20
たわわに咲き誇る桜の花びらが、深い傷跡の残る人々の心に少しばかりの癒しを与え始めた四月初旬頃。緑谷出久が雄英高校を去った。
懇切丁寧に一年A組の生徒たち一人一人に向けて書かれた手紙には、緑谷が元は無個性で能力をオールマイトから譲り受けたこと、そしてその力を死柄木弔とオール・フォー・ワンが狙っているということなどが記されていた。
もちろん全員が寝耳に水の話。けれど彼が仲間や雄英高校に避難してきた避難民を守るために去ったことは明白で、そんな緑谷を連れ戻そうと皆が一致団結したのも当然の流れであった。
その後の動きはとても早かった。全てを背負って一人で戦い続けている緑谷を雄英に連れ戻すために根津校長を説得し、エンデヴァーたちの協力を取り付けた一年A組の生徒たちは、すぐさま彼を連れ戻す算段をつけ、作戦を決行した。
逃げ惑う緑谷に、クラスメイト全員でぶつかり、手を伸ばす。名前も仲間と連携しながら歌で彼の動きを鈍らせ、共に歩ませて欲しいと全身全霊で想いを伝えたのだった。
無謀と思われた作戦は何とか全員の力によって成功し、爆豪からの謝罪、そしてお茶子の避難民への説得のかいもあって、緑谷は無事に雄英高校に戻ることとなった。
しかしそんな少しばかりの平穏な刻も、あっという間に終わりを告げる。
アメリカから支援にきてくれたアメリカのNo.1ヒーローであるスターアンドストライプが死柄木弔に敗れ、その命を空に散らした。けれど彼女は最後の最期まで諦めることなく、死柄木弔の中に取り込まれた個性を破壊し、ヒーローたちに一週間の猶予を与えてくれた。
そして、クラスメイトの青山優雅がオール・フォー・ワンの内通者だという事実が判明し、その身を拘束されることになる。信じていた仲間の裏切りは、生徒たちの心に暗い影を落とした。けれど、一年A組はみんな、彼の手を離すことはしなかった。そしてそれはまた、青山も同じだった。
青山の身柄が留置所に移送されてから数日後。オール・フォー・ワンと死柄木弔の捜索にあたっていた一年A組の生徒たちが寮に帰還すれば、塚内とオールマイトが待ち構えており、第二次決戦にむけての最終プランが説明された。そこで語られたのは、青山がこちら側になったということ。そしてオール・フォー・ワンたちを誘き寄せるために、心操人使の個性を使用するということであった。
以前クラス対抗戦の際に彼の能力の凄さを目の当たりにはしていたが、話を聞くにさらなる進化を遂げているらしい。青山の協力を仰げたことはもちろんのこと、心操が力になってくれるということはとても心強い。
その他にも物間の個性でコピーしたワープゲートで敵連合を分断し、主力メンバーを各個撃破していくという作戦が伝えられ、いよいよ最終局面がすぐ目の前にまで迫ってきているのだということを名前は実感した。
そして翌日、名前たち一年A組のメンバーは作戦決行のために雄英高校を離れ、仮設要塞"トロイア"へとその身を移すこととなったのだった。
「名前・・・っ!!」
出立の日。避難民として雄英高校に避難してきていた両親の元へと挨拶をしにいこうとすれば、遠くの方から人混みをかき分けて走ってくる母の姿が見えた。
目の前に来るや否や、勢いよく抱きしめられ、母の手が背中に回る。ほんのりと温かい体温で安心感に包まれる一方で、指先が小刻みに震えているのが分かり、名前は喉の奥がきゅっと締められたような感覚になった。
いつも心配ばかりかけてごめんなさい。そんな気持ちを込めるかのように母を抱きしめ返せば、己を落ち着かせるように大きく息を吸った母は、静かに口を開いた。
「大丈夫・・・。絶対、大丈夫よ」
「・・・お母さん?」
「貴方がこの一年、雄英でどれだけ努力してきたか、ずっと見てきたもの。そしてあんなにも素敵で助け合える仲間たちもいる・・・。名前を『雄英に行かせて良かった』って、今は心の底から思ってるの」
ゆっくりと顔をあげた母の目元は、薄らと赤くなってはいるものの、もう涙はなかった。
「たくさんの人を救けるために、戦ってくれてありがとう。名前のこと、本当に誇りに思ってるわ。だから、次も必ず生きて帰ってきて・・・。そしてこれから先もずっと、パルメイドの応援をさせてちょうだいね」
いつかの約束。母はずっと自分の背中を見守って、信じていてくれたのだと、こみあげてきた涙で溢れそうになる。けれど、ここで泣いてしまっては駄目だとぐっと涙を飲み込むと、名前はとびっきりの笑顔で母に向き合った。
「お母さん、ありがとう。行ってきます」
