呪術高専を卒業後。同期であった七海は、呪術界を去っていってしまった。灰原の件や夏油さんの事があったから、彼がこの世界に嫌気がさしてしまったのは当然といえば当然かもしれない。それに彼には彼の道がある。
当時の私には、七海を引き止める大それた理由なんて持ち合わせてはいなかった。だから、在学中に密かに温めていた彼への恋心は、その時に奥底にしまいこんだ。私にも私の道がある。
優れた才能はなくとも、少しでもこの力が役に立つならばと補助監督に就任し、気がつけば四年もの月日が経っていた。無理難題を押し付けてくる五条さんを上手く交わせるようになり始めたちょうどその頃、なんと七海が呪術界に帰ってきたのだ。
彼が戻ってくると五条先輩から聞かされた時は、年甲斐もなく飛び跳ねてしまいそうになるくらい嬉しかった。けれどそれと同時に、当然不安もあった。一度心が折れてしまった優しい彼が戻ってくるには、この世界はあまりにも残酷だったから。
けれど四年ぶりに会った七海は、何だか憑き物が落ちたような表情をしていて、『ブランクがあってご迷惑をおかけしますが』と慇懃に頭を垂れてきた。見た目は昔よりもぐんっと大人びていれども、背格好も所作も、そして何よりも深みのある暖かい声は、少しも変わっていなかった。彼を見て少し涙ぐんでしまった私を、彼が困ったような顔で見ていたのを今でもはっきり覚えている。
そこから共に過ごす機会が再び増えて、しまい込んでいた彼への恋心が再び芽吹いてしまったのは言うまでもない。
毎週伊地知くんから送られてくる担当者リストを眺めては、七海が担当の日はメイクに気合いが入ったし、高専ですれ違って言葉を交わすだけでも幸せな気分になれた。
かと言って、この気持ちを伝える勇気を、私はひとつも持ち合わせていない。ただひたすら、彼という存在が元気でいてくれて、時たまその様子を拝むことができるだけで満足──というような、まるでアイドルとファンのようなスタイルを貫いていたのだ。
策士はどちら?
「ミョウジ先輩お疲れ様っす!ちょうどお湯が沸いたとこなんですけど、一緒にお菓子食べませんか?」
とある冬の日。仕事を終えて高専に戻れば、後輩である新田ちゃんがいの一番に声をかけてくる。パソコンやファイルでぎゅうぎゅうになった部屋の一角に設けられた休憩スペースの机には、柿のイラストが描かれた大きな箱が置かれていた。
「えーっ疲れてたからすっごい嬉しい!食べる食べる!柿のお菓子?」
「あんぽ柿ってやつらしいっすよ。福島のお土産で、七海さんから皆さんで食べて下さいってもらったんっす」
そういえば福島に泊まりがけの任務があると、一昨日すれ違った時に言っていたっけ。そんなことを思い出しつつ、彼が無事に帰ってきた証拠を見てほっと胸を撫で下ろした。
コートを自分の椅子にかけ、引き出しからマグカップを取り出す。すでに急須と一緒に机にスタンバイしていた新田ちゃんの向かい側の椅子に腰をおろせば、彼女は手際よく私のマグカップを自分の方へと引き寄せた。
「今日はほうじ茶なんすけど、大丈夫っすか?」
「もちろん!」
マグカップの中に琥珀色の液体が注がれると、途端に香ばしい香りが鼻をかすめる。「いただきます」と口に含めば、寒さで冷えきっていた身体が一気に溶けていくような気分になった。
「はぁ〜最高。新田ちゃんほんとありがとね」
「私はお茶淹れただけっすよ〜。美味しそうなお菓子をくれた七海さんに感謝っす」
うんうんと頷きながら箱を開ければ、ざっと見ただけで個包装の柿が二十個近く入っていた。今日出勤している補助監督のみならず、休みのメンバーが食べても余るほどだ。
新田ちゃんに一つ渡して、自分の分も手に取り、封を切る。中から出てきた柿はまん丸で、鮮やかなオレンジ色をしていた。
なるほど、同じ柿といえども、干し柿とは明らかに様相が異なっている。そう思いながらぱくりとそれにかぶりつけば、むっちりとした食感と芳醇な甘さが口いっぱいに広がった。
「おいしい・・・」
「ほんと!めちゃくちゃ甘くてうまいっすね」
「はぁ・・・一日の疲れが癒される・・・」
「そういえば、先輩今日は五条さんの送迎担当でしたっけ」
哀れみの目を向けてくる新田ちゃんの視線に、私はただ遠い目をしながら再びあんぽ柿を口に含んだ。
五条先輩との付き合いは、在学中を含めると十年以上になる。後輩である私と伊地知くんが、彼の我儘から理不尽な目にあうのは学生時代からの日常茶飯事だ。今日も平気で一時間遅刻してきたし、帰りもあそこに寄れやら、買い物に付き合えやらと色々なところに連れ回されて散々であった。
「もう長年の付き合いだから、いい加減慣れたけどね。それに、私より伊地知くんの方がもっと酷い目にあってるから、まだマシかなって」
「確かにそれは否めないっす・・・」
「それに比べて七海は本当に気遣い屋だよね。地方任務の度に、補助監督のみんなにこうしてお土産を買ってきてくれるし」
