ミスルンは未だにこの状況に納得してはいなかった。しかし一度許可をしてしまったものはしょうがないと腹を括ってナマエの乗船を許可したものの、感情が顕著に顔に出てしまっていたらしい。
例の薬の精製任務に向かうため、船の中でリシオンとフレキと共にトランプを楽しむナマエをテーブルの端から眺めていれば、隣に座っていたシスヒスが楽しそうに唇の端をあげた。
「隊長ってば、いつもに増してご機嫌ナナメ」
「・・・」
「あら、そんなに睨まないでください」
情報網が手広い彼女は、ところどころで今回のいきさつを知っているような素振りをみせる。湯気のたつティーカップにゆっくりと口づけ、温かな紅茶で喉を潤すと、シスヒスは小さく笑みを零した。
「ご心配なく。貴方の可愛いプリンセスはきちんとお守りしますわ」
「・・・プリンセス?」
「ナマエのことです。成り行きとはいえ、短命種の女をずっと傍に置いてるんですもの。随分と大切になさっているんだなと思って。今回の帯同も、最初は反対されたと聞きましたわ」
西方エルフの国では短命種は劣等種だと揶揄され、地位も低く扱われがちだ。現にナマエも宮廷薬師を目指していた際に不当な扱いを受けたことがあり、あまりの酷さにミスルンが室長のナユマンを飛び越え、その上の政務官たちに直談判しにいったほどである。
以前のミスルンであればそんな事などせずに、やはり短命種とは不憫なものだとただ傍観していただろう。しかしナマエと過ごすうちに、生きている年数が全てではないということをミスルンも実感していた。
それほど彼女のひたむきに努力する姿は、目を見張るものがあったのだ。彼女はもう、あの頃の小さな幼子ではない。立派な一人の女性である。
そう理解しているつもりなのに、命の危険が孕む事となるとどうも勝手が違うらしい。
「危険ものから子を守るのは親の務めだろう。私は里親としての責務を果たしているだけだ」
「あら、でも確かトールマンは十六で成人を迎えるんでしょう?もう役目を解消してもよろしいんじゃなくって?」
淡々と答えを返したところで、シスヒスは自由気ままに翻弄する猫のように目を細めて追求してくる。
確かに彼女の言う通りだ。ナマエはエルフの年齢で換算すれば九十五歳で、パッタドルよりも年上になる。そんな彼女がいつまでも屋敷に居座る必要が無いことを、ミスルンも当然理解はしていた。エルフの国といえども、仕事も気の合う友人もできたナマエはもう充分に一人で生きていく力がある。
今のところ、彼女が独り立ちを望んでいる風には見えたことはないが、恐らくそれは彼女の真面目な性格のせいだ。助けてもらった恩を返さなければと、ミスルンが何も言わなければ彼女はこの先もずっと己の世話を買ってでるつもりだろう。
寿命が短い者たちの十四年は貴重だ。もう充分対価は返してもらったと、こちらから彼女を解放してやらなければならない。そう思い出したのは、ナマエの薬師の仕事が軌道に乗り始めた半年ほど前からだったか。
しかしいざその話をしようとしても、ナマエの顔を目の前にすると、何故だかミスルンは上手く言葉を紡ぐことができない日々を送っていた。
『私はもう子供じゃありません』
先日の憤ったような悲しんだような、複雑な感情が入り交じったナマエの表情が、ミスルンの脳裏に強くこびりついて離れない。
押し黙ったままのミスルンの様子を見て、シスヒスはくすりと笑い声をもらす。再びじとりと視線を向ければ、彼女は何処吹く風で皿に並んでいた焼き菓子に手を伸ばしていた。
「隊長もなかなかなお人ね」
「・・・何が言いたい」
「いえ、独り言です」
問い詰めようと口を開いた瞬間、ふいに「負けたー!!」というフレキの大声が飛んできてトランプが宙を舞う。それを見て楽しそうに笑うナマエを前にすると、ミスルンは言葉を飲み込むしかなかった。
04
迷宮の探索は、地下四階までは何事もなく順調であった。怪我人なども特に出ることはなく、迷宮が初めてのナマエも一度も死なずに自身の防御魔術できちんと己の身を守っていた。
