05
「こんにちは、しのぶちゃん」
「あら名前、いらっしゃい。もうそんな時間でしたか」
小雨が降り注ぐ昼下がりの午後。
蝶屋敷に訪れた名前の姿を見て、しのぶはにこりと微笑みながら彼女を自室に迎え入れた。
鎹烏からの伝達で名前が訪れることは知っていたが、昼餉の後、書物に熱中しすぎていてあっという間に約束の時間になっていたらしい。
「これ、お土産。良かったら蝶屋敷の皆で食べてね」
すすめられた対面の座布団に座りながら、名前は持っていた山吹色の風呂敷を開いて中身をしのぶへと手渡す。
先日しのぶから厚意でもらった桜餅の御礼に、炎柱邸の近くにある和菓子屋で今朝方購入してきたものだ。
ここ数日、走り梅雨で雨ばかりが続いていたため、少しでも気分が和らげばと思い、華やかな色合いが美しい菓子を選んできた。
それを目にしたしのぶは嬉しそうに顔を輝かせる。
「まぁ、紫陽花の形をした練り切りですか。とっても素敵ですね。ありがとうございます」
「気に入ってもらえてよかった。あと杏寿郎様から先日の薬の御礼にってたくさん真竹の筍を預かってきてね。重かったから先に調理場にいたアオイちゃんたちに渡してきたよ」
「あらあら。煉獄さんにまでお気遣い頂いてしまって、何だか申し訳ないですね」
「ううん。たくさん頂いた物のお裾分けだから気にしないでくれって仰ってたよ」
毎年この季節になると、炎柱邸に大量の筍が運び込まれてくる。
煉獄の父・槇寿郎が現役時代に命を救った者が広大な竹林を持つ金持ちだったらしく、その者が歳歳欠かさず贈り物として採れたての筍を送ってくるそうだ。
連日煉獄家の食卓に筍料理が並ぶのが昔からの風物詩となっており、今日の昼餉も筍ご飯に舌鼓をしてきたところだった。
「ふふ。炊き込みご飯や土佐煮など何にしようか迷いますね」
「ちょうど山菜も美味しい時期だから天ぷらも捨てがたいかな」
たわいも無い話に花を咲かせながら、広げていた風呂敷を畳むために名前が顔を下に下げると、自身の髪がはらりと頬の横に落ちる。
邪魔にならないように面を少し上げながら髪を耳横にかきあげると、目の前に座っていたしのぶが大きな瞳をくるりと丸めた。
「・・・どうかした?」
「耳飾り。貴女がそんなものを付けるなんて、珍しいなと思いまして」
名前の耳元を華やかに彩る、炎のように燃える石。
しのぶの言葉に、名前は何とも言えない表情を浮かべる。
その様子に、しのぶはそれが誰からの贈り物なのか勘づいてしまった。
名前は普段から自身を着飾ることに無頓着な人間だ。
隊服と必要最低限の着物しか持っておらず、煉獄の元で同じ継子として育った甘露寺が「名前ちゃんってば!こんなにも可愛いお顔なのにもったいないー!!」と絶叫したほどである。
その後甘露寺が色々と連れ回して彼女に似合いそうな着物やら簪やらを買ったらしいのだが、なかなか有効活用してくれないと嘆いていたのを思い出す。
その彼女が、だ。
もうそれは彼女にとって唯一無二の存在である彼からの贈り物でしかないだろう。
「煉獄さんって、女性にそういうことができる方なんですね。てっきり冨岡さんと同じでその方面のことには無頓着だと思ってました」
「しのぶちゃん、私まだ何も言ってないんだけど・・・」
「あら、違いました?"俺のだ"と言わんばかりの色じゃないですか」
その可憐な口元から正論を紡ぐしのぶに、名前はぐうの音も出ない。
しのぶとは年齢が同じで気も合ったことから、入隊当初から交流があり、今では一番信頼している友人と言っても過言ではない存在だ。
そんな彼女にはこちらが語るよりも先に全てお見通しなのだろう。
「・・・私が露店で気に入ったのを見て、杏寿郎様が買ってくださっただけだよ。他意なんてないの」
「そうなんですか。てっきり煉獄さんに貴女の気持ちを伝えて、その返答に頂いたのかと思いました」
「え、」
「煉獄さんのこと、好きなんでしょう?端から見ていればすぐに分かりますよ」
まったく表情を変えずにさらりと言うしのぶに、名前は思わず頭を抱えた。
煉獄に対しての気持ちが敬愛から恋慕へと変化したことに気づいたのが自分自身でもついこの間だと言うのに、しのぶはとうの前から分かっていたというのだ。
恨みがましくしのぶを見やれば、「何年友人をやっていると思ってるんですか」と彼女はさも当然かのように誇らしげな顔をした。
「しのぶちゃんに隠し事はできないね」
「ええ、そうですよ。それにしても自分の気持ちにようやく気づいたなんて遅すぎです。それで、煉獄さんには貴女の気持ちは伝えるんですか?」
はぁと重いため息をつくしのぶに、名前は困ったように眉を下げた。
「私ね、新しい呼吸を習得して、一人前になれるまでは気持ちを伝えるつもりがないの」
「・・・新しい呼吸、ですか」
「うん。杏寿郎様がいらっしゃるから、私がどれだけ頑張っても炎柱にはなれないでしょう。だから蜜璃さんのように新しい呼吸を習得して柱になって、杏寿郎様と肩を並べたい。師範と継子としての関係をきちんと精算してからにしたいの。そうじゃないと―・・・」
「杏寿郎様は優しいお人だから、悩ませてしまうでしょう」と、消え入りそうな声で呟くと名前は物寂しげに笑った。
煉獄は昔から継子である己をとても大切にしてくれている。
それは重々身に染みて感じていた。
そんな者から好意を寄せられて、想いの丈をぶつけられてしまったら、彼はきっと無碍には出来ないだろう。
断れば傷つくのではないか?
師範と継子の関係はどうする?
ならいっそ受け入れるべきか?
と色々思案して思い悩せてしまうかもしれない。
それならば、どこに転んでも彼が逃げれるような状況にしておきたい。
「もちろん、邪な気持ちで柱になりたいと思っているわけじゃないよ。たくさんの人を助けるために強くなりたいっていうのが一番だからね」
「名前がそんな人間ではないというのは皆分かってますよ。私でよければ稽古に協力しますのでいつでも仰ってくださいね。・・・あと、影ながら応援もしていますので」
「うん。ありがとう、しのぶちゃん」
そう言ってお互い顔を見合わせると、二人とも自然と笑みがこぼれた。
しのぶも名前も年頃の十七歳。
鬼狩りを生業にしていなければ、恋の一つや二つ経験して、恋愛話に花を咲かせる日々であっただろう。
しかし、刀を手に人々を救うために奔走する日々ではなかなかそうもいかない。
そのため、心を許した友人とほんの少しの時間でも、普通の女の子のような会話ができて嬉しかったのだ。
「それじゃあ今日は任務があるからそろそろ帰るね」
「ええ。煉獄さんにもよろしくお伝えください」
そう言って名前が部屋の襖を開くと、柔らかい日差しが部屋の中に差し込んだ。
先程まで雨が降っていたのが嘘のように、上空には青空が広がっている。
しのぶと話したことで改めて気持ちの整理がついたのか、足取りが軽い。
まるで自身の気持ちを表したかのような清々しい風を背負いながら、名前は蝶屋敷を後にした。
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