03



 事件の後、現場にパトカーと救急車が到着して、私は無事に病院に移送された。どうやら大火傷を負った犯人を見かけた通行人が、事件ではと思い警察に通報してくれたらしい。
 犯人は警察やヒーローたちが到着する前にどこかに姿をくらませてしまったようで、頭部の治療を終え、五日間の入院が決まった翌日、私は個室の病室で警察からの事情聴取を受けることとなった。


「それで犯人の男とは面識はなかったと?」
「はい。全く知らない人でした。でも『僕がいるのに他の男とデートして』とか何とか言ってたので、もしかしたら向こうは面識があるのかもしれません」
「なるほど・・・ストーカーの線も洗わないといけないか。では年齢、風貌、背格好など、予想でもいいので分かる範囲のことを教えてください」
「えーっと、年齢は三十代前半・・・かな。短髪の黒髪で、メガネをかけた細身のスーツ姿の男でした。地面に倒されてから見たので、身長はあんまり分からなくて・・・。紐のような個性を使っていました」
「分かりました。あと犯人は火傷のようなものを負っていたとの目撃情報があるのですが、それについては何か知っていますか?個性届を確認しましたが、貴方の個性で何か薬品でも精製したんですか?」


 刑事たちの鋭い視線が降り注ぐ中、私の脳裏に蒼い炎の残り火が揺らめいた。あの時助けてくれたあの人物は、結局名乗りもせず、何が目的だったかも語らず去っていってしまった。
 火傷の跡が残るツギハギだらけの手や、人を躊躇無く殺めようとした言動から、恐らく彼が陽の当たらない場所で生きている人間だということは明白だろう。平和を願う一人の人間としても、雄英高校の一教師としても、本来であれば洗いざらい男の情報を提供しなければいけないのは頭では分かっていた。けれど、心の奥底で燻る何かが邪魔をする。
 喉まで出かかった言葉を飲み込むと、私は静かに呼吸を整え、そして目の前の丸椅子に腰掛ける刑事の顔をしっかりと見据えた。


「たまたまあの場を通りかかった方が助けてくれたんです。多分二十代くらいの、茶髪の男性だったと思います。止めに入ってくれた時に、犯人の男が男性に襲いかかったので、その時に防衛するために液体のような個性を使っているのを見ました」


 何かを包み隠したい時は、真実の中にほんの少しの嘘を織り交ぜるといいと、どこかの誰かが言っているのを耳にしたことがある。私の声に耳を傾けながら、刑事はただ黙ってサラサラと手帳に何かを書き込んでいく。ペン先が紙をなぞる音だけが部屋の中に鳴り響き、息を飲むのも躊躇するほどの静けさだ。
 はやる鼓動の音が聞こえていないかとヒヤヒヤしながらも、ただ黙ってその挙動を見守っていれば、中年刑事は年季の入った手帳を静かに閉じた。


「聴取は以上になります。まだ万全でない中、お時間頂きありがとうございました。防犯カメラの映像解析などもして、犯人を必ず確保します。あとはその助けてくれた男性についても色々と、ね。姿を消して名乗り出ないということは、何か事情があるようなので」
「・・・はい。こちらこそ、ありがとうございます」
「もちろん家の周りや勤務先の雄英高校付近もしばらくは見回りを強化致しますので、退院後もご心配なく。根津校長にはすでにこちらから情報共有しております」


 「では」と軽く会釈をした刑事たちは、そのまま病室を後にしていく。息が詰まりそうだった空気がようやく緩み、私は大きく深呼吸をしながらピンと伸ばしていた背をベッドに預けた。
 雄英高校に勤めているとはいえ、私はただの一介の看護教諭でしかない。さらに雄英高校に在学時は普通科クラスだったため、これでも二十三年間ヴィランや事件とはあまり縁のない世界で生きてきたのだ。それが突然、こんなことに巻き込まれるだなんて、現実のことのように思えない不思議な感覚に包まれていた。


「約束って・・・、何だったんだろう」


 ふと去り際に男が口走った言葉を思い出す。私と彼は、どこかで会ったことがあるのだろうか。熱を帯びた揺らめくターコイズの瞳を記憶の中のものと照らし合わせていれば、ふいにコンコンと扉がノックされ、それらはすぐ隅へと追いやられた。
 慌てて返事をすれば「相澤だ」と先輩兼同僚の声がして、私は再び背筋を真っ直ぐに正す。「どうぞ」と入室を即せば、緊張するこちらとは対極的な猫背の全身真っ黒な男が顔を覗かせた。


「起きてて大丈夫なのか、お前」
「はい、数針縫っただけなので大丈夫です。CTも取ったけど特に問題はなかったんですが、しばらくは様子見みたいで・・・。お騒がせしてしまってすみません」
「まぁそれならいいけど。リカバリーガールが心底心配してたぞ。あとで直接電話でもしてやれ」


 「皆からの見舞い品だ」と有名菓子店の紙袋を掲げた相澤先生は、そう言ってそのままベッドサイドに立つ。先程まで刑事が使っていた丸椅子に座るように勧めてみたが、俺はすぐに帰るからと首を横に振った。


「だいたいの経緯は警察や校長経由で聞いてる。警察の事情聴取は終わったのか?」
「はい。しばらくは学校や自宅付近を巡回してくれるらしいです」
「そうか。早く捕まって、一日でも早く安心できたらいいな」
「・・・はい。あの、お休みをいただくうえに、しばらくは学校にもご迷惑かけると思いますがと校長や皆さんによろしくお伝えください」
「あぁ、言っとく。まぁとりあえず今は寝て食って早く元気になれ。そうじゃないと、俺にも迷惑がかかる」


