にゃんだふるDAY
「名字、悪いけどあとで職員室に来てくれ」
そう授業終わりに担任の相澤に呼び出された名前は、言いつけ通りに職員室に来ていた。何かしてしまっただろうかと首を捻るも、特に思い当たる節はない。
先日行っていたインターンでも比較的良い評価を貰えたし、期末テストの点数もそこまで悪くはなかったはずだ。兎にも角にも、あれこれ考えるより聞く方が早いだろう。「失礼します」と声高々に扉を開ければ、名前に気づいた相澤が自分の席からちょいちょいと手招きする姿が見えた。
そちらに向かえばすぐに違和感に気づく。相澤の膝の上にはなぜだか猫が丸まっており、静かに寝息をたてていた。
「かわいい・・・!相澤先生の猫ちゃんですか?」
「いや違う」
「それじゃあ学校に忍び込んだ野良猫?」
「それも違う」
「え〜?そうなると、根津校長の友達とか?」
「お前なぁ・・・」
「だって先生ってば全然答え教えてくれないんだもん。で、どこの猫ちゃんなんですか?」
「・・・轟だ」
「・・・へ?」
「この猫は一年A組の轟焦凍だ」
「いや〜、先生いくらなんでも・・・」
「今日来年の入学者向けの説明会があったろ?そこに付き添いできてた子供がイタズラで個性を使ったとこに運悪く轟が鉢合わせて、この通り猫になっちまったらしい」
終始一貫して真面目な顔を貫く担任に、名前はただ間抜けな声を出しながら視線を再び猫へと戻した。言われてみれば全体的にグレーの毛並みをしているが、左耳側だけ真っ赤な毛色という珍しい柄の猫で、何となく轟の特徴と合致している。
それに朝にはいたはずの轟の姿が午後の授業から忽然と消えており、『ちょっと野暮用で明日まで戻らない』と言葉を濁していた相澤のおかしな様子にも合点がいった。
「どうやら対象を動物に変えちまうっていう個性らしくてな。その子の親によれば、本人による解除はまだできないらしく、基本的には自然に効果が解けるのを待たないといけないそうだ」
「うわ〜・・・。だいたい解けるのにどれくらいかかるんですか?」
「丸一日くらいだと。まぁ他にも解除方法はあるにはあるんだが・・・」
そこまで流暢に話していた相澤が突然言葉を濁し出す。何か言いづらいのだろうかとじっと相澤の言葉を待っていれば、彼は気まずそうに後頭部をぼりぼりとかいた後、ゆっくりと口を開いた。
「好きな人とキスすることで、すぐに元に戻れるそうだ」
「え・・・?す、好きな人って・・・例えば家族とか?」
「いや、どうやら恋愛対象者のみらしい。いない場合はその解除方法は使えないんだと」
相澤からの返答に、名前は再び間抜けな声を出すしかできなかった。
「何ですかその童話に出てきそうなメルヘンチック設定は・・・」
「知らん。俺に聞くな」
確かに三十すぎにも関わらず、女の影を微塵も感じさせない担任に聞くのは酷だったかもしれない。淡々と答える相澤に、名前ははぁとため息をつきながら話を続ける。
「それで・・・そんな轟くんの大ピンチに私が呼び出されたのは何でですか?私、轟くんの好きな人なんて全く知りませんよ?」
顔良し、性格良し、成績良し。三大良しが揃っているためかなりモテる轟ではあるが、ヒーローになることに真っ直ぐな彼の浮いた話は今まで聞いたことがないし、彼女がいたら今頃学校中は失恋した女生徒たちの屍でいっぱいになっていることだろう。
不服そうに口を尖らせる名前に対して、相澤は相変わらず表情を変えないままに足元から大きなスーパーの袋を取り出し、それをこちらに突き出してきた。
「何ですかこれ?」
「猫の世話グッズだ。お前、実家で猫飼ってるって言ってただろ。今のところ意思疎通もできなくて、意識も完全猫化しちまってるみたいでな。悪いけど明日の朝まで轟の世話してやってくれ」
「え!?ちょっと待ってください・・・!なんで相澤先生がお世話しないんですか!?担任でしょ!?」
「俺は別件で山田と今から仕事があるんだよ。他の先生たちも色々と立て込んでる」
「なっ、なら動物といえば、ほら!うちのクラスにはプロフェッショナルの口田くんが居るじゃないですか!」
「アイツは部屋でうさぎ飼ってんだから、一緒に世話すんのは難しいだろ」
「くっ・・・!」
あぁいえばこういうで、何を言っても飄々と言いくるめられてしまう。何とか反論できないかと名前が唸っていれば、ふいに相澤の膝で寝ていたはずの轟焦凍もとい轟猫が目を覚まし、ふいっと顔をこちらにあげた。
氷のように美しい水色の瞳が名前の方をじっと見つめたあと、ニャアと一鳴きした轟猫はするりと相澤の膝から飛び降りて、そのまま名前の足元にまとわりついた。撫でて欲しいと言わんばかりにゴロゴロと喉を鳴らす姿は、言わずもがな本物の猫と相違ない。
「気に入られたみたいだな」「決まりだな」とニッと白い歯を見せる相澤の声に、名前は降参するしかなかった。
***
エンデヴァーに報告がいくと色々やっかいなためか、極秘任務だと念押しされ、轟猫の入ったペットキャリーや餌などを抱えた名前は、クラスメイトにバレないよう細心の注意をはらいながらも、何とか寮の自室にたどり着くことができた。すっかり目が覚めたのか、興味深そうにキョロキョロと辺りを見回しながら部屋の中をうろつく猫の姿を見て、名前ははぁと小さくため息をつく。
「まさか、こんな状況で好きな人と部屋で二人きりになっちゃうなんてなぁ・・・」
