あれから二週間後。
傘の受け取りのため、煉獄と再び会う約束を取り付けた名前は彼と二度目の食事をしに訪れていた。
傘を取りに行ってくれたお礼に食事をごちそうさせて欲しいと言ったところ、教師や男としてのプライドがあるようで煉獄には予想通りだいぶ渋られた。
そこを何とか説得して、デパート内にある程よい価格帯のパスタランチのお店に入ったのが一時間前。
傘を受け取り、お腹も満たされ、後はもう解散だろうと会計を終えて外に出れば、店前で待っていた煉獄が店横に張り出されていたポスターに釘付けになっていた。


「どうしたんですか?」
「む!いや、ホワイトデーまであと一週間もないのだということに気がついてな!」


煉獄が見ていたのは、水色の背景の中で美味しそうなスイーツがカラフルに並ぶポスターであった。
『ホワイトデー!今年はおしゃれに?やっぱり王道?それとも個性派?』と綴られたメッセージを見て、世の男性陣はついにこの日が近づいてきたかと慌て出すのだろう。
横にいた煉獄も、返すべき人数を思い浮かべているのか、うーんと唸り声をあげながら指折り数え出す。


「いやはや、いつもは千寿郎が代わりに買いに行ってくれたのですっかり忘れていた!」
「・・・弟さんですか?」
「そうだ!弟は甘いものが好きで色々と詳しくてな!だが去年就職して地方勤務になってしまったから今年は頼れないんだ!」


弟がいるという話は噂で聞いていたが、自分と同じくらいの年齢なのだということは知らなかった。
だからこんなにも煉獄は面倒見がいいのかと考えていれば、ふいに煉獄が名前の方へ視線をよこした。



「名字!」
「はい」
「君はスイーツには詳しいか!?」
「まぁ、人並みには・・・と思います」


名前がそう答えると、彼は輝かしい太陽のように満面の笑みで笑った。



いつかリナリアの花束を act.03




「このあたりのブランドは王道なタイプです。あと、有名店が好きな人に人気なのはこのパティスリーとか・・・あっ、あとこことかかな」

3.14の日付がハートマークで囲われたポスターが散りばめられた店内。
デパ地下のホワイトデー特設コーナーにて、出店ブランドの見取り図を前に名前がそう説明すると、煉獄はただでさえ大きな目をさらに見開いて動きを止めた。


「横文字ばかりだな!何の店なのかまったく分からん!」
「先生はチョコレートとかあんまり食べないですか?」
「ああ、まず甘いものをそんなに食べない!食べても芋か和菓子がほとんどだな!」


確かに自分が在学中に煉獄の机の上で見かけたおやつといえば、煎餅か蒸したさつま芋くらいだった。
煎餅はまだ分かる。
無秩序にアルミホイルで包まれた焼き芋を丸々一本、机に座って頬張っている煉獄を初めて見た時はとても驚いた。


「先生みたいに甘いものが苦手な人には、スイーツじゃなくてお酒とか入浴剤とかの消え物でもいいと思います」
「むむ、そういう手もあるな・・・」
「とりあえず見てみましょうか。基本的に先生が美味しそうとかあげたいって思ったやつでいいと思いますよ」


名前の言葉にそれもそうだと言わんばかりに頷くと、二人はいそいそと売り場内へと歩を進めていった。
ホワイトデーまで一週間をきった土日ということで、売り場はかなり混雑している。
キラキラと宝石のように美しいチョコレートやマカロンが並ぶショーケースを見るのも一苦労だ。
何とかはぐれないように人混みを掻き分けながら煉獄の背中について行けば、ふいに煉獄があっと小さな声を漏らし、ある店の前で足を止めた。


「可愛いですね。犬とか猫とか、あっうさぎとかコアラもいる」


手招きする煉獄に釣られて名前がショーケースを覗けば、愛らしい動物たちの顔を象ったチョコレートが並んでいた。


「確か犬が好きだと言っていたんだ!」
「それならきっと喜びますね」
「よし、決めた!一つはこれにしよう!」


即決即断するや否や、煉獄はすぐさま店員に声をかける。
あまりの速さに目を丸めながらも、名前は邪魔にならない場所に移動して、大人しくその様子を見守った。

好きな人のホワイトデー選びに付き合うなんて、我ながら何とも滑稽な姿だなと思う。
何人からもらったのだろうか?本命はあったのか?などと、たくさん聞きたいことがあったが、根掘り葉掘り聞いてしまえば己の魂胆が丸見えになってしまうだろう。
煉獄の気持ちがこちらに向いていないうちからそのようなことは避けたい。
今回は悔しいが大人しく見守るしかないなと考えていれば、会計を終えた煉獄が嬉しそうな顔で名前の元に駆け寄ってきた。


「全て犬にしてもらえた!色んな犬種がいたぞ!」
「良かったですね」
「ああ!この調子でどんどん買おう!」


意気込む煉獄に、つられるようにして名前も笑った。
会場内にはスイーツ以外にも煎餅などの米菓系や食品以外のギフトコーナーもあったため、買い物は比較的スムーズに進んだ。
全てを買い終えた後、買い忘れがないかの確認をしようとのことで、二人は会場近くに用意されていた休憩スペースに腰を下ろした。


