06



 島主の屋敷で迷宮介入の交渉を行っていれば、突然部屋の中に乱入してきたトールマンの男。それが件のカブルーだということに、ミスルンはすぐに気がついた。
 健康的な褐色の肌に、艶やかなターコイズブルーの瞳と癖毛の黒髪。ナマエが言っていたカブルーの特徴が全て当てはまるその男は、エルフに対面しても躊躇することなく意見を述べてくる。ぺらぺらと口達者に話を進める姿の合間に見え隠れする腹黒い何かは、ミルシリルにそっくりだった。
 その後紆余曲折あってカブルーをカナリア隊に同行させることになったうえに、迷宮内で狂乱の魔術師シスルと対峙して穴から地下深くに落下した後、まさかミスルンとカブルーが二人で行動することになるとは誰も想像出来なかった事だろう。
 初見の印象から計算高い腹の内が読めない奴だと思っていたが、意外にも彼は面倒みが良く世話を焼くのが好きらしい。いそいそと食事の用意をしてくれたり、魔力切れを起こした身体を介抱してくれたりと手厚い待遇を受けたことで、いつの間にかミスルンの中でカブルーへの警戒心が緩んでいっていた。


「ナマエとは幼い頃からの友人らしいな」


 地下深くに落下してから四日目。カブルーが作ってくれたバロメッツのスープを食しながら、ミスルンはずっと胸の内につかえていた事を彼に告げる。するとカブルーは少し驚いたように、その鮮やかな色の目を瞬かせた。


「・・・僕の事をご存知だったんですね」
「あぁ、先日ミルシリルから聞いていた。お前こそ、私がナマエの里親だということに気づいていたのか?」
「もちろんです。幼い頃、何度かケレンシル家の別邸にお邪魔させていただいてましたし、定期的にやりとりしているナマエからの手紙には、毎度必ず貴方の名が書かれていましたから」


 ナマエという共通項があると互いに認識していながら、腹の探り合いばかりでどうやら踏み込めずにいたらしい。こんなことならばもっと早く話題に出しておくべきだったなと肉を咀嚼していれば、ふいにカブルーからじとりとした視線を向けられた。


「それにしても、ナマエの事を話題に出してくるのが遅くありませんか?」
「・・・そういう雰囲気ではなかった」
「・・・確かにこんな最中ですし、貴方が迷宮の主であったことなどの話が濃すぎてお腹いっぱいな感じはありましたけど。まぁ僕の方は貴方とは幼い頃に会ったきりだったので、忘れられているとばかり思ってましたし」


 皿を傾けて最後まできれいに汁を飲み干したと同時、カブルーの手がこちらに差し出される。皿を渡せば、彼は自分の皿を重ね、その上にかちゃかちゃと使い終わったスプーンやコップをのせた。
 この数日間、よくよくカブルーのことを観察していたがどこをとっても手際が良い。彼のような男であれば、安心してナマエの事を任すことができるかもしれない。そう思った反面、最後に見たナマエの表情がふと脳裏を過ぎり、またあの何とも言えない感覚が蘇ってくる。
 ぐっと感情を飲み込むように、ミスルンが唇を真横に結んで動きを止めていれば、それを不審に思ったカブルーが「どうかしましたか?」と首を傾けた。
 果たして彼は件の話を知っているのだろうか。どちらにせよ、ナマエのためにも彼という人間を知る必要があると、ミスルンを重い口をゆっくりと開いた。



「お前とナマエの結婚の話が出ているのは聞いているか?」
「・・・・・・は?」
「先日ミルシリルから持ちかけられた。同じトールマン同士で家柄も釣り合う二人を結婚させてはどうかと」


 途端にカブルーは額に手を当て、頭を抱え出した。どうやら何も聞いていなかったらしい。はぁぁっと聞いた事のないほどの深いため息をついた後、彼は眉をしかめながらこちらに視線を寄越してきた。


「初耳です。家を出て冒険者になってからは、義母とはあまり連絡をとってはいませんので」
「・・・そうか」
「ナマエはその事について何と言ってるんですか?」
「・・・少し考えさせて欲しいと。その話が出たのがちょうど調査に来る直前だったから、結局返事は保留のままにこの迷宮にきた」


 あの話をして以来、ナマエはミスルンの世話を必要最低限するだけで、こちらを避けるように過ごしていた。さらに新薬精製のチームに入ったことで毎日遅くまで仕事をしており、迷宮へ出発するまでの二日間夕食は別々に摂っていたため、彼女とはまともな話はできていない。
 淡々と答えれば、再び深いため息をつかれる。一体なんだと言うのだとミスルンが彼と同じく眉をしかめれば、カブルーは苛立ちを落ち着かせるかのように、カップにいれていた水を一気に煽った。


「義母はただ、目の届く範囲に僕を置いておきたいだけですよ。王都に住む者と結婚をさせて所帯を持たせることで、見えない檻で囲うつもりです。まぁ一番の目的は、お気に入りだった僕が反抗的になってしまった悲しさを癒すために、僕に子供を作らせてその子を手元に置きたいんでしょうけど」
「・・・似たような事を、本人が言っていたな」
「でしょう?ナマエはそのために利用されているだけです。僕の意思も彼女の意思もひとつも組み込まれていない」


 冷静に告げられているものの、言葉尻にはところどころ怒気が含まれている。どうやらミルシリルと長年暮らしてきたカブルーからすれば、彼女のこのような暴走はよくある事のようで、怒りはあれど特段狼狽えているような様子はなかった。


