あの日見た風に靡く銀色は、どんな高価な宝石よりも美しい輝きを放っていた──。
01
ゴリゴリと薬草をすり鉢ですりながら、ちらりと壁の時計を見れば、すでに時刻は午後三時を回っていた。もうそろそろ帰ってくるはずだと、そわそわと落ち着かない様子で作業をするナマエを見て、隣で作業をしていたレルムがくすりと笑い声を漏らした。
「ナマエ、貴方痺れ薬でも作るつもり?」
「へ?」
「鎮痛剤にイーキュンの葉の粉末はそんなにもいらないでしょ」
「わっ!ご、ごめんなさい!」
彼女の指摘通り、イーキュンの葉をすり潰しすぎたようで、すり鉢の中にはこんもりと赤茶色の粉末が出来上がっていた。慌てて過剰分を退けようとするナマエの手を、レルムの艶やかな褐色の指先が制する。
「ちょうど良かった。今から解熱飴を作ろうと思ってたの。余った分は頂くわ」
そう言って彼女はナマエの作った粉末を攫っていくと、ブルーリリーの花の蜜とシモンザの根っこの粉末と一緒にボウルへ流し込んだ。粉が飛ばないようにゆっくりとスプーンで混ぜ合わせれば、ボウルの中身は途端に鮮やかな青色に変化する。水飴のような質感の液体をすくい取ると、レルムは小さな丸がいくつも並んだアルミ製の型へとそれを素早く流し込んだ。
「はい、できあがりっと。あとは固まるのを待つだけね」
「すごい・・・!レルムって本当に器用ね。私、ブルーリリーの蜜の扱いがどうも苦手で、型にいれるのにいつも時間がかかっちゃうの」
「慣れたら簡単よ。スプーンを真下に向けて流し込むのがコツかしらね」
ナマエが尊敬の眼差しでレルムを見上げれば、彼女はスプーンをタオルで拭いながら誇らしげに微笑んだ。
宮廷お抱え薬師の中で、唯一トールマンであるナマエに分け隔てなく接してくれる者は数少ない。中でも彼女は一年も先輩であるにも関わらず、知識をひけらかすことなくナマエに色々と指導をしてくれるかけがえのない存在であった。
「私、いつもスプーンを斜めに傾けてやってた。今度やる時に気をつけてみるね」
ナマエがそう告げると同時、ふいに開け放たれた窓から重厚な音が流れ込んできた。港にある灯台に備え付けられた鐘の音で、迷宮調査隊の船の帰還を知らせるものだ。
弾かれるように顔を上げて窓の外へ視線をよこすナマエの姿に、レルムはまた小さく笑うと、ナマエの顔に唇を寄せ、声を秘そませながら耳打ちをした。
「今日は早上がりしちゃいなさいな。残りは私がやっておくから」
「えっ!?いいの・・・?」
「ええ、ナユマン室長には私から上手く言っておくわ。あの方に久しぶりに会えるんでしょう?」
「・・・うん!ありがとうレルム。今度貴方のお気に入りの店のリコルルパイをご馳走するわ」
興奮を抑えながら礼を述べ、急いで手荷物をまとめる。白い歯を見せてイタズラっ子のように笑うレルムに見送られ、周りに気取られないようにナマエは静かに調合室を後にした。
ここから港までは走ればきっと十分もかからない。青空の下、編み上げブーツの紐をきゅっと縛り直すと、ナマエはすぐさま石畳の上を駆け出した。
穏やかな風が肌を撫で、道中には華やかな花の匂いが立ち込める。春の日差しを全身に浴びながら港にたどり着いた頃には、ナマエの息は切れ切れで、額にはほんのりと汗をかいていた。
港には隊員を出迎えにきた宮廷の者たちの他にも、カナリア隊を一目見ようと集まる市中の者たちで溢れ返っている。貴族や名家出身の中でも特に秀でた能力のある者が選ばれるとあって、カナリア隊は巷でも人気が高い。混み合う隙間を縫って船に近づけば、ちょうど下船準備が整い、梯子が掛けられたところだった。
先陣立って出てきた副長のフラメラに続き、隊員たちが次々と船から降りてくる。小柄な体格の者が多いエルフの群衆の中では、トールマンのナマエは頭一つ分飛び出るため、前方にいなくともすぐに目当ての人物を見つけることができた。
列の最後の方にリシオンに支えられるようにして、のそのそと出てきた男の銀色の毛が風にのって揺れる。キラキラと美しく輝く色に魅せられていれば、黒々とした瞳がナマエを見つけ、彼──ミスルンの眉が僅かに上がったのが見て取れた。
同じくしてこちらに気づいたリシオンが、人混みをかき分けながらずるずるとミスルンを引きずってやってくる。そうしてナマエの前で止まると、リシオンは返品不要と言わんばかりに、ミスルンをナマエの前に押しやった。
「隊長、あんまり寝てないし、飯は朝にちょろっとしか食ってない。馬車の手配はしてあるからそれで帰って」
