よいこのフリして
※現パロ、義姉弟設定です。苦手な方はご注意ください。
底冷えが強くなる二月。頭上にあるエアコンからは暖かい風が流れ、隣にストーブが置いてはあるものの、むき出しの指先はすぐにかじかんでしまう。本当に、来月には春が来るのかと疑いたくなるような寒さだ。
そんなことを考えながら、何度も同じ文言が繰り返される説教をエースはただひたすら右から左に聞き流す。「また何かあったら次は採用取り消しになるぞ」と眉をしかめる担任に、「スミマセンデシタ」と機械のように無感情で謝れば、目の前の男はさらに深いため息をついた。
「とにかく・・・今回は相手の生徒が先に手を出したって証言がいくつもあったから何とかなったけど、次は本当に庇いきれないぞ」
「へいへーい」
「ったく・・・お前なぁ」
「とりあえず反省文書いたからもういいだろ?んじゃ今からバイトだから帰るわ」
にしっと嫌味のない笑顔を浮かべ、原稿用紙一枚に書かれた薄っぺらい反省文を担任に押し付けると、エースはそのまま生徒指導室を後にする。慌てて引き止めようとする教師の声が後ろから聞こえたような気もしたが、きっと空耳だろう。
鞄を取りに教室に戻れば、残っていた友人たちがエースの周りにわらわらと集まってきた。
「エース、大丈夫だったか?」
「おう。正当防衛で無罪放免」
「良かったァ〜心配させないでよぉ」
友人にピースサインを送り、甘ったるい声を出して腕に絡みついてくる女子生徒を適当にあしらいながらエースが荷物を手に取れば、「そう言えば」と長い睫毛を瞬かせながら女子生徒は廊下の方を指さした。
「さっきね、いつものムキムキのおじいちゃんじゃなくて、エースの保護者だっていうスーツの女の人が教室に来たよ」
「な・・・っ」
「エースがどこにいるか知らないかって聞かれたから、生徒指導室に連れてかれたって言っといたけど会えた?」
そんな大事な事はもっと早く言え。小鹿よろしく、うるうるとした瞳でこちらを見上げる女の腕を勢いよく振り払うと、エースは先程通ったばかりの廊下を全速力で駆け抜ける。
階段を飛び跳ねるようにして二階下に降りた職員室のすぐ隣。『生徒指導室』と書かれたプレートがぶら下がる入口には、コートを片手に、ネイビーのパンツスーツに身を包んだ女の姿があった。担任に向かって赤べこのように何度も頭を下げる彼女を目にするや否や、エースはその女の名前を高らかに叫んだ。
「ナマエ!!」
反射的にぱっと女の顔が上がり、その視線がエースの姿をとらえる。八の字に曲がっていた眉毛が一気に釣り上がったかと思えば、彼女はこちらに足早に歩んでくるとエースの耳をむんずと掴み、勢いよく引っぱりあげた。
「なに馬鹿なことしてんの!?今大事な時期なんでしょ!!」
「いってぇ!なんでナマエが学校に来てんだよ!?」
「じいちゃんが地方の視察でしばらく帰らないから、サボから私のとこに『エースがやらかした』って連絡が来たの!!」
「はぁ!?あいつ余計な事を・・・!」
金髪のすました顔の義兄弟の顔を脳裏に浮かべながら口をへの字に曲げるエースを他所に、ナマエはエースの腕を取ると、二人のやりとりを恐る恐る伺っていた担任の前に引きずっていく。そして細い腕を伸ばしてエースの後頭部を掴むと、そのまま勢いよく押し込み、無理矢理頭を下げさせた。
「本当に弟がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした!先生方のお力添えがなかったら、今頃採用取り消しになっていたと思います」
「いえいえ・・・今回の喧嘩は他校の生徒が先に手を挙げて、エースくんは正当防衛という判断になったので、採用には特に影響はないと先方から連絡を受けてまして・・・。ただ、一ヶ月前にも同じようなことがあったでしょう」
「えっ!?」
「あれ、聞いてませんか?」
「あはは・・・生憎、数ヶ月前に家を出たので、この子たちのことは祖父にまかせっきりでして」
ギギギと錆び付いたブリキのおもちゃみたく首をこちらに向けるナマエの顔は、恐らく般若のようになっていることだろう。恐らく自分のみならず、その怒りの矛先は彼女の祖父であるガープにも向けられているはずだ。薄汚れた床を見つめながら、エースは素知らぬ振りを決め込んだ。
