06



 八月上旬、晴れ渡る夏空の下でスタートした林間合宿。見知らぬ山に放り出された一年A組のメンバーたちは、合宿の洗礼を受けながらも魔獣の森を駆け抜け、全員がなんとか宿泊施設にたどり着くことが出来た。
 すでに陽は落ちかけ、全員泥だらけ傷だらけの満身創痍。たくさんのご馳走に温泉にと、プッシーキャッツたちの歓迎を受けながら、無事に一日目を終えた生徒たちは、二日目早朝から個性伸ばし訓練を行っていた。
 限界突破をテーマに、異形型や複合型は個性に由来する器官や部位の鍛錬、発動型は許容上限の底上げなど、各自が個性に沿った訓練に励むこととなった。


「真珠、お前は複合型だろ。ヒレはともかく、泡か歌かどちらを強化するか選べ」


 訓練開始早々、担任の相澤にいの一番にそう告げられた名前は頭を悩ませていた。
 最大の武器である"歌"に関しては、今のところ効果範囲は名前の半径5m前後である。個性発動中の名前の歌声を一度聞いた者は、意識を一分間奪われてしまうという能力で、耳を塞がない限り敵味方関係なく効果を与えてしまうというデメリットもあった。こちらは範囲を広げるより、効力をあげて、意識を失わせる時間を伸ばすところに重点が置かれるだろう。
 もう一つの"泡"は、名前の中では付属的な立ち位置にある。大小様々な泡が身体から出るといえども、敵に打撃を与えるなどの効力はなく、目くらましや足止めくらいにしか今まで使用できたことがなかった。
 しかしながら、全体的に救助や後方支援向きの個性といえども、今後プロヒーローを目指すからには、もっと攻撃力も身につけていかなければならないだろう。
 ともあれば、名前の中で答えはもう決まっていた。


***


「名前ちゃん、大丈夫かしら?」


 夏の日差しが未だじりじりと降り注ぐ夕刻。背後から投げかけられた梅雨の声に、名前は額から顎へと滴り落ちた汗を拭いながら顔をあげた。


「梅雨ちゃん・・・!お疲れ様」
「お疲れ様。マンダレイのテレパスは聞こえた?」
「あっうん、四時にマタタビ荘前に集合だっけ・・・?」
「あと五分よ。一緒に行きましょう」


 十分ほど前に脳内に鳴り響いた内容は、訓練に集中するあまりすっかり吹き飛んでしまっていたらしい。辺りを見ればすでに人もまばらになっており、各自キリのいいところで切り上げてマタタビ荘にむかったようだ。疲労困憊の重い足を引きずりながら、名前は梅雨と共に砂利道を歩んでいく。


「名前ちゃん、結局"泡"の方を強化する事にしたのね」


 うだる暑さの中、手で風を顔の方へ扇いでいれば、梅雨の視線がじっと名前の腕や足へと向けられた。
 体操服姿の梅雨とは違い、自前のノースリーブに短パン姿の肌が露出した名前の腕と足には、まだ少し泡が残っている。夏の太陽に照らされて、七色の光を放つ膜を指ですくい取りながら、名前はこくりと頷いた。


「私、みんなと違って攻撃性がほとんどない個性でしょ?歌があるっていっても、基本的に足止めがメインだし・・・。ヒレが乾くまで身動きが取れないことを考えたら、もっと自在に泡を操ったり、攻撃に転じれるような工夫をしていかないといけないなとはずっと思ってたんだ」
「そういえば、職場体験の時にセルキーさんにも似たようなことを言われてたわね」
「うん。海難ヒーローを目指すなら、必要最低限の攻撃力は身につけろって・・・。今まで海難って救助ばかりがメインだと思ってたけど、それだけじゃないんだってことは、あの時に嫌って言うほど実感しちゃったから」


 今から二ヶ月ほど前に梅雨と共にセルキーの元へと職場体験をした際、密航者のヴィランと相対した時に嫌でも実感した自分の不甲斐なさ。甲板へと打ち上げられ身動きを取れなくなった名前は、蛸の個性を使う相手に触手で口を塞がれてしまい、シリウスや梅雨が傷つく姿を見ているしかできなかったのだ。
 もう二度とあんな思いはしたくない。大切な友人や仲間、そして何よりヒーローとして救いを求める人々を助けるために、さらに上を目指さないといけないのだ。


「いつも助けてもらってばかりだから、次に何かあった時には私が梅雨ちゃんを助けられるように頑張るね!」
「ケロケロッ。頼もしいわ。お互い頑張りましょう」


 プルスウルトラを胸に、名前と梅雨は汗と土埃に塗れた顔で互いに微笑みあった。
 そんなこんなで二人がマタタビ荘にたどり着いた頃には、A組B組ともにほとんどが揃っており、プッシーキャッツたちから今日の夕飯は自分たちで作るようにとの司令が下されていた。
 やる気を溢れさせる委員長飯田の指示により、名前も梅雨と慌てて着替えを済ませると、さっそく飯盒炊飯に取り掛かってゆく。


