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 あれよあれよという間に迎えたヒーロー仮免取得試験。一次選考である勝ち抜け演習では、名前は早々に課題をクリアし、選考を通過することが出来た。
 一番の武器である歌の個性で敵を幻惑し、その隙をついてターゲットをボールで狙うという必勝法はもちろんのこと、歌が効かぬ相手には新たに手に入れた泡での攻撃技"バブルブラスト"を使用することで、他校からの猛攻を切り抜けたのだった。
 続いての二次選考も、得意分野の海難ゾーンでの救助活動によって高得点を維持することができ、名前は無事に仮免試験合格を勝ち取った。
 しかしながら、88点という高得点をマークしたものの、欠点がなかったわけではない。歌の個性は広範囲に影響がでるため、仲間を巻き込んでしまう可能性が大きく、そのため一次試験は単独行動を余儀なくされてしまい、クラスメイトの援助をすることもサポートを受けることもできなかったのだ。ヒーロー活動は、他者との連携も肝となる。今後その点は対策を練っていかなければならないだろう。
 フィードバックを受けた内容をきちんと受け止めながらも、名前はもらったばかりのヒーロー活動許可仮免許証を誇らしげに眺め、大切にポケットにしまった。


「いやぁ、にしてもまさか爆豪と轟が落ちるだなんてなァ」


 仮免試験後、寮に戻り食事と風呂を済ませた一年A組の面々が談話スペースで思い思いにくつろいでいれば、話題は当然今日の仮免試験の話になる。残念なことに、クラスから不合格者が二名出てしまったのだ。
 その一人である爆豪は、その傍若無人な言動から、HCUの怒涛の減点ラッシュで失格。もう一人の轟も試験に集中せず、身勝手な行動が目立ったことから失格となってしまっていた。
 むろん、再試験が設けられているため、彼らはすぐにでも追いついてくるだろう。しかしながら、クラスのツートップが共に仮免試験不合格となった出来事は、一年A組に激震を走らせていた。


「爆豪のかっちゃんは、正直救助者への暴言さえなければ普通にいけたンよな。ほんともったいなかったわ」
「轟は喧嘩売られて買っちゃった感じだもんね。ほんとあの士傑の奴と試験で鉢合わせてなければな〜!」
「そういや、当の本人たちは?」
「轟は一人で反省会するからってすぐに部屋に戻ってったよ」
「爆豪は風呂上がってもう来ると思うけど」


 わいわいと盛り上がるクラスメイトたちを横目に、名前は一人キッチンで湯を沸かしていた。シューっと注ぎ口から白い湯気を出し始めた黒色の電気ケトルを眺めながら、名前は轟と爆豪の姿を思い出す。
 轟は試験が終わった後、しばらくは暗い表情をしていたが、すぐに切り替えて前向きに今回のことを捉えていたように思う。名前が励ましの声をかければ、彼は「すぐに追いつく」と己に言い聞かせるようにしっかりとした口調で答えてくれた。
 問題は爆豪の方だ。今回名前が仮免試験に合格できたのは、必殺技の訓練を手伝ってくれた爆豪の助力が大きい。当然お礼を言おうと思ったが、爆豪がまとっている雰囲気がいつもと少し違っているような気がして、声が上手くかけれなかったのだ。
 試験に落ちたショックというよりは、少し別のもの。何か複雑な感情を抱いているような、苦しんでいるような、そんな彼の表情が名前は気がかりであった。
 どう声をかけるのが正解だったのだろう。個包装されたハーブティーのティーパックを手の中で弄びながら思い悩んでいれば、手が滑ってそれを床に落としてしまう。拾い上げようとしゃがめば、ふいにカウンターの向こう側から大きな足音が聞こえてきて、誰かが横切る気配と共に爆豪の声が聞こえてきた。


