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『おい、もうちょいそっち寄れ』


 談話スペースでソファーに座っていれば、必ずといっていいほど隣に座りにくる。


『っぶねぇーな!ちゃんと前見ろ馬鹿』


 訓練中はもちろん、プライベートでも危ない場面に遭遇しそうになれば、さっとサポートに入ってくれる。


『こいつになんか用か?』


 クラス以外の男子に声をかけられていれば、問答無用とばかりに間に入り込んで牽制し出す。
 その他も色々。恐らく互いの気持ちに気づいたあの事件の日から、爆豪は人目など気にしていない様子で、遠慮なしに名前に構うようになっていた。
 今もまさにその状況で、ちょうどお昼時にお茶子と梅雨と食堂に行き、各々が別れて目当てのメニューの列に並んでいる時、名前はふいにヒーロー科だという二年生の男子生徒二人に声をかけられたのだ。『後夜祭のステージでファンになって』『良かったら今度一緒に訓練しない?』という熱心なお誘いに、どうすればいいか困惑していれば、突然目の前に大きな背中が映りこんだ。


「訓練なんて、テメェらの手借りなくてもこちとら事足りてんだよ。さっさと散りやがれ」
「は・・・?ンだよ、お前」
「おい、待てって!こいつ爆豪じゃん・・・!!」
「うわっ!まじかよ、くそ・・・っ」


 顔はもちろんのこと、どうやら彼の悪名も実力もすっかり二年生にまで浸透しているらしい。手のひらを返すように、すたこらさっさっと逃げ出していく先輩たちの姿を見送れば、こちらに振り返った爆豪の手が伸びてきて、ピンッとおでこを軽く弾かれた。


「警戒心なく人の良さそうな顔してっから漬け込まれンだよ。気ぃつけろ」


 悪態をつきながらも、降りてきた手は名前の持っているオムライスののったトレイをさらって歩き出す。慌てて後ろについて行けば、爆豪はすでに席についていたお茶子のいるテーブルにトレイを置くと、そのまま何も言わずに自分の席に戻って行ったのだった。


「愛されとるねぇ」


 喧騒に紛れてぼそりと呟かれたお茶子の声に、名前はぽぽっと頬を赤く染める。彼女が恋愛感情に聡い方だとは言え、ここ最近の二人の距離感はあからさまなものがあるのだろう。
 明らかに爆豪の言動は他の者に見せるものとは違う色滲ませていたし、名前も甘えるようにそれを受け入れてしまっていた自覚があった。


「色々とやりにくいよね・・・。ごめんね」
「えぇ!?なんでそこでネガティブ思考になるん!?全然そんなことないし、むしろあの爆豪くんがどんどん丸くなってきとるって、クラスのみんなで名前ちゃんに感謝しとるくらいやから!」
「・・・本当に?」 
「ほんとほんと!それにさ、好きって気持ちは誰かに言われてどうこうできるもんじゃないやん?だからこう、なんつーか、難しいんやけど・・・」


 フォローをしようと一生懸命に言葉を紡ぐ彼女の視線が宙を彷徨い、やがて一つの場所に留まる。名前も追って目線を動かせば、二十メートルほど先にクラスの男子たちが五人ほど集まって座っているテーブルがあった。爆豪はもちろんのこと、そこには緑谷の姿もある。
 以前更衣室で、お茶子のコスチュームの間から小さなオールマイト人形がこぼれ落ちたことがあった。それはクラスのクリスマス会の時に行ったプレゼント交換で緑谷が出していたもので、手に入れた彼女がそれを御守りとして身につけていた事実は、恋愛に疎い名前でもお茶子の淡い感情に気づくきっかけとなっていた。
 大切な者の顔をじっと見つめた後、お茶子はふっと小さく口元を緩ませ、再びこちらに視線を戻す。光を帯びた目元が、青空に浮かぶ薄い三日月のように涼やかな弧を描いていた。