「梅雨ちゃんくんはお米を洗う係、真珠くんは野菜を切る係をお願いしたい!」


 飯田から告げられた言葉に、名前は梅雨と別れキッチン台の方へと向かう。そこはA組B組と両組が揃って包丁で野菜を刻む作業をしており、名前はジャガイモを抱えたお茶子や他のクラスメイトたちがいる方へと近づいていった。


「お茶子ちゃん、飯田くんから野菜切り係を仰せつかったんだけど、どれからやったらいいかな?」
「わっ!助かった〜!私野菜を洗う係の方なんやけど、野菜切り係の方に上手く切れる人がおらんくてさ・・・。名前ちゃん、二人のこと頼めそう?」


 困ったように眉を八の字にするお茶子の前には、綺麗に繋がったままの玉ねぎを不思議そうに見つめる常闇と、てんでバラバラの大きさながらも人参を豪快に切り続ける切島の姿があった。
 そしてその向かいには、彼ら二人を指さして嘲笑う一人の男子と、それを冷ややかに傍観する女子の姿。あれは確か、B組の物間寧人と柳レイ子だったか。


「ハッハッハーッ!!A組は野菜すらまともに切れないのかいー!?」
「力及ばず・・・不覚・・・!」
「気にすんな常闇!食ったら一緒だ!!」
「・・・言ってる物間もたいして上手くないでしょ」
「何を言ってるんだい柳!みろよっ!美しい曲線を描く僕の人参を!!」


 高笑いしながら物間が頭上に掲げた人参は、なぜか鋭利に角張っていた。
 残念ながらお茶子は口田と共に野菜を洗う係に任命されているらしく、名前はこの何とも表現し難い雰囲気の中へ一人で突入しなければならないらしい。「が、頑張る!」と少し不安ながらも大きく頷いた名前は、心配するお茶子を水道の方へ向かわせ、急いで切島と常闇の元へと合流した。


「切島くん、常闇くん!私も包丁係で来ました!」
「おっ真珠!お前もか!んじゃあ、じゃがいも切るの頼むな!」
「わかった!あのね切島くん。その、人参なんだけど・・・」
「ん?人参?」
「初めにタテヨコそれぞれ真ん中で切っちゃった方が、大きさも揃えやすいと思う!」
「おぉっ!?確かに!さんきゅーな!」
「あと常闇くん。玉ねぎは上と下の繋がったとこを先に切り落とした方がやりやすいから、一回やってみて」
「・・・かたじけない。助言感謝する」


 それぞれにアドバイスをすれば、素直な彼らはすぐに実践をしてくれた。先程よりは幾分かマシになった様子を見てひとまず安心すると、名前は手際よくじゃがいもの皮をピーラーで剥いて包丁を入れていく。丁寧に切り刻まれていくじゃがいもを見て、向かいにいた物間が身を乗り出してきた。


「ハッハッー!!A組の癖にやるねっ君!!確か真珠さんだっけ!?」
「そ、そうです。えっと・・・ありがとう・・・?」
「物間も人を褒めることがあんだな!!」
「当たり前さ!優秀な僕は、優秀な人材のことはきちんと褒めるんだよ!!」
「本当に早くて上手・・・。普段から料理やってるの?」
「全然!親が仕事でいない時とかにちょっと作るくらいで・・・」


 世辞とはいえ、褒められるのは嬉しいものだ。頬をほんのりと染めながらも、名前は照れを隠すように次々とじゃがいもを仕上げていく。
 そしてあっという間に十個のじゃがいもの下準備を終えると、それらを水に張った大きなボウルの中に放り込んだ。


「じゃがいもは暫く水に漬けておくのか?」
「うん。アク抜きと、変色防止になるの。雑味が取れて料理が美味しくなるんだって」
「へぇ!何でも知ってんだな、真珠」


 そんなこんなで自分の担当であったじゃがいもが早く終わったため、切島と常闇の手伝いをしようと思った矢先、ザルとボウルを持ったお茶子と甲田が現れた。


「お疲れ様!野菜、これで最後です!」
「ありがとうお茶子ちゃん、甲田くん。って・・・あれ?トマトと・・・アボガド?」
「そうなの!多分カレーに入れるやつじゃないから、付け合せのサラダとかに使えってことかなぁって!切ってドレッシングで和えちゃう?さっき冷蔵庫見た時に、和風ドレッシングみたいなのはあったんやけど・・・」


