「散らかっていて申し訳ないが、気にせずゆっくり寛いでくれ!」


そう言って煉獄は大きな声を上げながら、押し入れから名前のために座布団を引っ張り出してきてくれる。
それをテレビの前に置かれたローテーブルの近くに置くと、彼はお茶を入れてくるとキッチンへ向かって行った。
その様子を横目で眺めながら、名前はどうにか平常心を保とうと、深く息を吐きながらその座布団に腰を下ろす。

煉獄の一人暮らしの部屋に、名前と煉獄の二人きり。
何故このような事態になったのか。
それは遡ること一時間前の出来事がきっかけである。


炭治郎に誘われ、煉獄の実家の剣術道場での手伝いを終えた名前は、約束通り煉獄に自宅まで送ってもらっていた。
何気ない会話に花を咲かせていれば、いつの間にやら車は名前の一人暮らしの家へと近づいていた。
オートロックマンションのため、先に鍵を出しておこうと名前は車内で自分のバッグの中を漁り出す。
しかしカードキーが入ったパスケースがいつもの場所に見当たらない。
何処かに忘れてきたのかと名前が焦り始めた頃には、車は家の前に到着していた。


「どうかしたのか?」
「その、鍵が見当たらなくて・・・」
「なに!それは大変だ!道場に忘れてきたのか?」
「いえ、一度もバッグから出した記憶はないので・・・あっ!」


記憶を辿れば、そもそも今日はパスケースを家から持って出た記憶がなかった。
部屋を出れば鍵が自動で閉まるため、閉め忘れる心配がなく防犯的にもいいと思い選んだオートロック式のカードキーの物件。
それなのにまさか鍵を持って出るのを忘れて締め出されてしまうだなんてと、名前は思わず頭を抱えた。


「多分部屋の中です・・・。うちの家オートロック式のカードキーなので」
「スペアキーはあるのか?」
「一応親に渡してるんですけど、うちの親、祖母と同居することになって数年前に九州に引越しちゃったんですよね」
「なんと!では管理会社だな!」
「はい、ちょっと電話かけてみます」



管理会社に問い合わせすれば、どうせすぐに解決するだろうと言う考えが甘かった。
管理会社から帰ってきた返答は、生憎マスターキーを持っている管理人が私用で明日の夕方まで帰らないため、今日一日は我慢してくれという絶望的な回答であった。
親友の恵津子やその他友人たちは皆実家暮らしのため些か頼りにくい。
となればホテルかとスマホで検索をかけてみるも、桜のシーズン真っ只中だったためか、近隣のリーズナブルな価格のホテルはすでに満室となっていた。


「うーむ、どこも満室だな。残っているのはこことここくらいか」
「うっ・・・1泊4万円はきつい・・・!ここなんて6万円もする」
「桜シーズンでどこも値上がりしてるようだな」


藤と並び、桜の名所として有名である藤襲庭園がすぐ近くにあるため仕方がないことなのだろうが、薄給の二年目には些か財布が痛い。
これはもう漫喫コースで我慢するしかないかと項垂れていれば、運転席に座っていた煉獄が何とも考えあぐねた様子で口を開いた。


「名字。その・・・もし、君さえ色々と気にしないのであればだな。・・・うちでよければ、泊まるか?」


思わず目を丸めた名前の表情を見て、煉獄は少し気まずそうに頬をかく。
二人の間に流れた何とも言い難い雰囲気の中で、名前は食い入るように「お願いします!」と声を上げ、勢いよく頷いた。
そのような紆余曲折を経て、話は冒頭に戻る。
泊めてもらうせめてものお礼に晩御飯を作らせくれと、スーパーで食材を買い込んだ名前たちが煉獄の部屋に戻ってきた頃には、時計はすでに七時を回っていた。


「麦茶しかなくてすまんな!」
「いえっいただきます!」


出された麦茶で喉を潤しながら部屋をちらりと見渡すと、シンプルながらも男性の割には綺麗に片付いた部屋の様子が目に映る。
帰宅してすぐコートをハンガーにかけたり、机の上にきちんと置かれたリモコン類から煉獄の育ちの良さが垣間見える。
少しでも幻滅されぬよう、粗相のないようにしようと名前はこっそりと心の中で唱えた。


