02




 夏の訪れを感じさせる生暖かな風が吹くホームを、少しばかりほろ酔い気分で一人歩んでいく。
 無事に雑務を終え、迎えたプロヒーローとのデート。待ち合わせ場所に指定されたのは、雄英高校から電車で二駅ほどのファッションビルが立ち並ぶ一角にあるイタリアンだった。
 時間通りにきた相手は、薄手のジャケットをはおったキレイめな格好ではあったが、ヒーロースーツを脱いでいるためか、どこにでもいるありきたりな一般人にみえてしまう。やはりヒーロースーツマジックはあるもんだと失礼なことを考えながらも、私はエスコートされて店内に入った。
 食事はどれも美味しくて、ワインがとても進むものばかりであったが、いかんせん相手との相性がよくなかった。彼の口から飛び出てきたのは、鼻につくような自慢話のオンパレード。右から左にさらっと聞き流し、愛想笑いを浮かべてなんとか耐えたが、それはそれはとてもキツい二時間だった。 やはりプロヒーローといえども、全てが完璧とはいかないようである。
 その後二軒目に行こうと提案されたが、「明日朝早くて」と丁重にお断りした私は、そのまま一人電車に揺られて自宅の最寄り駅まで戻ってきたというわけだ。かれこれ一年以上恋人がいないから、もうそろそろ何かいい出会いがあるかもと意気込んでいたが、人生そうも上手くいかないらしい。そんなことを思いながら、ICカードをかざして改札をくぐり抜け、人通りの多い駅前の大通りを進んでいった。
 私の住まいは、雄英高校から電車で二十分ほどの所にある。1DKと少し狭い部屋だが、駅近の築浅でオートロックあり、プロヒーロー事務所の近くということで治安も良いため、結構気に入っていた。


「帰ったら洗濯物入れなきゃな」


 先日までの梅雨の影響で大雨が続き、久しぶりに外干しをしていた洗濯物たちの存在を思い出し、小さく呟く。カバンの中の水筒も洗って、朝ごはん用のゆで卵も用意して、などなど。頭の中でやらなければならない色々なことを考えつつ、大通りから家に続く細い路地裏に入り、マンションのエントランス前で鍵を取り出そうとしたその瞬間だった。
 突然背後から伸びてきた何かが右腕にぐるりと巻きついて、私の身体は勢いよく後ろに引き寄せられた。
 バランスを崩してそのままアスファルトに強く叩きつけられ、一瞬意識が飛びそうになるも、なんとか歯を食いしばる。恐らく個性によるものだと考えられる紐の先を必死に辿れば、そこには見知らぬ男の姿があった。
 荒い息遣いと血走った眼が、夜の闇の中で爛々とその存在感を放っている。駅近といえども、少し奥まった路地に入ったこの道は、マンションの住人しかほとんど通らない場所だ。生憎他の住人の姿はなく、静かな道には男と自分一人だけ。その状況に、身体中の血の気が引いていくのが分かった。


「き、君が悪いんだ・・・!僕がいるのに、ほっ他の男とデートなんてするから!!」


 紐で拘束されたまま、ズルズルと体を引きずられ、マンション横にあるゴミ捨て場の方へと連れていかれる。「助けて」と声を出したくても、意識が上手く回らない。べとりとした生暖かい血が頭部から滴り落ちてきて、ズキズキとした痛みがどんどん強くなっていくのを感じた。
 ゴミ捨て場のアルミ素材の扉が開け放たれると、つんとした生臭さが鼻につく。冷えたコンクリートの上に私を投げ飛ばし、そのまま上に跨ってきた男の顔にはやはり見覚えなどなく、骨ばった指先が乱雑に太ももをなぞる感覚に、胃の奥から何かが込み上げてくるものを感じた。気持ち悪い。気持ち悪い。誰か、誰か、助けて。
 涙で視界がぼやける中、ふと走馬灯のように脳裏に浮かんだのは、美しい赤と白のコントラストだった。



「ぎぃゃああああああー!!!!」


 突然、頭上から劈くような悲鳴が上がる。はっと我に返れば、次の瞬間、男が一瞬にして勢いよく私の上から転げ落ちた。
 悲痛な声を漏らすその背中は、蒼く燃えたぎる炎で埋め尽くされており、服が溶け、肉が焼けるような匂いが辺りに立ち込める。
 乱れる息を整えながら、呆然とコンクリートの上をのたうち回る男を眺めていれば、ふいにゴミ捨て場の入口に誰かが立っているのに気がついた。黒いフードを深く被った、背の高い人物。右手には蒼い炎を纏っており、その人物が犯人の男に制裁を加えたのは一目瞭然であった。
 プロヒーローだろうか。ホッとしたのも束の間、その人物は無言のままつかつかと床に転がる男の方へ歩みよると、再びその右手を大きく上にかざした。勢いよく振りかざされた炎が狙うは男の頭部。殺す気だと、どくりと己の心音が跳ね上がったと同時、気がつけば私は地面を蹴ってその人物の横腹へと飛びついていた。


