名前が口を開こうとした瞬間、突然政宗が翼を広げ、そのまま不死川に向かって突進していった。
「ま、政宗・・・!?止めなさい!」
「その右目、もしかして煉獄の鴉かァ?」
名前の制止も聞かずに、政宗は不死川の頭をそのするどい嘴で小突き出す。
額に青筋を浮かべながらも軽々と黒い足を掴むと、不死川はそのまま勢いよく政宗を空へと放り投げた。
何やらまだ不満そうな顔をしているが、これ以上やると不死川も黙っていないのが分かったのだろうか。
政宗は名前が見える位置の木の枝に止まると、先程までとは打って変わって大人しくその場に羽を休めた。
「すみません実弥さん。あの子、あまり他人に懐かなくて・・・」
「気にすんなァ。前に俺が煉獄に喧嘩を売ったのを傍で見てたから、仕返しにきたんだろォ」
「・・・喧嘩?」
「名前を継子にもらうって言った時に、ちょっとなァ」
そのような話を煉獄から聞いていないが、宇髄の屋敷に現れた煉獄が未だかつて無いほどに怒りを顕にしていたことは記憶に新しい。
まさか自分が原因で二人の間に何か亀裂が入ったのだろうかと、名前が驚きのあまり目を泳がせていれば、不死川は気にもしていない様子でぼさぼさになった己の髪を手櫛で乱暴に直した。
「安心しろォ。もう何も後腐れはねぇよ」
そう言うと不死川の目線が流れるように名前の耳元に注がれる。
炎のように燃え盛る赤い宝石。
煉獄からあの日贈られた耳飾りは、紆余曲折あって名前の元に無事に戻ってきており、彼女の耳で輝きを放っている。
それを見て安心したように不死川は目を細めると、そのまま名前の方に手を伸ばし、彼女の頭に優しく触れた。
「お前が目ぇ覚ましてからのことは煉獄から全部聞いた。継子じゃなくても稽古はいつだって付けてやるからなァ。いつでも頼ってこい」
煉獄と想いが通じあったあの日、前回とは反対に煉獄が不死川に話を付けに行くと言っていたことを思い出す。
理由があったと言えども、結果的に周りを振り回すだけとなってしまった己の不甲斐なさに名前は眉をしかめながら俯いた。
「本当に、申し訳ありません。身勝手で迷惑ばかりかけて・・・。実弥さんに顔向けできないと思っていたのに、そんな風に言ってもらえるなんて恐れ多いです」
「別に俺は自分のやりたいようにしてるだけだ。それに・・・頼まれたからなァ」
「え?」
頼まれた?何を?誰に?
訪ねようと名前の口から言葉が出る前に、不死川は彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「お前が笑顔でいてくれるなら、俺はそれで充分だァ」
紡がれた柔らかな言葉。
じわりと心に染み込んだ不死川の声に、思わず出そうになった涙を飲み込みながら名前は満面の笑みで頷いた。
不死川の薄い唇が弧を描く。
「幸せになれよォ」
去っていく彼の背中を、感謝の念を噛み締めながら名前は静かに見送った。
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