07
しっかりと訓練したあとは、学生らしい楽しい行事が待っているらしい。
「さて始めるよ!肝試し!」
林間合宿三日目の夜。ピクシーボブの掛け声によって、クラス対抗肝試しの幕が切って落とされた。
A組は二人一組で進み、森の中に潜むB組の脅かしネタに耐えながら、ルートの真ん中にある名前を書いた札を取って戻って来れたら無事にクリアとなるらしい。ペアを決めるためにくじ引きを順番に引いていくことになり、名前はマンダレイから差し出された箱に手を突っ込んだ。
掴んだ紙に書かれた8番という文字。ペアは誰かとキョロキョロ辺りを見回していれば、遠慮がちにこちらに向かって右手を上げる緑谷出久の姿が目に入る。
「真珠さん、余ってるのがもう僕だけっぽいから、多分僕がペアだと思う。8番だよね?」
「うん8番だよ。よろしくね、緑谷くん」
「よ、よろしく!足引っ張らないように頑張るね!」
「ううん、こちらこそ!」
クラスメイトの緑谷出久とは、普段は簡単な挨拶をするくらいの仲のため、二人きりになるのはこれが初めてかもしれない。いつも自信なさげな態度が目立つ彼だが、体育祭やUSJの事件の時のように、ここぞという時には体を張った行動に出たりもする。そんな少し不思議な男の子というのが、名前の中での緑谷のイメージであった。
そんなこんなで全ペアが決まり、ついにお待ちかねの肝試しがスタートする。しばらくして森の中から聞こえてきた悲鳴の数々に、名前はわくわくと心を弾ませた。
まさか数分後にあんな大事件が勃発するだなんて、この時誰が想像できただろうか──。
学級委員長の飯田を先頭に、名前を含む一年A組の生徒たち数名は鬱蒼とした木々が生い茂る森の中を駆け抜けていた。
肝試しの最中、突然起きたヴィラン襲撃。ピクシーボブが倒れ、プロヒーローとヴィランの戦闘が開始されたことから、マンダレイの避難指示に従って名前たちはマタタビ荘に向かっていた。
唯一、緑谷出久を除いては。
『マンダレイ!!僕知ってます!!』と叫んで小高い山の方へと向かっていったクラスメイトの背中を、名前は列の一番後ろを走りながら思い出す。恐らく緑谷は洸汰を探しにいったのだろう。合宿の最中、彼が何度か洸汰を気にかけている素振りを見せていたことから、それは容易に推察できた。
できれば協力したかったが、移動速度が早いでもなく防御力が高くもない自分では、万が一の時に足でまといになることは明白だろう。そんな己の不甲斐なさを目の当たりにして、名前は思わずぎりっと下唇を噛む。
もちろん、今はこうすることが最善だということは理解しているつもりだった。けれど歯がゆいものは歯がゆい。もっともっと個性を磨いて、窮地に飛び込んでいけるような実力を身につけようと胸に刻みこむ。そして何より、緑谷がヴィランと遭遇せずに洸汰を保護できますようにと祈りながらひたすら足を動かしていれば、ふいに頭上から誰かの気配を感じた。
すぐさま後ろを振り返れば、背後の木の枝の上には、奇妙な仮面にシルクハットを被ったマジシャンのような出で立ちの男の姿があった。自分より少し前方を走るクラスメイトたちは、誰もまだ男の姿に気づいていない。
急いで知らせなくてはと名前が口を開きかけた瞬間、身体が押しつぶされるような感覚とともに意識が一瞬飛び、次に目を開いた時には身体の周りを青い膜で覆われてしまっていた。
「・・・っ!?なにこれ・・・!」
目の前にある円状の青い半透明の膜をドンドンっと叩くもビクともしない。どうやらヴィランの個性によって、大きい球体のようなものに包まれてしまったようだった。
攻撃手段というよりは捕縛目的の個性か。他のクラスメイトたちはどうなったのかと、状況確認のために名前が四方八方に視線を向けていれば、頭上の膜に黒い影が横切り、突然身体が浮遊感に包まれる。思わずバランスを崩して球の中で膝をつけば、ふいにこちらを覗き込む大きな白い仮面が視界いっぱいに広がった。