サラリーマン時代に経験した、社会人としての礼儀やマナーが染み付いているのだろうか。自分は呪術界という狭い鳥籠の中しか知らないが、そんなことをさらっとしてのける人はきっと、非呪術師の一般人でもなかなかいないはずだ。
「それにほら、空港に迎えに行く担当の子にはプラスアルファでさらにお土産くれるじゃない?きっと、飛行機の遅延だったり、荷物の受け取りで待たせることが新幹線とか通常任務の送迎より多いから、お詫びの意味を込めてるんだろうけど・・・本当、同期ながら大人な気遣いができる人だなぁって尊敬してる」
彼の空港への迎えを担当したのは、確かこの一年でざっと四回ほど。長崎土産は波佐見焼のペアの豆皿。岡山土産はデニム生地のおしゃれなポーチ。最近でいえば沖縄出張で、小さくて可愛いガラス細工のシーサーの置物をお土産にくれたっけ。それは今も、私の玄関にある棚の上に座って家を守ってくれている。
「つまらないものですが」と初めて追加でお土産を貰った時は驚いたが、気がつけば、七海の空港送迎担当になった日は、今回はどんなお土産なのだろうと考えるのが密かな楽しみとなっていた。
お茶をすすってほっと一息つきながらそう言えば、ウェットティッシュで手を拭っていた新田ちゃんの目がくるりと丸まる。
「それって、ミョウジ先輩にだけじゃないっすか?」
「・・・え?」
「みんなにどうぞ〜ってお菓子のお土産は毎度もらってますけど・・・空港に迎えに行った時でも、何か個別でもらった事は今までないっすよ」
「えっ!?そ、そうなの?私、てっきり空港にお迎えに行く子は皆もらってるもんだとばかり・・・」
「うーん。他の人からもそんな話は聞いたことないっす」
「・・・そうなんだ。えーっと、ほらっ私が同期だからって気を遣ってるのかもね〜!七海ってば、一回呪術師辞めてるから、同期の私には特に後ろめたさがあるじゃん!」
まるで自分が七海に依怙贔屓されていると自慢しているような気分になって何だか恥ずかしい。慌てて訂正をすれば、幸いにも新田ちゃんは「確かに〜」と納得したように頷いてくれた。
乾いた笑い声を出しながらマグカップをぎゅっと握りしめ、ゆらゆらと上へ登っていく白い湯気を眺める。
勘違いしていいのか、それとも勘違いしてはいけないのか──その答えを導くことは、私一人では到底できなかった。
***
新田ちゃんとの一件から早一ヶ月。夜九時を目前にして、私は空港の駐車場で七海の帰還を待っていた。
北海道に三泊四日の長期任務に行った彼は、早いもので二日目には除霊完了との報告をタブレットに打ち込んでいた。早く終わった分、羽を伸ばして観光でもして帰ってくればいいのに、それをせずにすぐに飛行機の便の変更をしていたのが七海らしい。
そろそろ彼が駐車場に姿を見せる頃合いだなと、ルームミラーを覗き込んで前髪を整える。化粧は車に乗る前に直してきたので、問題ないだろう。
予想通り、五分も経たずに高級感溢れたシルバーのキャリーを引いた七海が通路に姿を現した。パリッとしたスーツ姿と整えられた髪は、とてもじゃないが出張帰りだなんて思えない。
窓を開けて合図すれば、彼は真っ直ぐに車に向かってくる。そして後部座席にキャリーケースを颯爽と詰め込むと、そのまま助手席に乗り込んできた。
「お疲れ様」
「こちらこそ、迎えに来てくださってありがとうございます」
「いえいえ。寒かったでしょ?暖房強めるね。暑くなったら言って」
シートベルトをしめる七海を横目に、エアコンの風を調整する。パッと見たところ怪我などは特になさそうだし、疲労感はあれど顔色も悪くない。七海の無事の帰還に安堵しながら、私はそのまま車を発進させた。
任務の話から北海道の雪具合、グルメの話まで、たわいもない話に花を咲かせながら、夜の幹線道路を走っていく。彼と話しているといつもあっという間に時間がたってしまうようで、空港から三十分もしないうちに、七海の住むセキュリティばっちりの高層マンションにたどり着いた。
ロータリーにハザードをたいて車を停車させる。シートベルトを外し、「ありがとうございます」と告げた七海は、座ったまま後部座席に手を伸ばした。
がさりという音と共に彼の手に握られて登場したのは、大きな紙袋と小さな紙袋が一つずつ。あっと思ったのも束の間、七海はまず大きい方の紙袋を渡してきた。
「補助監督の皆さんへのお土産です。いつもありがとうございますとお伝えください」
「こちらこそ、いつも本当にありがとうね。みんな喜んでるよ」
「いえ。今回は新しい店のキャラメルのお菓子と、有名どころのバターサンドにしました」
「へぇ、おいしそう!明日食べるのが楽しみだな」
「ぜひまた感想を聞かせてください。・・・あと、これはミョウジさんに」
袋の中を覗き込んで喜んでいれば、次は小さな紙袋の方を差し出される。
