ナマエがミスルンと出会ったのは、彼がカナリア隊の隊長に就任してすぐの頃であった。
 東方のとある島の迷宮が突如崩壊したとの報を受け、カナリア隊が向かった村に住んでいたのがナマエだった。
 家族や身内は全て魔物に食い荒らされてしまったのにも関わらず、母親の作った東方古来の防御結界に守られて、一人難を逃れたらしい。術者が死しても尚、数日は結界が保たれるほどに魔力が込められた魔法陣だったため、恐らくナマエの母親は大した魔力の持ち主だったのだろう。
 ちょうどミスルンたちエルフが島に上陸し、鎮圧を行っている際に結界の効果が切れたらしく、ナマエは身一つで魔物たちの前に放り出されていた。しかし運良くその場にミスルンが現れ、魔物に食われかけるナマエを救い出したという訳だ。

 一年前に起きたウタヤ事件のような出来事がこうも立て続けに起きるなんて、なんとも不吉だ。あの時の孤児は当時副長だったミルシリルが養子にして育てている。また彼女に引き取ってもらってはどうか。
 そんな風にカナリア隊で議論が行われている最中、渦中の人であるナマエは、助けてくれたミスルンに引っ付いて離れようとしなかった。
 目の前で家族を亡くして心に傷を負い、さらに見慣れない人種に囲まれている彼女が、助けてくれた恩人にすがるのも無理はない。しかしミスルン以外には近づこうともしないナマエの姿を見て、隊員たちは空いた口が塞がらなかった。
 欲を失い、他人の世話なしでは生きることのできないミスルンは、一番孤児を迎える適正がない人物だ。当の本人もそれを分かっているのか、ナマエが常に後ろを着いて回っていても、幼きトールマンにあまり興味を示していない様子であった。


『召使いもいるんだし、とりあえず里親としてミスルンの家に引き取らせたらいいんじゃないかしら。短命種は成長も早いから、彼にとって何かいい刺激になるかもしれないわ』


 帰還後、経験者のミルシリルの鶴の一声で、ミスルンの屋敷に連れていかれることになったナマエを、当時の隊員たちは祈るような気持ちで見送ったという。
 かくして、十四年前からナマエとミスルンは共に暮らすようになったのだった。


02




「ミスルン、起きてください。今日は宮廷へ報告書を提出しに行くんでしょう?」


 予定時刻になっても起きた様子のない屋敷の主の部屋に入れば、昨日から一ミリも変わらない綺麗な寝相でベッドで眠るミスルンの姿を見つけた。ナマエはペチペチと彼の白い頬叩きながら、掛け布団をめくる。反射的にぶるりと身震いをした後に瞼が開かれ、ミスルンは寝ぼけ眼のままのそりと身を起こした。


「・・・おはよう」
「おはようございます。馬車の手配は済んでいますので、トイレをして顔を洗って着替えたら、すぐに食事をとってくださいね」


 ナマエの指示通り、ミスルンは重い足を引きずりながら、無言のまま洗面所へと消えていく。傍から見ればまるで母親と子供のようなやりとりであるが、実際は年齢も立場も全くもって逆なのである。
 幼き頃に紆余曲折あって彼の屋敷に引き取られた際、屋敷の者たちや隊員たちに介助されながら生きるミスルンを見て、なぜ彼がこんな状態になってしまったのかとナマエは疑問であった。あの時助けてくれた背中は大層頼もしかったのに、蓋を開けてみればこの有様だ。頼る相手を間違えてしまったのかもしれない。
 一人困惑するナマエに、長くミスルンに仕えているというエルフの執事長が、軽く事情を説明してくれた。


『坊っちゃまは昔、悪魔に心を食べられてしまいました。そのため、したい事が分からなくなり、笑ったり怒ったり泣いたりということができなくなってしまったのです』


 確かに彼が感情を顕にする姿を、ナマエはまだ見たことがない。
 自分は家族が魔物に食べられてしまった時、張り裂けそうなほど胸の奥が傷み、涙が枯れるまで泣いた。そして泣き尽くすことによって、少しばかり心の整理をすることができた。けれど彼はどれだけ辛いことが起きてもそれができないのだ。
 感情を失う事が不幸せなことなのか、それとも幸せなことなのか。幼いナマエにはまだあまりよく理解できない。けれど、ミスルンの後ろ姿がまるで迷子の子供のように見えて、そしてその姿が自分とそっくりだと思った。
 ひとりぼっちになってしまう恐ろしさは、ナマエが一番理解している。そのため、二度と一人になりたくないという己の感情に加え、命を救ってくれ、生きる居場所を与えてくれた彼を一人にさせないようにと、ナマエはすすんで彼の身の回りの世話を手伝うようになったのだ。