「っ・・・こ、殺さないで!!」


 バクバクと激しい心音が頭の痛みを加速させる。突然の私の静止に驚いたのか、フードの人物はぴたりと動きを止め、かざしていた右手を宙に彷徨わせた。


「・・・っ助けてくれて・・・ありがとう、っございます。で、でもっ殺したら、駄目・・・です!」
「・・・・・・」
「っ・・・殺したら、同じになっちゃうから・・・!」



 未遂とはいえ、男が自分にしようとしたことは、もちろん許せるわけがない。本来なら、自分の手でどうにかして制裁を加えてやりたいくらいだ。
 けれどそうすれば、暴力と個性で悪事を働こうとした犯人の男と一緒になってしまう。それに自分を助けてくれた見知らぬ人が、己のせいで犯罪者になってしまうのを、黙って見ていられなかったのだ。
 震える声で必死に言葉を紡げば、フードの男は観念したかのように蒼い炎を腕から消し去った。その一瞬の隙を見計らって、犯人の男は足をもつれさせながらもゴミ捨て場から走り去っていく。
 背中にあの目立つ大火傷だ。この後警察に通報すれば、すぐにでも犯人の身元は割れるだろう。
 とにかく早く通報しようとポケットのスマホを取ろうとしたが、突然糸が切れたかのように足に力が入らなくなる。助かったという安堵感と、もしあのまま助けが来なかったらという恐怖感が一気に全身を駆け巡り、ボロボロと溢れてきた涙と共に私は地面にへたりこんだ。
 そんな中、ふいに布がすれる音がして、ふわりと背中に暖かいものが掛けられる。黒い生地のそれは男物のパーカーで、フードの部分をすっぽりと頭にかぶせられたため、視界が半分ほど遮られてしまう。
 多分、助けてくれた人物がはおっていたものだ。薄暗いゴミ捨て場の中で、フードの隙間からちらりと見えた男の手は火傷か何かでただれていて、赤茶色の痛々しい手がポンポンとフードの上から優しく私の頭を撫でた。


「もう、大丈夫だ」
「・・・っぁ、わっ私・・・ひっく」


 淡々とした声の中に感じる仄かな温もりに、堰き止めていた涙が崩壊する。子供のように鼻水を流して大声で泣く私に寄り添うようにして、恩人の男は背中をゆっくりとさすってくれた。
 見知らぬ男に襲われそうになって恐怖を味わったばかりなのに、見知らぬ男に慰められるなんて、なんとも無防備な姿だろう。けれど、何故だか不思議と目の前の男に対しては嫌悪感を抱くことは無かった。むしろ、どこか懐かしいような、安心するような空気を纏ったその人は、私が泣き止むまでずっと傍にいてくれたのだった。

 恐らく十分ほどは泣いていただろうか。ようやく落ち着きを取り戻した頃にはアドレナリンが切れたのか、頭の傷の影響でズキズキとしたするどい鈍痛が蘇ってくる。出血もあるため、自分の能力では治すことは難しい怪我だ。とにかく早く病院に行かなければ。けどその前に警察かと、痛みが走る中で何とか頭を働かせていれば、目の前の男が何かに反応したようにすくと立ち上がる。
 釣られるように初めてまともに男の姿を見上げれば、フードの隙間から垣間見えたのは、彼の右手に宿っていた炎のように蒼く澄んだ美しい瞳だった。


「・・・誰かが呼んだか」
「・・・え?」
「多分さっきのクソ野郎が自分で呼んだか、見かけた通行人かが通報したんだろ。サイレンの音がしてる」


 気怠そうに言う男の声に耳を澄ませれば、確かにパトカーと救急車のサイレン音が遠くから聞こえてきている。
 ほっと胸を撫で下ろす私とは裏腹に、男がそのまま颯爽とこの場から立ち去ろうとしたため、私は思わず声を裏返しながら必死に呼び止めた。



「待って!あのっお、お礼を・・・」
「・・・・・・」
「その、・・・命の恩人・・・っだから!」


 ごにょごにょと言い淀む私を見て、先程まで真顔だった男は、嬉々として目を輝かせ、恍惚に染まった表情を浮かべた。
 闇に紛れた黒髪の隙間に灯るターコイズブルー。扉の隙間から差し込む月明かりに照らされたツギハギだらけの肌とその妖艶な笑顔は、不気味さと美しさが絶妙なバランスで共存しており、ふいに自分の肌がぞわりと泡立つのを感じた。


「大丈夫」
「・・・え?」
「約束は忘れてないから」


 一体どういうことだと問いただそうとした時には、すでに男は背を向けて歩き出していた。
 どんどんと近づいてくる機械的なサイレン音。深みのあるウッディな香りが鼻をかすめる男のパーカーに身を包みながら、私はただ静かに息を飲んでその背中を見送るしかできなかった。



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