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夏が過ぎ去り、涼しい風が肌を撫でる十月。死穢八斎會の事件後、インターンに赴いていたクラスメイトたちも学園に戻り、平穏な日常が戻り始めた頃、担任の相澤から文化祭についての話が持ち出された。
どうやら一クラスにつき一つ出し物をしなくてはいけないらしい。メイド喫茶やふれあい動物園などさまざまな提案が出されたものの、決められた時間内で決定することができなかったため、放課後の寮の談話スペースでは話し合いの続きが行われていた。
そんな中、ふいに芦戸のダンスの提案に轟が賛同し、一気に場の雰囲気が変わり出す。あっという間に話が進み、A組の出し物は楽器の生演奏とダンスを融合させたパリピ空間の提供ということに無事決定したのだった。
当然その後は役割分担の話し合いが行われる。ドラムに爆豪が収まり、キーボードに八百万、そしてベースに耳郎がすんなりと決まった後、次はギターとボーカルをどうするかという話になった。
「ボーカルといえば、やっぱ真珠だよな!!」
瀬呂からの提案に、一年A組の生徒たち全員が大きく頷く。けれど当の本人の名前だけは、少し気まずそうに頭を斜めに傾けた。
「ごめんなさい。私、歌えないんだ」
「えぇ!?なんで!?」
「夕方から後夜祭もあるでしょ?そこのステージで歌を披露することになってるの。二学期が始まる前に運営元の経営科の人たちから依頼されてたんだけど、特別感を出したいから、もしクラスの出し物と被っても歌わないでくれって言われちゃってて・・・」
「まさかのー!!経営科のヤツら根回し早すぎるー!!」
あれは寮生活が始まってすぐの頃だったろうか。文化祭の全体運営を担当しているという三人組の経営科の三年生が名前の元に現れ、ぜひ後夜祭のステージで歌を披露して欲しいと頭を下げられたのだ。ピアノの生演奏とともに歌うらしく、演奏者との打ち合わせや練習もそろそろ始まる頃合いであった。
頼みの綱であった名前に断られ、クラスメイトたちはがっくりと肩を落とす。しかしながらそんな彼らに対して、名前は心配ご無用といわんばかりに晴れやかな表情を浮かべながら「あのっ」と声を張り上げた。
「私ね、ボーカルは響香ちゃんがいいと思うの」
「えっ!?ちょっ、ちょっと待ってよ。ウチ、真珠の代わりなんてとてもじゃないけどできないし・・・!」
「代わりじゃないよ。低音で厚みのある響香ちゃんの歌声なら、絶対楽器演奏に合うし音にも負けないと思う。前に部屋で弾き語りを聞かせてもらった時から、バンドのボーカルとかもできそうな素敵な声だなってずっと思ってたんだ」
「確かに!すっごくかっこよかったよね!!私も耳郎ちゃんがいいと思う!!」
名前からの提案に、名を挙げられた耳郎は慌てて首を横に振る。けれどもすぐに賛同してきた葉隠がマイクを向けてきたことから、そのまま勢いで耳郎は一年A組の生徒たちの前で歌を披露することとなった。
彼女の色気のあるハスキーボイスはすぐさまクラスメイトたちを虜にし、満場一致でボーカルが決定する。その後も上鳴と常闇がギターに決まり、演出隊やダンス隊なども班分けが済んだため、深夜一時にようやく長い長い話し合いは閉幕したのだった。
***
「へぇ〜。それでクラスの出し物では名前は演出隊に加わったんだ。何すんの?」
「泡担当です。他にも氷とか、光とか、みんなの個性を使った色んな演出を考えてて・・・」
「さすが雄英だね。個性も千差万別、そりゃ楽しそうだわ」
文化祭の準備期間が始まった週の土曜日。声楽のレッスンに来ていた名前は、レッスン終わりに恩師である
中一の時から指導してもらっている歌良とはもうかれこれ三年の付き合いになる。中学の頃はそれこそ週に三回ほどレッスンに通っていたため、彼女とはどんなことでも話せる気兼ねない関係性になっていた。
「そんで、後夜祭で歌う曲はもう決めたの?」
「えっと、一つは決めたんですけど、もう一曲はまだ悩み中で・・・」
「あらま。そろそろ伴奏者にも楽譜渡さなきゃいけないでしょ?間に合うの?」
「・・・実は、週明けの月曜日には渡さないといけないんです。それで余計焦ってて・・・」
渋い顔をしながら、名前はレッスンバッグに入れていたファイルから楽譜を数枚取り出した。
ステージでは十分の持ち時間があり、二曲歌う予定となっている。あまりにも声楽に特化した歌だけしてしまうと中弛みする可能性があるため、一つは今年の春先に流行った明るい曲調の青春ソングをジャズ曲にアレンジしたものに決めてあった。
問題はもう一曲の方である。
後夜祭の雰囲気に合うようバラード系にしようと思うものの、耳馴染みのある有名な曲にするか、はたまた己の好みのものにするかと悩んでいるところなのだ。
