秋時雨
肌寒い風が紅葉した木の葉を地面に落とし、次々と空に舞い上がらせる。隣を歩くナマエの髪に黄色の鮮やかな葉がのっていることに気が付き、取ってやろうと手を伸ばせば、突然距離が近づいたことに驚いた彼女の肩がびくりと跳ねた。
「驚かせてすまない。その・・・髪に葉が付いていて」
「あっ・・・ごめんなさい。どこかしら?」
こちらの指摘に恥ずかしそうにほんのり頬を染めたナマエは、慌てて頭に手を伸ばす。しかし葉が軽すぎて乗っている感覚がないのか、彼女の手は的はずれなところばかりを行き来するだけだった。
そこじゃない、もう少し上、通り過ぎた。何度か助言をしてもなかなかたどり着かないことにじれったさを感じ、俺は思わずナマエの手を掴み取る。細い腕を握って葉の元に導いてやれば、ようやく彼女の指先にかさりと葉が触れた。
扇のように広がるイチョウの葉を摘み上げると、ナマエはややあってこちらに視線を寄越してくる。ふと我にかえれば、いつの間にやら彼女の顔がすぐ目の前にあった。触れあった部分に一気に熱が集まったような気がして、「すまない」と慌てて手を離せば、ナマエはふるふると首を横に振りながらもふっと笑みを零した。
「ううん、ありがとう。それにしても、もうすっかり秋ね。空襲で大部分が焼けてしまったと聞いていたから、村にはほとんど当時の面影が残ってないのかと思ったけど・・・山の風景は変わってなくて、少し安心した」
赤や黄色に染まった山を望むナマエは、イチョウの葉を指先でくるりと回しながら小さく呟く。
初夏の雨の日に、偶然昔馴染みの彼女と再会してから早数ヶ月。その後も時間を合わせて仕事終わりに食事に行ったり、都会に映画を見に行ったりと、交流はゆっくりと続いていた。
もう会うのも五回目になるだろうか。互いの休みが重なった今日は、「久しぶりに村に行ってみたい」というナマエの要望を受けて、村にある彼女の思い出の場所を散策することになったのだ。昼メシを食べて、ナマエが通っていた女学校の跡地を覗き、放課後いつも一緒に帰っていた道を肩を並べて歩いた。最後に星詠神社にお参りをしていれば、あっという間に夕暮れがすぐそこまで近づいてきていた。
嫌というほど見慣れた景色でも、彼女が隣にいるだけでこうも色を変えてしまうらしい。いい歳して妙に浮き足立ってしまっていたが、そろそろこの楽しい時間もお開きにしなければいけないだろう。ちらりと腕時計を見て、「そろそろ送っていく」と口を開いたと同時、顔にぽつぽつと冷たい雫が落ちてきた。
「あら、雨?」
「あっちの方は晴れてるのにな・・・」
気がつけば、頭上には鈍色の雲が現れていた。恐らく通り雨だろうが、生憎傘は持ち合わせていないし、このあたりでは雨をしのげそうな場所もない。幸い自分の家はすぐ近くにある。雨が本格的に降り出す前に避難した方がいいだろう。そう思い、俺は着ていたジャケットを脱ぐと、雨避けになるよう自分とナマエの頭上に広げた。
「とりあえずうちに避難しよう。駅までは少し歩くから、傘を取りにいったほうが良さそうだ」
「えっ、でも・・・」
「お袋がいるから、根掘り葉掘り聞かれるかもだけど・・・適当にあしらってくれ」
そうこうしているうちにも、どんどんと雨粒が大きくなっていく。このまま濡れ鼠になるのは御免こうむりたいという考えは、彼女も同じだったらしい。一拍置いてこくりと頷くナマエの肩をそっと引き寄せると、俺たちは足早に砂利道を駆け出した。
***
「えーっあのナマエちゃん!?あれま〜より一層べっぴんさんになっちゃって!」
玄関前でぽっぽっと興奮したように頬を蒸気させる母を横目に、風呂場で取ってきたタオルをナマエに渡す。ジャケットのおかげか、幸いほとんど濡れることなく家にたどり着けたようで、礼を述べた彼女はタオルで軽く手を拭うと、襟のついた紺色のワンピースの裾の水滴を軽くはたいた。
「突然押しかけてしまい申し訳ありません。傘をお借りしたらすぐ帰りますので・・・」
「気にしなくていいのよぉ〜!狭いとこだけど、遠慮せずにお茶でも飲んでいって!えーっと貰い物のお茶菓子が確か戸棚にしまってたはず・・・」
母は心底嬉しそうに顔を綻ばせると、いそいそと台所に向かおうとする。これ以上同じ空間にいると、何か変なことを言い出しそうな雰囲気だ。「茶なら俺が淹れるから」とぶっきらぼうに告げれば、母は愉快そうに口の端をあげて肩をすくめた。
「はいはい、分かりましたよ」
「それより鬼太郎は?」
「寝てるよ。しばらくは起きないだろうから、母さんは回覧板を回しにでも行ってこようかね」