「ではお前はこの結婚話を進める気はないと?」
「もちろんです。あっ、一応言っておきますかナマエには非はないですよ。どんな人を宛てがわれようとも、今の僕の中に結婚をして王都に戻るという選択肢は皆無ですから」


 迷いのないあっさりとした返答に、ミスルンは何だか一気に肩の力が抜けたような気がした。思わず「そうか」と噛み締めるように呟けば、カブルーはぴたりと動きを止めて、しげしげとこちらの様子を眺めてくる。
 どうしたと言わんばかりに視線を返せば、彼はほんのりと口の端をあげながら首を横に振った。


「いえ、少しばかり意外だっただけです」
「・・・?」
「あの、最後にひとつだけいいですか?ここからは僕の推測なんですが・・・」
「・・・かまわない、話してみろ」
「多分ナマエには想い人がいますよ」


 どこか確信めいたような澄んだ声とともに、きゅっとカブルーのターコイズブルーが三日月を描いた。
 一安心したところでまた次の問題が飛び出してくるなどとは思いもよらず、驚きのあまりミスルンが目を見開けば、彼はまた楽しそうに笑う。


「あくまで僕の勝手な予想ですけれど」
「・・・そう、か」


 カブルーからの情報は、名ばかりとは言え里親として喜ぶべきことなのだろう。しかしナマエが何処の馬の骨かも分からぬ男に微笑む姿や、手を取り合って寄り添う姿を想像した瞬間、ミスルンは何ともいえない感情に襲われた。
 ──駄目だ、これ以上は。
 そう何かが自分の中で歯止めをかけ、ミスルンはそれ以上思考することをやめた。


「という訳で、この話は無かったことにと隊長から義母に上手いこと伝えていただけますか?僕から言うと、とんでもない事になりそうなので」
「・・・善処する」


 ミスルンの返答に満足したのか、「ご馳走さまでした」と手を合わせると、カブルーは食器の後片付けをし始める。同じように手を合わせて静かに彼と同じ言葉を呟けば、ふと昔の記憶がミスルンの頭を過ぎった。
 かつて悪魔に欲望を喰らい尽くされた時に感じた喪失感。あの時と同じく、一人取り残される虚しさを再び飲み込むことができるのだろうか。


 ***


 それからはまさに紆余曲折な出来事ばかりであった。シスルがライオスたちに倒された後、ようやく悪魔と対面を果たしたものの、すぐにマルシルが新たな迷宮の主になり、ミスルンは蜘蛛の体内に入るはめになったり、頭を吹っ飛ばされたりと散々な目に合った。
 最後にはライオスのおかげで悪魔を討ち果すことができたが、それはすなわちミスルンの中に残っていた最後の欲求と全ての原動力が失われたことを意味していた。
 地上の大木に身を預け、屍のように座るミスルンの前にぞろぞろとカナリア隊のメンバーたちが集まる。ずっとモヤがかかったように雑音だけが聞こえていただけのミスルンの耳に、ふいに「ふざけないでください」というカブルーのするどい声が飛び込んできた。


「欲求がない?そんなのまやかしだ」
「食われた欲求は戻らなくとも、欲求が尽きることがないと思うんですよ」
「生きている限り欲求は生まれ続けるもんです。厄介なことに」


 休む間もなく次々と降り注いでくる説教に、ミスルンはぴくりと指先を動かした。矢のような言葉たちが胸に突き刺さり、だんだんと目の前の霞が晴れていくような気がした。
 確かに彼の言う通りだった。欲求がなくなったといいながらも、「ああしたい」「こうしたい」など、今日までもミスルンの心の内に密かに芽生えていた欲求は確かにあったのだ。けれどそれに気づかない振りをして、ただひたすら悪魔に復讐することだけを考えて生きてきた。
 本当は怖かったのだと思う。また何かを望むことで、選ばれなかった現実や取りこぼされてしまう恐怖を味わいたくないと感情を殺し、新たに芽生えようとする欲に自分で蓋をした。無理矢理押さえ込んでいだ欲が積もり積もって顔を覗かせ始めていた事に、指摘されてようやく気づくだなんて、なんとも滑稽な話だろう。
 ふと、ナマエの姿が脳裏に映る。「ミスルン」と、優しい声で己の名を呼ぶ彼女の声はこんなにも愛しいものだったのかと、改めて胸に宿っていた感情を噛み締める。
 カブルーに続くようにフレキやパッタドルたちの声も聞こえ始め、ミスルンは長い夢から覚めたような気がした。
 少しずつ生気を宿すミスルンを見て、安心したようにため息をつくと、腰をおろしていたカブルーは立ち上がる。そしてそのままミスルンの方へ手を差し伸べると、彼は穏やかに微笑んだ。



「今、貴方が一番したいことはなんですか?」


 その問いかけの答えはもう決まっていた。 



「・・・ナマエに、会いたい」


 会ってきちんと自分の素直な気持ちを話したい。そして彼女の想いを聞いてみたい。
 もう二度と、ナマエにあんな悲しい顔をさせないためにも──。
 差し出されたカブルーの手を強く握りしめれば、そのまま引っ張りあげられ、ミスルンは立ち上がる。ふわふわと、どこか現実と切り離されたような感覚で四十年もの月日を過ごしていたものが、今ようやくしっかりと自分の足で立てたような気がした。


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