いつかリナリアの花束を act.05




「ご馳走様でした!」


パンっと景気のいい音と共に、煉獄は綺麗に空になった皿の前で満足そうに笑顔を浮かべる。
キッチンを借りて名前が作った和風おろしハンバーグにサツマイモの味噌汁、そしてほうれん草のお浸しは、あっという間に煉獄の腹の中に収められた。
ハンバーグをおかわりし、白米を三杯も食べた煉獄の食いっぷりを見て、多めに作っておいて良かったと名前はほっと安堵する。


「お口に合ったみたいで良かったです」
「本当にうまかった!名字は良い奥さんになるな!」


お世辞にしろ、好きな相手からそう言われて悪い気はしない。
思わず照れたように笑えば、煉獄はテキパキと皿を片付け、颯爽と食べ終わった物をシンクに運んでいく。
すでに食べ終わっていた名前も片付けのために立ち上がろうとしたが、それは煉獄の手によって制止された。


「後は俺が片付けるから、名字はテレビでも見ながらゆっくりしていてくれ!」
「えっでも・・・」
「気にするな。美味しかった飯の礼だ!」


そう満面の笑みで言われてしまえば、大人しく言うことを聞く他ないだろう。
お言葉に甘えて名前はテレビを眺めながら、先程ドラッグストアで購入してきたスキンケアグッズや歯ブラシなどのラベルを剥がし始めた。
こうしているといよいよ煉獄の家に泊めてもらうのだなと、妙にソワソワしてしまう。
下着に関しては色気がないとは分かりつつ、ショーツのみをコンビニで購入させてもらった。
真面目な彼のことだから手を出してくることはまずないだろうと思いつつも、まったく期待していないといえば嘘になる。
パジャマは貸してくれると言っていたが、寝る場所はどうするのだろうかなど色々思案していれば、ふいに皿洗いを終えた煉獄が何やら冷蔵庫を漁っている姿が目に入った。


「名字、ビールでも飲むか? 」
「いいんですか?」
「ああ、職業柄お歳暮などでもらうことが多いんだが、なかなか一人では飲みきれんくてな」
「じゃあ遠慮なく頂きます」


発泡酒ではなく金色に光る高級ビールというところがまさにお歳暮らしい。
ビールと共にツマミをいくつか持ってきた煉獄は名前の隣に腰を下ろすと、缶のプルタブを上げてこちらに渡してくれた。
ちまちまとピーナッツを摘みながらビールを煽れば、少しばかり緊張が解けて行くような気がする。
酒を飲みながら仕事の話や道場の話、さらには炭治郎のことなど色々話をしていれば、いつの間にやら時刻は十一時近くになっていた。

先に入浴を済ませた名前はドライヤーで髪の毛を乾かし終えると、煉獄に借りたグレーのスウェットに身を包んだ。
ガタイの良い彼の物は名前が着るにはかなり大きく、パンツは裾を二回折り返して丁度ぐらいの長さである。
スウェットからは陽だまりのように柔らかい煉獄の匂いがほんのりと香り、風呂から上がったばかりだというのに妙に変な汗をかいてしまいそうだ。

平常心平常心と心の中で念仏を唱えながら部屋に戻れば、丁度煉獄がベッドの横に布団を敷いているところであった。
やはり、同じベッドで寝るわけはないかと、少し落胆しつつもふいに煉獄に目をやれば、彼は少し惚けたような顔で名前を見つめてくる。


「お先でした。あの、どうかしましたか?」
「・・・いや、なんでもない!俺も入ってくるとしよう!俺は布団で寝るのでベッドは名字が使ってくれ!」


慌てた様子で立ち上がると、寝間着を手にした煉獄はいそいそと風呂場に向かっていった。
もしや自分のスッピンが予想以上に衝撃的だったのだろうか。
いい意味でも悪い意味でも化粧をする前後であまり変わらないとよく言われるため、そうでないことを願いたい。
そんなしょうもないことを考えながら、名前はベッドに背中を預けながら座布団に腰を下ろすと今日一日あったことを思い返す。

煉獄の反応や、今日こうして家に泊めてもらってることを考えれば、彼が自分のことを少しは好意的に見てくれていると考えてもいいだろう。
かといって飛躍的に何かが動く気配は今のところない。

お互い恋愛感情があったとしても盛り上がるタイミングが合わなければ、結ばれないことなんてザラにあるのが恋愛だ。
かくゆう自分だってこの熱がいつまで保つかなど分からない。
一方通行の恋愛では、いつしか風船がしぼむように冷めていってしまうだろう。
儚くも、現実は所詮そんなものだ。
少し前に嫌というほどそれを味わったというのに、またこうして誰かを好きになれるなんて、人間とはなんて不思議な生き物なのだろう。


