ドライフラワーが天井に所狭しと吊るされ、白基調にパステルカラーの差し色がきらきらと輝く内装のカフェ。
目の前の席に座りケーキをつつく友人・恵津子から突然飛び出してきた言葉に、名前は思わず目をくるりと丸めた。


「え!澤ちゃん結婚するの?」
「そう!九月に式するんだって!私もりょーちんから一昨日聞いてさ〜!いきなりすぎてびっくりよ!」
「相手だれ?まさか柏場くんじゃないよね?」
「違う違う!確か柏場とは社会人なる前に別れてるよ。会社の先輩とだって〜」


話題に上がった澤ちゃんは、高校時代につるんでいた六人グループの内の一人だ。
卒業と共に疎遠になってしまい、今はもうほとんど付き合いがなくなった相手ではあるが、芋づる式に繋がってこうして情報がたまに流れてくる。
学生時代の女子のグループは何かと大所帯だ。
対個人になればさして仲良くもないのにやたらにグループになりたがる。
現に名前も流れでそのグループに所属していたものの、卒業後もこうして深い付き合いがあるのは目の前の恵津子のみとなっていた。

だがしかし、結婚式となれば話は変わる。
人生の中で問答無用で主役になれる晴れ舞台。
尚且つある程度人数が必要となる儀式。
疎遠になっていたとしても、学生時代の友人がこぞって召喚される一大イベントなのである。
不穏な空気を察知したかのように名前が思わず恵津子に目配せをすれば、彼女は何とも形容しがたい表情で深く首を縦に振った。


「りょーちんが澤ちゃんに高校の子みんな呼ぶの?って聞いたら、もちろん!とのことです」
「やっぱりかぁ!いや、もちろんおめでたいし呼んでもらって嬉しいんだけど、御祝儀三万にドレス買わないといけないから薄給の社会人二年目には出費がつらい・・・!」
「それだけじゃないよ」
「え?」
「なんと余興を頼まれました!私も名前ももれなくメンバーの一員で〜す!」


なんというミラクルパンチなのだ。
金銭問題のみならず予想打にしていなかったハードな任務が追加され、名前は思わず天井を仰いだ。


いつかリナリアの花束を
Act.01




そびえ立つ大きな門を潜り、警備室で受付を済ませた名前はカメラを片手に恵津子と共に母校・キメツ学園に訪れていた。

話を聞いた数日後、正式に花嫁から結婚報告と余興の依頼を受けたため、かつての級友グループで相談し合ったところ、余興はメッセージムービーにしようということで落ち着いた。
親や友人・会社の人、さらにはかつての恩師など様々な人からお祝いメッセージをもらい、それを繋ぎ合わせるだけなので比較的素人にも作りやすい。
役割を分担する中で、就職後も地元に残っていた名前と恵津子の二人は、母校の写真や恩師からのメッセージ動画を撮りに行く担当に任命され、こうして休日にキメツ学園に足を運んでいた。


「そういえば恵津子、結局誰にアポとったの?」
「カナエ先生だよ。ほら、私華道部だったじゃん」
「あ〜。確かたまにカナエ先生が買ってきてくれるっていう和菓子目当てで入ってたよね」
「失礼な!ちゃんと毎日美しいお花たちと向き合ってました〜!」


たわいも無い話にけらけらと笑い声を上げながら、校舎内を巡っていく。
グラウンドや教室など懐かしい風景をカメラに収める度に、何だか学生時代に戻ったような感覚に陥った。
卒業してからたかが六年、されど六年。
学園で過ごした溢れんばかりの記憶が次々と思い出され、じんわりと心の中を埋めつくしていく。
残すところは教師のムービー撮影のみとなり、二人は約束を取り付けていたカナエの元へ歩を進めた。


「休みの日だけど先生たち結構いるんだね。さっきも響凱先生とすれ違ったし」
「部活動の顧問してる先生は大抵いるらしいよ。あとほら今もう二月じゃん。卒業式と新学期の準備で結構みんな休日も出勤してるんだってさ〜」


そんな恵津子の言葉を聞き、ふいに名前の脳内にある人物の顔が浮かんできた。
獅子色の輝く髪に、猛禽類を彷彿とさせる爛々と輝く赤い瞳。
名前が高校二年生の時にキメツ学園に新人として赴任し、二年間学年の歴史教科担当を務めていた煉獄杏寿郎だ。