「ただ正当防衛と言えども、何度も続くとこちらも庇いきれなくなりますので・・・」
「はい、それはもちろん・・・!きちんと言って聞かせます」
その後もぺこぺこと平身低頭謝り続けること十分余り。ようやくひと段落つき担任が見送る中、ナマエとエースは共に下駄箱に向かって歩き出す。夕方も五時を過ぎると外は暗くなり始め、部活動に励む生徒たちの喧騒が耳に入ってくるだけであった。
お互い無言のまま、エースは自分の下駄箱、ナマエはそのすぐ後ろにある来客用の下駄箱から自分の靴を取るとそれぞれ足に通す。キンっと冷えた空気が流れ込み、寒暖差から出てきた鼻水をすすりながらパンプスのつま先を床で弾くナマエの姿をぼんやりと眺めていれば、彼女はふいに何かをエースの前にかざした。
目つきの悪い黒い豹のマスコットがついた車のスマートキー。一年ほど前、サボとルフィも連れ立って行ったゲームセンターで、エースが取ってナマエに渡したものだ。『なんかこの豹、エースに似てる』と言って、けらけらと笑っていたナマエの笑顔がふいにエースの脳裏に蘇る。
「バイト、何時から?」
「六時半」
「送ってく。時間までちょっと話そう」
「・・・仕事は?」
「フレックスで上がらせてもらったから、今日はもう戻らなくて大丈夫」
ナマエはただむっつりとした表情で告げる。彼女がこうなってしまったからには、大人しく従わないと最低でも一週間は口を聞いてもらえなくなるだろう。十年以上共に暮らしていた経験則からそう判断したエースは、そのままナマエの後に続いていった。
***
しばらく車を走らせ車内がようやく温まり出した頃、ファストフード店のドライブスルーに立ち寄った。流れるようにホットのコーヒーを頼むと、ナマエは「エースはコーラ?」「バイト前だし何か食べる?」とまるで世話焼きの母親のように尋ねてくる。
思わず意地になって「同じのでいい」と頼んだものの、素直にミルクか砂糖でも貰えば良かったと、エースはただ漠然とドリンクホルダーに入れたコーヒーカップを眺めていた。そんなことを考えていれば、車は海の見える大きな公園の駐車場に入り動きを止める。
エンジンと暖房の機械音が鳴り響く車で、ナマエは小さくため息をついた後、シートベルトを外しそのまま湯気の昇るカップにゆっくりと口付けた。昔はコーヒーなんて飲まなかった癖に。ぱりっとしたスーツ姿も、コーヒーを飲む姿も、少し見ない間に何だか妙にさまになっており、エースの感情を毛羽立たせた。
「エースさ、」
「・・・なんだよ」
「部活しながら身体も鍛えて、大嫌いな勉強も死ぬほど頑張って消防士の試験突破したんでしょ」
「・・・ん」
「それが全部無駄になっちゃうんだよ。黙って殴られろとまでは言わないけど、高校卒業まではいざこざに巻き込まれないように上手く躱さないと」
「・・・分かってるよ」
「中学までは色々とやんちゃしてじいちゃんに殴られてたけど、高校に入ってからは比較的大人しくしてたでしょ?なのに、どうしちゃったの」
淡々とナマエの口から告げられる言葉たちに、エースはただ下唇を噛むことしかできなかった。
彼女の言うことは全て正論だ。他の大人たちも、口を揃えて同じことを述べるだろう。少し前まではこちら側の人間だった彼女が、大人の階段を登っていくことによって何だか遠い存在になってしまったようで。何とも思っていなかった五年という差を、エースは生まれて初めて恨めしいと感じた。
「分かってんだろ、おれが最近荒れてる理由」
自分はまだ子どもだから、オブラートに包んでなんてやらないと、エースは思いの丈を吐露しながらナマエの方に視線をやった。真っ直ぐと向けられるエースからの視線に逃れるように、ナマエはコーヒカップをドリンクホルダーにしまうと、そのまま唇に指先を添わせながら押し黙ってしまう。
「お前が急に家を出てったからだよ」
「・・・っ」
「おれが原因なんだろ?」
もうここまでくると歯止めなんて効かない。豪速球のストレートをお見舞いしてやると言わんばかりに、エースはナマエの腕を掴む。びくりと跳ねるようにして、彼女はようやくこちらに顔を向けた。
