01
「何かあったのか?」
「杏寿郎様にしのぶちゃんからお届け物です。件の薬かと思いますよ」
「おお!それはありがたい!」
自分の名を呼んだ声の主・煉獄杏寿郎にしのぶから届いた小包を見せると、煉獄は嬉しそうな声を上げる。
先日の戦いで負った手の甲の傷が膿んできてしまったため、しのぶに薬を頼んでいたところ、一日も経たないうちに送られきたのだ。
さすが、彼女は仕事が早い。
「さっそく塗ろう!」と声高らかに煉獄が包みを開け始める。
中を開くと小さな小瓶に入った軟膏の他に、桃色の包みが一つ。
その包みには付箋がつけられており、『名前へ 煉獄さんとどうぞ召し上がってください』と流れるような美しい字で文字が綴られていた。
「君宛てだな!」
「しのぶちゃんったら・・・今度なにかお礼をしなくっちゃ」
煉獄から渡された桃色の包み紙には、蝶屋敷の近くにある桜餅が有名な和菓子の印が入っていた。
春の訪れを感じさせる素敵な贈り物に、強ばっていた名前の顔がへにゃりと緩む。
桜の季節まであともう少し。
庭園の桜の木も枝先にたくさんの蕾を携えており、開花する日を今か今かと待ちわびていた。
「む?なんだか疲れた顔をしてるな!」
「いつもの私の悪い癖です。先程新しい隠の方とお会いしたので緊張してしまって・・・。無愛想に思われたかもしれません」
大きな瞳を不思議そうにくるりと丸めた煉獄の問いに、名前はそう答えた。
性格柄、名前は親しい者以外には特段礼儀正しく常に背筋を伸ばして対応してしまう癖がある。
所謂あがり症なのだ。
そのため緊張を隠すために無表情のまま応対してしまうことが多く、冷淡無情な性格と誤解されがちなのである。
煉獄の継子のため、『あの炎柱に陽の部分を全て吸い取られてしまったんじゃないか』と揶揄されるほどだ。
「なるほど!だかしかし、俺や千寿郎、それに胡蝶や甘露寺などは君が本当は優しく朗らかな人間だと知っているからな!気にするな!」
「そうですね。杏寿郎様にそう言って頂けて安心です」
「うむ!それに−・・・」
曇った名前の表情を晴らすように、快活に笑う煉獄。
その清々しさに釣られてほっとした笑顔を浮かべる名前を見て、ふいに煉獄の手が彼女の頬に伸びた。
そっと輪郭を撫でるように触れた手は肉厚でゴツゴツしており、煉獄が男ということを嫌でも感じさせてくる。
突然の煉獄の振る舞いに、どきりと名前の心の臓が跳ね上がった。
「他の者には易々と隙を見せないお前でいてくれる方が、俺は安心していられるだろうな」
ぽつりと呟かれた言葉は、傍から見ればまるで愛を紡ぐような台詞だった。
しかし熱を帯びた言葉とは裏腹に、煉獄は困ったような、寂しそうなそんな複雑な表情を浮かべている。
継子になって一年。
彼のこのような表情を見たことがなかった。
呆然とこちらを見上げる名前に気づいたのか、煉獄は先程までの表情を吹き飛ばすかのように、またいつもの明朗な笑顔を浮かべた。
「よもや!いつまでも俺は名前の師範ではいられないからな!名前は柱になれる実力をすでに持ち合わせている!いつでもその任が請け負えるよう、炎の呼吸以外にも独自の呼吸法を編み出す訓練もしておかねばならないぞ!」
「はい。杏寿郎様と共に二人で炎柱はできませんものね」
「うむ。では早速稽古をしよう!名前もすぐに着替えるように!」
そう言ってするりと名前の頬から離れる煉獄の手。
思わず名残惜しいと感じながらも、ひらりと身を翻して自室へと歩みを進めていく彼の背中を見送った。
煉獄の言う通りである。
いつまでも自分がぬくぬくと彼の傍にいられるわけではない。
名前は数ヶ月前に十二鬼月を倒したことから、階級も"甲"に昇格しており、すでに柱になる条件が揃っていた。
ただ煉獄が炎柱に在籍している限り、柱に空席がでようが自分の席はそこにはない。
甘露寺のように独自の呼吸法を編み出すしかないのだ。
「頑張らなくちゃ」
自身を奮い立たせるように名前は呟くと、自分の頬を両手でぱちりと叩いて己に喝を入れた。
煉獄と共に柱として肩を並べる。
それが名前の夢であった。
それが師として柱として、いつも手を差し伸べてくれる煉獄に唯一できる恩返しだと考えている。
稽古着に着替えるため、自室へ急ぎ足で歩を進める彼女の横をまだ寒さの残る早春の風が通り抜けた。
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