澄み切った声から語られる歴史の話はとても面白く、苦手教科だった日本史が彼のおかげでぐんぐんと成績が伸び、その後の大学専攻などにも影響したことは今でも記憶に新しい。
よく個別で質問をしに行き、その時に取るに足らない話に花を咲かせていたりもしたため、学生生活の中で一番思い出深い教師と言えるだろう。

勇気を振り絞って、バレンタインの時に手作りのスイートポテトを渡したところ、とても喜んでくれたことをよく覚えている。
己の中で淡い思い出として残っている煉獄とは果たして会えるのだろうか。
甘い期待を胸に、がらりと扉を開けた恵津子の後に続いて名前は職員室へと足を踏み入れた。


「こんにちはー!お久しぶりですー!」


高らかな恵津子の声に、職員室にいた教員たちは一斉にこちらへ振り返る。
その中で一人の人物が嬉しそうに顔を輝かせて名前たちに手を振ってきた。


「あら〜!いらっしゃい」
「カナエ先生お忙しいところすみません」
「いいのよぉ。今お昼休憩だったからみんないるしちょうど良かったわ」
「おーおー!!山田に名字じゃねぇか!いい女になったなお前ら!」
「いえーい!宇髄先生おひさー!」


カナエの元へ行き名前が声をかければ、すぐ近くの席に座っていた宇髄がひょっこりと顔を覗かせ、恵津子と嬉しそうにハイタッチをし出す。
その横にはちらりとこちらを一瞥するものの、何も言葉を発しない女嫌いで有名な伊黒が座っていた。
さらにカナエの横には不死川、奥には悲鳴嶼がおり、名前たちが学生時代にお世話になった教員たちが見事に顔を揃えている。
しかしその中でも目当てにしていた人物の姿が数名見当たらなかった。


「あれっ冨岡先生は〜?澤ちゃん、冨岡先生のファンだったから絶対撮りたいのに」
「冨岡なら非常階段で愛妻弁当食ってんぞ」
「え、待って!あの人まだ非常階段でぼっち飯してんの!あと愛妻弁当って!?」


宇髄の言葉に恵津子が素っ頓狂な声をあげれば、カナエは驚いたように目を見開いた。


「そっかぁ!二人とも知らないわよね。冨岡先生、昨年末に結婚されたのよ」
「え!冨岡先生がですか?」
「えぇ。大学の頃から十年ほどお付き合いされてた方なんですって」


だから誰も寄せ付けないあんなに硬派な雰囲気を纏っていたのかと、名前は学生時代に抱いていた富岡の印象を朧気ながら思い返す。
自分たちが在学していた頃、今目の前にいる教師たちはそのほとんどが当時二十代で花盛りの年齢であった。
特にカナエたちの世代は二十代半ばで年齢が近いことも相まって、学生たちからかなり慕われていたし当然の如くモテた。
しかしそこは教師と生徒。
無論一線を超えるような話は聞かなかったし、彼らからは恋愛のれの字も感じたことはなかった。

けれど当時の彼らと同じ年齢になった今なら分かる。
ちょうど大学・社会人と紆余曲折を経て、酸いも甘いも経験していく年頃だ。
きっと彼らも色々なことがあって、その中でこの人だと思う相手と結婚を決めていったのであろう。
ちらりと一瞥した中で、伊黒・宇髄の左の薬指にはきらりと光る結婚指輪が見てとれた。
先程頭に浮かんだ彼はどうなのだろうか。
そんな邪な気持ちが名前の心に芽生えたと同時、ふいに後ろの職員室のドアが勢いよく開かれた。


「ただいま!冨岡も連れてきたぞ!」


高らかに響き渡る声。
その特徴ある凛とした声に、名前の心臓がどくりと跳ね上がった。
颯爽と現れた煉獄は、後ろに冨岡を引き連れて、両手にコンビニの袋を抱えながら意気揚々とこちらへ向かってくる。
久しぶりに見たその姿は六年前とほとんど変わっていない。
相も変わらず輝かしいその姿に、名前が思わず見惚れていれば、横にいた恵津子がひらひらと煉獄に手を振った。


「わ!煉獄先生じゃ〜ん!冨岡先生もー!」
「む!山田か!相変わらず元気が良いな!」
「煉獄先生もね〜!どこ行ってたの?」
「昼飯が足りなかったのでな!コンビニに買い出しに行っていたのだ!」
「お前らとの約束の時間になりそうだったから、ついでに冨岡も拾いに行かせたんだよ。煉獄、俺のペプシあるか?」