「後で表出ろ。てめェの個性の話しだ」


 いつもの大声で怒鳴りつけるものではなく、嵐の前の静けさを匂わせる淡々とした声色。そろりと顔を上げれば、カウンター越しに見えたのは緑谷の横を通り過ぎていく爆豪の姿であった。固まったままの緑谷にそれ以上かまうことなく、彼は談話スペースに寄らずに自室へと戻っていってしまう。
 一体二人に何があったのか。幼い頃からの付き合いだという緑谷と爆豪の間には、第三者が安易に入り込めない何やら因縁めいたものがあることは、傍から見ていても明らかだった。
 カチッと電気ケトルの湯が沸かし終わった音を聞いた名前は、ちらりと時計を見上げる。現在夜の九時半。そろそろ就寝の準備をしなければいけない時間帯だ。
 そんなことを思いつつ、名前は拾い上げた個包装のティーパックをポケットにしまうと、代わりに共有棚から粉末のコーヒーが入った瓶を取り出した。


「あれ、名前ちゃん今から珈琲飲むん?こんな時間にカフェイン摂取して大丈夫?」


 お茶を飲み終えたのか、マグカップを洗おうとキッチンにやってきたお茶子が声をかけてくる。
 二人の話し合いが何時に終わるのかなど分からない。うざいとかお節介だとか、怒鳴られてしまうかもしれない。けれど、このまま知らんぷりをして眠ることなどできなかった。


「うん、大丈夫。寝る前にちょっと今日の振り返りをしようと思って。だから、眠気覚まし」

 
 ゆっくりと湯に溶けていく茶色を眺めながら、名前は小さく呟いた。


***


 針が全て真上を向いた深夜0時。皆が寝静まった頃、名前は自室の窓から星空を眺めながらただ夜の静けさに浸っていた。
 普段であれば眠気に襲われてすでに寝息をたてている頃合なのだが、今日に限っては少しも眠くならない。仮免試験という刺激的な一日が感情を高ぶらせているのか、はたまた部屋に戻る前に飲んだ珈琲のおかげなのか。そんなことを朧気に考えていれば、ふいに勉強机の上で充電していたスマホがブーブーッと音をたてて振動した。
 慌てて画面を覗き込めば、一件の新着メッセージ。二時間前に名前が送っていたスタンプの下には、『起きてるか』と絵文字も何も無いぶっきらぼうな文字が踊っていた。
 『うん、起きてる』と即座に返事をすれば、『談話スペース』と単語だけが返ってくる。そのまま静かに部屋を出ると、名前は足音をたてないよう忍足で階段を降りていった。
 いつもは煌々と電気が灯り、クラスメイトたちが話を咲かせる賑やかな一階だが、今は見る影もなくしんっと静まり返っている。きょろきょろと周りを見回せば、ソファーのところにクリーム色の頭が見えたため、名前はそちらへゆっくりと歩を進めた。


「爆豪く・・・って、どうしたのその傷・・・!!」


 先程のメッセージの送り主・爆豪の姿を正面から捉えた名前は、思わず小さく悲鳴を上げる。ソファーに腰を下ろした爆豪の顔は生傷だらけで、大きな絆創膏がいくつも貼られており、腕には包帯が巻かれていた。寮を出て行く前は何ともなかったのに、この数時間で一体何があったんだろうか。
 おろおろと狼狽する名前に、爆豪はバツの悪そうな顔をしてみせた。


「デクの野郎とちょっとな」
「・・・喧嘩したの?」
「・・・真っ当な話し合いだ」


 拳を交えて話しをするだなんて、まるでコミックの中のお話である。そして爆豪だけならまだしも、穏便で気弱な緑谷がそれに乗ったというのだから驚きだ。
 ただ寮を出る前とは違って、爆豪の表情は強ばりが解けた少しすっきりしたようなものになっている。いい方向に話が出来たのだろうかと朧気に考えていれば、爆豪が「それより」と不機嫌な声色を滲ませた。


「なんだよあのスタンプ」
「え?」
「最初にお前が送ってきてた、人相の悪いペンギンみたいなやつ」


 ずいっと差し出されたスマホの画面には、爆豪と名前のメッセージのやりとりが表示されている。その一番上には、22時という送信時刻とともに目つきの鋭いオレンジ色のペンギンのキャラクターが、真顔でただじっと正面を向いているだけのスタンプが貼り付いていた。スタンプのペンギンと爆豪が同時に見えるこの状況に、名前は思わず緩みそうになった唇を慌ててきゅっと結ぶ。
 以前、芦戸と葉隠が爆豪に似ているキャラクターがいると面白がって話してきたことがあり、それからというもの、このキャラクターが名前は爆豪に見えてしょうがなくなってしまったのだ。そのため、無意識に彼に送るスタンプに選んでしまっていたらしい。