今回の目的である"アビスパパラチア"は、南方大陸に古くからある迷宮の地下六階に生えている。ナユマンからの依頼を受け、何度かカナリア隊はその迷宮に潜っていたため、ミスルンも花の在り処をよく知っていた。
「ここから地下五階に降りれるんだ。すぐ横は崖だから気をつけなよ」
事件が起きたのは、ミスルンとリシオンでナマエを挟み、螺旋階段を降りている時であった。リシオンがナマエに注意を促している声が後ろから聞こえている中、ミスルンは周りを警戒しながら一つ一つ階段を降りていた。
そんなさ中、ふいに翼が空を切る音が耳に飛び込んできたかと思えば、上空から重い風圧が襲いかかる。すぐさま頭上に顔を向ければ、何処からともなく突然現れた青色のワイバーンの姿があった。
ミスルンたちがすぐさま臨戦態勢に入ったものの、最初から獲物は決まっていたらしい。ぎらりと金色の眼を一点に集中させると、ワイバーンはガッと白い歯を覗かせながら口を開き、ナマエの背負っていたリュックへと勢いよく噛み付いた。
甲高い悲鳴と共に、ナマエはリュックと共にワイバーンに上空へと連れ去られていく。弾かれるように「オッタ!」とミスルンが声を上げれば、瞬時にオッタは地面を高く隆起させ、ミスルンがワイバーンに近づくための足場をせり上げた。
狙いを定め、羽の一部と岩を入れ替えれば、突然襲ってきた痛みから唸り声をあげたワイバーンは大きく口を開け、ナマエを零れ落とす。それと同時、すぐさま右手に握りしめていた小石と彼女を転移させれば、ミスルンの腕の中にナマエが飛び込んできた。
「隊長!!後ろ!!」
ほっとしたのも束の間、下からパッタドルの慌てた声が投げられる。急いでミスルンが振り返れば、再び目の前にワイバーンが現れた。もう一度転移術で仕留めようとワイバーンに注力したミスルンの目が、深い海の色のような羽を捉える。が、瞬時に違和感が頭をよぎった。
先程風穴をあけたはずのワイバーンの左の羽が、なぜか綺麗な状態に戻っているのだ。もしや別の個体かと思った次の瞬間、ミスルンは背後から強い殺気を感じた。
けたたましい鳴き声と共に飛び出してきた二匹目のワイバーン。予想は当たっていたようで、片羽に穴が空いた手負いのワイバーンが現れ、勢いよくミスルンの腕に噛みつくと、離すもんかといわんばかりにその尖った歯を柔肌に食い込ませた。じりじりとした鋭い痛みに、ミスルンは思わず顔を歪ませる。
転移術を使おうにも、くい込んだ歯の代わりに異物が自分の腕に入り込んでしまう可能性があるし、近距離での攻撃魔法はナマエに怪我を負わせてしまうかもしれない。最適解を頭がはじき出す前に、ふいに己の耳元でぼそぼそとした呪文詠唱が聞こえてきた。
エルフのものではなく、ナマエが得意とする東方古来の防御魔術だ。全身に薄い膜が張られた様な感覚を覚えたミスルンは、すぐさま腕の中のナマエへと視線をむける。瞬時に交わった視線で合図を送り合うと、彼女はそのまま呪文を詠唱しながら、ミスルンの腕とワイバーンの口の僅かな隙間に躊躇無く手をねじ込んだ。
「エクリクシス!!」
ナマエの大声とともに、ワイバーンの口内で小規模な爆発が起きた。しかし口を開かせるには威力は十分だったらしい。衝撃で顎が外れ、ミスルンの腕から牙を抜き去ると、ワイバーンは再び悲痛な雄叫びをあげて落下していった。
ナマエの防御魔法のおかげで二人は爆発の被害は受けなかったものの、爆風によってその体は宙に投げ出される。
群れで行動していたのか、他にも数匹のワイバーンが隠れていたらしい。残りの敵をリシオンたちが相手にしているのが見え、仲間に助けを求めるのが難しいと判断したミスルンは、ナマエの身体を強く抱き締めると、転移術を使ってなんとか落下の速度を落とし続ける。二人はそのまま深部へと続く暗闇の穴に落ちていくしかなかった。
***
ぴちょんぴちょんと、水滴が垂れる音が聞こえる。ゆっくりと目を開けば、ぼんやりとした視界の先に、灰色の天井が見えた。寝ぼけたままの脳内をミスルンがなんとか働かせていれば、こちらの動きに気がついたナマエが急いで顔を覗かせる。
