「それじゃあ名字さん、吉原くんのこと頼むね!」


会社の歓送迎会の帰り道。
上司である西崎は、こちらに向かって申し訳なさそうな表情でそう告げると、そのまま名前の目の前にスーツ姿の男を差し出してくる。
同じ課の営業部で名前よりも三つほど年齢が上の先輩である吉原は、頬を赤くしたまま、えへへとご機嫌そうな表情を浮かべると、問題ないと言わんばかりに背筋を伸ばして敬礼ポーズを取りだした。


「西崎さんお任せ下さい!俺がきちんと名字ちゃんを家まで送り届けます!」
「逆だよ逆!ちゃんと降りる駅で降ろしてもらえよ?お前と電車の方向一緒なの、名字さんしかいないんだから!」
「はい!!」
「ったく、お前は返事だけはいいんだから・・・。名字さん、ほんとごめんね。とりあえず降りる駅に放り投げてくれたらいいから」
「いえ、吉原さんにはいつもお世話になってるので大丈夫ですよ」


バリバリ仕事をこなし、若手の中でもエースと呼ばれている吉原のいつもと異なる様子に思わず苦笑いをしながら名前がそう答えると、西崎はそのまま「よろしくね!」と会釈をして三次会に行くメンバーの元へと合流していく。
さてどうしたものかと横に立つ吉原を見上げれば、酔いで眠たくなってきたのか、彼はうつらうつらと立ったまま船を漕ぎ出し始めた。


「吉原さん!絶対寝ないでくださいね!」
「・・・うーん」
「吉原さん!」


こんなところで大の大人に寝られては困る。
思わず吉原の腕を取ると、名前はそのままま彼を無理矢理引っ張る形で駅の改札を潜った。


いつかリナリアの花束を act.06




四月といえば、歓送迎会の季節だ。
それはどこの会社も同じようで、駅のホームには名前たちと同じように、スーツ姿で頬をほんのりと赤く染めた人々の姿で溢れかえっている。
六時から部全体の歓送迎会が始まり、その後気の知れた課のメンバーのみで行われた二次会を終え、気がつけば時刻はすでに十時半を回っていた。
三次会にまで付き合う体力が無く、帰る素振りを見せた名前に気がついた西崎が、酔いつぶれそうな吉原を近くまで連れて帰ってくれないかと声をかけてきたのだ。

全くやっかいな頼まれ事をされたのものだと頭上の電光掲示板を見上げれば、名前たちが乗る予定の急行列車は五分後に到着すると表示されていた。
ホームにはすでに普通列車が待機している。
自分だけであれば空いている普通列車で帰ってもかまわないのだが、いかんせん今日は吉原という酔っ払いがオマケでついているのだ。
一刻も早く解放されたいのが本心である。


「電車あった〜?」
「はい、五分くらいしたら来るみたいです。今のうちに空いてそうなとこに移動しましょう」
「そうだねぇ」


いつものキリリとした表情はどこへやら。
ふにゃふにゃと笑う吉原の様子に、思わず名前も気の抜けた表情で返事をすれば、彼はさも当然かのごとく名前の手を握り、歩き始めた。


「よし!一番前に行くぞー!」
「ちょっ・・・吉原さん!」


いくら酔っ払いといえども、大の大人二人が手を繋いで歩くのはいただけない。
しかし加減をしらない酔っ払いの力に適うはずもなく、先程と打って変わって、名前はそのまま吉原に引きずられるようにホームを歩くしかなかった。
ご機嫌に鼻歌を歌いながら歩く吉原の姿に、すれ違う人々は何事かと名前たちの方に視線を寄越してくる。
恥ずかしくなり、思わず名前が面を下げようとしたと同時、ふいに「名字?」と己の名前を呼ぶ声が投げかけられた。



「れ、煉獄先生!?宇髄先生も!」


声の方向には見知った顔が二つ。
ジャケットを片手に持ったスーツ姿の煉獄と、相も変わらず教員らしからぬラフなパーカー姿の宇髄であった。
二人は仕事帰りなのか、はたまた飲み会などの帰りなのだろうか。
予想打にしていなかった人物達の突然の出現に思わず声を上ずらせれば、彼らの目線はふいに名前からその横にいる吉原へと移る。
そしてそのまま流れるようにぴったりと繋がれた二人の手元に移動したのが見て取れた。