恐らく先程見た、ヴィランと思わしき男の仮面。木の上にいた姿からでは普通の成人男性くらいの背丈に見えたが、今はまるで絵本の中の巨人と小人くらいに大きさが違う。籠の中の虫を観察するかのように球の中を覗きこむ仮面の男は、不思議そうに肩を竦めた。
「任務完了っと。にしても、本当なのかねぇ不老不死伝説だなんて」
ぼやぼやと膜がかかったように全方位から反響して聞こえてきた声に、名前の背筋が凍りついた。
人魚伝説のひとつ。日本には遙か昔、人魚の肉を食べて800年生きた尼がいたという伝説が残っている。そのことから、裏社会で「『人魚』の個性持ちのヒレの肉を喰らえば『不老不死』になれるのではないか」とまことしやかに囁かれ、悪が蔓延る時代に母方の親族は度々ヴィランに狙われることがあったそうだ。
しかしながら幸いなことに今まで食われた者は出ておらず、伝説は伝説のまま立証されずに今日まできていた。そもそもが根も葉もないただの噂話だ。平和の象徴の登場によって悪が鳴りを潜めたことから、狙われることが無くなったと母から聞かされていたが、まさかまだそんな過去の妄言を信じている者がいるなんて──。
「私にはまだ、やりたいことがたくさんあるんだ・・・!!」
皆を助けれるような立派なヒーローになりたい。共に手を取り合える友人を作りたい。もっともっと歌が上手くなりたい。そして、そして、いつか身を焦がすような恋もしてみたい。こんな道半ばで、ヴィランに命を弄ばれる訳にはいかなかった。
そんな様々な思いを噛み締めながら名前は己を奮い立たせると、どうにかして脱出する手立てはないかと探すことにした。しかしあの手この手を使って内から泡や歌の個性で攻撃を仕掛けてみたものの、なかなか膜を破ることはできなかった。
外からの攻撃でないと、膜を破壊することは難しいのかもしれない。ならば外に伝える手段をと、膜に貼り付き再び外へと視線を向ければ、ふいに何やら耳慣れた声色が耳に飛び込んできた。
この声は恐らく緑谷や轟、一年A組の仲間たちのものだ。何重にも反響してはっきりとした言葉は聞き取れないが、怒号のようなそれと、轟の氷壁が膜の向こうに見えたことから、仮面の男たちとクラスメイトたちが戦っていることが伺えた。
どうにか合図を送ろうとするも、激しい揺れのせいでなかなかその場に立っていられない状況が続く。しばらくして揺れや攻撃音がなりやんだかと思えば、突然鋭い光線が左方から差し込み、名前は眩んだ目をぎゅっと瞑った。そして次の瞬間、身体の周りを覆っていた膜が突然弾け飛び、一気に身体に重力が襲いかかる。
「俺のショウが台無しだ!」
背後にある真っ黒な渦の中からはっきりとした男の声が聞こえてきたと同時、右腕を力任せに掴み取られ、名前はそのまま渦の中に引きずり込まれていく。
「とりあえず爆豪くんと、義爛に頼まれてた人魚ちゃんが手に入ったから良しとするか」
「あぁ、問題なし」
続けて聞こえてきた二つの声に、名前ははっと我に返って左の方へと顔を向ける。そこには首元を誰かに掴まれ、己と同じように黒い渦の中に飲み込まれていく爆豪の姿があった。
「かっちゃん!!」と緑谷の悲痛な声が聞こえ、同時に「真珠!!」と轟が己の名を叫ぶ声が耳に飛び込んでくる。弾かれるように顔をこちらに向けた爆豪と名前の視線が混じり合い、揺れるルビーレッドがしっかりと名前の輪郭を捉えた。
「・・・っ、逃げろ・・・!!」
今まで聞いたこともない、振り絞ったような爆豪の声。伸びてきた彼の指先が背中に触れたと同時、個性によって小規模な爆破が起こされ、名前は勢いよく渦の外へと吹き飛ばされた。
受け身をとる間もなく、突然外に放り出された名前はそのまま固い地面に打ち付けられる。駆け寄ってきてくれた轟の腕に捕まりながら急いで振り返ったもの、緑谷の悲痛な叫び声と「来んなデク」というか細い声を最後に、爆豪の姿は闇の中へとぷつりと消えてなくなった。
「・・・ばく、ご・・・うくん・・・?」
目の前に広がるのは、火柱をあげて燃え盛る炎だけ。震える唇で、名前は静かに彼の名を呟く。
