後日談 03



さらりと髪を撫でる感触がする。
柔らかい春の匂いに誘われて、名前はまだ寝たいと思う気持ちを抑えながらうっすらと目を開けた。



「むう、起こしてしまったか」



目の前に飛び込んできた揺らめく炎のような赤い瞳が己を愛おしそうに見つめている。
慌てて身体を起こそうとするが、布団の中で名前を抱きしめている煉獄の腕がそれを許さない。
肌けた襦袢の隙間から直接煉獄の熱を感じ、自然と己の身体が昨晩の感覚を呼び覚ます。
名前は恥ずかしさのあまり、掌で自身の顔を覆い隠した。



「何故顔を隠すのだ?」

「・・・聞かないでください」

「昨晩は無理をさせてしまったか?すまない。祝言が無事に終わり、名前と夫婦になれたと思うと嬉しくなってつい・・・」



そんな煉獄の言葉によって眠りから覚めたばかりの名前の脳内はすっきりと晴れ渡り、昨日の記憶が鮮明に蘇ってきた。

春麗らかな三月某日。
二人の想いが通じあってから約八ヶ月後。
ついに煉獄と名前は祝言を上げた。
柱の婚姻、尚且つ歴史のある煉獄家の者とあれば豪華絢爛な祝言を誰もが想像したであろう。
だがしかし二人からの要望もあり、招待客は産屋敷耀哉とあまねに柱、そして極わずかな親しい者のみを招いて厳かに執り行われた。

笑顔で騒ぎ立てる者、涙ぐむ者、表情を変えずにいる者と様々な様相であったが、皆心から二人のことを祝福してくれているのが伝わってきた。
愛しい者と結ばれるだけでなく、こんなにも周りの者に祝ってもらえるなんて、なんと幸せなことのだろうか。
この日のことを名前は一生忘れないだろう。

それは煉獄も同じであった。
祝言が無事に終わり、高ぶった気持ちのまま夫婦として初めて床を共にすることになった昨晩。
煉獄は愛しき妻をその手で何度も掻き抱いた。
烈々たる愛情を受け止めているうちに名前はいつの間にか果ててしまっていたようで、気がつけば朝になっていたというわけだ。


いつまでも顔を見せない名前に痺れを切らしたのか、煉獄は襦袢の間から彼女の柔らかい腹をゆるゆると撫でる。
その行為を止めるためには、名前は顔から手を離すしか術はない。
観念して手を外せば、ようやく見れた顔に満足したのか、煉獄は愛おしそうに笑みを浮かべると名前の手を掴み、掌の感触を確かめるように触りだした。




「・・・杏寿郎様は私の手を触るのがお好きですね」

「そうだな。出会った頃から、人を守るための君の手をずっと美しいと思っている」




彼の継子になったのはもう二年も前のことで、ちょうど桜が蕾を携え始めるこの時期だった。
傷と豆だらけの手を慈しむように美しいと言ってくれる彼のことを、殊更愛おしいと思ってしまう。
その気持ちを表すかのように思わず名前が煉獄の胸に擦り寄れば、彼の身体がぴくりと跳ねた。
そしてそのまま名前を己の方に手繰り寄せると、煉獄は彼女の耳元にそっと唇を寄せる。




「名前、いいだろうか?」



熱に浮かされた煉獄の声が名前の身体を突き抜ける。
そんな最中、二人の甘い雰囲気を壊すようにこつこつと襖を突く小さな音が部屋に響き渡った。




「御館様ヨリ連絡ゥー」



翼をはためかせる音と共に、伸びやかな声が部屋の外から聞こえてきた。
観念したように煉獄は名前から手を離して襦袢を整えると、身を起こして襖を少し開ける。
襖の間からひょこひょこと顔を覗かせたのは、歳のために引退した政宗と交代して半年前から煉獄の鎹鴉となった要であった。
煉獄の姿をその目に入れると、要は嬉しそうに彼の肩に飛び乗る。



「要、朝からご苦労。御館様からの連絡とは一体なんだ?」

「数日前二行ワレタ最終選別ノ結果報告ダ!新タニ五人ガ入隊トナッタ!」

「なんと五名もか!素晴らしきことだな!」

「新人ノ隊士タチヲ見カケタラ、良クシテヤッテクレトノ通達ダ!」



通常であれば二、三人生き残れば上々と言われている最終選別を、今回は五人も切り抜けたという報せに煉獄は思わず目を見張った。
その様子を見て、身なりを整えた名前は布団から出ると煉獄の横に腰を下ろす。
小さく飛び跳ねながら名前の腕に移ってきた要の翼を優しく撫でてやれば、黒い翼を震わせながら嬉しそうに囀った。



「これが良い追い風となればいいですね」



襖の間からそよそよと入り込む風が名前の黒い髪を揺らす。
春の光が満ち溢れ、まるで風が輝きを放っているかのようなこの季節に、吉報が届いたとなれば何かを期待せずにはいられない。



「ああ。皆が笑って暮らせる世を作るために必ず全ての鬼を殲滅してみせる。そのためにはもっと邁進せねばな」



そう言って名前の手をとると、煉獄は立ち上がり部屋の襖を開け放った。

庭の中央にある桜の樹が、暖かな日差しを浴びながら開花の時期を今か今かと待ちわびる。
春になれば桜が必ず花を開かせるように、平和な世もきっと訪れるはずだ。
明るい未来に思いを馳せながら、名前は煉獄の手を強く握りしめた。


-fin-


back/top