08
切島と轟から爆豪救出の話を持ちかけられた翌日、名前は再び一年A組の仲間たちと病院に訪れていた。ちょうど目覚めた緑谷の病室で、クラスメイトたちに爆豪救出作戦の話を持ちかける切島の言葉に、名前はただ黙って耳を傾ける。
当然満場一致で全員が反対だった。プロヒーローに任せるべきだ、感情で動いていい話ではない、ルールを破るならヴィランと同じだ、と耳が痛い言葉が並ぶ中、結局大多数の協力は得られないまま、緑谷の診察が始まるとのことで病室を後にすることになった。
八百万へのデバイス製造依頼は、すでに昨日のうちに済ませている。「考えさせて欲しい」と曖昧な返事しかもらえなかったため、彼女の協力を仰げるかどうかはまだ分からない。けれどできる限りの心構えと準備はしておこうと、名前が前を向いて歩こうとした瞬間だった。
「名前ちゃん」
ふいに自分の名を呼ぶ、か細い声がする。
後ろを振り返れば、ぽつんと一人、廊下に佇む梅雨の姿が目に入り、名前はきゅっと唇を結んだ。
「名前ちゃん・・・行かないわよね?」
不安げな色が滲む声に、名前は何も答えれなかった。先程梅雨が病室で言い放った言葉は、胸の奥深くに突き刺さっており、ズキズキと鈍い痛みを放ち出す。
けれど、その痛みを我慢してでも爆豪を助けに行きたいと、名前の心が叫んでいた。
それと同じくらい、信頼する友人を裏切る行為に心が張り裂けそうになる。名前は感情を出さないよう曖昧な笑みを浮かべると、梅雨の方へゆっくりと向き直った。
「梅雨ちゃん、心配しないで」
「行かない」と、嘘をつくことはできない。ただ、彼女がこれ以上不安にならないような言葉を告げることが、せめてもの償いだった──。
それと同時、背後から「真珠」と轟の声が聞こえてくる。まだ何か言いたげな表情をしていた梅雨に気づかないフリをして、名前は前を向いて歩み出した。
***
切島が発端となって始まった爆豪の救出作戦。緑谷がメンバーに加わり、無事に八百万の協力を仰ぐことができ、さらにストッパー役として飯田も着いてくることになったため、一年A組の六名は新幹線に乗って神奈川の神野区へ向かった。
二時間新幹線に揺られ、敵に気取られないよう変装を施したメンバーたちは、発信機の示す場所へと足を進める。怪しげな廃倉庫を見つけ、中の様子を伺っていれば、突然地響きと共に爆音が鳴り響いた。
Mt.レディやベストジーニストなど、名だたるヒーローたちの攻撃によって破壊された倉庫の中から出てきた脳無は、瞬時に彼らの手によって捕獲されていく。さすがプロヒーローと言うべきか。鮮やかな手口に誰もがほっと胸を撫で下ろし、オールマイトが向かった先にいるであろう爆豪もきっと無事なはずだと、希望が見えてきた矢先であった。
一瞬にしてヒーローたちを吹き飛ばした謎の力の持ち主の登場によって、一気に死の恐怖が名前たちに襲いかかる。瓦礫は崩れ、辺り一面土埃が舞い上がり、ヒーローたちの声がぷつりと消えてなくなった。
伝播してきた恐怖から体が震え出し、口から漏れ出かけた悲鳴を名前は必死に両手で抑え込む。
もうダメだと思った次の瞬間、バシャと水が弾け飛ぶ音と共に、待ち望んだものの声が耳に飛び込んできた。
「ゲッホ!!くっせぇぇ・・・んっじゃこりゃあ!!」
突然聞こえてきた爆豪の声に安心したのも束の間、次々と湧いて出てくる敵らしき者たちに、謎の男が労いの言葉をかけているようだった。今のところ、敵がこちらに気づいている様子はない。けれどここで動いたとしても、攻撃をせずにこの場を切り抜けられる保証は0に等しいだろう。
下唇を噛んで耐える名前の横で、今にも飛び出してしまいそうな緑谷たちを飯田と八百万が抑え込んだ。
そんな誰もが絶望をしている状況で、突然一筋の光が差し込む。
「全てを返してもらうぞ、オール・フォー・ワン!!」
爆音と共に聞こえてきたオールマイトの怒号に、一年A組の生徒たちはようやく生きた心地がした。どういった経緯かは不明だが、別の場所にいたはずのヴィランが爆豪を伴ってこちらに集結し、そこにオールマイトが駆けつけたようであった。