「『しまっておく』のも『取り出す』のも、名前ちゃんが自由にしていいんよ。あの時ああすれば良かったって、後悔だけはせんようにしとこうってやつさ!」


 恐らく彼女は『しまっておく』選択をした。
一方で名前は『出したりしまったり』という少しばかりの駆け引きのようなことをしている。きっとそれは爆豪も同じなのだろう。
 見え隠れする感情のなかで、お互いに面と向かって気持ちを伝えないのは本気でヒーローを目指しているからで、今はまだ恋愛感情に振り回されているような場合ではないというのが根底にあるからだ。かといって、他人には取られたくないという独占欲がふとした瞬間に顔を覗かせもする。
 何ともやっかいなこの感情は、時には『力』にもなるし、『枷』にもなる。彼女の言うとおり、後悔がないようにその時その時で選択をしていくしかないのかもしれない。


「ありがとう、お茶子ちゃん」
「へへっ。どういたしまして」

 
 いつかそれぞれの想いが実りますようにと、ささやかな淡い願いを胸に、名前はお茶子と微笑みあう。
 そんな穏やかな日々が、この先もずっと続くと思っていた。けれどそれは、咲き誇った花の花弁が風によって一瞬にして吹き飛んでしまうかのように、無惨にも崩れ去る。
 ──時は過ぎ、春麗らかな三月下旬。この日、街からヒーローが消えた。



***



「何で俺が最前線なんスか!?うわあーんみんなが恋しい!!A組が恋しいよぉぉぉぉぉ!!」


 青々と茂る木々に囲まれた山中にこだまする上鳴の悲痛な叫び声。その声を聞きながら、数え切れないヒーローたちの背中を前に、名前は息を飲んで立ちすくんでいた。
 インターン先のギャングオルカから遠征があると連絡を受けたのがほんの数日前。他のクラスメイトたちも遠征が入ったと口を揃えて言っていたため、研修の一環か何かかなと呑気に考えていたものが、蓋を開けてみれば、ヒーローを総動員しての『超常解放戦線』の掃討作戦だったとは、一体誰が想像できただろうか。
 戦いを目の前にしてごくりと喉を上下させていれば、不安な色を気取られたのか、傍にいたミッドナイトがこちらに振り返る。


「真珠、大丈夫?何か不安なことがあるなら、今のうちに吐き出しときなさい」
「あの、私なんかが最前線で役に立つことができるのかなって不安で・・・」


 名前が配置されたのは、敵軍隊長の定例会議が行われているという群訝山荘に特攻をかける最前線の部隊であった。クラスメイトでは常闇や上鳴が同じく配置されているが、彼らは攻撃力の高さを買われたり、敵幹部との相性が良いなど明確な理由がある。それが無い自分がなぜこちらの部隊に選ばれたのかが、名前は理解が追いついていなかった。


「何言ってんの!真珠の歌は、広範囲に相手の動きを封じ込められる強力な武器だよ。先鋒に打ってつけじゃない。それに泡の攻撃技も身につけて、立派に使いこなせてる。あのギャングオルカや相澤先生が、あんたならできるって推薦したからここにいるんだよ。だから、自信を持ちなさい」


 厳しい指導をしつつも、いつも静かに見守ってくれている担任の相澤。そして毎度怒鳴られ、けちょんけちょんに絞り上げながらも、技の精度を高めてくれたギャングオルカ。その二人が認めてくれているという事実は、緊張で強ばった名前の体を少しずつ溶かしていく。
 そして何より、背中を撫でて落ち着かせてくれるミッドナイトの指先は、とても温かかった。


「あとは・・・そうだね。誰かを守るために戦うっていうのが難しいなら、今一番大切なものを心に据えて戦いな。そうすればきっと、恐怖に打ち勝つことができるから」


 ミッドナイトの言葉に、名前の脳裏に両親やクラスメイトたちの顔が次々に過ぎる。その中でも一際はっきりと思い描いたのは、爆豪の顔であった。
 彼は恐らく、こことは別の蛇腔病院の方に配置されているはずだ。前線なのか、後方支援なのかは分からない。けれどきっと爆豪は、全てを取っ払って、最善を尽くして動くはずだ。
 そんな彼と肩を並べて立てるように、大切な人たちを守れるように、自分も己の積み重ねてきたことや仲間を信じて挑みたい。俯いていた顔をあげた名前からは、恐怖の色は消えていた。


