03


 体育祭が終わり、クラスメイトたちとも打ち解け始めた六月の頃。乗り継ぎのタイミングが良かったのか、いつもより一本早い電車に乗ることができた蛙吹梅雨は、一人学校の門をくぐっていた。
 七時半と早いせいか、校内にはまだ人がまばらだ。昨日まではしとしとと長雨が続いていたのが、今日は打って変わって晴れやかな青空が広がっている。個性の影響でどちらかといえば雨が好きなのだが、やはり晴れの日は清々しい気分になるものだななどと考えながら、梅雨は下駄箱で靴を履き替え、教室に向かった。
 一年A組に続く階段を登っていれば、ふと耳になにやら美しいメロディーが流れ込んでくる。外国語の歌詞を紡ぐその歌声は、まるで儚い泡のように心地よく、心の中で弾け飛ぶ。恐らく声の主はあの子だろうと、ほっこりとした気分で廊下に出れば、教室の前に佇む一つの人影が目に入った。
 教室の扉に背を預け、いわゆるヤンキー座りでしゃがむその男は、クラスメイトの爆豪勝己だ。学年首位の成績で雄英高校に入学してきており、個性もプロヒーローに匹敵すると言われる実力者なのに、性格や言動に難がありすぎる問題児。そんな彼は教室の中から聞こえてくる歌声に静かに耳を傾けているようで、その表情はいつもより柔らかい。
 何だか見てはいけないものを見てしまったと、梅雨が階段に逆戻りして爆豪の様子を伺っていれば、歌声が終わると同時に彼は立ち上がり、教室に入ることなくトイレの方へと歩いていってしまった。
 普段の彼なら「朝からうるせえ!」などと撒き散らかしながら、勇んで教室に入るだろうに。珍しい光景に目を瞬かせていれば、再び教室から先程と同じ歌が聞こえ始めた。ひたひたと静かに教室の扉の前に近づき、先程の爆豪のように歌声に耳を傾ける。しばらくして声が止むと同時、扉を開けて中をのぞけば、そこには梅雨が想像していた通りの人物の姿があった。



「おはよう名前ちゃん。とっても素敵な歌声だったわ」


 パチパチと拍手をしながら梅雨が教室に入れば、教室の中央辺りの椅子に座っていた少女の目がくるりと丸まった。
 

「梅雨ちゃん!?おっ、おはよう!早いね!?」
「いつもより早い電車に乗れたの。そういう名前ちゃんは日直だったかしら?」
「うん。あの・・・もしかして外に、聞こえてた?」
「えぇ。階段あたりからうっすらとね」


 率直に事実を述べれば、少女──真珠名前の頬は途端に真っ赤に染め上がる。恥ずかしそうに下唇を食む表情は、とても可愛らしい。そんなにも恥ずかしがる必要はないのにと、梅雨は鞄を自分の机に置いて彼女の席へと近づいていった。


「綺麗なメロディーでつい聴き入ってしまったわ。なんていう曲なの?」
「二十年くらい昔のアメリカの曲で、『真珠の唄』っていう人魚が若者を思って歌う愛の歌なの」
「ケロケロッ。素敵なタイトルね。まさしく名前ちゃんにぴったりの曲だわ」


 そう、『人魚』という個性を持ち、その美声を武器のひとつにしている名前にぴったりすぎる歌だと梅雨は思った。
 彼女の個性はざっくりと言うと、人魚伝説にまつわることが色々とできるといったものだ。陸地にいる際は人間の足をしているのだが、水に入ると下半身が美しいコバルトブルーのヒレへと変化する特異体質の持ち主なのである。水に強い己の個性を生かして海難ヒーローを目指す名前と梅雨は、五月に行われた職業体験先が同じになり、ともに一週間切磋琢磨したことで、互いに気の許せる大切な友人関係へとなっていた。
 そんな梅雨の言葉に再び照れたように笑うも、名前はすぐさま困ったように眉を下げる。


「それだと嬉しいんだけど・・・。でもね、私まだあまり恋をしたことがないから、感情の入れ方が弱いって先生に言われちゃってて」
「先生って?」
「声楽の先生。今もまだ週一で歌のレッスンに行ってるんだけど、もっと上手くなったらこの曲をいつか発表会で歌いたいんだ」
「その時はぜひ聴きに行きたいわ。お茶子ちゃんやクラスのみんなも誘ってね」
「ほんと!?じゃあますます頑張らなくちゃ!」


 今でさえ素人からすれば完璧すぎる歌声なのだが、それでもさらに上へとひたむきに努力する名前の姿は眩しすぎるほどに美しい。
 しかしながら、まだ不安さを残す彼女の背中を後押しするように、梅雨はにっこりと微笑んだ。
 

「それに、きっと大丈夫よ」
「え?」
「名前ちゃんなら、いつか誰かと素敵な恋が出来ると思うわ」
「そっ、そうかな?全然想像できないや・・・」


 遠慮がちに笑う彼女の姿を見て、梅雨の頭にふと先程見た爆豪の顔が過ぎる。けれどこれは第三者の自分が口を挟むことではないなと、ぺろりと出ていた舌を仕舞うと共に、心の中に飲み込んだ。
 それに名前自身は気づいていないかもしれないが、彼女に好意の視線を向けてる男子はすでに幾人かいるようだし、噂によると他クラスでも人気が高いらしい。
 名前が誰を選ぶかは定かではないが、彼女が誰かに恋をした時は、きっとさらにもっと美しい歌声に変化するのだろう。


「その時が来るのが楽しみね」
「うん。恋に悩んだ時は色々と相談にのってね、梅雨ちゃん」
「ケロケロッ。もちろんよ」


 爽やかな朝の風が吹き抜ける教室で交わす友人との約束に、晴れの日も悪くないものだと梅雨は心を弾ませた。



backtop