スマホで文字を打っては消し、打っては消しを繰り返す。
夜の繁華街にあるチェーンの珈琲店。
その窓際のカウンター席に座っていた名前は、ラップサンドを頬張りながら先程から頭を悩ましていた。

煉獄と名前が最後に会ったのは三週間前。
その後は特に彼とは連絡を取っていなかったし、当然次の約束を取り付けてもいなかった。
新学期の準備に向けてこれからかなり忙しくなると言っていたため、今は何となくこちらからは誘いにくい。
かと言ってこのまま放置していれば、自然と何も進展なく終わってしまいそうな気がしてならない。
どっちにしろ八方塞がりな状態だ。


「こないだのチョコのお礼がしたいからとか・・・?いや、気持ちだけで十分だ!とか言われちゃいそうだよなぁ」


ブツブツと呟きながらスマホの画面を見つめていれば、ふいに名前の隣の席に誰かが腰を下ろしたのが視界の端に入った。
邪魔にならないように自分のトレイを手元に寄せながら、何気なく横に目線をよこした瞬間、ふいに隣の席の私服姿の青年と視線がかち合う。
その顔を見て、名前は驚きのあまり思わず上擦った声を上げた。


「もしかして・・・竈門君?」
「え?はい、そうですけど・・・」
「やっぱり竈門君だ!ほら、私二年の時にクラスが一緒だった名字名前!覚えてる?」


くるりと大きな目を丸めて不思議そうな顔をしていた青年は、名前の名前を聞いた途端、弾けるような笑顔に変わった。


「もちろん!こんなところで席が隣になるなんて、すごい偶然だなぁ!」
「ほんとに〜!卒業以来だね。竈門くん全然変わってないからすぐに分かっちゃった」
「ははっよく言われる。名字さんはとても綺麗になってたから気づけなかったよ、ごめんね」


炭治郎の裏表のない言葉と笑顔に釣られて、名前は照れたようにはにかんだ。
お世辞といえども、この歳になってもそのように褒めてもらえるのは嬉しいものだ。
彼とは特別仲が良い訳ではなかったが、顔を合わせれば挨拶をして雑談をするような仲ではあった。
確か実家のパン屋を継いでいるらしいとの話を風の噂で聞いた覚えがある。
会うのは実に七年ぶりかと懐かしさを噛み締めていれば、炭治郎はトレイに乗ったコーヒーにミルクを入れながら口を開いた。


「でも最近よく名字さんの名前を聞いてたからかな、なんだか久しぶりな感じがしないや」
「私の名前?誰から?」
「煉獄先生だよ。俺、先生の家がやってる剣術道場で週末手伝いをさせてもらってるんだ。先生と名字さん、最近よく会ってるんだろう?」


突然炭治郎の口から出てきた煉獄の名に、名前は思わず動きを止める。
ただ単に、元同級生の炭治郎に話のネタのひとつとして自分の名前を出しただけかもしれないが、何とも嬉しいような恥ずかしいような感情に襲われた。
「よくってほどじゃないよ」と何とも歯がゆい返事をすれば、炭治郎は何やらくんくんと鼻を動かす。
そして何かに気づいたように目を丸くした後、彼はふわりとした柔らかい笑みを浮かべた。


「名字さん、今週の土曜日って暇?」
「土曜日?うん、何も予定はないけど・・・」
「先生の道場で小学生向けの練習会があって、その手伝いをしに行くんだけど、名字さんも良かったら来ないか?」
「え?でも・・・」
「いつも練習会の後にうちのパン屋の宣伝を兼ねて、来てくれた人にパンを配るんだけど、今週は妹の禰豆子が手伝いに来れなくて困ってたんだ。だから名字さんさえ良ければ、手伝ってもらえたら俺は嬉しいな!」



まさに棚からぼたもち。
偶然再会した元同級生から救いの手を差し伸べられるなど、誰が想像できただろうか。
炭治郎の言葉に、名前が「ぜひ!」と元気よく返事をすれば、彼はまた嬉しそうに微笑んだ。


いつかリナリアの花束を act.04




やー!と楽しそうに小学生たちが竹刀を振り回す賑やかな声が道場に響き渡る。
道着に身を包み、十五人ほどの小学生を相手に指導する煉獄と炭治郎の姿を、名前は道場の端に座って眺めていた。

炭治郎から誘われて煉獄の実家の道場に訪れたのが一時間ほど前。
前もって炭治郎が煉獄に名前が来ることを伝えていてくれたようで、彼は快く名前を迎えいれてくれた。
来たからには存分に手伝いをしようと張り切る名前であったが、自分の出番は練習会が終わるまで特にないとのことだったので、配布用のパンと共に終わるまで大人しく練習を見守ることになったのだ。

煉獄の道着姿は学生時代も何度か見たことがあったが、実際彼が竹刀を振るうのを見たのは初めてであった。
素人目にも、煉獄の剣術が特段長けていることはよく分かる。
凛とした佇まいと、素早く美しい太刀筋は思わず見惚れてしまうほどであった。
もしや自分は、彼のこと知る度に彼をどんどん好きになってしまう魔法にでもかかっているのではないだろうか。
煉獄のことを目で追いかけているうちに、あっという間に時間が経っていたようで、気がつけば練習会も終盤に差し掛かっていた。


