月冴ゆる
「では心操のヒーロー科編入を祝して、乾杯〜!!」
高らかな声とともにグラスが頭上に掲げられ、場の空気は一気にお祭りモードになる。クラッカーを鳴らす人、拍手をする人、さっそく料理に舌鼓する人と、三者三様の人たちに囲まれた今日の主役は、輪の中で少し照れくさそうな笑顔を浮かべていた。
クラスメイトの中であんなにも自然な笑顔を浮かべられるようになった彼を見て、嬉しい気持ちになる一方で、少し複雑な気分にもなってしまう。ほら、先日まで『心操くんってちょっと怖いよね』と言っていたクラスで一番可愛い女の子が、さっそく彼の隣を陣取っている。
もちろん張り合う勇気など持ち合わせていない私は、仲の良い友達とソファーの端に腰を下ろして、目の前にあったフライドポテトに手を伸ばした。
クラスの委員長から開幕の挨拶が済んだ後は、話の中心は当然今日の主役にスポットが当てられる。ヒーロー科の編入試験はどんなものだったのか、相澤先生との特訓はどんなものだったのかなどなど。そんな真面目な話が終わった後は、自然とそれぞれ席の近い人たちで小さなグループが出来上がり、彼はやんちゃな男の子たちの集まりへと率いられていた。
表面上は気にしていない振りをしていても、体は正直だ。「ヒーロー科の拳藤さんと友達になったら紹介して」やら「二年C組の先輩が心操のこと狙ってるらしいぞ」など、聞き耳をたてているつもりがなくても、向こうの会話が自然と耳に入ってきてしまう。
何だか居たたまれなくなった私は、のらりくらりと会話を返す彼の声をBGMに立ち上がった。
「あれ、名前どうしたの?」
「この席暖房が直撃してるからちょっとのぼせちゃったかも。外の空気吸ってくる」
「ありゃ、着いてこか?」
「ううん、すぐ戻るから大丈夫。ありがとう」
心配そうな表情を浮かべる友人に断りを入れ、私はそのまま共同エリアからすぐ外に出れるバルコニーへと向かった。
十二月ともなれば、ピリリと引き締まったような空気が肌をなぞり、いよいよ本格的な冬の訪れを感じさせる。ぬくぬくと温まっていた体が一気に冷え、うだうだと要らぬ事を考えていた脳内が少しばかりクリアになった気がした。
小さくため息をつきながら遠くを眺めていれば、ふと全寮の中央に位置する大きな木がいつの間にやら電飾で装飾されているのが目に入る。そういえばもうすぐクリスマスだ。赤や緑、そしてゴールドと様々な光を纏う艶やかなイルミネーションを、いつか彼も誰かと寄り添って眺めるのだろうか。
「ヒーロー科に行っちゃったら、遠い存在になっちゃうなぁ・・・」
ぼそりと呟いた言葉は、白い吐息と共に闇へと溶けていく。それと同時、突然「名字」という自分の名を呼ぶ心地よい声が耳に飛び込んできた。
振り向けば、いつの間にやらバルコニーの入口には想い人の姿。寒さに身震いするかのように肩を竦めた彼は、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
思いがけない人物の登場に思わず動きを止めて固まる私とは裏腹に、彼はそのまま私の横に並び立ち、手すりにもたれかかった。
「寒くねぇの?」
「・・・うん。ちょっと暑くてのぼせそうだったから、今ちょうど良い感じ」
「そっか。共同エリアといえども、クラス全員が集まるとさすがに人口密度が高いもんな」
「特に今日はいつもより皆の熱気が凄いからね」
「そうか?」
「そうだよ。心操くんのヒーロー科転入が決まって、みんな嬉しくて大はしゃぎしてるから」
私の言葉を聞いて、彼は少し恥ずかしそうに唇の端をあげる。入学当初は見たこともなかった柔和な表情を浮かべる彼を見て、心の鼓動がどんどんと早まるのを感じた。
覗き見える白い歯も、照れ隠しでちょっと眉間に皺が寄る表情も、全てがたまらなく愛おしい。
胸いっぱいになる感情を噛み締めていれば、アメジストを彷彿とさせる紫色の瞳がじっとこちらに向けられた。
「あのさ。俺、名字にちゃんと御礼が言いたくて」
「私に御礼?・・・なんで?」
「俺が相澤先生と毎日特訓してた頃、傷の手当てをしてくれたことがあっただろ」