 夏の日差しをたくさん浴びたトマトたちは、真っ赤な色をしていてとても美味しそうだ。
 お茶子からの提案に、名前は近くのテーブルにあった調味料置き場にちらりと視線を向ける。塩、砂糖、胡椒というオーソドックスなものに加え、オリーブオイルやごま油にレモン汁など、調味料はある程度揃っているようだった。


「和風ドレッシングと、オリーブオイルに塩こしょうとレモン汁を混ぜたやつの2種類用意しようか?好みもあるだろうし」
「オリーブオイルとレモン!?なんかおしゃれや・・・!!」


 美味しそう!と目を輝かせたお茶子から野菜たちを受け取ると、名前はすぐにトマトとアボガドを角切りにしていく。そしてボウルに切った物を入れ、上からオリーブオイルと塩こしょう、レモン汁をふりかけた。
 そのままスプーンで混ぜ合わせ、出来たものをすくい上げると、名前は興味津々な顔で作業を見ていたお茶子の口元へ近づけた。


「味見してもらえる?」
「えっ!いいの?いただきまーす!」


 そのままお茶子は遠慮なく名前の持つスプーンにかぶりつく。「どうかな?」と首を傾ける名前に対して、彼女はすぐさま親指を立てて満足そうに微笑んだ。


「すっごくおいしい!シンプルやからこそ、野菜本来の旨みが引き立っとる!」
「ほんと?気に入ってもらえて良かった!」
「ハッハッー!そんな単純な味付けのもので果たして僕を満足させられるのかな!?」
「いや、真珠さんが作ってるんだから全部A組の分でしょ・・・」


 ほっと胸を撫で下ろす名前の声に被せるようにして、対抗心を燃やした物間が再び割って入ってきた。未だに玉ねぎの薄切りに格闘して涙を流しているためかいつもより迫力が足りない上に、柳からのツッコミも相まって、何とも言えない雰囲気を漂わせている。
 そんな彼に、名前は新しいスプーンを手に取ると、再びミニトマトとアボガドをすくって物間の方へと差し出した。
 


「あの、良かったら物間くんも味見してみる?」
「は・・・?」
「多めに作ってあるし、一口くらいなら大丈夫だから」


 名前からの提案に、先程までの威勢はどこへやら。ぴたりと動きを止めたかと思えば、物間の視線は目の前に突き出されたスプーンに釘付けになっていた。
 じわじわと、金色の毛の間から覗き出る彼の耳が時と共に赤く染まっていく様子を見て、名前ははたと我に返る。これではお茶子のようにあーんをして物間に食べさせてあげる風に捉えられてしまったかもしれないと、名前は慌てて首をぶんぶんと横に振った。


「ご、ごめん!物間くんにあーんってするつもりはないから安心して!はいっスプー・・・んっ!?」



 「スプーンをどうぞ!」と言葉を続け、物間に手渡すつもりだったのに、ふいに背後から伸びてきた誰かの手が名前の手首を掴み上げる。そしてあっという間に横へと引き寄せられ、そのまま手の主がぱくりとスプーンに食いついた。
 張りのあるクリーム色の前髪がふいに指先に触れ、名前の心拍が一気に上昇する。


「悪くねェな」


 もぐもぐと口を動かし、奪い取った野菜たちを飲み込むと、爆豪は名前の腕をするりと離す。あまりの突然の出来事に目を瞬かせて彼を見上げる名前とは裏腹に、爆豪は何処吹く風でぐいっと己の唇の端を拭った。


「でももうちょいレモン入れろや」
「へ?あっ・・・うん」


 行動とは相反し、あまりに普通の会話が返ってくる。名前が赤べこのようにただこくこくと頷けば、二人の会話をぽかんと眺めていた物間に再びスイッチが入った。


「ハッハッハー!!爆豪勝己ィー!!この僕に喧嘩を売るとはねぇー!!」
「ンだこらァ!上等だ!!」
「おっ爆豪じゃん!手伝いにきてくれたのか!?ありがとな!」
「てめェらがチンタラ野菜切ってっからカレー作りが進まねェンだよ!!さっさとしろや!!」



 物間の高笑いに爆豪の怒号が加わってカオスさがさらに増していく状況を、名前はただ呆然と眺める。
 爆豪に握られていた部分がほんのりと熱く、跳ね上がった心音はまだ落ち着きを取り戻さない。
 ぎゅっとスプーンを握りしめる力を強めたと同時、不意に隣から熱い視線が注がれていることに気がついた。ぽっと頬を染め、目を輝かせながらこちらに視線を寄越すお茶子の顔を見て、名前の体温は一気に上昇する。


「・・・青春やねぇ」
「お、お茶子ちゃん・・・!」
「へへっ」


 イタズラっ子のように微笑むお茶子の姿に、名前は思わず声を裏返した。
 ぱちぱちと海の中で弾ける泡のようなこの感情は、果たしてどんな色へと変化していくのだろうか。



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