01




「名前ちゃん、怪我の手当てして」
「名前ちゃん、食堂で昼飯一緒に食おう」
「名前ちゃん」「名前ちゃん」「名前ちゃん」


 エトセトラ、エトセトラ。


「んぁー!!もうっいい加減にしなさい!!」


 今日も今日とて、暇さえあれば保健室に乗り込んでくる少年に、私は思わず声を荒らげる。けれど当の本人は特段意に介した様子はなく、いつもの様にきょとんとした顔で、私の向かい側に置かれた丸椅子に腰掛けた。


「何怒ってんだ?」
「あのねぇ、轟くん」
「焦凍呼びでいいって何度も言ってる」
「と・ど・ろ・き・く・ん!!」
「名前ちゃんって昔から頑固なとこあるよな」
「その名前ちゃん呼びも辞めてって何度も言ってるでしょ」
「なんで?」
「だから・・・私と貴方は今は雄英の一教師と一生徒。もう近所に住むただのお姉さんじゃないんだってば」
「でも俺にとって、名前ちゃんは家族と変わらないくらい大切な人だ」


 糠に釘、暖簾に腕押しとはまさにこの事だ。透き通る氷のように美しいアイスブルーの目をくるりと丸め、不思議そうに首を傾ける焦凍を前にして、私は頭を抱えるしかなかった。
 それならば一刻も早く保健室から立ち去ってもらおうと、演習で怪我をしたという小さな擦り傷をこさえた彼の指先を取る。恐らく最後の授業で怪我をしたのだろう。左手はまだほんのりと温かさを持っており、熱で傷口がヒリヒリと痛みを発しているようだった。
 個性を使って消毒を行い絆創膏を巻いてやれば、あっという間に手当ては終了だ。指先を眺めながら「ありがとう」と告げる焦凍の表情は、入学したての刺々しさを放っていた時からは想像できないほど穏やかで柔らかい。
 体育祭でクラスメイトの緑谷くんと戦ってから、彼は本当に丸くなったと思う。雄英に入学したものの、どこか鋭く冷めたような言動ばかりで、二年ぶりに再会した私とも初めは少し距離があり、どう接したらいいものかと頭を悩ませる日々だった。それが体育祭を皮切りにきちんと父親や家族と向き合うと腹を括った後は、昔のような素直な焦凍に戻ってきたので、今はもう心配せずに見守ることができている。
 まぁそれに伴って、保健室によく現れるようになったうえに、私に対して小さい頃のようにべったり度が増してしまったのが玉に瑕だが。
 入学から今までの出来事を思い出しながらも、「手当てが終わったのでさっさと出て行ってください」と淡々と告げれば、彼は何故と言わんばかりに訝しげな表情を浮かべた。


「もう授業は終わって時間があるから、俺はもう少し名前ちゃんと話しがしたい」
「ダメです。最近貴方が保健室に入り浸るもんだから、女子生徒に睨まれちゃって色々仕事に支障が出てるんだから」
「・・・なんで?」
「・・・あのねぇ。轟くん、自分が女子に人気だって自覚ある?」
「それなら名前ちゃんだって同じだろ。プレゼントマイクが言ってた。『看護教諭の名字先生は、何人かのプロヒーローから言い寄られてる』って」


 山田先生ってば、余計なことを。
 焦凍からの言葉に、おチャラけた表情の先輩兼同僚の顔が脳裏に浮かび、私は思わず顔を顰めた。
 少しばかり盛られているが、確かにその情報はあながち間違ってはいない。非常勤といえども、雄英高校に勤務しているとプロヒーローと関わることが色々と多く、時たまご飯に誘われることがあるのだ。なんなら今晩も、ヒーローランキング百位以内にランクインしてるプロヒーローと食事に行く予定が入っている。
 だからこそ、今日は溜まっている資料の整理と、校長への雑務報告書の提出を早く終わらせねばならないのだ。いつまでも焦凍にかまってる余裕は端からない。


「そうそう。こう見えても引く手あまたで私も忙しいの。だから君にかまってる暇はありません。なので早く家に帰りなさい」
「・・・嫌だ」
「・・・あのねぇ、轟くん。いい加減にしないと──」
「名前ちゃんは、何で俺じゃ駄目なんだよ」