 えらく含みのある言い方だ。彼とは同じ教師といえど、そこまで仕事で関わることは多くない。強いていえば、彼のクラスの生徒が怪我をした際、応急処置要員が足りなくなって困るという意味でだろうか。けれどそこは変わらず雄英の要ともいえるリカバリーガールがいるため、特に支障はないはずだ。
 言葉の意味を理解出来ずに首を捻る私とは裏腹に、相澤先生はチラリと背後にある扉の方へと視線を移した。


「おい、入ってこい」


 病室の外に投げられた声から一拍置いて、ガラガラと扉が引かれ、白と赤のコントラストが姿を現す。部屋に入ってきた人物は、怒ったような悲しんだような、色んな感情が渦巻いた表情をした制服姿の焦凍であった。


「朝からお前が出勤してないうえに、連絡入れても返ってこないと隙あらば詰め寄られてな。しつこいんで、悪いが概要だけ説明して連れてきた。お前らが昔馴染みってのは聞いてたんでな」


 少し気まずそうな顔をする相澤先生から察するに、焦凍にしつこいくらい詰められ、病院にも連れていくように迫られたのだろう。
 そういえば、傷の処置や学校や親への報告、入院手続きなどの処理に終われ、スマホの充電が切れていたことに気がついたのは昼過ぎだった。充電をして電源をつけた瞬間、焦凍のアイコンとともに『不在着信 五件』『新着メッセージ 八件』と通知バーが表示されたことを思い出す。返そう返そうと思っていた矢先に再検査や事情聴取が始まってしまったため、後回しにしてしまっていたのだった。


「じゃあ俺は帰るから」
「えっ・・・!? 」
「轟も遅くならないように帰れよ」
「・・・はい。ありがとうございます」


 「じゃあな」と片手を上げて、彼は役目を果たしたといわんばかりに颯爽と去っていってしまった。残されたのは当然間抜けな声を上げた私と、じっと床を見つめたまま動かない焦凍の二人だけ。
 幾ばくかの沈黙が続いたあと、ふいに焦凍が面を上げる。目元にじわりと涙を滲ませた彼は弾かれるようにこちらに歩いてくると、ベッドに腰かける私をそのまま強く抱き締めた。


「焦凍・・・?」
「・・・っ、本当に心配した」
「・・・・・・」
「守れなくて、っ・・・ごめんな」
「・・・何言ってんの。焦凍のせいじゃないよ」


 まるで幼子のように縋り付いてくる焦凍を宥めるように、私は彼の背中に手を回す。最後にこうやって焦凍を抱き締めたのはいつだったろうか。あの頃は自分の腕の中にすっぽり収まっていた小さな身体が、気がつけばあっさりと逆転してしまっていて、全てを包み込むことができなくなっていた。
 物寂しいのか、何なのか。ふいに襲ってきた胸の軋みを飲み込むように、私はその大きな背中を優しくさすった。


「心配かけてごめんね。私は大丈夫だから」
「・・・っ」
「ありがとう。焦凍は優しいね」


 そんな言葉と同時、ぎゅっと焦凍の腕に力がこもって、さらに強く抱きしめられた。
 眩しいくらいに純粋な彼のことを愛おしく思うと同時に、先程垣間見えたアイスブルーからこぼれ落ちる涙が、ふと記憶の中のものと重なった。
 小さい頃、「俺を見て」とよく泣いていた大切な幼なじみ。焦凍が大きくなるにつれて、彼らがやはり兄弟なのだということをつくづく実感させられる。温かな焦凍の腕に抱きしめられながら、未だに心の奥底に巣食う炎を見えないふりをして、私はただ黙って瞼を閉じた。
 目元を赤くした焦凍がようやく離れていったのは、窓辺からはオレンジ色の光が差し込み、ちょうど午後五時を報せるメロディーがスピーカーから流れ始めた頃だった。


「落ち着いた?」
「あぁ。・・・ごめん、まだ手術したばっかなのに」
「全然!手術っていってもちょっと縫っただけだもん。来週には復帰予定だし」


 努めて明るく言ってはみたものの、まだ彼の顔は晴れやかにならない。こればっかりはしょうがないと、私は腕を目一杯伸ばして焦凍の両頬をぎゅっと挟みあげた。


「よしっ。心配かけちゃったお詫びに、焦凍のお願いを何でもひとつ聞いてあげる。なんか欲しいものとか、して欲しいこととかある?」
「・・・何でも」


 途端にパァっと目を輝かせると、熟考するように焦凍はしばらく押し黙る。そして数十秒後、そのまま真っ直ぐに私の方を見据えた。


「夏休み、名前ちゃんと二人で祭りに行きたい」
「お祭り・・・?」
陽炎かげろう神社のやつ。小さい頃は毎年一緒に行ってただろ。こないだ駅前でポスター見かけた」


 彼の言うとおり、焦凍と私の実家近くにある神社では、毎年八月頭に小規模ながらもお祭りが催されている。そんなものでいいのかと思いつつも、教師と生徒いう立場上、二人で夜に出歩くのは良くないのではという葛藤も生まれる。
 けれど期待に溢れた焦凍の顔を見れば、無理だと無下に断るのは心苦しかった。地元の小さなお祭りのため、恐らく雄英生徒と遭遇する可能性は極めて低いだろう。


「うん、いいよ。行こう、お祭り」
「・・・ほんとか?」
「もちろん。でも夜遅くなる前には帰るからね」
「ああ、分かった・・・楽しみにしてる」


 燃ゆる炎のように茜色に染まる空の下、ようやく笑った焦凍の笑顔は、私の心を柔らかく包み込んだ。



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