「・・・っ良かった!気分はいかがですか?」
「・・・問題ない。状況は?」
どうやらブランケットに包まれて寝かされていたらしい。ゴツゴツと硬い地面からゆっくりと身を起こせば、ナマエはさっとミスルンの背中を支えた。
「転移術を使ってくださったおかげで無事に底に着地できました。けれど、その後魔力切れを起こして倒れてしまったため、約三時間ほど近くにあったこの小部屋で待機していました。まだ隊員の方々とは連絡が取れていません」
ナマエの報告を聞きながら、ミスルンはぐるりとあたりを見回す。水飲み場に簡易の机、そして天井から吊るされたランタンに、壁に描かれた美しい花の壁画。特徴的なこの小部屋に、ミスルンは見覚えがあった。地下六階にある一角で、なんならアビスパパラチアの群生地が近い場所だ。
なんとも都合の良い場所に落ちたものだと関心していれば、ふいに背中にあてられていたナマエの指先が静かに震えていることに気がつく。そのままナマエの顔を見れば、彼女の頬には一筋の雫がこぼれ落ちていた。
「・・・怪我でもしたのか?」
「・・・違います」
「では、なぜ泣いている」
見たところ、彼女は怪我を負ってはいなさそうだった。しかしながら口をへの字に曲げながら、ナマエはこれ以上泣かないようにと必死で涙を堪えている。やはり迷宮に連れてきてしまったことが間違いだったかとミスルンが考えていれば、彼女は鼻をすすりながら赤くなった目をこちらにむけた。
「ワイバーンに噛まれた腕の血もなかなか止まらないし・・・っ、私・・・回復魔法はからっきしだから・・・ひっく、薬でどうにかすることしかできなくて・・・」
恐らく彼女は己の不甲斐なさを恥じて涙しているのだろうと、ミスルンは自分の右の前腕を視界に入れる。少し血が滲んではいるものの、丁寧に包帯が巻かれた患部は、鎮痛薬が施されているのか痛みをあまり感じることはなかった。ナマエが即座に手当てを行ってくれたおかげだろう。
確かに迷宮では魔術で治療することの方が手っ取り早いが、今は術を使える者がいない。そんな中で、ナマエは最も適切な処置を行ったのだ。それをなぜ恥じているのかとミスルンが訝しげにナマエを見やれば、彼女はそのまま涙声で呟いた。
「ミスルンがっ・・・このまま目を覚まさなかったら、どうしようかと思った」
思いがけない言葉に、ミスルンは小さく息を飲む。ここ最近、胸の奥で燻り続ける何かに、ナマエの声がじんわりと染み込んでいくような気がした 。
果たしてそれはかつて持ち合わせていた感情なのか、はたまた欲望なのか。このなんとも言えないものにどのような名前をつけたらいいのか、今のミスルンにはよく分からなかった。
けれど、たった一つだけ。ナマエに二度とこんな顔をさせたくはないという想いだけは、しっかりと心に刻まれる。ミスルンは涙をぬぐうナマエの腕に手を伸ばすと、そのまま静かに引き寄せ 、彼女の手のひらを自分の胸へと押し当てた。
「私はちゃんと生きている」
「・・・っ」
「だから、泣くな」
どくどくと波打つ心音が指先に伝わって安心したのか、彼女はすんっと鼻をすすった後、ゆっくりと頷く。そのままギュッと彼女の手を握りしめてやれば、小さいと思っていた手のひらはいつの間にか自分と同じ大きさになっていた。
ナマエがもうとっくの昔に大人になっていたということが、ひしひしと感じられる。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
そう言って静かに離れていくナマエの指先を名残惜しいと思ってしまったのは、きっと彼女と過ごした十四年が自分の中で温かな記憶として刻みこまれているからか。
ミスルンは己の指先に残った何かを握りしめるようにして、迷宮の暗闇を一人見上げた。
***
ミスルンが目を覚ましてから一時間後。すなわちカナリア隊が分断されてから四時間後に、ようやく連絡用の妖精がミスルンたちの元へとたどり着いた。パッタドルらも無事にワイバーンの群れを倒せたようで、今は目的地にむかって歩を進めているらしい。