「誰々?名字ちゃんの知り合い?」


呑気に声を上げる吉原に対して、目の前の宇髄はさも面白そうな表情を浮かべた。


「よぉ。それ、名字の彼氏か?」
「いや、そのっ」
「はい!そうでーす!」


慌てて否定しようとしたものの吉原の声によって遮られ、名前はそのまま勢いよく彼に肩を抱き寄せられる。
本当に酔っ払いはやっかいだ。
もう二度とこんなことは引き受けないと心に誓いながら、名前は吉原から距離を取ろうと必死に肘で彼の脇腹を押し返した。


「ただの会社の先輩です!飲み会の帰りで、電車が同じ方面だからって託されたんです!」
「名字ちゃんひどい!俺、本気なのに!」
「酔っ払いに言われても信ぴょう性がありませんよ!」
「えー!じゃあ今度デートしよう!」
「じゃあじゃないです!」


もはや暖簾に腕押し状態だ。
後輩という立場から、彼を力任せに振り払うのは少し憚られる。
しかしこんな姿を煉獄に見られるなんてまったくの計算外だった。
せっかく少しずつ距離が縮まってきたところだと思ったのにと、名前が思わず涙目になりかけたと同時、ふいに煉獄の手が伸びてきて、二人の間に割って入るように名前の手を掴んだ。



「失礼だが、名字の先輩さんはどこの駅で降りるのだ!?」
「えーっとぉ、俺は鎹駅で降りまーす!」


勢いよく紡がれた煉獄の問いかけに吉原が元気よく答えれば、頭上のスピーカーから列車の出発を告げる軽快なメロディが流れ出す。
その答えを聞いて煉獄は清々しいほどににこやかな笑顔を浮かべると、横にいた宇髄の方へぐるりと顔を向けた。


「そうか!それなら宇髄、君と同じ駅だな!」
「は?・・・おいまさか煉獄、おまっ」
「後は頼んだぞ宇髄!それでは!」


そう告げると、煉獄はそのまま名前を引き連れて発射寸前の目の前の普通列車に飛び込んだ。
呆気に取られた表情を浮かべた宇髄の目の前で、プシューと軽やかな音をたてて扉が締まり、電車は静かに走り出す。
あまりに突然の出来事に名前は目をぱちくりとさせたまま、流れていく景色と共にそのまま二人の姿を見送った。
横に立つ煉獄の顔を見上げれば、彼の大きな赤い目とかち合う。
思わずどちらともなくぷっと吹き出すように声を漏らせば、二人はくつくつと小さく笑い声をあげた。



「見たか、宇髄の顔」
「はい。宇髄先生のあんな顔を見たの、初めてです」


いつもは余裕綽々な宇髄のあんな間抜け面を見れただなんてなんとも貴重な経験をしたものだと、込み上げてくる笑いをこらえるために顔を手で仰ごうとした時、ふいに己の手と煉獄の手が繋がれたままだったことに気がついた。
困っていた自分を助けるために繋がれた優しくも頼もしい手。
離したくないと思いつつ、そろりと力を緩めながらさりげなく離れようとした次の瞬間。
逃さないと言わんばかりに煉獄の手が名前の手を強く握りしめた。



「勝手なことをして申し訳なかったな」
「っ・・・いえ・・・。困っていたので、助かりました」


自分の心臓がバクバクと音をたてて飛び跳ねているのが分かる。
煉獄は今どんな感情でこんな行動をしているのだろうか。


「それなら良かった。彼のこと、先輩だと言っていたが・・・本当か?」
「はい、課が同じ先輩なんです。今日は会社の歓送迎会だったんですけど、かなり酔っちゃったみたいで・・・」



煉獄の表情を確認したいと思いつつも、きっと真っ赤であろう自分の顔を見られるのはなんとも恥ずかしい。
ただ真っ直ぐ前を見据えたまま、名前がしどろもどろに答えると、煉獄は「そうか」と呟きながら小さく息を吐いた。
そしてしばらく流れる沈黙。
ガタンゴトンと心地よい電車の揺れと音が二人を包み込む。

そんな静寂を壊すかのように、ふいに流れるように煉獄の指先が動き、そのまま名前の指先に絡まった。


「名字」
「は、はい」
「ようやく仕事が落ち着き始めたんだが、前に言ってた水族館、来週にでも行かないか?」


熱を帯びた指先の感覚と、降り注いだその言葉に、名前は勇気を振り絞って煉獄の顔を見上げる。
赤く頬を染め、照れたようにはにかむ煉獄の問いに、名前の答えはもう決まっていた。

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