名前から候補の曲の楽譜を受け取った歌良は、パラパラと紙をめぐりながらタイトルに目を通していく。
「先生はどれがいいと思いますか?」
「うーん・・・この中だと"花に翼"か"シェイプオブユー"かなぁ。でもせっかくなら後夜祭の雰囲気にも合いそうだし、あの曲にしたらどう?」
「あの曲って・・・?」
「"真珠の唄"。貴方が一番、大切に歌ってきてる曲」
歌良からの提案に、名前はハッと小さく息を飲んだ。
タイトルに自分と同じ名前が使われており、中学の時に挫折を味わった時に初めて出会った曲。人魚が若者を思って歌う愛の歌で、夕暮れの波間を思わせる穏やかで美しいメロディーラインが特徴的なものだ。それはいつか晴れ舞台で披露することを目標にと歌ってきた、名前にとってかけがえのない一曲である。
「先週のレッスンの時に"真珠の唄"を久しぶりに聞かせてもらったけど、いい感情の乗せ方ができるようになってきてたから、そろそろ人前で歌ってもいいと思うんだ」
「ほんとですか!?」
「もちろん。名前も高校生になって、ついに恋をし始めて、感情が上手く声にのってきたんだなぁって関心してたとこなのよ」
「え?恋・・・ですか?」
「えぇ!?待って、自覚なしだった!?」
きょとんと目を丸める名前に、歌良は嘘だろうと言わんばかりに小さな悲鳴を上げた。
「歌に感情がこもってたから、ついに好きな人でもできたとかと思ってたんだけど・・・もしや私の勘違い?」
続けて告げられた"好きな人"という単語が耳に飛び込んできたと同時、名前の脳裏に爆豪の顔が過ぎる。まさか彼の顔が真っ先に出てくるだなんてと、思わず名前は動揺を隠すように口元を指先で覆った。
確かに今、異性の中で一番仲がいいといえるのは件の爆豪勝己である。仮免試験の夜の出来事をきっかけにぐっと距離が近づき、彼と話すことや時たま行動を共にすることが増えたことで、最近ではクラスメイトたちが爆豪のことを『人魚姫の番犬』とからかうようになっていた。
初めは畏怖の対象だった爆豪が、気がつけば特別な存在へと変化していたことには当然名前も気づいている。けれど彼への感情の矢印が恋愛感情だとははっきりと確証が持てるものがなくて、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えたままでいたのだ。
「その・・・なんというか・・・好きな人かどうか、分かんない感じの人はいて・・・」
気持ちの整理がつかないまま、しどろもどろに話し始めた名前の言葉に、歌良は楽しそうに目を輝かせる。
「それは学校の子?」
「えっと・・・クラスメイトです。でも恋愛として好きなのか、友達として好きなのかが分からなくて・・・」
「なるほど。男友達として好きなのか、彼氏にしたいと思うのかって悩む感じの、十代の頃にまぁよくあるやつね」
うんうんと頷く歌良は二十代後半である。今は二年前から付き合っている年上の彼氏と同棲しており、そろそろ籍を入れるつもりだと以前話していたはずだ。
きっと酸いも甘いも、色々な恋愛経験をしてきているのであろう。
「あの・・・先生はそういう時どうやってその感情が恋愛か友情か判断するんですか?」
「うーん・・・そうだねぇ。やっぱさ、その人が自分以外の女の子と付き合ってる姿を想像した時に、嫌だなぁって気持ちが芽生えるなら恋愛対象だと思うかな。何も思ってない奴なら『彼女できておめでとう〜!幸せになれよ〜!』くらいにしか感じないから」
歌良からの助言に、名前は爆豪の隣に女の子が並んで立っている姿をぼんやりと想像してみた。
可愛くてスタイル抜群、そして性格も良い、まるでテレビの中のアイドルみたいな女の子と手を繋いだ爆豪が、以前見せたような柔らかな笑みを浮かべている姿。空想しただけでずきりと胸が痛み、他の人に取られたくないと焦燥感に駆られてしまう。
次に同じようなシチュエーションで轟と女の子が並び立つ姿を想像してみたが、歌良の言うように『お似合いだな』やら『幸せになって欲しい』というような感情しか湧き出てこなかった。
無自覚ながらも、もうとっくに己の中で答えは決まっていたようだ。
「いやぁ〜青春ってやっぱいいねぇ!私も高校生に戻りたいな〜!!」
ほんのりと頬を染めた名前の表情に、歌良は感嘆の声をもらす。語らずとも、彼女には全てお見通しなのだろう。曖昧に笑う名前を見て、歌良もまた子供のように楽しげな笑みを浮かべた。
「名前が一番大切にしてきた歌を、大切な人に聞いてもらえるなんて最高じゃん。いいステージになるように祈ってるよ」
恩師からの暖かな激励に、名前はようやく向き合った恋心を噛み締めながら、しっかりと頷いた。