***
仮設要塞"トロイア"へと移動した名前たちは、各自部屋へと荷物を運び入れた。明日にはついに作戦が決行される。嵐の前の静けさと言うべきか、トロイアの中では生徒たちの少し浮き足立ったような空気が流れていた。
部屋で一人で精神を統一する者、仲間と語らい気持ちを落ち着ける者、普段の生活と変わらない様子で過ごす者など。そんな風に各々が決戦前の一時を過ごしている中、名前は一人、建物近くの桜の木が植えられた場所へと来ていた。
ちょうどトロイアに移動してきた際、移動バスの中から見えた桜の木。雄英よりも高地に位置しているためか、今まさに見頃を迎えていた枝には、薄紅色の花が所狭しと重なり合っていた。
そんな艶やかな景色を眺めていれば、名前の口からは自然と桜をモチーフにした古謡が漏れ出る。いつかまた、皆で桜を眺めて笑い合える日々が来て欲しいと、そんな願いを込めて歌っていれば、ふいに後ろでジャリっと砂を踏む音が聞こえてきた。
振り返れば立っていたのは爆豪で、「名前」と名を呼ぶ彼の声を聞くや否や、名前はほっと気の抜けたような柔らかな笑顔を浮かべた。
「悪りぃ、邪魔したか」
「ううん、全然。爆豪くんも部屋の片付け終わった?」
「着替えしか持ってきてねーからな。あんなもん秒で済むわ」
ハッと小さく笑いながら爆豪はそのまま名前の横に並び立つ。ただ黙って二人で桜の木を眺めていれば、ふいに指先に温かなものが静かに触れ、爆豪の骨ばった指がゆっくりと名前の指に絡まった。
伝わってくる体温が愛おしくも切なくて、おずおずと握り返す。
「お前は奥渡島の方なんだってな」
「うん。ギャングオルカの指揮下に入るの。水中は私の十八番だし、お茶子ちゃんと梅雨ちゃんとの連携も期待されて配置されたみたい」
昨晩、塚内から作戦のメンバー配置が発表された。名前はお茶子や梅雨とともに、離島である奥渡島にてトガヒミコと対峙する。一方で爆豪は緑谷とともに最重要戦になるであろう対死柄木弔戦のメンバーに配属されており、以前の戦いの時と同様、名前と爆豪は遠く離れた場所でそれぞれが戦うことになっていた。
そのため、互いの安否が分かるのは、今回も全ての戦いが終わった後のことになるだろう。
「・・・約束、守れよ」
「・・・うん。爆豪くんもね」
「ったりめーだ。つーか・・・名前」
「ん?」
「俺は名前で呼んでんのに、お前はいつまで"爆豪くん"呼びしてんだよ」
ふいに投げられた質問に、名前は思わず目を瞬かせて爆豪の顔を見あげた。じっとこちらを見下ろすルビーレッドは、少し不満げな色を滲ませている。
つい先日、負傷した爆豪が無事に目を覚ました後、抱きしめられ、額にキスまでされた。名前が甘んじてそれを受け入れたことから、互いに気持ちが通じあっていることは明白で、今こうして手を繋いでいることも両想いになったからこそのものなのだろう。
ただやはり、今まで散々爆豪から好意を向けられているではと思える節があったとはいえども、言葉にされなければはっきりと確証を持つことはできなかった。
「っ・・・、だ、だって」
「・・・ンだよ、ハッキリ言えや」
「その・・・ちゃんと言われたわけじゃないから、まだ友達のままなのかなって思って」
「あ゙!?お前はただの男友達とでも簡単に手ぇ繋ぐんか!?」
顔を真っ赤にさせてしどろもどろに告げる名前とは反対に、カッとスイッチが入った爆豪は、目くじらを立ててキャンキャンと吠える。
「ちが、っ・・・!好きな人としかしないもん!!」
まさに売り言葉に買い言葉。思わず咄嗟に言い返せば、はたと動きを止めた爆豪はみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げる。そしてそれを隠すようにして、そのまま勢いよくそっぽをむいてしまった。けれど手は離れていくことはなく、むしろより一層指先に力をこめられる。
むず痒い空気がしばらく流れたあと、白旗を先にあげたのは名前の方だった。
「戻ってきたら・・・、名前、呼ぶから・・・」
「・・・・・・」
「だからっ・・・次会う時に、爆豪くんの口から・・・ちゃんと今の気持ちを聞かせて欲しい」
きっとその時には、心の底から笑って、共に明るい未来に進んでいけるだろうから。
「・・・上等だ。覚悟しとけよ」
ようやくこちらを向いた爆豪の表情は、いつもの自信たっぷりなものに戻っていて、きゅっとあがった唇の端がとても彼らしい。
交わされた約束を噛み締めて、名前は美しい桜の木に見守られながら、爆豪の手を強く握り返した。