しかしながら合流までは最低でも半日はかかるとの連絡から、粗方魔力も戻り、自分の腕の治療も済ませたミスルンからの提案もあって、ナマエは先にアビスパパラチアの蜜を採取して薬の精製に取り掛かる事となった。
アビスパパラチアが群生する場所の近くに足を踏み入れ、ナマエから桶を渡されたミスルンは黙って彼女の後ろに着いていく。年上であり里親であるミスルンは普段はナマエをリードする役目を担うことが多いが、やはり薬のことになると立場が逆転してしまうのだ。
迷宮の深淵に出来上がった鬱蒼とした森の中で、ナマエはくんくんと鼻を動かしながらあたりを見回す。甘い匂いを辿っていけば、大木の影に隠れて咲いていたアビスパパラチアの花を見つけることができた。
辺りを警戒してみたが、特段魔物の気配は感じられない。ゆっくりと近づき、暗闇の中で宝石のように七色の輝きを放つ妖艶な花に目を奪われながら、ナマエはほうっとため息をついた。
「綺麗・・・」
「あぁ。深淵の宝花とは言い得て妙だな」
「本当に・・・。書物でしか見たことがなかったので、こうして実物を見れて良かったです。連れてきてくださってありがとうございます、ミスルン」
興奮したように頬を上気させるナマエに、ミスルンは釣られたように少し頬を緩めた。当初は迷宮へ連れてくることに反対していたが、このような経験が彼女の糧になるのならば、今後はすんなりと認めてやった方がいいのかもしれない。そんなことを考えていれば、ナマエは静かにアビスパパラチアの花に近づき、小型の波刃ナイフを懐から取り出していた。
花の大きさは、ちょうど直径一メートル位である。腕の厚みくらいある硬い花びらの一枚をこんこんっと指先で叩いていき、軽い音が返ってくる場所を探っていく。狙いを定めたナマエは、ミスルンの方へ振り返った。
「ここから蜜を出します。だいたい花びら一枚で桶が満杯になると思うので、こぼさないように気をつけてください」
「うん」
「じゃあいきますね」
掛け声とともにナイフが花びらに差し込まれ、まるで氷を削るような音が聞こえたあと、ポロンと花びらの先端が地面に落ちる。それと同時にとろりとした甘い香りの桃色の蜜が流れ出てき、ミスルンは桶でその液体を受け止めた。
一分もすれば蜜が溢れんばかりに桶にたまる。ついでに、唯一日持ちがするらしいアビスパパラチアの葉も数枚採取すると、ナマエとミスルンは急いで元いた場所へと駆け足で戻って行った。
芳醇な甘い香りに引き寄せられたのか、魔物たちが森に集まりだした気配を感じたためだ。四方八方に意識を向けながら、二人はなんとか無事に小部屋へと戻ることが出来た。
「では今から薬の精製を行います。万が一があれば魔物の対応をよろしくお願いします」
「あぁ、まかせろ」
断りを入れるとナマエはすぐに薬の精製取り掛る。その手際の良さは、ミスルンも舌を巻くほどであった。
何種類もの薬草や液体を用い、長いガラスの試験菅やビーカーなどを駆使して作業を進めていく。幾つもある工程を全て頭に入れているのか、メモひとつ開かずに、ナマエは周りの音が遮断されているのではないかと思うほどの集中力で手を動かしていた。
魔法陣で鍋を熱しながら調合をしていく彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいる。その目にはまるで瞬く星が宿っているようで、ナマエがこの作業をとても楽しんでいることが手に取るようにして分かった。
ほどなくして、ナマエの手によって生み出された薬たちが次々と瓶に詰められていく。ファントムアメジストを彷彿とさせるような透き通った紫色の小さな粒たちは、まるで本物の宝石のように眩い輝きを放っていた。
それを眺める達成感に満ち満ちたナマエの顔を目の当たりにして、ミスルンは今までこの手の中にいた小さな宝を手放す時が近づいてきていることを改めて悟った。
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