03




突然意識が覚醒し、目を開けると、見慣れない天井が眼前に広がっていた。
名前は慌てて布団から身を起こすと、周りを見渡しながら自身の置かれている状況を冷静に分析する。

綺麗に掃除が行き届いた部屋には柔らかな陽が差し込んでおり、いつの間にか隊服ではなく寝間着に着替えさせられていた。
寝ていた布団の横には名前の日輪刀と、隊服がきっちりと畳まれて置かれている。

以上の状況から判断して、とりあえず身の危険は少なそうだ。
そんなことを考えていると、ふいに人の気配を感じ、名前はそろりと日輪刀に手を伸ばした。
それと同時、部屋の外から女性の声が投げかけられる。



「苗字様、お目覚めですか?私、のりと申しまして、藤の家紋の家の者でございます。お部屋にお入りしてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」




藤の家紋という言葉に警戒心が和らぎ、名前は掴んでいた手を日輪刀から離した。
名前の返答を受け、静かに襖が開けられると、紺色の格子柄の着物をきっちりと着込んだ四十代ぐらいの女性が顔をのぞかせた。




「お加減はいかがですか?」

「大丈夫そうです。お気遣いありがとうございます」

「いえいえ。運び込まれた時に隊服が血まみれだったので心配しましたが、退治した鬼の血だったようで、苗字様に大事がなく良かったです。不躾ながら、お着替えと隊服のお洗濯をさせて頂きました」




襖を締めながら、名前の顔色を見て夫人は安心したように微笑む。

その言葉に、朧気ながら昨夜の任務の出来事が頭の中に蘇ってきた。

昨夜鎹鴉より応援要請の伝達を受け、煉獄と名前は管轄外の土地に足を踏み入れていた。
その地の担当である風柱・不死川が別任務に駆り出されていたので、隣の地区である煉獄たちに白羽の矢がたったようだった。

相手を酔っ払いのような酩酊状態にしてしまう粉を振りまく奇妙な血鬼術を使う鬼で、先に任務を遂行していた隊士たちは鬼の首をなかなか落とせずにいたらしい。
戦いの中、怪我をした隊士を庇った名前はもろにその粉を被ってしまう。
しかし酩酊状態になる前にすぐさま反撃し、鬼の首を落としたところまでは覚えていたが、その後の記憶はすっぽりと抜け落ちていた。




「あの、私はどうやってここに来たのでしょうか?どなたかにご迷惑をかけてしまったのでは?」

「あら。やはり覚えてらっしゃらないのですね。炎柱様が直々にお運びになってこちらにいらっしゃいましたよ」

「・・・杏寿郎様が?」

「ええ。夜明け前に炎柱様が女性を抱いてこの家に走り込んできましたので、何事かと私どもも大層驚きました」




則のその言葉に名前は顔面蒼白となる。
藤の家紋の人間たちはもちろん、まさか師であり柱である煉獄に迷惑をかけてしまうなんて。
穴があったら入りたい気分だ。

唇をきゅっと結び、「ご迷惑をお掛けしました」と深々と頭を下げる名前の姿を見て、則は気にしないでくれと言わんばかりにコロコロと鈴の音のように笑った。





「何をおっしゃいますやら。私共は鬼殺隊の皆様の為なら火中の栗を拾うのも厭いませんよ」

「・・・ありがとうございます。あの、杏寿郎様は今どちらに?」

「先程隠の方がいらっしゃいましてお部屋でお話されてます。後ほどご案内致し...」





ます、と則が最後まで言い終わらないうちに、バタバタと廊下を走る音が響き渡り、2人がいる部屋の襖が勢いよく音をたてて開かれた。




「名前起きたか!大事はないか?」

「炎柱様!女子の部屋でございますよ!お声掛けをしてくださいまし!」

「む!すまない御内儀!名前が起きたと聞いて居てもたってもいられなくてな!」




則に叱られながらも、現れた煉獄は快活に笑いながら断りなく部屋の中に入る。
彼の肩には名前の鎹鴉が褒めろと言わんばかりにふんぞり返って留まっていた。

恐らく名前が目を覚ましたら煉獄の元へすぐさま報告に来るように言われていたのであろう。
鴉は「エライ!俺、エライ!」と鳴きながら、煉獄の肩から名前の肩へと器用に飛び移ってくる。





「ご心配お掛けしました杏寿郎様。私は大丈夫です」

「いやはや!何事もなくて良かった!名前が庇った者も命に別状はなかったようだぞ!」

「そうですか。安心致しました」

「弱き者を守る、それが強き者の責務だからな。よくやったぞ、名前」





名前の横に腰を下ろした煉獄は柔らかい笑顔で微笑むと、名前の頭をゆるゆると優しく撫でた。
まるで陽だまりの中にいるようだ。
煉獄の言葉はいつでも心の中にぽっと優しい炎を灯してくれる。

何とも形容しがたいむずむずとした気持ちと、ゆるりと緩んだ唇を隠すように、名前は指先で口元を覆った。




「だが血鬼術を避けられなかったのはまだまだだな!帰ったらさっそく反射訓練をしよう!」

「はい。よろしくお願いいたします」

「さぁさぁ炎柱様。鍛錬もよろしいですけれども、年頃の女子に湯浴みの一つくらいさせてあげてくださいまし!お話は後ほどお食事の際にでもごゆっくりどうぞ!」




やる気に満ち溢れ、勢いよく立ち上がった煉獄の背中をずりずりと廊下に押し戻すと、則はピシャリと襖を閉める。
そして何事も無かったかのように涼しい顔で振り返ると、部屋にあった衣装棚から手ぬぐいなどを取り出し名前に差し出した。

礼を述べてそれを受け取る名前の顔を見て、則はそういえばと思い出したように口を開く。





「まだ柱になる前、この地区での任務の際はよくうちを利用してくださっていたので炎柱様とは長い付き合いなのです。でもあの方があんなに血相をかえて屋敷に飛び込んできたのは初めてでした。きっと苗字様は炎柱様にとって、とても大切なお方なんですね」



部屋の外に聞こえないように小声で囁くと、則はまるで悪戯っ子のように微笑んだ。
思いがけない彼女の言葉。
頭の処理が追いつかず、ぽかんとした表情を浮かべた名前の肩で、鎹鴉が呑気に鳴き声をあげた。


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