ほんのりと耳を赤くしながらそっぽを向く姿も、眉間にシワを寄せながらペンを動かす姿も、掴まれた腕の温度も、全部全部覚えているのに。
「──っぁ、爆豪くん・・・っ!!」
伸ばした手は虚しく空を切る。
名を呼んでも、答えてくれる人はもうそこにはいなかった──。
***
最悪の林間合宿が終わった翌日のこと。ヴィランと接触し拘束されていたことから、朝から警察の事情聴取を受けていた名前は、午後にクラスメイトたちが入院する病院に訪れていた。
受付を済ませ、八百万たちの病室に向かう途中にあった休憩スペースの前を通れば、二つの見慣れた赤が目に入る。名前の姿に気がつくや否や、クラスメイトの轟と切島がこちらに駆け寄ってきた。
「真珠!お前もう大丈夫なのか!?敵の個性攻撃を受けたから、念の為病院に運ばれたって聞いてたのに、受付で聞いたら真珠は入院してねェって言われてさ・・・!」
声を上ずらせながらも、少し胸を撫で下ろしたような表情を浮かべる切島に、名前は軽く左腕を上げて肘に貼られた大きな絆創膏を見せた。
「連絡できてなくてごめんね。検査したけど特に問題なくて、外傷は背中と腕の擦り傷だけだったから手当てだけしてもらってそのまま家に帰ったの。今朝事情聴取で警察署に呼ばれてたんだけど、その時に緑谷くんと響香ちゃんたちが入院してるって聞いたから、様子を見に来ようと思って・・・」
「そうか・・・。俺らもさっき様子を見に行ったんだけど、八百万以外はまだ目が覚めて無いみたいだ」
轟の言葉に、名前はクラスメイトたちの顔を思い浮かべる。
耳郎と葉隠は毒ガスによって意識を失い、緑谷と八百万は敵からの攻撃で負傷したため病院に入院をしていると聞いていた。B組にも多数の負傷者が出たらしく、重軽傷者は41名中、12名にものぼるそうだ。ヴィランに捕縛されていたのにも関わらず、連れ去られることなくかすり傷のみで済んだことは奇跡に近いことだろう。それもこれも、彼のおかげでしかない。
最後に振り返った時に見た爆豪の顔がふと脳裏をよぎり、名前はやり場の無い感情をぐっと拳と共に握りしめた。
「なぁ、真珠」
「・・・なに?切島くん」
「・・・俺と轟と一緒に、爆豪を助けにいかねェか?」
「・・・・・・え?」
突然の切島からの打診に、名前は弾かれるようにして面をあげた。いつもより落ち着いた口調の切島の顔はいたって真剣で、彼の隣に立つ轟からも動揺した様子を感じられない。
二人で話し合い、覚悟を決めて言っているのだと、名前は目を瞬かせながらも彼らにしっかりと向き合った。
「どうやって・・・?爆豪くんがどこにいるかも分からないのに・・・」
「それが・・・さっき切島と八百万の病室に行った時に、オールマイトと八百万が話してるのを偶然聞いちまったんだ。ヴィランの一人に八百万が発信機をつけてたらしくて、発信機の信号を受信するデバイスを警察に渡してた。それをもう一台作ってもらえれば、爆豪の居場所が分かるかもしれねぇ」
「それなら、尚のことプロヒーローと警察に任した方が・・・!」
「分かってるよ!でも・・・っ、狙われてるのを知っていながら、俺はダチを助けられなかった!!だからまだ手が届くなら・・・俺はあいつを助けに行きてェ!」
悲痛な切島の声が、しんっと静まり返った廊下に響き渡った。
彼の真っ直ぐな想いに当てられて、喉につかえていた感情が次々と名前の中に溢れ出す。
もしあの時自分が捕まってなければ、爆豪は渦から脱出することができたのかもしれない──。
もしあの時爆豪の手を無理にでも掴んでいれば、共に逃げれたのかもしれない──。
後悔しか残っていない昨日の出来事が、鮮明に頭の中を駆け抜ける。このままじっとヒーローや警察が動くのを待つだけなんて、切島の誘いを聞いた名前にはもうできなかった。
滲み出てきた涙をごしごしと拭い去ると、名前は切島と轟の目を順に見据え、大きく息を吸い込んだ。
「行こう。次は私が助ける番だ」
──今度は必ず、この手を伸ばすんだ。