「ありがとうございます、先生。もう、大丈夫です」


 迷いのないはっきりとした口調の声で告げれば、ミッドナイドは最後に気合いを入れるかのようにして名前の背中をぱしんと叩いた。
 そしてついに、戦いの火蓋は切って落とされる。セメントスの先制攻撃によって突破口をこじ開けるや否や、ヒーローたちの襲来に気づいた敵たちが建物から溢れ出てきた。各々が役目を果たそうと持ち場に散っていく中、名前は打ち合わせ通りシンリンカムイの伸ばした腕にしがみつく。


「行くぞ、パルメイド!!」
「お願いします!!」


 振りかざされた枝がしなり、勢いよく名前の身体は宙に舞い上がった。
 大丈夫。以前も同じ状況で、障子の手を借りて上手く敵を足止めできたのを思い出せ。
 味方とは離れた敵のど真ん中に落ちていきながら、名前は大きく息を吸い込むと、ヴィランたちの頭上から歌声を反響させた。
 美しき人魚の歌声は、人々の心を奪い、幻惑させる。何十人もの人間の耳に歌が流れ込み、彼らは歩む足を止め、歌に聞き惚れるようにして朦朧とその場に立ちすくんだ。地面に着地し、体制を整えながら振り返れば、すぐさまシンリンカムイや他のヒーローたちがヴィランを次々に捕縛してくれている様子が目に移る。


「いーぞ、パルメイド!!引き続きお見舞いしてやれ!!」
「はい!!」


 怒号が飛び交う中、ギャングオルカの声に後押しされるようにして名前は戦場を駆け抜けた。襲い来るヴィランを泡の攻撃でいなしながら間に潜り込み、歌を響き渡らせる。そうして名前は見事最前線で戦い抜いたのだった。
 しばらくして敵の前線が陣形を崩していき、ヒーローたちの包囲網がどんどんと狭まっていく。その状況になるや否や、名前はファットガムによって回収され、常闇や上鳴たちとともに後方へと下がることとなった。
 広範囲攻撃を得意とするメンバーは、包囲網が狭くなるにつれて、どうしても味方の足を引っ張る形になってしまう。当然名前の歌声も同じくである。しかしながら初動がこれだけ成功したのだ。このまま何もかもが上手くいくはずだと、戦場を後にする名前の脳裏には明るい未来しか描かれていなかった。
 けれどほんの数時間後。それがどれだけ甘い考えだったかということを、名前は身をもって経験することとなる。
 ギカントマキアの蹂躙。死柄木弔による破壊。多くのヒーローたちが命を散らしても、全てを守りきることはできなかったのだ。その日、数え切れないものが両の手からこぼれ落ち、そして傷だらけの頬に大粒の雨が降った。


***


「名前ちゃん!起きたよ爆豪くん!!緑谷くんの病室の前で暴れ出したから、今梅雨ちゃんが捕獲して何とか連れ戻したとこ!!」

 
 掃討作戦から二日後。クラスメイトたちの見舞いのために、名前がセントラル病院に訪れている時であった。
 作戦で負傷し、入院している仲間たちの病室を周り、一息つこうかと自販機の前で財布を開いていれば、目の前に葉隠が飛び込んでくる。突然の朗報に、名前は弾かれるようにして廊下を駆け出した。
 群訝山荘を離脱したあと、クラスメイトたちとともにギガントマキアを止める際に負った両足の火傷がズキズキと痛むが、そんなものは屁でもない。ただ今は一秒でも早く、彼の顔が見たかった。
 開け放たれた病室に飛び込めば、捕獲された爆豪がベッドの上でいつものように怒号をあげている。気配を感じたのか、入口に向けられた彼のルビーレッドと名前の視線が交わった時、「良かった」と小さく言葉を漏らした名前の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
 その瞬間、風船が萎んだかのように爆豪はぴたりと大人しくなる。緩んだ梅雨の舌を剥がしながらも、彼は狼狽えたようにかさついた唇を動かした。