「・・・えっと、"とげトゲぺん丸""って知らない?サムリムに昔からいる有名なキャラなんだけど。怖可愛いって結構人気なんだよ」
「知るかボケ!女の兄弟がいるならまだしも・・・。つーか、こんな人相の悪いキャラの何がいいんだよ」


 爆豪くんに似てるよだなんて言ったら、きっと大目玉だろう。誤魔化すように苦笑いしながら、名前は彼が緑谷に声をかけた場面を目撃した後のことをぼんやりと思い返す。
 爆豪が緑谷を呼び出したことを知って一人部屋に戻った後、名前は爆豪にスマホでメッセージを送っていた。『良かったら話を聞くよ』やら『大丈夫?』などという言葉は、きっと彼の自尊心やプライドを傷つけてしまう。
 そのため、爆豪がどうとでも反応しやすいようにと、勇気を振り絞ってペンギンのスタンプをたった一つだけ送ったのだ。


「突然送っちゃってごめんね。その・・・緑谷くんに爆豪くんが『話がある』って声を掛けてるのを偶然聞いちゃって・・・」
「・・・・・・」
「その時の爆豪くんの雰囲気がいつもと違ったから、ちょっと心配になって・・・。だから、話を聞くことくらいしかできないかもだけど・・・今まで何度も爆豪くんに助けてもらったから、私にも何かできることがあればなと思って、あのスタンプを送ったの」


 今まで個人的にメッセージのやりとりなどしたことがなかったため、名前からの突然の連絡に爆豪はさぞかし驚いたことだろう。意図が伝わっていたか分からないため、しどろもどろに名前は事の経緯を説明する。その間、爆豪はただ黙って聞いていたが、話が終わると同時、ハァーと深いため息をついた。
 反応を見せてくれたと少し舞い上がっていたが、やはりお節介だったのかもしれない。名前が気まずそうに縮こまっていれば、ちらりとこちらに視線を寄越した彼は、自分の座るソファーの真横の空いたスペースをバンバンと叩いた。


「座れ」
「・・・え?」
「いいから、隣」


 圧のかかった声色とじっとこちらを見つめるルビーレッドに、名前は百面相をしながらも「お邪魔します」と彼の隣に腰を下ろした。
 触れそうで触れなさそうな、そんな絶妙な距離感。少し緊張した面持ちでソファーの上で背筋を伸ばしていれば、ふいに爆豪の身体が傾き、ぽすんと名前の左肩に彼の頭が寄りかかった。


「・・・わっ、あの・・・爆豪くん・・・?」
「黙って肩貸せ。神野の時、泣いてるお前に胸貸してやったし、こないだの訓練も付き合ってやっただろうが」


 突然肩に頭を預けてきた爆豪の行動に、心臓が一気に跳ね上がる。そんな胸の高鳴りを必死に飲み込む名前とは裏腹に、表情は見えないものの淡々とした声で爆豪は反論してきた。
 確かに彼には色々と借りがある。こうなれば流れに身を任そうと、名前は汗ばむ手をぎゅっと握りながらもただ真っ直ぐ前を向いた。
 カチカチと、時計の秒針だけが規則正しく音を刻む静かな部屋。大きな窓から月明かりが差し込む空間は深い青色をしていて、まるで海の底にいるような気分になる。現実から切り離されたような二人きりの時間は、緊張はすれど、不思議と何故だか心地良いものだった。
 それからどれだけ沈黙の時間が経ったかは分からない。ふいに横からはっと小さく息を吸う音が聞こえたと同時、ようやく爆豪が唇を開いた。


「・・・お前、歌のコンクールとかで賞を取るくらいの実力者なんだろ?」
「え?」
「入学してすぐの頃に、アホ面たちが騒いでたのを聞いた。中三の時にコンクールとかで賞を総ナメしてたらしいって」