そう、実はと言うと名前はクラスメイトの轟焦凍に絶賛片思い中であった。
もちろん彼が高嶺の花であるということは十分理解しているし、実力者揃いのA組の中で下から数えた方が早い成績の名前からすれば、轟は雲の上のような存在である。
けれどこんな平々凡々な自分にでも彼は分け隔てなく接してくれるし、困っていたら手を差し伸べてくれる優しい人なのだ。学校でも寮でも四六時中彼の眩しさを目のあたりにして、好きにならないわけがなかった。
「とりあえず、今日一晩乗り切ったらいいんだよね。人間としての意識がないってことは、今はただの可愛い猫なわけだし」
己を奮い立たせるようにそう言えば、ふいに足の間に轟猫がにゅるりと入り込む。実家にいる飼い猫は人と馴れ合うのが嫌いで、一人で座り込んでじっとこちらを観察してくるような目付きのするどい猫であった。こんなにもじゃれついてくるとは、きっと人懐っこいタイプなのだろうと、名前は轟猫を向かい合わせに抱きあげる。
「可愛いなぁ〜。って男の子にそんなこと言ったら失礼か」
「にゃー」
「ふふっ、半日だけだけどよろしくね」
「にゃあ」
ひとつひとつ律儀に返事してくれるところが実直な轟にそっくりだ。いや、変身して意識がないとはいえ、まるっきり本人ではあるのだが。
その後も餌をあげたり猫じゃらしで遊んだりなど、名前は轟猫との一時を十分に満喫した。そして自分も食事と風呂を済ませてあとは寝るだけとなったため、床に丸いドーナツ型のふわふわしたクッションベッドを設置する。
最初に彼を入れて運んできたキャリーや先程食べさせた餌、そしてこのベッドなども全て相澤が用意してくれたものらしい。猫好きというだけあって、世話をするのに必要な道具の用意は全て完璧であった。
「よし、そろそろ寝よっか。君は今日はここで寝てね」
名前の寝るベッドの上でくつろいでいた轟猫を抱き上げて、床に置いた専用のクッションベッドに乗せてやる。けれど水色の目を真ん丸にしながら着地した数秒後、にゃーごにゃーごと鳴き喚きながら轟猫はすぐさま元いた場所へと戻って行ってしまった。
「えぇ〜・・・君のベッドはこっちだよ」
そう声をかけてもどこ吹く風で、グレーの身体をくねらせながら轟猫は名前の布団の中に潜っていく。言い聞かせて数回引きずり出してみたものの、何度やっても同じことの繰り返しだった。
もちろん後ろめたさはあるが、猫の姿とはいえ、好きな人と一緒に寝れるチャンスはもう二度と来ないだろう。これは不可抗力だと自分に言い聞かせながら、名前はもう一度轟猫に声をかけた。
「・・・本当にここで寝るの?」
「にゃーん」
「まぁ意識がないってことは、多分記憶にも残らないとは思うけどさぁ・・・」
「にゃあ?」
「・・・もし覚えてたとしても、元に戻った後に文句言わないでね?」
布団から顔を覗かせながら首を傾ける轟猫の頭を一撫でして、名前はそのまま布団に潜り込む。すると轟猫は待ってましたといわんばかりに、暖を取ろうとこちらに擦り寄ってきた。
「ふふっ、明日の昼にはちゃんと元に戻ったらいいね」
「にゃー」
「おやすみなさい・・・轟くん」
猫の君はとても可愛いけれど、やっぱりいつもの姿の君が恋しくなってしまった。優しい声で名前を呼んでくれる君に、明日は会えますようにと願いながら、名前はゆっくりと目を閉じ、意識を手放した。
ジリリリとけたたましいスマホのアラーム音に、沈んでいた意識が浮上する。眠気と戦いながらヘッドボードに手を伸ばせば、アラームを無事に止めることができたものの、名前はなかなか身体を起こす気になれない。朝一番に職員室に轟を届けに行かなくてはならないのにと朧気に考えていれば、ふいに胸のあたりに重みが加わり、ざらりとした感覚か頬をなぞった。
どうやら轟猫が体の上に乗っていて、早く起きてくれと頬をペロペロと舐めているらしい。くすぐったいと小さく笑い声を上げて名前が目を開ければ、こぼれ落ちそうな程に大きな水色の瞳がこちらを見下ろしていた。
「おはよぉ・・・轟くん」
「にゃあー」
「・・・今起きるね。そういえば・・・お水、いるよね・・・?喉乾いたよね」
声を出していても再び眠気に襲われてしまう。もういっその事、あと十分後に鳴るであろうアラームまでもう一眠りするかなと目を閉じかけた名前の唇を、不意に轟猫の舌がぺろりと舐めあげた。
あっと思った次の瞬間。ボンッという大きな破裂音とともに、もくもくと白い煙が巻き起こる。吹っ飛んだ眠気とともに目をこらせば、薄れていく煙の中からは制服姿の轟焦凍が現れた。
「名字・・・?っ、俺・・・一体何して・・・?」
「なっ!?え・・・!?どぉ・・・!?」
狐につままれたような表情をした轟の美しい顔がすぐ目の前にある。猫の体制のまま変身が解けたせいか、いつの間にやら轟が名前をベッドに押し倒しているような体制になってしまっていた。
突然の出来事の連続で混乱する最中、名前の脳裏には昨日交わした相澤との会話が過ぎる。
『好きな人とキスすることで、すぐに元に戻れるそうだ』
ということは、イコール、彼の好きな人とは──。夢のような事実を目の当たりにして、全身の血が一気に駆け巡る。
数秒後、寮中に鳴り響いた名前の悲鳴は、後に"A組カップル爆誕大事件"と名付けられるきっかけとなったのだった。
back
│
top