激しい攻撃音と爆風が次々と巻き起こり、辺りは一気に戦場と化していく。オールマイトが来てくれたと胸を撫で下ろすも、状況はあまりよろしくないようで、謎の男がオールマイトを足止めしており、その隙に残りのヴィランで爆豪を再捕獲して、この場から逃げおおせようとしているようだった。
状況は何一つよくなってはいない。けれど、こちらから攻撃を仕掛けることもできない。ただ黙ってこの場で立ちすくむことしかできないのかと皆が拳を握りしめた時、はっと何かを思いついたように、緑谷が重い口を開いた。
けして戦闘行為にならず、自分たちもこの場を離れることができ、爆豪も助けることが出来る方法を思いついたと──。
「真珠さん、切島くん。君たちが成功率をあげる鍵だ」
「え・・・?」
「俺たちが・・・?」
突然の提案に、切島と名前は揃って目を丸める。しかし緑谷の目に迷いはなかった。爆豪と共に過ごしてきた十年という長い年月が、まるで彼の背中を後押ししているようであった。
緑谷から作戦の概要を聞いた六人は、すぐさま行動に移す。「行こう」という飯田の声を合図に、作戦の火蓋が切って落とされた。
まず切島を抱えた状態で、緑谷のフルカウルと飯田のレシプロで勢いをつけ、そのまま切島の硬化で背後の分厚い壁をブチ抜く。それと同時、名前が切島の背中におぶさる形で飛び乗ると、轟の形成した氷の高い壁を、緑谷と飯田が二人をかついだ状態で駆け登っていった。
振り落とされないよう切島の背中にしがみつきながらも、名前は下を見て爆豪と敵の位置を視認する。突然の爆音に、ヴィランたちが理解が追いつかない表情で呆然と頭上を眺める一方で、爆豪の瞳はしっかりと名前たちの姿を捉えていた。
騎馬組の二人が氷の地面を踏み込み、空高く戦場に舞い上がったと同時、名前は精一杯声を張り上げた。
「──っ爆豪くん!!」
『かっちゃんに呼びかけるのは、切島くんと真珠さんにお願いしたい。その役目は・・・僕じゃ絶対駄目なんだ。轟くんでも、飯田くんでも、八百万さんでも・・・』
『入学してから今まで、対等な関係を築いてきた切島くんの呼びかけなら、かっちゃんは絶対に答える』
『そしてダメ押しの真珠さん。かっちゃんはいつも君の前では素直でいようとしてる風に見えるから・・・。真珠さんがいれば、意地を張らずに助けを受け入れるはずだよ』
少し寂しそうな、けれどしっかりと確信めいたような口調で告げた緑谷の言葉が、名前の脳裏を過ぎる。
緑谷の見解が正しいかどうかは、正直分からない。けれど入学から約四ヶ月。最初は恐怖心を抱いていたはずの爆豪の存在が、気がつけば名前の中で少しずつ変化していっていた。
だからこそ、彼のことをもっとよく知りたい。これからも共に切磋琢磨していきたい。その為にも、全員無事に生き残ってここを脱出してやるのだ。
「来い!!」
全員の想いを乗せた切島の叫び声が、戦場に鳴り響く。揺れるルビーレッドが伸ばされた切島の指先を捉えた次の瞬間、個性を使って爆破を起こした爆豪は、爆風とともに勢いよく空に舞い上がり、切島の手をしっかりと掴み取った。
「・・・バカかよ」
握られた男同士の手が、固く結ばれる。あの時は届かなかった手が、今度はちゃんと届いたことに胸を撫で下ろしながらも、名前はすぐさま己の中のスイッチを切り替えた。
自分の本当の役目は、ここからだ。瞬時に追撃体制を取り始めたヴィランの視界を遮るように、名前は両腕から大量の泡を放出した。ヴィランの狙いが定まらないよう、最大出力で隙間なく広範囲に撒き散らす。爆豪の渦巻く爆風のおかげもあってか、上手く泡が拡散され、目くらまし要員としては大いにその成果を上げたようだった。
その後危うい場面がありながらも、Mt.レディや他のプロヒーローの助力のおかげもあって、爆豪救出作戦チームは全員欠けることなく戦場を後にした。
***
「轟くんたちも無事に避難できたみたい」
騒がしい群衆の雑踏に紛れ込み、ようやく一息を着いた頃。緑谷が別ルートで避難した轟と八百万の無事を確認してくれ、名前はほっと胸をなでおろした。