 象嵌加工のテーブルに食器やカラトリーを並べていれば、身なりを整えたミスルンが洗面所から戻ってきた。椅子を引いてやれば、導かれるように席についた彼はそのまま食事にとりかかる。
 背後につき「失礼します」と声をかけ、銀色の髪に櫛を通した。柔らかく波打つ毛は、太陽の光を受けて煌びやかに光り輝く。ナマエは出会った当初から、このミスルンの美しい髪がとても好きだった。


「馬車はお前も乗るのか?」
「はい、そのつもりです。御一緒しても大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。パッタドルとは執務室で待ち合わせている」


 チーズと厚切りベーコンののったライ麦パンを頬張りながら、ミスルンは淡々と答えた。
 女王の住まう宮廷内には、様々な行政機関の執務室が設けられている。ミスルンのカナリア隊も上層階の一角に部屋を与えられており、迷宮の調査を終えると、隊員たちはそこに篭って報告書の作成に勤しむらしい。
 ナマエも彼と同じく宮廷で働いてはいるものの、薬師は魔術師たちより位が低く、宮廷横に建てられた平屋に詰め込まれていた。隣に薬草を育てるための大きな温室があるため、現場の者たちは利便性が良く満足しているのだが、上官たちはいつか上層階へ行くことを夢見て、地位向上を目標に色々と躍起になっているらしい。

 そんなこんなで食事を済まし、ミスルンの身支度を整えて共に馬車に乗り込めば、二十分ほどで宮廷にたどり着く。入構証を提示して門をくぐると、中はそれぞれの仕事場に向かうエルフたちで賑わっていた。
 先に降りたナマエが、掌を上にかざしてミスルンが降りるのをエスコートする。無事に地面に着地した彼を確認すると、ナマエは手荷物を片手に持ち、「それでは」とそのまま別れて仕事場へ向かおうとした。が、それをミスルンの手が遮った。
 同じくらいの身長だが、ナマエよりミスルンの方が少しばかり小さい。無言のまま見つめてくる彼の視線に首を傾げれば、ふいに肘辺りの服の裾を引っ張られ、そのままミスルンの方へと引き寄せられた。
 チュッと微かなリップ音とともに、カサついた彼の唇が頬を掠める。玄関先で幼い頃から毎日やっている見送りの挨拶とはいえ、こんなにも人通りが多い場所でやるとは思っておらず、ナマエは動揺して目を瞬かせた。
 案の定、周りからは大層注目を集めてしまったようで、たくさんの視線が痛いほどに背中に突き刺さる。しかし目の前のミスルンは相変わらず何処吹く風で、ナマエからのキスを待つように頬を差し出してきた。
 ここは照れた方が負けだ。里親と里子とはいえ、共に暮らす家族なのだから、挨拶の一環としては何もおかしい事はない。ぐるぐると複雑な感情が渦巻く中、ナマエはそう己に言い聞かせると、おずおずと唇を寄せて彼の頬へキスを贈った。


「行ってらっしゃい、ミスルン」
「あぁ、また夜に」


 飄々とした様子で踵を返すと、ミスルンはそのままカナリア隊の執務室の方角へと進んで行く。小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、ナマエは締め付けられるような胸の奥を落ち着かせるように大きく息を吸い込むと、己も職場へと歩を進めた。