彼の言葉に、数ヶ月前の夏頃のことを思い出す。体育祭以降、ヒーロー科への編入を目指していた心操くんは、相澤先生から秘密裏に指導を受けていたそうだ。
相手はあの手厳しいと有名なヒーロー科の担任。一切手抜きのない特訓が行われていたようで、気がつけば心操くんはいつも生傷が絶えない状態になっていた。隣の席という関係性なだけの私は当然彼が何をしているかなど知る由もなく、日に日に絆創膏が増えていく彼の姿を見て、何やら良からぬことに巻き込まれてるのではと、毎日ハラハラしながら様子を見守っていたのだ。
そんな心操くんの秘密を私が知ることになったのは、二学期が始まってすぐのこと。腕に広範囲の擦り傷をこさえた彼と、放課後たまたま出くわしたのがきっかけだった。
怪我の理由も教えて貰えず、大したことないと、保健室に行こうとしない彼の手当てを無理矢理買って出た私の顔がよほど怖かったのかもしれない。消毒をして包帯を巻いている最中、彼は全てを白状するかのように、ぽつりぽつりと事の経緯を説明してくれたのだ。
『立派なヒーローになって、俺の個性を人のために使いたいんだ』
夕陽が差し込む窓辺で本音を語ってくれた彼の横顔は、とても美しかった。
そんなこんなでただの隣の席のクラスメイトから、秘密を共有するクラスメイトへと少しレベルアップした私は、その日以来、たまに心操くんの傷の手当てをしながら、彼の話を聞くという役目を担うようになったのだ。
「あれをきっかけに、名字に色々と話を聞いてもらうことが増えただろ。特訓の反省点とか弱音とか、時には愚痴とかも。思い返したらちょっとかっこ悪い話ばっかだったけど」
「ううん、そんな事ない。心操くんが頑張ってる姿を間近で見て、私も頑張らなくちゃって気持ちになってたよ」
「そう思ってもらえてたならこっちも有難いけど・・・。でも、本当に感謝してるんだ。一人で抱え込むことなく、折れずにここまで来れたのは名字のおかげだと思ってる。本当にありがとな」
彼の目がきゅっと綺麗な三日月を描く。
私の個性は、至って平凡で目立った取り柄がない。だからヒーローになりたいなんて幼い頃に抱いた気持ちは、中学に進学すると共に捨て去った。
けれど心操くんは違う。ヴィラン向きの能力だと揶揄されても、戦う術が限られていたとしても、けして諦めることをせず、自分で道を切り開いていったのだ。そんなひたむきな彼だからこそ、きっと私は好きになったんだと思う。
「こちらこそ。心操くんなら絶対に素敵なヒーローになれるよ。これからも遠くから応援してるね」
本当は、いつか気持ちを伝えたかった。近くで見守れる存在になりたかった。
でも、私と彼じゃ見据える世界が、住む世界が違うから。だから、遠くからでもいい。彼の頑張る姿をこれからも応援させて欲しい。
本音を半分、そして嘘も半分織り交ぜる。少し緩みそうになった涙腺を堪えながらもそう言って笑えば、彼は驚いたようにくるりと目を丸めた。すぐに「ありがとう」と、ありふれた返事がくると思っていたのに、何故か彼の口からは白い吐息が漏れ出るだけだ。
何が不味いことでも言ってしまっただろうかと思わず彼の顔を見つめれば、少し視線を下にずらした心操くんはようやくぽつりと言葉を漏らした。
「・・・ごめん、それはちょっと嫌かも」
「えっ!?」
今度は私が目を丸くする番だった。他のクラスメイトより随分仲良くなれたと思っていたのに、とんだ勘違いだったのかもしれない。
お互い無言が続いた十数秒間。ショックのあまり狼狽えるように目を瞬かせていれば、心操くんは意を決したように頭を掻きながらようやく顔を前に上げた。
木を吹き枯らしてしまう冬の凍てつく風のせいなのか、その頬はほんのりと赤に染まっている。こちらに一歩踏み出してきた彼の指先がゆっくりと私の手を取り、熱を分け与えるかのように絡まった。
バクバクと、互いの心音が混ざり合う感覚に小さく息を飲めば、月夜に映える紫がじっと私を見据えていた。
「遠くからじゃなくて、ずっと隣で俺の事を見ていて欲しい」
月明かりのように心を灯す愛の言葉を、私は一生忘れることはないだろう。
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