シンプルながらも随分とオシャレなデザインの紙袋だ。もしやと思いながらもおずおずと受け取れば、中には透明な袋にラッピングされた、手のひらサイズのリネン素材の巾着が入っていた。巾着の表面にはラベンダーの花が丁寧に刺繍されており、袋越しでも華やかな香りがほんのりと漂ってくる。
「ラベンダーのサシェです。今回の任務が富良野付近だったので、どうせならと思って。良ければ部屋にでも置いてください」
「あ・・・うんっ、その・・・ありがとう」
心の底から嬉しいはずなのに、感情をどう整理すればいいのか分からない。何とも歯切れの悪い返事をすれば、彼の眉が訝しげに上がったのが見て取れた。
「すみません。もしかして苦手な香りでしたか?」
「え!?ううん!大好きっ!ラベンダーの香りって落ち着くしいいよね!」
「・・・」
「こんなおしゃれなお土産選ぶだなんて、やっぱり七海はセンスあるな〜って関心してたの!ほらっ五条先輩なんて、この間宮崎の出張帰りに突然生のマンゴーを渡してきてさ。『今すぐフレッシュマンゴージュース飲みたいんだけど』とか無茶ぶり言い出してほんと大変だったんだよ〜」
「・・・ミョウジさん」
「近くのホームセンターがもう閉まってる時間だったから、伊地知くんが慌てて寮の子たちに聞きにいってくれてね。そしたら奇跡的に野薔薇ちゃんがブレンダーを持っててさ!彼女、毎朝スムージー作って飲んでるらしくて・・・」
「ナマエ」
いつもよりワントーン低い七海の声に、私はびくりと肩を揺らした。
あぁ、久しぶりに名前を呼ばれた。こんな状況でも心臓が跳ね上がってしまうだなんて、もう末期状態なのかもしれない。こうなるともう、白状するしかないだろう。
そう思い、じとりと向けられた七海からの疑念の視線に、私は降参するように項垂れた。
「・・・あのさ。七海って長期任務で飛行機を使う時、今日のサシェみたいにいつも個人的にお土産をくれてたでしょ?その・・・新田ちゃんとか他の人は、七海から今まで個人的にお土産はもらったことないって聞いて・・・。てっきり、七海は空港送迎担当の人には、お駄賃みたいな感覚で一つオマケでお土産を渡してるんだってずっと思ってたから、私だけだったってことに驚いちゃって・・・」
「・・・迷惑でしたか?」
「ちがっ・・・・!毎回ほんとに嬉しかったよ!それは嘘じゃない。七海ってセンスあるから、いっつも素敵なお土産だったし。でもほら・・・お金もったいないし、その・・・色々と勘違いしちゃうから、さ」
──言いたいことはそんなことじゃないのに。
期待するなと自分に言い聞かせるように、七海の返答が己の期待とは違うものだった場合の防御策を講じていく。
しどろもどろになりながらも何とか言葉を紡げば、返ってきたのは海よりも深いため息だった。眉間にいつもより深い皺をぎゅっと刻むと、彼はゴーグルを外して目元を指先で覆う。
「な、七海?」
「お気になさらず。自分の不甲斐なさに、ほとほと嫌気が差しているだけですので」
再び深いため息をついた七海は、ゆっくりと顔を上げる。暗闇の中で光る柔らかなオリーブグリーンが、こちらを射抜くように見つめていた。
「個人的にお土産を渡していたのは、貴女の喜ぶ顔が見たかったからです」
「へ・・・」
「そしてあわよくば、それがきっかけで私のことを同期としてではなく、異性として意識してもらえたらなという邪な気持ちもありました」
思いがけない言葉に口をはくはくと上下させていれば、七海は少し眉を上げて目を開く。そしてふっと笑みを浮かべると、そのままくつくつと小さな笑い声を漏らした。
「なっ、え?」
「・・・すみません。あまりにも貴方が可愛らしい反応をするのでつい」
伸びてきた七海の長い指先が、やんわりと私の頬に触れる。彼の指が冷たいのは恐らく、冬のせいではない。きっと、私の頬が熱を帯びて真っ赤に染まっているからだ。
「その反応ということは、作戦は上手くいったと思ってもいいですか?」
きゅっと細まる瞳が、指先が、全て優しさで溢れている。あぁ、もう敵わないと、私は白旗を上げて七海の青いシャツの裾を掴んだ。
「・・・そんなことしなくたって、高専の時からずっと、七海のことしか見えてないよ」
打って変わって、目を丸めて固まってしまった七海を真っ直ぐに見つめてそういえば、彼の頬がどんどんと赤らんでいく。
形勢逆転。今日の夜は、なんだかとても長くなりそうだ。
◇あとがき◇
七海と同期の女の子の恋のお話でした。
七海って、気になる子にさりげなく依怙贔屓してアピールしてそうと思い、今回の話を思いつきました。
お土産も絶対センス良い。
実は両片思いだったという、私の大好きな要素をつめこんでとても楽しく書かせていただきました。
リクエストありがとうございました〜♪
2024.05.11
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