「分かりました。色々とありがとうございます。リシオンさんも今日はゆっくり休まれてくださいね」
「うん、ありがとう。じゃあね」
伸びてきた大きな手は、ナマエの頭をゆるりと一撫でして去っていった。普段は自分より背の低い者たちと関わることが多いためか、エルフの中で突出して背の高い彼から撫でられると何だか子どもに戻ったような気分になってしまう。いや、エルフにしてみればトールマンの十九歳なんて赤子同然なのかもしれないが。
そんなことを考えながら大きな背中を見送っていれば、ふいに服の肘あたりを引っ張られる。ナマエが慌てて視線を前に戻せば、いつもながら真顔のままのミスルンがこちらを見つめていた。
「あっ・・・おかえりなさい」
「・・・ただいま」
「無事で何よりです。さぁ、馬車のところまで行きましょう」
とにかくなるべく早くこの場を去りたいと、ナマエはミスルンの肩にそっと手を添えた。
カナリア隊の隊長ともなれば、周りの視線が一気に集まってしまう。そして何より、彼と話しているのがエルフではなくトールマンの女だということが、より一層注目を集めていた。
「ケレンシル家のミスルン隊長だ」
「あれが噂の・・・」
「女のトールマン?召使いかしら?」
「違うわよ。あの子はミスルン隊長が拾ってきたっていう例の・・・」
雑音に紛れて様々な声が聞こえてくる。少しでも気丈に振舞おうと、ナマエが唇を結んで前を見据えたと同時、ふいに浮遊感が身体を襲った。
あっと思った時にはすでに時遅し。三度の浮遊感を味わった後、気がつけば自分の身体は馬車のキャビン内に収まっていた。
ミスルンの転移術で、一気に馬車のところまで移動したのだろう。どこ吹く風で腕を組んで座席に背中を預ける男の姿を見て、ナマエの心がほんのりと暖かくなった。
「ありがとうございます、ミスルン」
ぼそりと礼を述べたが、彼からは何も言葉は返ってこなかった。代わりに突然のキャビンの揺れに驚いた御者が、中を覗きながら声をかけてくる。慌ててケレンシル家の別邸へと向かうように告げれば、馬車はゆっくりと石畳の上を進み出した。
***
屋敷に着いてすぐ、ミスルンを風呂に入れるように執事に頼み、ナマエはそのままキッチンへと向かった。普段は料理人に食事の用意を頼むのだが、遠征帰りの日のミスルンの食事だけは毎度ナマエが作ることになっていた。
迷宮に潜っている間は携帯食ばかりでろくな食事を摂らない上に、彼はほっとけば何も口にしないことが多い。薬草や栄養学の知識が豊富なナマエが、身体に良い料理を作って彼に食べさす役目を担っているのだ。
ミスルンが風呂で磨かれている間に、キッチンに立ったナマエは手際よく食事の用意を進めていく。玉ねぎと鶏肉をバターで炒め、大きくちぎったパンと一緒に深めの鍋の中に流し込む。トマトジュースといくつかのハーブを入れてひと煮立ちさせ、パンがクタクタになったら、最後に粉チーズと塩コショウを振って完成だ。林檎の蜜漬けをデザートに添えていけば、栄養面も疲労回復もばっちりだろう。
出来上がった食事を持って、屋敷の奥にある主の部屋を訪れる。コンコンとノックをすれば、数秒して「入れ」と声が返ってきた。重厚な木製の扉を開けば、だだっ広い部屋の中央に置かれたロッキングチェアにぽつんと座るミスルンの姿があった。
首元にタオルがかけられてはいるものの、銀色の髪はまだしっとりと濡れている。ナマエは小さくため息をつくと、煌びやかな象嵌加工が施されたテーブルに食事を置き、ミスルンの後ろへと回った。
「失礼しますね」
いつものルーティーンと言えども、念の為断りをいれる。何も返事がない時は、彼が同意を示しているという事だとようやく理解したのは、共に暮らし始めて二年ほど経った頃だったか。
近くのチェストから取り出したブラシで髪をとかした後、呪文の詠唱を行えば、生暖かい風がナマエの掌から生み出される。一分もたてばだいぶ乾いたようで、ミスルンの銀色の髪は緩やかなウェーブを取り戻していた。
「・・・ありがとう」
「いえ、お食事にしましょう」
手を差し出せば、ひんやりと冷たい手がナマエの手のひらに乗る。テーブルに導いて席につかせてやれば、彼はじっと皿の中のパン粥を見つめた後、「いただきます」と小さく呟き、そのままスプーンを手に取って食事を始めた。
どうやら今日はまだ、食べ物を摂取する気力が残っているらしい。酷い時など、魔力切れで意識を失ったまま隊員に担がれて屋敷まで運ばれてくることがあるため、今日はかなり元気な方と言えるだろう。