「ほんと、難しいなぁ」


そうボヤキながら小さくため息をつく。
風呂に入ったことで酒が少し回ってきたのか、ふわふわとした高揚感に身を委ねるように名前は目を瞑った。


***


ふわりと身体が浮く感覚と、柔らかい陽だまりのような匂い。
暖かなぬくもりをすぐ傍で感じ、名前はまどろみの中でぼんやりと目を開けた。


「起きてしまったか?」


そんな煉獄の声により、名前は意識を緩やかに覚醒させる。
目の前には薄暗い豆電球の下で名前を見下ろす煉獄の顔があり、己の身体は彼によって横抱きに持ち上げられていた。
一瞬これは夢なのだろうかと考えるものの、触れ合う肌から伝わる温もりで、これが現実だということを瞬時に理解する。


「勝手にすまない。君が座ったまま寝てしまっていたので何度か声をかけたのだが、起きる気配がなくてな。このままベッドに運んでしまおうと思ったのだ」


煉獄が風呂に入っている間に、いつの間にやら眠ってしまったのだろう。
申し訳無さそうに笑うと、煉獄はそのまま寝ぼけ眼の名前をベッドの上に降ろした。
風呂上がりで髪の毛を下ろしているからか、煉獄はいつもと雰囲気が違い、妙に色っぽい。
まだ上手く回らない頭で「ありがとうございます」と呟きながら煉獄を見上げれば、彼の腕がこちらに伸びてきて、ゆるりと名前の頭を撫でた。


「色々あって疲れたのだろう。おやすみ」


そう言って離れていく煉獄の手を、名前は思わず本能的に掴んだ。
ゴツゴツと男らしい彼の腕に触れた瞬間、あまりに大胆な己の行動に心臓が跳ね上がり、一気に目が覚める。
今なら酔って寝ぼけていたと、後でいくらでも言い訳がたつだろう。
少しでも逃げ道を作ってからじゃないと前に進めないなんて、いつからこんなにも恋愛に臆病になってしまったのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、名前はゆっくりと口を開いた。


「先生」
「ん?どうした?」
「・・・一緒に、寝たいです」


紡がれた名前の言葉に、煉獄が小さく息を吸う音が静かな空間に響き渡った。


「名字」
「・・・はい」
「そういうのは、良くない」


一呼吸置いて、すぐに煉獄の返答が返ってきた。
清々しいほどに一刀両断されたその答えに、名前の体は一気に羞恥心に包まれる。
穴があったら入りたいとはこの事だと、名前はすぐに煉獄の腕から手を解いた。


「すみません。ちょっと、酔ってるのかもしれません」
「・・・そうか」
「・・・もう寝ますね。おやすみなさい」
「ああ・・・おやすみ」


一体彼は今どんな表情をしているのだろうか。
煉獄の顔が直視できないまま、名前は項垂れたように煉獄に背中を向けて布団にくるまった。
寝具から香る煉獄の匂いが、余計に己の惨めさを際立せてくる。

早まり過ぎた。これでは振られたも同然ではないかと、情けなさから思わず零れた涙を拭えば、横でガサゴソと煉獄が布団に潜り込む音が聞こえた。
机に置かれた目覚まし時計の秒針を刻む音が、静かな空間にただ響き渡る。


「名字」


二人の会話が終わってから五分ほどたった頃であろうか。
ふいにベッドの下から再び名前の名を呼ぶ声がした。
どのような反応をすべきかと名前が口を噤んでいれば、煉獄はそのまま言葉を続ける。


「しばらくは新学期で少し忙しないのだが、四月後半にもなればだんだん仕事も落ち着くと思うんだ」
「・・・」
「名字さえもし良ければ、今度は一緒に水族館にでも行こう」


その言葉に、名前は思わず布団をギュッと握りしめた。
先程お酒を飲みながらテレビを見ていた時に流れた水族館のCMを見て、名前が「いいな、楽しそう」と呟いていたのを聞いていたのだろう。
初めての煉獄からの誘いに、もう会うのもこれっきりかもしれないと沈んでいた名前の気持ちは一気に晴れ渡った。


「・・・はい。楽しみにしてますね」


泣きたいほど辛かった感情はどこへやら。
煉獄の言葉はまるで魔法のようである。
じんわりと心の中がぬくもりを取り戻すのを噛み締めながら、名前は安らかに目を閉じた。

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