恵津子の後ろからひょいと顔をのぞかせる宇髄に、煉獄は「うむ!」と威勢よく答えると彼に青いペットボトルを差し出した。
他の教師陣にもおつかいを頼まれていたのか、それぞれに飲み物やお菓子を配り始める。
そしてこちらにくるりと身体を向けたかと思えば、煉獄はその大きな目で名前を捉えると、太陽のように眩い笑顔を浮かべた。


「名字、久しぶりだな!元気だったか?」
「は、はい!」
「来ると聞いていたから飲み物でもと思ってな!確か以前ミルクティーが好きだと言っていたのを思い出したんだが、大丈夫か?」
「はい・・・!ありがとうございます」


そう言って手渡されたペットボトル。
煌びやかな装飾にミルクティーと印字されたラベルには、微糖という文字が並んでいた。
それを目に入れた瞬間、こそばゆい感情が名前の全身を駆け巡る。
それは六年前の些細な会話だったろうか。
受験生の頃、分からない問題があれば学園の自販機で大好きなミルクティーを買ってから、職員室の煉獄の元に通うことが名前の楽しみになっていた。

『名字はいつもミルクティーを飲んでるな!好きなのか?』
『はい。でも甘すぎるのはちょっと苦手なんで、微糖派です』

一度しただけのその会話を煉獄が覚えていたことに驚きつつ、嬉しさを噛み締めるように名前はまだ温かさが残るペットボトルを握りしめた。



***


「不死川先生と伊黒先生もっと優しく笑ってよ〜!結婚式に使うムービーなんだからー!」
「注文が多いぞォ!そんで冨岡!後ろでニヤニヤすんなァ!」
「・・・後で覚えてろ冨岡」
「てめぇらもっとド派手に決めろ!」


ほとんどの教師の撮影が終わり、残すところは不死川と伊黒の二名のみとなった。
しかしニコリと愛想良く笑うことが苦手な二人はなかなか恵津子からOKが出ず、先程からずっと撮影が難航している。
囃し立て出した宇髄と恵津子に撮影を任せ、先に名前が撮影に使った備品の後片付けをしていれば、ふいに横から煉獄が現れた。


「どれ、手伝おう!」
「えっ!だ、大丈夫です!一人でできますので!」
「遠慮するな!それに二人で片付けた方が早いだろう?」
「・・・はい。ありがとうございます。じゃあ、マジックをしまってもらっても良いですか?」


机に散らばるマジックの空箱を渡せば、煉獄は満足そうに頷いていそいそと集めだした。
昔から変わらないその優しさと眩い笑顔に、名前の心臓は次々と撃ち抜かれる。

学生の頃、煉獄に憧れに近い淡い恋心のようなものを抱いていたといえども、名前も初な娘な訳では無い。
大学・社会人と人並みに恋はしてきたし、過去には彼氏もいて、それなりのことは経験してきたつもりだ。
しかしつい三ヶ月前に彼氏に振られ、傷心している心が新しい恋を求めているのか、久しぶりに会った煉獄の言動に色めきたっているのもまた事実であった。


「そういえば、名字は今どんな仕事をしているんだ?」
「私、出版社で営業事務をしてるんです。刃出版って分かりますか?」
「もちろん!歴史小説をたくさん出版してるところじゃないか!俺もたくさん読んでるぞ!」
「本当ですか!ありがとうございます。やりたかった分野なので、毎日楽しく仕事してます」


肩を並べながら作業をしつつ、たわいも無い話に花を咲かせる。
以前は教師と生徒だった関係性が、今は同じ社会人として同等の会話ができることがただただ嬉しい。
緩みそうになる口元を隠しながら名前が言葉を返すと、ふいに彼は思い出したように「そういえば!」と声を張り上げ、こちらに顔を向けた。


「大学も日本史学専攻だったな!名字が第一志望に受かった時、真っ先に俺のところに報告に来てくれたのをよく覚えている!」


紡がれた煉獄の言葉。
覚えていてくれたという嬉しさがぐっと込み上げてくる。
当時大学に合格した時、本当は言いたかったけれど気恥しくて言えなかった気持ちを、今なら素直に言えるかもしれない。
そう思うや否や、名前は煉獄の赤い瞳を見据えると意を決したように口を開いた。


「・・・全部、煉獄先生のおかげなんです」
「俺の?」
「はい。私、実はずっと歴史の勉強が苦手だったんです。でも先生から日本史の面白さを教えてもらって、大学も仕事もその関連でやりたいことが見つけられました。だから、今の私があるのは、煉獄先生のおかげなんです。本当に・・・先生に出会えて良かったって思ってます」