もぐもぐと食べ進める姿にほっと胸をなでおろし、ナマエは彼の向かい側の席につく。今回の迷宮調査はどうだったのか、珍しい魔物はいたのかなどいくつか会話を交わしていれば、いつの間にやら皿の中身は綺麗になくなっていた。デザートの林檎を飲み込んだのを見て、ナマエは己の懐から薬包紙に包まれた薬を取り出すと、それをミスルンに差し出した。
「これは?」
「新しい眠り薬です。東方から取り寄せたものを混ぜてみたので、効き目があると思います。今日早速試してみますか?」
魔術をかければ一瞬で眠れるが、迷宮では何があるか分からない。色んな手段を持っておくことに越したことはないと、睡眠欲のないミスルンは眠り薬を常備しているのだが、以前ナマエが調合したものは耐性ができてしまったのか、最近効き目が弱くなってきていた。そのため今回新しい薬を調合したのだ。
紙を広げ、東方原産のニビイロソウの根とジョウロツユの草の粉末を混ぜて作った赤褐色の粉薬をミスルンは一瞥する。しかし、彼はそれを口にすることなく丁寧に包み直した。
「次回の調査の時に使わせてもらう。今日はお前がいるから必要ない」
黒々とした瞳がじっとこちらを見たあと、彼はそのまま立ち上がりベッドへ一直線に向かって行く。急いで部屋の灯りを落とすと、ナマエは慌ててミスルンを追いかけた。
これまた肌触りのよいシーツのひかれたベッドに寝そべるミスルンの身体に柔らかな布団をかけてやれば、すぐさま彼の白い手がこちらへと伸びてくる。その手を握りながら、ナマエはベッドの横にある小さな丸椅子に腰掛けた。
「おやすみなさいミスルン。良い夢を」
「あぁ・・・おやすみ、ナマエ」
表情は変わらずとも、ほんの少しだけ、声に柔らかい色が加わった気がした。ゆっくりと目を閉じた彼の手を握る力をぎゅっと強める。
数十秒後、すとんと憑き物が落ちたように意識を手放したミスルンを見て、ナマエはそっと彼の手を布団の中にしまってやった。
屋敷で彼の入眠を見守る役目を仰せつかったのは、確か十歳の頃の出来事だったと思う。あの頃はミスルンの薦めもあって魔術学校に通っていたものの、簡単な術しか使えないうえに、薬草の知識もあまりなかった。
そんなある日、夜中にトイレに行きたいと目を覚まし、広い廊下を歩いてたナマエは、眠れずに屋敷の中をうろうろと徘徊していたミスルンと鉢合わせたのだ。
話を聞くに、どうやら処方してもらっていた睡眠薬がめっきり効かなくなり、ついに今日は眠りにつけなくなってしまったらしい。生憎執事やメイドたちの中で、まともに魔術を使える者はいない。
『睡眠の魔術は学校で習っただろう。それを私にかけてくれ』
そう宣う主の部屋に一緒について行き、ベッドに潜り込んだ彼に睡眠の魔術をかけてみたが、てんで効果はなかった。ナマエは魔術の才があまりなく、唯一得意といえるのが母譲りの防御魔法だけだったのだ。
ミスルンの真顔が怒り所以のものではないとは理解していても、幼いナマエからしてみれば、こちらをじっと見つめる真っ黒な瞳は大層恐ろしいものであった。このままだと屋敷から追い出されてしまうのではと、泣きべそをかきながらナマエは咄嗟にミスルンの冷たい手を握りしめたのだ。
『・・・なんだ?』
『む、昔・・・お母さんにこうしてもらって、よく眠れた記憶があるんです・・・だから』
ぎゅうっと力を込め、温めるように小さな両手でミスルンの手のひらを包み込む。しばらく訝しげな顔をしていたが、物は試しようと彼はゆっくりと瞳を閉じた。そして五分もたたないうちに、寝息を立て始めたミスルンを見て、ナマエはほっと胸を撫で下ろしたのだった。
それがきっかけで、毎晩寝る前にミスルンの部屋に呼びつけられるようになり、彼の手を握って寝かしつける役目を任命されたという訳だ。そして彼が迷宮調査で屋敷を離れている際も、安らかな眠りについてもらえるようにと、ナマエが薬学の勉強に力を入れ始めたのもこの一件がきっかけである。
すぅすぅと寝息をたてる美しい寝顔を暫く眺めた後、ナマエはそっと銀色の髪をかき分けて、ミスルンの額にキスを贈った。
今回も無事に帰ってきてくれてよかったと、ほんのりと心の中が暖かくなる。
この気持ちは、かつて命を拾ってくれ、居場所を与えてくれた恩人に対しての家族愛のようなものなのか、はたまた全く別のものなのか。
胸に巣食う感情に名前をつけることを、ナマエはまだできていなかった。
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