 ──ああ、これだから困るのだ。
 真剣な目でこちらを見る表情に、思わず息を飲む。近所に住む可愛い弟分だった焦凍が、私に対して異性として接してくるようになったのは、確か彼が中学生になった時からだったか。
 ちょうどその頃、リカバリーガールこと修善寺先生の補助として母校の看護教諭にスカウトされた私は、その視線に気づかない振りをして逃げるように地元を離れた。そこから二年もの空白の期間があったのにも関わらず、彼の中の燻る熱は冷めることを知らなかったらしい。雄英で久しぶりに再会し、わだかまりが溶けた途端、これだ。
 重くのしかかってくる言葉に、己の中の感情が激しく揺れ動く。ほんの少しの満たされるような気持ちと、胸が塞がるような罪悪感。相反する二つの感情がぐるぐるとせめぎ合う中で、私はただ押し黙るしかなかった。



「俺は、名前ちゃんのことずっと──」



 続けて言葉を紡ごうとする焦凍の声を遮るように、ふいに保健室の扉が開く。「名字先生ー!傷の手当てしてー!」と入ってきたのは二年生のサポート科の女子生徒たちで、私は瞬時に笑顔を取り繕うと、そのままにこやかに彼女たちを迎え入れた。


「はーい。私に治せる程度のやつかな?」
「うん!ちょっと機械に挟んじゃって爪割れちゃったんだ〜」
「うわっ、結構痛そうね。すぐ処置するから椅子に座ってくれる?」



 生徒の手を見ながら会話を交わしてるうちに、颯爽と立ち上がった焦凍は、無言のまま保健室から去っていく。すれ違う際に彼の姿を目に入れた女子生徒たちは、瞬時に色めき立った。



「えっ!今のって一年生の轟くんじゃん」
「やーん!近くで見てもらやっぱめちゃくちゃかっこいいね〜!!」
「ねぇ先生、轟くんも怪我の手当てしてたの?」
「ええ。訓練でちょっと怪我しちゃったみたい」



 怪我をした生徒に先程まで焦凍が座っていた丸椅子を勧めながら、自分も向かいの椅子に腰を下ろす。個性を使いながら治療を進めてくいく私に対して、思春期の彼女たちは色々と聞きたいことが山積みらしい。ソワソワと落ち着きのない様子で互いに目配せをしたあと、一人の女子生徒が恐る恐る口を開いた。


「ねぇ、先生と轟くんってどういう関係なの?」
「なぁに?藪から棒に」
「だってぇ、もっぱらの噂だよ。轟くんが先生のこと『名前ちゃん』って下の名前で呼んでるって」
「普通にどういう関係なのか気になるじゃんか〜!」


 彼が入学してきてまだ数ヶ月しかたっていないというのに、ヒーロー科以外にもそんな話が回っているなんて、思春期の子供たちの興味軸とは末恐ろしいものだ。刺激しないように、当たり障りないように、私はただ貼り付けたような笑顔で彼女たちに笑いかける。


「ただの弟分だよ。轟くん家とうちの家が近所でね。彼が産まれた時から知ってるの」
「えっ!てことはあのエンデヴァーとも知り合い!?」
「まぁね。いわゆるご近所さん兼腐れ縁ってわけ。単に昔の癖でついつい下の名前で呼んじゃってるだけみたいだから、変な憶測や誤解はしないでよ〜」



 カラカラと何事もないようにそう告げれば、少女たちは面白い話を聞いたとばかりに目を輝かせた。きっと一週間もすれば、話はあっという間に生徒たちの中を駆け巡ることだろう。これをきっかけに、今より過ごしやすくなることを願うばかりである。
 そう、焦凍と私は所謂歳の離れた幼なじみのようなものだ。私が八歳の時に轟家の三男として焦凍が産まれ、彼のことはフニャフニャの赤ちゃんだった頃から知っている。
 だから、分かってる。焦凍の私に対する想いは、恋愛感情から来るものなんかじゃない。
 あの頃は、一つ下の冬美ちゃんは壊れてしまった冷さんを支え、家族を繋ぎ止めるのに必死で、夏くんは自分を守るのに精一杯で、幼かった焦凍の隣にいてあげれる人は轟家の中にはいなかった。だから私が、せめて彼の隣にいようと手を差し伸べた。
 大切な人を救いたくても救えなかった償いとして──。そして、大切だった人との約束を果たすために──。
 結果、幼い焦凍が私に依存するようになったのも当然だった。そして恐らく、掛け違えたボタンのように、その感情を恋愛感情に結びつけてしまったのだと思う。
 だから、彼が口にしようとした言葉は勘違いで、間違った感情なのだ。



「はい、できたよ。早くよくなりますように」



 処置を終え、生徒の傷口にガーゼと包帯を巻き付けながら、じくじくと疼く胸の苦しさを必死に飲み込む。
 自分の個性で胸の奥底に巣食う傷を綺麗さっぱり治せたらいいのになんて、叶うことのない願いを抱きながら、今日も私は何も無いフリをして笑うのだ。



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