02



麗らかな春の光が目に染みる。


任務終了後に後処理の手配もしていた為か、すっかり帰還するのが遅くなってしまい、すでに時刻は正午を回っていた。
一刻も早く屋敷に帰って湯浴みをし、ふかふかの布団で眠りたい。
そんな気持ちを胸に、名前は任務帰りの重たい身体を前に進める。


"甲"の名前にとっては取るに足りない中級の鬼が相手だったとはいえ、人−・・・いや鬼一倍すばしっこい相手を捕まえるために一晩中街を駆け回るはめになった今回の任務。
本来であれば、煉獄の継子である名前は煉獄と行動を共にしており、彼が招集を受けるような任務にしか駆り出されることはない。
しかし今回は煉獄の担当地区内で下級隊士たちがかなりその鬼に手こずっているとの知らせを受け、煉獄と相談の上で名前単独で任務に赴くことになったのだ。




「はぁ・・・それにしても知らない人ばっかりで緊張した」



いつもは傍に柱である煉獄がいるためか、周りの者たちは必要以上に名前に近寄っては来ようとはしない。
しかし今回の任務では単身だったため、物珍しいものを見るように色々と声をかけられた気がする。
その緊張感も相まって余計に疲労感を感じていた。
帰ったら夕飯まで少し休ませてもらおう、とそんなことを考えながら角を曲がると、すぐに炎柱邸が見えてくる。


その門前に人影が三つ。
来客だろうか。

少し歩みを緩めながら様子を伺うと、そこには煉獄とその弟・千寿郎の他に、上質そうな着物に身を包んだ見覚えのある女性の姿があった。




「名前!ご苦労だった!」



真っ先に名前に気づいた煉獄がこちらに労いの声をかける。
その声に丸まっていた背筋をしゃんと伸ばし直し、名前は駆け足で門前へと急いだ。



「杏寿郎様、ただいま戻りました。穂高ほだか様、ご無沙汰しております」

「あら、誰かと思えば苗字さんだったのね。ごきげんよう」



慇懃に挨拶をする名前を見て、水仙が描かれた青藍の着物に身を包んだ女性は、しっとりとした笑みを浮かべた。
炎のように赤く、猛禽類を思わせる爛々とした瞳。
その目元を見れば誰もが煉獄の近親者だと分かるであろう。

彼女−穂高は煉獄杏寿郎の父・槇寿郎の姉、そして杏寿郎と千寿郎にとっては伯母にあたる人物だ。
炎柱邸に住まう名前も、彼女とは今まで何度か顔を合わせたことがある。
最後に会ったのは穂高が年始の挨拶に訪れた時であっただろうか。




「では私はこれで失礼しますね」

「はい伯母上。またいつでもいらっしゃって下さい」

「もちろんですよ千寿郎さん。またすぐにでもお伺いする予定です。杏寿郎さんがいいお返事を下さったらですけど・・・」




名残惜しそうに伯母を見上げる千寿郎の頭をふわりと撫でながら、穂高はその横に視線を投げる。
そこにはいつもの溌剌とした彼からは想像できないような、困ったように眉をひそめた煉獄の姿があった。



「善処します。ただ、些か時間を頂けるとありがたい」

「ええ、分かっていますよ。それではね」



そう言うと穂高は颯爽とその場を後にする。
その後ろ姿が見えなくなると同時、煉獄はふーっと深いため息をついた。

珍しい。

穂高との間にどういった話があったかは分からないが、即断即決が基本の彼が話を持ち帰りたいと申し出、こうも何かに思い悩んでいるような節を見せるとは、と名前は内心驚いていた。
心配そうに名前が「杏寿郎様?」と声をかけると、彼はカッと目を見開いて、暗い雰囲気を吹き飛ばすかのようにいつもの快活な笑顔を浮かべた。




「いやはや、疲れているのに足止めして申し訳ないな!夕飯時までゆっくり休むといい!」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

「名前さん、おかえりなさい。伯母上がお土産に菓子を持ってきてくださったんです。一緒に食べましょう」

「それはいい!だがしかし俺は少し自室に戻る。遠慮なく二人で食べてくれ!」




そう言うと煉獄はくるりと背を向けて、そのまま屋敷に入っていった。
顔を見合わせる千寿郎と名前。
常時でも下がり眉の千寿郎の眉が、困ったようにさらに下へと下がっていく。



「僕は部屋には入るなと言われたので、伯母上と兄上が何の話をしていたのか分からないんです。父上も始めはいらっしゃったそうなんですが、いつもの如く話の途中で酒を買いに出ていってしまったようで・・・」

「そうなんですか・・・。杏寿郎様があのような雰囲気を醸し出すなんて珍しいですね。気もそぞろというか、気を揉んでらっしゃるというか」

「はい・・・兄上に元気がないと、僕まで調子が狂ってしまいます」



鬱々とした表情でしょぼくれる千寿郎。
彼にとって兄は太陽なのだ。
いつも全てを明るく照らしてくれる煉獄に影が出来てしまうと、千寿郎までもが曇ってしまう。

そんな彼を元気づけるように、名前は腰を曲げて千寿郎の目線に近づいた。



「千寿郎様。今日は夕飯に杏寿郎様の大好きな薩摩芋の味噌汁を一緒に作りましょう。それを食べれば、きっと杏寿郎様も元気になってくれますよ」



名前のその言葉に、千寿郎の表情が少し明るくなる。

普段家の事は女中に頼んでいるが、名前が煉獄家に継子として来てからは、任務がない日などは彼女が煉獄家の食事作りを担っていた。
それを千寿郎もよく手伝っており、母親を幼い頃に亡くしてしまった彼は、名前と過ごすその心落ち着く一時が大好きだった。



「はい。名前さんの好きな牛蒡も入れましょうね!」

「それはいいですね。後で千寿郎様の好きな厚揚げも豆腐屋に買いに行きましょう」



やった!と今にも小躍りしそうなほど嬉しそうに笑う千寿郎を見ながら、名前は心の隅にあった何とも言い難い感情を押し殺すかのように微笑んだ。


煉獄はいつも、何かあればすぐに名前に相談や報告をしてくれていた。
任務のことや私事のことはもちろん、門前に燕の巣ができたやらこの間また不死川と冨岡が喧嘩をした、などと取るに足らないことも全てだ。


なのに今回に関しては何も話してこない。

そのことを考えると、心の臓あたりがじくじくと痛むような、そんな不思議な感覚に苛まれていた。




その感情の名を、名前はまだ知らない。


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