「雨が降ってるのに?後でおれが持っていってやるよ」
「何言ってんの!気を回してやってんだよ」
こそっと耳打ちしてくる母の顔は、まるで悪戯をたくらむ幼子のようだ。俺の背中を軽くはたくと、母は「それじゃあごゆっくり」とナマエによそ行きの顔を見せながら傘を持って外に出て行った。あの様子だと、あと一時間は帰ってこないだろう。
とりあえず茶をいれるかと、手伝おうとするナマエを居間に押し込んで台所に立つ。やかんに水を入れて火にかけ、急須や湯のみを出していれば、先程母が言っていた菓子の存在を思い出す。
戸棚を開けると、一番高い場所に真四角の銀色のブリキ缶が見えた。中を開けてみれば、蕎麦ぼうろと思わしき花のような形の茶色の菓子が並んでいる。一枚つまみ食いをしてみたが、湿気てはおらず、特に問題なさそうだ。からからと適当に皿に移し替え、茶葉と沸いた湯を急須に注いで用意したものを全て盆にのせると、俺はようやく居間に向かった。
ぎしぎしと軋む廊下を歩いていけば、何やら薄らと声が聞こえてくる。ナマエのものに混じって耳に入ってきたのは、きゃっきゃっと笑う甲高い声。一瞬にして冷や汗が全身を駆け巡る。
まさか、と足早に居間に飛び込めば、そこには鬼太郎を抱き上げて優しくあやすナマエの姿があった。驚きのあまり固まる俺とは正反対に、彼女はいつもと変わらない様子でこちらに顔を向ける。
「・・・鬼太郎、起きてたのか」
「えぇ。部屋に誰もいなかったから、一人でハイハイして居間まで来ちゃったみたい」
「そうか・・・」
「お茶ありがとう。このまま私が抱っこしてても大丈夫?」
「・・・あぁ、かまわない」
ぽつりと呟くように答えれば、彼女は嬉しそうに顔をほころばせると、鬼太郎を軽く持ち上げ、高い高いをする。途端に鬼太郎は赤子らしく楽しそうな笑い声をあげた。
風に揺られてふわりふわりと見え隠れする鬼太郎の左目は、当然いつもと変わらず空洞のままだ。その様子を見ても何も聞いてこないナマエに、俺はただ盆を机に置いて、彼女の横に腰を下ろすことしかできなかった。
「・・・怖く、ないのか?」
白い湯気がたつ湯呑みを眺めながら独りごつように呟けば、鬼太郎がしなだれかかるようにナマエの胸に顔を埋めた。やはり母のぬくもりが恋しいのだろうか。ちゅうちゅうと親指を咥え出した鬼太郎の背中を、ナマエがリズム良くたたき出す。心地よい振動に安心したような表情を浮かべると、鬼太郎は彼女の腕の中で静かに右目を瞑った。
静まり返った部屋に響くのは、雨音と彼女の作り出す一定の音だけだ。しばらくしてすやすやと再び眠りについた鬼太郎をぎゅっと抱きしめると、ナマエはゆっくりと首を縦に振った。
「以前水木くんと会う時に、せっかくだし鬼太郎くんも連れてきたら?って言ったら断られた時があったじゃない?なんでかなって思ってた謎が、ようやく解けたわ」
「・・・黙っててすまない。鬼太郎の目は、生まれつきなんだ。その・・・驚かせてしまうことだから、話すタイミングを見計らってて・・・」
違う、本当は怖かったのだ。いくら自分が我が子のように可愛がっていたとしても、傍から見れば、鬼太郎の左目の空洞は受け入れ難いものだろう。真実を知ってしまえば、ナマエが自分から離れていってしまうのではないか──そう思い、素直に打ち明けることができなかったのだ。
遅かれ早かれ、彼女との未来の事を考えれば、いつか話さなければならない日が来ることは明白であったのに。先送りした結果、最悪の告白となってしまったことは否めない。
胸に湧き出てきた後悔の念に苛まれながらも返答を待っていれば、ふいにナマエの手がこちらに伸びてきて、そのまま俺の左耳に触れた。彼女の細い指が、耳の欠損した部分を優しくなぞる。はっと息を飲んで彼女を見やれば、こちらを見つめるナマエの真っ直ぐな瞳とかち合った。
「例え失ったものがあったとしても、貴方も鬼太郎くんも生きてここにいてくれている。・・・私にはそれだけで、充分よ」
全てを包み込むような彼女の柔らかい声が、じんわりと心に染み込んでいく。気がつけば頬を伝って落ちてきた雫が、ぽつぽつとズボンに黒いシミを作っていた。
「・・・っありがとう」
かつて必要ないと踏みにじられた命を、生きていてくれて良かったとすくい上げてくれる人がいる。その幸せを噛み締めながら、すがるようにナマエの手をとって頬を寄せれば、目を潤ませた彼女はくしゃりとした笑顔を浮かべた。
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