しかし無事に逃げおおせたといっても、戦いが終わった訳では無い。未だ尚オールマイトと謎の男の戦闘は続いており、駅前の液晶モニターにはデカデカとその様子が映し出されていた。
いつ命が握り潰されてもおかしくなかったあの現場で、全員無事に逃げれたのは奇跡に近いことだろう。
安堵感がじわじわと身体中に広がっていき 、張り詰めていたものが途切れたことでふいに名前の足がフラついてしまう。そのままバランスを崩しかけた名前の背中を、ほんのりと熱を放つ大きな手が受け止めた。
「・・・っあ、りがとう・・・爆豪くん」
先程まで切島と話していたはずの爆豪が、いつの間にか隣にいる。どうやら自分たちの少し前に立つ緑谷たちは中継画面に釘付けになっているようで、こちらの様子に気づいてないようであった。
しかしながら、いざこうして爆豪と向かい、その熱を肌で直接感じたことによって、彼が無事に生きて隣にいるのだということを改めて実感させられる。その瞬間、名前の中で堰き止めていた何かが崩壊した。
ふいにボロボロとこぼれ落ちてきた涙。呆気に取られたような表情でこちらを見る爆豪に、名前は慌ててぎこちない笑顔を作る。
「ご、ごめんね。・・・っ泡が、目に入っちゃったみたい」
泡なんて、とっくに風に乗って散っていた。分かりきった嘘。いつものように気怠るそうに舌打ちでもしてくれれば、涙なんてきっとすぐさま引っ込んでいっただろう。なのに──。
「・・・これで三度目だな」
爆豪のカサついた指先がそっと名前の頬に触れ、零れる涙を拭い去る。
悲鳴やサイレンが鳴り響く喧騒の中で静かに紡がれた言葉に、名前は弾かれたように爆豪を見上げた。
いつもの強気な表情はそこにはなく、ただ静かにルビーレッドが揺れていた。
「・・・オールマイトの足引っ張んのが、嫌だったんだ」
「・・・うん」
「俺はあの人の勝つ姿しか見たくねェから」
「・・・っ、うん」
「あと・・・逃げようと思えば、一人でも逃げれた。だから、お前らに礼を言うつもりはねえからな」
いつもと何一つ変わらない、ひねくれた勝気な言葉たち。けれど凪いだ海のように穏やかな口調で、何故だか涙が止まらない。
うんうんと、必死に頷きながらなんとか呼吸を整えていれば、ふいに爆豪の口から深いため息が吐き出された。彼はがしがしと頭をかいたあと、キュッと目を細めたかと思えば、名前の腕を掴んで片手で己の胸元へと引き寄せる。
バクバクと波打つ爆豪の心音がダイレクトに名前の耳に届き、力強い生の音を響かせていた。
「俺はちゃんと生きてここにいる。・・・だから、さっさと泣きやめ」
ぶっきらぼうに告げられたものとは裏腹に、爆豪の空いた左手が、ポンっと名前の頭を小突いた。
言葉と行動がチグハグな様子がなんとも彼らしくて、睫毛を濡らしながらも思わずふっと笑みを零してしまう。それと同時、安心したように小さく唇の端をあげた爆豪の顔を見て、名前はやっと涙を止めることができたのだった。
「うん・・・ありがとう」
「バカか。何でお前が礼言ってんだよ」
泣き止んだのならお役御免だと、気まぐれな猫のようにするりと離れていく温もりが、名残惜しいと思ってしまうのはなぜだろう。
何時ぞやと同じ台詞を吐く爆豪に、名前はふるふると小さく首を横に振って、もう一度真正面から彼と向き直った。
「林間合宿の時に助けてくれた分のお礼だよ」
「・・・・・・」
「・・・爆豪くん」
「ンだよ・・・」
「私、もっともっと強くなって、絶対プロヒーローになる。だから──・・・」
全ては、君と出会ったあの日から始まった物語。雄英で力をつけて、いつだって目の前で助けを求める人に、必ず手が伸ばせるようなヒーローになりたい。
手が届かずに泣きべそをかくのは、今回でおしまいだ。
「私のこと、見ていて欲しい。いつか君の背中に追いつくから」
名前の真剣な声色に一瞬目を丸めたものの、爆豪はすぐにハッと小さく息を漏らし、そしていつものニヒルな笑みを浮かべた。
「上等だ。遥か先で、高みの見物をしててやる」