「犬のチョコレートに、緑茶とお酒。あとはチョコがけ煎餅・・・これで大丈夫ですか?」
「うむ!問題ない!」


そう頷く煉獄に名前は思わず目を丸めた。
毎年煉獄は学生たちから物凄い数のバレンタインを貰っていたはずだった。
それが購入したお返しはたったの四個。
しかも犬のチョコレート以外はなかなかに渋いラインナップだ。
三十路にもなると、生徒からの人気に陰りが見え始めるのだろうか。
いや、むしろ大人の色気が増して人気がますます上がっていてもおかしくないはずだ。


「結構少ないですけど・・・先生、今年は生徒からチョコ貰わなかったんですか?」


思わず名前が本音を漏らせば、煉獄はあっけらかんとした表情で答えた。


「ん?ああ、数年前から生徒からバレンタインを受け取ることが禁止になったから、今年も貰ってないぞ!元から教師がお返しを渡すのが駄目だという決まりがあったから、ホワイトデーに関しては昔と何も変わらないんだがな!」


名前が煉獄に勇気を振り絞ってバレンタイン渡したのは最後の年のみだったので、ホワイトデーの頃には卒業していて煉獄に会うことはなかった。
そのため、教師からのお返し行為が禁止されているなどまったくもって知らなかったのだ。
確かに一、二年の時、周りの生徒たちが教師陣にバレンタインを渡す姿を見たことはあっても、春休みということもあってお返しをもらっている場面に出くわしたことはない。
ならばこれは一体誰へのお返しなのだと思わず紙袋の中身を見つめていれば、まるで名前の考えが筒抜けたかのように、煉獄が口を開いた。


「有難いことに付き合いでもらうことがあってな!この犬のチョコは父の道場に来てくれている七歳の女の子、緑茶はよく行く惣菜屋の女将で、酒は伊黒の嫁にだ!伊黒の嫁は学生の頃剣道部の後輩だったから、今でも付き合いがあってな。最後の煎餅は名字も知ってる学園の掃除のおばちゃんだ!覚えているか?」
「えっあの掃除のおばちゃんってまだいるんですか?私がいた時でもう七十近いとか言ってたのに・・・!」
「今でも現役だぞ!毎年バレンタインに美味いおはぎを作ってくれるんだ!不死川がとても喜んでいる!」


下は七歳から上は七十歳まで、何ともまあ幅広い年齢層だ。
それほど彼には老若男女問わず人を引きつける魅力があるのだろう。
思わず名前がふっと笑みをもらせば、煉獄もまた楽しそうに笑った。


「そういえば歩き回ったら喉が乾いたな。飲み物でも買ってこよう!」
「あ、いえっ私が行きます!」
「すぐに戻るから気にするな!その代わり荷物番を頼んだ!名字は何がいい?」
「すみません・・・。じゃあホットのミルクティーでお願いします」


名前の答えを聞くと、煉獄は颯爽とその場を後にする。
人混みに消えていった獅子色の後ろ姿を見送りながら、名前は煉獄に預けられた紙袋を大事に抱え直した。

ふいに周りを眺めれば、真剣にプレゼントを選ぶ男性陣たちの姿に混じって、楽しそうにショーケースを眺めるカップルたちの姿がちらほらと目に付いた。
いつか自分も煉獄とあんな風に共に過ごせるようになればいいなと淡い妄想を抱きながら、カップルたちの仲睦まじい姿を眺めていると、十分足らずで煉獄が戻ってくる。
手には有名コーヒーショップのイラストが書かれたカップが二つと、腕には何やら紙袋がぶら下げられていた。


「待たせたな!」
「いえ、ありがとうございます」
「熱いから気をつけるんだぞ!・・・あとこれも良かったらもらってくれ」
「え?」


ゆらゆらと湯気のたつミルクティーを受け取るや否や、煉獄が腕にぶら下げていた紙袋を名前に渡してきた。
もしやこのブランドの紙袋はと、名前が目をぱちくりさせたまま遠慮がちに中身を取り出せば、中には宝石の形を象ったチョコレートが入っていた。


「先生これ・・・」
「さっき買い物している時に名字がこのチョコレートに釘付けだったからな!今日付き合ってくれたお礼だ」


思わず顔を輝かせる名前に、煉獄はその表情を見て満足そうに頷いた。
先程会場を回っている際、以前雑誌で見かけて食べたいと思っていた有名パティスリーのチョコレートを見つけ、あまりの綺麗さに食い入るよう見つめていたのだ。
それを煉獄に見ていられていたなんてと照れながらも、予想外の煉獄からのプレゼントに名前は嬉しさを隠せずにはいられなかった。


「あと、昔名字がバレンタインにくれたスイートポテトがとても美味かったから、その時のお返しも兼ねているぞ!」
「え・・・!先生、私が渡したの覚えていてくれたんですか?」
「もちろん!あの時は君はまだ学生だったから俺からお返しを渡すことはできなかったが、今は違う。七年越しのホワイトデーだな!」


そう言って快活に笑う煉獄の横で、名前は嬉しさのあまり、緩みそうになる顔を必死に我慢した。
煉獄からすれば何気ない言動であったのかもしれない。
しかし少しでも彼に一人の女性として向き合えてもらえたような気がして、とても嬉しかったのだ。
前回の居酒屋デートでは、元とはいえども生徒の枠を抜け出せていなかった名前にとっては、かなりの進歩であった。


「ありがとうございます。大切に、味わって食べますね」


煉獄にはもちろん、七年前の己の勇気に感謝しながら、名前はチョコレートの箱を握りしめる手にぎゅっと力をこめた。

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