 アホ面とは恐らく上鳴たちのことだろうか。突然の話題に戸惑いながらも名前が遠慮がちに首を縦に振れば、爆豪は静かに話を続けていく。


「・・・そんなお前でも、誰かに歌で負けたりした経験はあンのか?」


 今の彼の声には怒りや悔しさの色は滲んでおらず、凪いだ海のような落ち着いた雰囲気を纏っている。焦燥感が取り払われた爆豪のいつもより少し弱々しい声に、名前は一呼吸置いたあと、「もちろん」と小さく頷いた。


「私ね、小学二年生から本格的にレッスンを始めたんだけど、その時は勢いもあったのか結構ポンポン上手くいって、一年足らずですぐに賞をもらえたの。そこから小学生の時はずっと無双状態で、少しだけ天狗になっちゃってた時期もあったんだ」
「・・・・・・」
「でもね、中学の部に入ったらすぐに頭を打ったの。自分よりすごい人が山ほどいて・・・賞なんて全然取れなくなっちゃった。そこからなかなか上手くいかないことも増えて、悔しい日々を送ってたんだ」


 この話を誰かにするのは、親以外は初めてかもしれない。誰だって他人に自分の弱い部分を見せるのは抵抗がある。けれど、爆豪にならば少しヒリつきの残る傷跡を見せてもいいと、名前はそのまま語り続けた。


「そんな時に今の歌の先生に出会って、言われたの。腐らずに今のありのままの自分と向き合いなさいって。何かが劣っているとか、誰かより弱いってことはマイナスじゃない。さらに伸びゆくチャンスを手にしたのだから、無駄にしちゃいけないって」


 そう叱咤激励されたのは、確か中学一年生の冬の頃。ずっと勝利しか知らなかったことで、誰かに負けることに恐怖を抱いていたはずなのに、恩師の言葉が名前の中のしがらみを解いてくれたのだ。
 負けは終わりじゃない。新たな始まりだということを知った。自分の弱さを受け入れて、再びスタートを切り、更なる努力したことで中学三年生の時に再び頂点に返り咲くことができたのだ。
 歌の世界からヒーローを目指す世界へ。立つフィールドが変わったとしても、この経験は糧となり、深く名前の胸に刻まれている。


「負ける悔しさや辛さを知ったから、さらに上を目指せたし、今の私がいる。自分の弱さを知ってる人間は、勝ちだけしか知らない人間よりもっと強くなれると思うの。だからね・・・絶対、大丈夫だよ」


 詳細は分からないが、恐らく仮免試験不合格はもちろんのこと、緑谷との一件で何か心動かされるものがあったのだろう。いつも勝気な言動の多い彼の少し小さくなった背中を元気付けることができればと、名前は自分の経験を言葉にして一生懸命に紡いだ。
 話し終えて少し間が空いた後、ふいに隣の爆豪の頭がゆらりと動き、名前の肩に乗っていた重みが消える。離れゆく熱を目で追いかければ、そのまますくりと立ち上がった爆豪は、大きな口を開けて欠伸を零した。


「てめェの長ぇ話聞いてたら眠くなってきたわ。寝る」
「えっ!ご、ごめんね・・・!?」


 長い針はいつの間にか真下を通り過ぎている。ひとりで好き勝手に話しすぎてしまったと名前が慌てて詫びを入れれば、爆豪はそのまま振り返ることなく前を向いて歩き出す。
 けれども最後、談話スペースの入り口辺りで背を向けたまま、彼はぴたりと足を止めた。


「真珠」
「・・・っ」
「・・・ありがとな」


 夜の闇に、柔らかな声が溶け入る。たった一言そう告げると、爆豪は部屋へと続く階段を静かに登っていった。
 初めてまともに呼ばれた名前。少しでも励ますことができたのだと、湧き上がってきたなんとも言えない感情を噛み締めながら、名前は思わず両手で顔を覆う。
 垣間見えた彼の新たな一面に、また一歩距離が縮まったような気がして──。濃くて長い今日という一日の出来事は、きっといつか名前の中で大切な思い出となる予感がした。



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