まるで愛の告白をしているかのような気分だ。
心臓が口から飛び出てしまいそうなくらい、ばくばくと音をたてているのが分かる。
恐る恐る煉獄の様子を伺えば、惚けたような表情をしていた彼の頬が、名前と同じようにほんのりと赤くなったのが見て取れた。


「ありがとう、名字。教師として、そんな言葉を言って貰えるなんて・・・俺は幸せ者だな!」


恥ずかしそうに顔を綻ばせた煉獄を前にして、名前の中で何かが弾けたような感覚がした。
もう手遅れだと言わんばかりに、脳内がちかちかと信号を発している。

最初に煉獄が現れた時にすでに左手の薬指に指輪がないのは確認済みだった。
しかしそれだけで彼女がいるかどうかまでは分からない。
けれどこのままこの機会を逃してまた会えなくなってしまっては、いつか後悔してしまいそうだという感情がただ名前を突き動かしていた。


「先生、あの・・・っ!うちから出ている本の作家さんで好きな方っていますか?」
「あ、ああ・・・そうだな、後藤家先生の物は好んでよく読むな!新刊もとても面白かった!」
「後藤家先生の作品良いですよね!私も先生の刀シリーズが大好きで・・・!あっ」


お互いむず痒い空気を纏いながらも何とか言葉を交わす。
どうにか次に繋がる手段はないかと必死に頭を回転させていれば、ふいに先日ペアを組んでいる営業がくれたチケットの存在が名前の頭に浮かんだ。
今この瞬間のために神様が用意してくれたのではないかと疑いたくなるほどのベストタイミングだ。
心の中で神様と共に営業に感謝を唱えつつ、がさがさと鞄を漁り、財布から取り出した映画の試写会チケットを名前は煉獄の前に突き出した。


「あの、二年前に出た後藤家先生の『慈しい刀』の映画が三月から公開するんです。その試写会チケットがあるんですけど・・・良かったら一緒に行きませんか?」


きょとんと固まったまま動かなくなった煉獄の姿を目の前にして、名前は思わず我に返り、己の猪突猛進さに凍りついた。
ああ、この反応はもしや彼女がいてお断りされるというパターンなのではないか。
相手のことをろくにリサーチもせずに、無計画にも程があった。
穴があったら入りたいと、思わずチケットを引っ込めようとした瞬間、ふいに煉獄の後ろから何者かの手が伸びてきてそのチケットを奪い去った。


「おーおー。いいじゃねぇか煉獄。お前この映画見たいとかこないだ言ってたよな。せっかくだし行ってこいよ」
「宇髄・・・」
「はいはーい!お互いスマホ出して!煉獄、お前QRコードの出し方とか分からないだろ?ロック解除したら俺に渡せ」


突然風のように現れ、流れるように事を進めていく宇髄の勢いに押され、名前と煉獄は大人しくスマホを取り出した。
すでに撮影が終わったのか、不死川と伊黒が冨岡を追いかけて文句を飛ばしており、それを見て恵津子がお腹を抱えて笑う姿が見える。
そんな様子を横目に宇髄が出した煉獄のQRコードを読み込めば、名前の画面に『煉獄杏寿郎』と言う文字が表示された。


「え、と・・・何かスタンプ送りますね」
「ああ。助かる」


煉獄がそう答えると同時、ふいに煉獄を呼ぶ声が職員室入口聞こえる。
部活の生徒だろうか。ジャージ姿の男子生徒が彼を探していた。


「む!すまない、名字。また後ほど連絡する」
「は、はい!ありがとうございました!」


慌てた様子で去っていく煉獄の姿をただ静かに見送っていれば、ふいに名前の背中を宇髄の大きな手のひらがばしりと叩いた。


「あいつ、確か3年くらい彼女いねぇから頑張れよ」


びしっとウインクを決め、チケットを名前に返すと宇髄は颯爽とその場を後にした。
果たしてどこから会話を聞かれていたのか、彼には全てお見通しなのだろう。
さすがバレンタインチョコ獲得数NO,1の色男と呼び声高い教師だ。


「名前〜!撮り終えたし帰ろっかぁ」


呆然と立ち尽くしたままの名前に向かって、カメラを片手に恵津子が呑気に声をかけてくる。
宇髄の強力な援護に感謝しつつ、逸る気持ちを抑えながら名前はそっとポケットにスマホをしまった。


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