街灯の光が薄らと差し込む車内で、ナマエの黒い瞳が夜の海の波間のように揺れている。初めて会った時も確かこんな目をしていたと、エースはナマエと出会った頃のことを思い出していた。
五歳と十歳。それがエースとナマエが初めて会った時のそれぞれの年齢だった。
ガープの実孫であるルフィとナマエは従兄弟同士で、ナマエの両親は事故死、ルフィはやんごとなき理由から祖父のガープの元で幼き頃から育てられていた。そこに後から加わったのが、エースとサボだった。
エースの父はガープの親友だったらしく、ナマエと同じく両親を亡くしたエースはひょんなことからガープに引き取られ、サボはまた違った経緯ではあるが、紆余曲折あって同じく家族の一員に迎えられたのだ。
養子として偶然ガープの元に集まった、親も年齢もバラバラな四人の子どもたち。傍から見れば奇妙な家族ではあったが、本人たちは血の繋がりなどひとつも意に介しておらず、むしろ本当の兄弟以上に互いを信頼し合い育っていった。
やんちゃな弟たちと、それを見守る年上の姉。そんな立ち位置で過ごしてきていたものが、エースの中で変化したのは、高校に入ってすぐの頃だった。気がつけば異性としてナマエを見てしまっていることを自覚するや否や、適当に取っかえ引っ変え彼女を見繕ってみたりもしたが無意味だった。
募る思いを隠しつつ今まで通り姉弟として過ごしていったが、恐らく自分の気持ちは筒抜けだったはずだ。勘のいいサボにはすぐに気づかれ、『顔から気持ちがだだ漏れしてる』と何度も指摘されていたのがその証拠だろう。
だんだんナマエと変な距離ができていっていることにエースが懸念を抱いていた矢先だった。彼女が突然『一人暮らしをする』と言い出したのは。
『は?一人暮らし?なんで?』
『ルフィももう来年高校生だから、いい機会かなって。エースも消防士試験に受かって、サボも無事に大学の推薦が決まったでしょ?だからもう私が世話焼く必要もないしね』
『・・・そう、だけどよ。一人暮らしなんて危ねェし、金もかかるし』
『うん分かってる。でもこの家にいたら、ついつい弟たちの世話を焼いちゃって、自分のことが後回しになるでしょ?このままだとさすがに行き遅れちゃうなぁって』
乾いた笑いを漏らしながらこちらを牽制するような声色に、エースはもう為す術がなかった。
有言実行と言わんばかりに、そのままナマエが家を去っていったのが今から三ヶ月ほど前。高校生になって丸くなっていたはずのエースが再び荒れ始めたのも、ちょうどその頃と同じ時期であった。
そんな苦い思い出を反芻するエースの問いかけに、ナマエは何も返してこない。くすぶる思いを抱えたまま、エースは彼女の腕を掴んでいた手をゆっくりと下ろしていき、たどり着いた先の華奢な指先をなぞった。ぴくりと緩んだ隙にナマエの指の間に己の指を滑り込ませ、彼女が逃げないよう強く絡め取る。
かじかんでいたはずの指先が、重なり合う温度でじわりと解けていく。鳴り響く心音は、もはやどちらのものか分からなかった。
「おれ、ナマエのことが・・・」
「待って、エースっ・・・い、言わないで!」
「はぁ!?」
一世一代の告白を突然遮られ、真剣な声色から一転、エースは思わず声を裏返す。目の前のナマエは首を振ると、捕らえられていない方の手をエースの顔の前にかざし、こちらの視界を遮ってきた。
「・・・〜っ!あのなぁ!振るにしてもとりあえずちゃんと最後まで聞け!」
「・・・違う、っそうじゃない」
「違うって何だよ!あーもうっ!好きなんだよお前のこと!」
本来なら、甘酸っぱい雰囲気や先程までのような真剣な雰囲気が漂うはずなのに。邪魔な手をどかそうとするエースとそれに抗うナマエという、幼い頃よくした姉弟の小競り合いのような攻防戦が繰り広げられる。
しかしいくら年上といっても、体格の良いエースからすればナマエの手をどかすのは赤子の手をひねるくらい簡単なことであった。「好き」と叫んだと同時、力が緩んだ瞬間にあっという間に形勢逆転して彼女の腕を掴み取る。