 ***


 仕事終わりに帰宅すれば、すでにミスルンも屋敷に戻ってきているようだった。
 部屋で一息ついた後、ナマエがキッチンに行って夕食の配膳などをしていれば、老爺の執事長に連れられたミスルンがダイニングルームへとやってくる。手伝いを終えたナマエは、テーブルの真ん中の席につくミスルンの対面に腰を下ろした。
 朝に弱く少食なためか、朝食や昼食に関してはミスルンは自室で食べることが多い。しかし家族なのだからせめて一食は顔を合わせて食べた方がいいとの執事長からの提案もあり、ミスルンが屋敷にいる際は、七時から夕食を共に食べるというのが幼い頃からの決まりであった。
 料理人の作ってくれた温かな料理を食べながら、互いに今日の仕事の話などをする。報告書は無事に女王に提出できたらしく、また一週間もすれば次は南の迷宮へと調査に赴くそうだ。
 そんなたわいも無い会話をしていれば、食事を終えた頃合に合わせて、執事長が温かい紅茶と何やら小皿を運んできた。甘いものをあまり好まないミスルンにはティーカップのみが置かれ、ナマエの前には皿がプラスして置かれる。皿の上には一口サイズのチョコがいくつか積み重なっており、それらはどれも精巧な形をしていた。


「レモンと蝶と・・・これはスコップかな?他にも色んな形のものがあるんですね」


 蝶の形をしたチョコをかざしながらナマエが呟けば、静観していたミスルンの眉がぴくりと反応する。何か気になる事でもあったのだろうかとナマエが不思議そうな顔で彼を見れば、傍に控えていた執事長は顎に蓄えた白い髭を撫でながら陽気な笑い声をあげた。


「そういえば、ナマエ様はリリクムムアレをご存知なかったですな」
「え?リリク・・・ムムアレ?」
「女王の即位を祝う周年式典で配られる菓子細工の名です。様々な色や形をしていて、組み合わせが女王からの祝福の言葉になるのですよ。これはそれらを模して作られたチョコでして、料理見習いの者が茶菓子用に遊び心で作ったものです」


 ナマエがこの国に来てからは開かれていないが、記念式典については以前本で読んだことがある。女王の即位と国の繁栄を祝う豪華な祝宴で、国中の貴人が王都に集まるそうだ。
 女王から贈られる祝福の言葉ということは、皆それぞれ違うものを頂戴するのだろうか。気になったナマエは、静かに紅茶を口にするミスルンの方に向き直った。


「式典にはミスルンも参加したことがあるんですよね?」
「あぁ、直近だと確か二十年ほど前だ」
「その時は何を頂いたんですか?」
「バラと苺と鳩」
「へぇ。どんな意味なんですか?」
「バラは"高潔であれ"、鳩は"務めよ"、苺は"愛情をもって"だ。ちなみにレモンは"誠実であれ"、蝶は"邁進せよ"、スコップは"探究心をもって"を意味する」


 隊長になる器をもつ彼に期待を込めて女王から贈られたものと考えれば、まさしくぴったりの言葉たちだろう。
 そしてたまたま目に入ったものを羅列したとはいえ、薬師として働き始めてまだ一年足らずのナマエにとっても、その言葉は全て胸に響くものばかりだった。
 トールマンの自分は今後も記念式典に参加することはない。代わりにこのチョコを件のリリクムムアレとして頂戴しようと、「これを食べてさらに邁進します」と笑いながらナマエは蝶の形をしたチョコを口に放り込む。
 それと同時、ふいにミスルンの唇から、ぼそりと言葉が零れ落ちた。


「昔、彼女・・のリリクムムアレの中にも蝶があった」
「え・・・?」
「蝶のように美しく、前を向いて進むことの出来るとても素晴らしい人だった」


 譫言のように呟く彼の瞳は、どこか遠いところを見ているようだった。
 彼女とは、恐らくかつて彼が恋焦がれた想い人の事だ。魔術学校に入学した時だったか、ミスルンがかつて迷宮の主だった事、そして主になったきっかけの出来事について本人から打ち明けられた事がある。
 その時は彼に同情こそすれど、特にその女性については何も感じなかった。よくある愛憎劇。本で読んだことのあるような悲恋の物語で、大人の恋は大変だなというようなありきたりな感想しか抱かなかった。
 なのに、今はどうだろう。彼に心から愛された女性という存在が、胸の奥にこびり付いて離れない。
 噛み砕いたチョコを飲み込むと、口内にはほんのりとした苦味が残る。それら全てを流し込もうと暖かい紅茶を飲み干したが、胸の痛みは何も変わらなかった。


 ──己の心の中で育ってしまった感情を、ナマエはいい加減に認めなければならないのかもしれない。


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