「じゃあ今日はここまで!皆とても良かったぞ!またぜひ参加してくれ!以上だ!」


終了を告げる煉獄の声に、小学生たちは一斉に「ありがとうございましたー!」と伸びやかな声を上げた。
ようやく出番だと意気込みながら立ち上がると、名前はパン屋のチラシと共に、保護者に挨拶をしながら竈門家特製あんぱんを配っていく。
フワフワのあんぱんに嬉しそうに食いつく小学生たちは何とも愛らしい。
全てを配り終え、炭治郎が持って帰りやすいよう道場の出入口にパンが入っていたコンテナを運んでおこうと持ち上げた時、ふいに後ろから手が伸びてきて、名前からそれを軽々と奪った。


「俺が持とう。どこに運べばいい?」
「えっ!ありがとうございます。とりあえず出口置いておこうかなと・・・」


つい先程まで炭治郎と共に小学生たちと戯れていたはずの煉獄がすぐ後ろいた。
名前の返答に煉獄はにっこりと笑うと、そのままスタスタと出口に持って行ってくれる。
慌てて名前が後に続いていけば、それに気づいた煉獄は少し歩みを緩めてくれた。


「今日は手伝ってくれてありがとう!見ていて退屈じゃなかったか?」
「いえ、とっても楽しかったです。剣道って初めてあんなに近くで見たんですけど、迫力があって凄いなって思いました」
「そうか!名字も機会があればぜひやってみるといい!」
「う〜ん・・・私運動神経ないけどできるかなぁ」


そんなたわいも無い話をしながら、コンテナを運び終えると、出口では着替えを終えた小学生たちがちらほらと保護者と帰り始めていた。
さようならと元気に挨拶をしてくれる子供たちににこやかに返事を返していれば、ふいに煉獄と名前の元に二人の少年が近づいてくる。
お前が聞けよ、とこそこそと小声で互いの腕で小突きあっているのを見るに、何やら聞きたいことがあるのだろうか。
ようやく聞き役が決まったのか、目の前で止まった彼らは、煉獄ではなく名前の方に顔を向けた。


「ねぇねぇお姉ちゃん」
「えっ私?何かな?」
「あのさぁ・・・お姉ちゃんって、炭治郎先生の彼女?」
「へ?」


少年たちから出てきた思いかげない言葉に、名前は思わず間抜けな声を出す。
そんな名前の様子を見て、彼らは面白そうに顔を緩めた。


「炭治郎先生、いつもは妹連れてくるのに今日は違ったじゃん!」
「お姉ちゃんのこと、彼女なんじゃないのかって母ちゃんたちが噂してたよ!」


きっと何度か練習会に来たことのある子たちなのであろう。
ちょうどそういうことに興味を持ち出す年頃の少年たちの姿に微笑ましさを感じながらも、否定をしようと名前が口を開いたと同時、ふいに少年たちの親が現れて慌てて彼らを引っ張りあげた。


「こらっあんた達!そんなこと聞かないの!ごめんなさいね〜」
「え、いやっ私はその・・・」
「また再来週の練習会も参加させて頂きますね!ほらっ帰るよ!挨拶!」
「煉獄先生バイバーイ!」
「またねー!」


嵐のように過ぎ去っていく二組の親子を、名前は愛想笑いをしながら見送った。
きちんと訂正できなかったことだけが唯一心残りであり、炭治郎に何だか申し訳が立たない。


「あははっ、最近の小学生ってあんな感じなんですね。おマセさんで可愛いなぁ」


何とも形容しがたい空気感を払拭しようと、笑いながらふいに横にいた煉獄の顔を見上げれば、彼は驚いたような表情で固まっていた。


「・・・先生?」
「・・・名字は、竈門の彼女なのか?」
「え!?ちっ違います!竈門くんとは七年ぶりに再会した仲で、けして恋人とかじゃないですから!」


彼は何を言っているんだろうか。
自分に彼氏がいるならば、煉獄をデートに誘ったり、二人で出かけたりなどするわけがないじゃないか。
自分はそんなに尻軽な女に見えたのかとショックの余り思わず声を張り上げれば、煉獄は大きな目をさらに見開いた。


「・・・本当か?」
「もちろんです!」
「そうか・・・!いや、誤解してすまなかった!」


ほっとしたような表情でため息をつくと、煉獄ははにかんだ笑顔を浮かべる。
それがどういった感情なのか、煉獄本人に聞かなければ真意は分からないものの、彼のその言動は思わず勘違いしそうになるものであった。



「先生ー!入門の申し込みしたいっていう生徒さんがいらっしゃるんですけどー!」


そんなむず痒い空気を壊すかのように、炭治郎の声がこちらに投げられる。
「すぐに行く!」と弾かれるように返事をすると、煉獄はもう一度名前に向き直った。



「帰りは俺が車で送ろう!待っていてくれるか?」
「・・・はい!」


勢いよく返事をする名前の声に煉獄はゆるりと唇に弧を描くと、そのまま炭治郎の元へと戻っていった。
ほんの少しだけ、期待してもいいのだろうか。
ほんのりと赤く染った顔を思わずパタパタと仰ぎながら、名前は煉獄の背中を見送った。

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