勝ち誇ったような表情で見下せば、そこにあったのはなぜか顔を真っ赤にして狼狽えるナマエの姿。予想打にしていなかった反応に、エースは思わずナマエの手を離すと、ぽかんと口を開けたまま動きを停止した。
「なんつー顔してんだよ・・・」
「だって・・・」
「分かんねェよ。はっきり言えよ」
嘘、本当は全部分かってしまった。真っ赤な頬も、熱がこもった腕も、潤んだ瞳も、それは今まで見たこともない女の顔をしたナマエの姿で。
視線を泳がせていた彼女はようやくエースの方を見ると、ゆっくりとその唇を開いた。
「血が繋がってないけど、一応私たち姉弟だし・・・」
「んなもん、もう十八なんだしおれがじじいの戸籍から抜けたらいいだけの話だろ」
「っ・・・若気の至りで、なんかその・・・そういう禁忌な感じのものに惹かれてるだけとかじゃ・・・?」
「おれもそこまで馬鹿じゃねェよ!」
歯切れ悪く、言い訳のように言葉を並べるナマエに、思わず声を荒げてエースは頭をがしがしとかく。そしてそんな己の気持ちを落ち着かせようと、ドリンクホルダーに置いていたコーヒーカップに手を伸ばすと、寒さでぬるくなり始めた中身を一気にあおった。
ずっと伝えられなかった歯がゆさを苦い液体と共に飲み干すと、エースは目をぱちくりさせるナマエの方に手を伸ばす。そしてそのまま、壊れ物に触れるように彼女の頬をなぞった。
「お前のことが好きだって気持ちに嘘偽りはねェ。それに絶対後悔なんかしないし、させない」
「・・・っエース」
「だから、ナマエの本当の気持ちが聞きたい」
真剣な目でエースがそう告げるや否や、ナマエはぎゅっとその薄いピンク色の下唇を噛む。そしてややあって観念したかのように背筋をピンと伸ばすと、エースの目をしっかりと見据えた。
「・・・私も、エースが好き」
「・・・っ」
「エースの気持ちにはなんとなく気づいてたけど、彼女がいる時もあったから、気の迷いとかまだ高校生だからそういう分別がついてないのかなって思ってた。でも気づいたら私もエースのこと好きになっちゃってて・・・かといって家族の関係が壊れちゃうのも怖くて・・・。だから私自身の気持ちを落ち着かせるためにも、距離を置いてみようって家を出てたの」
「でも、無駄だったみたい」そう眉を下げてナマエは笑った。降り注ぐ言葉たちをエースはじんわりと噛み締めると、そのまま自分の顔をナマエの方へとぐっと近づける。
以前までの彼女なら、近いよと笑い飛ばしてさりげなく避けでもしただろう。それが今は違う。熱を孕んだナマエの視線が、エースのものと交わった。
「両思いっつーことで、いいんだよな?」
「・・・うん」
「・・・嬉しい」
「うん・・・私も」
頬をやわやわと撫でるエースの指先に、ナマエはくすぐったそうに笑った。外は冬の凍てつく木枯らしが吹いているというのに、心は花が咲き乱れる春の陽だまりのように暖かい。
そのまま引き寄せられるかのように、エースがナマエの唇に己のものを宛がおうとした次の瞬間。先程まで恥じらうように笑っていた表情から一転して突然真顔になると、ナマエは慌てたように掌でエースの口元を覆った。
「だめ!」
「はぁ!?なんでだよ!今のはキスすんとこだろ!」
「いや・・・なんか、こう・・・高校生とキスするのは、社会人としてさすがに背徳感が・・・。せめて卒業してからじゃないと・・・」
エースの前からナマエの左手が去る気配はまったくない。十年以上の付き合いから分析するに、駄々をこねてみたところで頑固な彼女の意思を曲げることは難しいだろう。かと言ってせっかく想いが通じあったのに、無理強いすることは不本意だ。
口を尖らせながらも、渋々引き下がるエースにナマエがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。エースは目の前にあるナマエの左手を掴み引き寄せると、そのまま彼女の薬指に口付けた。
「絶対幸せにする。卒業したら覚悟しとけよ」
柔らかい感覚とちゅっと音を立てるリップ音。不意打ちをくらい、顔を真っ赤にするナマエを見て、してやったりとエースは無邪気に笑った。
そんな二人の左薬指に誓いの印が輝くのは、そう遠くない未来なのかもしれない。