「・・・おい。なんで・・・お前が泣いてんだ」
「ッカー!!いくらなんでも今回ばかりは俺でも分かるわ!!リア充のバカヤロー!!」
「こら。峰田ちゃん、怪我人相手にダメよ」


 金切り声をあげて爆豪に飛びかかろうとした峰田を舌でぐるぐる巻きにして捕獲すると、梅雨は「私たちはしばらく席を外すわね」とすれ違いざまに名前の背中を優しく撫ぜ、そのまま砂藤と共に部屋を後にしていった。
 残ったのは当然爆豪と名前の二人だけ。慌てて普通の表情にしようとしても、簡単に上手くいくはずもない。名前はただ、止めどなくこぼれ落ちてきた涙を拭うことしかできなかった。
 爆豪が死柄木弔に腹を貫かれ、意識不明の重体で病院に運び込まれたと聞いた時、心が張り裂けてしまいそうになった。なかなか目を覚まさない姿をみて、一日でも早く彼の声が聞けますようにと神様に願う毎日だった。
 静まり返った空間で、ふいにぎしりとベッドの軋む音がして、爆豪がこちらに近づいてくる気配を感じる。


「・・・心配かけて、悪かった」
「・・・・・・っ」
「気がついたら、体が動いてて・・・」


 伸びてきた指先が壊れ物を触るかのように名前の腕を取ると、そのまま彼の胸に引き寄せられる。ぎゅっと抱きしめられた爆豪の腕の中はとても暖かく、波打つ心音が彼の命の存在をしっかりと響かせていた。


「俺はちゃんと生きてここにいる。・・・だから、もう泣くな」


 いつぞやと同じ言葉。けれどあの時とは違って、すぐに温もりが離れていくことはない。存在を刻むように強く抱きしめられた腕の中で、名前はようやく息を整えることが出来た。


「事態がどうなったか、あいつらから聞いた。山荘のほうも・・・大変だったんだな」


 絞り出された声に、名前は鼻をすすりながら小さく頷く。
 連合とギガントマキアを足止めすべく、A組とB組、そしてプロヒーローたちと協力して立ち向かったものの、その場に停めおくことはできず、街や市民に甚大な被害を被らせてしまった。
 そして何より、恩師であるミッドナイトが帰らぬ人になってしまったことが、雄英生たちの心を激しく揺さぶった。群訝山荘で最後に見た彼女の勇姿を、名前は生涯忘れることはないだろう。
 加えて、今までいた環境がぬるま湯の中だったということを嫌というほど思い知らされた。この先再び、死柄木弔や連合とぶつかることになる。激戦は必須。全員が命を懸けて挑むことになるだろう。その時にまたたくさんの命が散ってしまうのではないのか。そして、今回のように爆豪が己の命を顧みずに帰ってこなくなってしまうのではないのか。そんな不安が名前の中にうずまいていた。
 ヒーローを志した時に、とっくに覚悟はできていたはずなのに。自分の命よりも大切だと思える存在ができたことによって押し寄せてきた恐怖が、名前の指先を震わせる。
 口に出さずとも感情が伝わったのか、こちらを落ち着かせるかのように、爆豪の腕の力がぎゅっと強まった。


「名前」


 静かに紡がれた名前に、名前は弾かれるように顔をあげる。初めて呼ばれた名前。目の前に映るルビーレッドに迷いの色はなく、ただひたむきに未来を見据える光が灯っていた。


「俺はもっともっと強くなる。この先どんな野郎が相手になろうとも、負けたりしない。そんでもって、名前のところに必ず戻ってくる。だからお前も、この先何があってもちゃんと俺ンとこに戻ってこい。次は絶対に、みんな救けて勝つぞ」


 彼の言葉は、いつだって前を向かせてくれる。
 小さく息を吸い込むと、名前はしっかりと爆豪の目を見つめ、真っ直ぐに向けられた想いに答えるように唇を開いた。


「・・・約束、守るよ。爆豪くんのところに、絶対戻ってくる」


 もう涙はいらない。彼と同じく、前を向いて未来を切り開いていきたいから。
 額に触れた柔らかなの温度を、名前は深く心に刻んだ。



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