ルベウスの祝福
「っひっぐ!本当にいい式だったなぁ・・・!!」
高級感漂う深いボルドー色のスーツに、茶目っ気のある水玉の蝶ネクタイ。抜群のスタイルも相まって、傍から見ればモデルに間違えられそうな風貌のその大男は、人目も憚らずに先程から駅前でおいおいと泣き続けている。すれ違う人々が何事かと視線を向けてくるも、 当の本人であるロシナンテは一つも意に介していないらしく、ナマエから渡されたハンカチを手に鼻水をすすっていた。
「コラさん、とりあえずちょっと何か飲んで落ち着いたら?」
「ううっ、そうする・・・」
「私買ってきてあげるよ。何がいい?」
「ずびっ、・・・ホットのカフェオレ」
店に入るにしても、この様子だと周りに迷惑がかかってしまうだろう。近くのベンチにロシナンテを座らせ荷物番を任せると、ナマエは改札のすぐ横にあった自販機へと歩を進めた。
昔から彼が甘党だということは知っていたが、アラフォーになっても未だにブラックコーヒーが飲めないらしい。いかにも彼らしいと思いながら、ナマエは赤く光ったボタンを押した。続けて買った自分の分のコーヒーは、もちろん無糖である。
缶ボトルを二つ持ってベンチに戻れば、少し落ち着きを取り戻したのか、ぐすぐすと鼻をすすり、目を潤ませながらスマホを眺めるロシナンテの姿があった。「ありがとな」と礼を述べる彼の横に腰を下ろすと、ナマエは缶のキャップをねじりながら彼の視線の先を追いかける。
スマホの画面には白のスーツ姿の端正な顔立ちの男と、純白のドレスを身にまとった美しい花嫁の姿。「ロー、かっこよかったなぁ」とつぶやく声に、ナマエは同意するように小さく頷く。そう、今日はロシナンテにとって実の弟のような存在であり、ナマエにとっては幼なじみにあたるローの結婚式だったのだ。
「全然緊張してなかったもんね」
「ああ、挨拶とかもすっげぇ堂々としてた。さすがだったな」
「ローパパの方がカチコチだったね」
最後に親族代表の挨拶をする際、緊張のあまり台詞が飛んでフリーズしたローの父親の姿を思い出す。慌てて妹のラミがカンペを渡して事なきを得たのだが、そんな微笑ましいトラファルガー家の様子に会場は暖かい空気に包まれていた。
ナマエの家とローの家はそれぞれが産まれる前からお隣さんで、歳はナマエの方が二つ上になる。寡黙で冷静沈着なローは同年代の者と遊ぶことが少なく、ナマエとラミがおままごとをして遊んでいた横でいつも医学書を読みふけっていた。
そんな彼がロシナンテと出会ったのは、確か十歳の時だったろうか。近所で有名なドンキホーテ兄弟の住む大きな屋敷にローが出入りしていると聞いた時、ナマエは肝を冷やした。なぜならあの兄弟はパッと見人相が悪く、裏社会を牛耳っているらしいなどと黒い噂があったからだ。
こうしてはいられないと、心配したナマエがローの後をつけてドンキホーテ家の屋敷に忍び込んだ時、出くわしたのがロシナンテだった。大きい体の目つきの悪い男の登場に、ナマエは幼心に死を覚悟した。きっとこのままどこかに売られでもして、もう家族に二度と会えないのだろう。『ごめんなさい』とべそべそ泣き出したナマエを見て、その男はわたわたと慌て出し、そして歪な笑顔を浮かべながらポケットからキャンディを取り出したのだ。
『ひっ・・・!』
『ほら、飴ちゃんやるから泣くなよ。お前、ローの友達か?』
『っひっぐ・・・そう』
『良かった!あいついっつも一人でいるから心配してたんだ。ローのことが心配でついてきちまったんだろ?こっちに来いよ、案内してやる』
それがロシナンテとナマエの初めての出会いであった。どうやらローは、ドンキホーテ家が所有している大量の貴重な書物の中に読みたかった医学書があるとの情報を仕入れ、直談判して家に入れてもらっていたらしい。そして柄が悪くとも、存外彼らは真っ当な仕事をしているようで、噂されているほど危険な兄弟ではなかったのだ。
そのためナマエも自然とローと共にドンキホーテ家を出入りするようになり、彼に習って『コラさん』と愛称で呼ぶようになったロシナンテとの付き合いも、気がつけば十五年経っていた。
今日の結婚式はもちろん兄のドフラミンゴも招待されていたのだが、彼は海外でどうしても外せない商談が入ったらしく、やむなく欠席している。代わりにドフラミンゴがサプライズで贈ってきたという、真っ赤な薔薇をこれでもかと敷き詰めた豪華絢爛なフラワースタンドが、結婚式会場で異彩を放っていたことは言うまでもない。
そんなドンキホーテ兄弟との出会いを思い出しながら、缶の蓋を開けてカフェオレを口に入れようとするロシナンテの姿を、ナマエは横目で盗み見る。彼の左手の薬指に光るものはない。もうとっくに周りは結婚ラッシュを終えたであろう、少し目尻の皺が目立ち始めた男はナマエの視線に気がついたのか、不思議そうに目を丸めてこちらを伺ってくる。
と、次の瞬間、ロシナンテの手からつるりと滑り落ちる缶。あわやびしょ濡れで大惨事かと思いきや、いち早く反応したナマエが中身が零れるぎりぎりのところで何とかキャッチした。
「セーフ・・・!」
「ナマエ、ナイスキャッチ!」
「も〜・・・ちゃんとしっかり持って!スーツもシャツもドフラミンゴさんに貸してもらったんでしょ。高そうだし汚したら絶対ねちねち言われるよ」
「へへ、悪りぃ。もういいおっさんなのに、ナマエにはいつまでも世話になりっぱなしだ。これでお前まで嫁に行っちまったら、ヘマ連発して早々に野垂れ死んじまいそうだな」
突き返された缶を受け取りながら、へらりと屈託のない笑顔を浮かべるロシナンテ。ほんと、いい大人なのになんという体たらくなのだろう。彼と同年代の会社の上司にこんなことを言われた日には「自分のことは自分でやってくれ!!」と怒り狂ってしまうことは間違いないのに。
そう、彼だからこそ何かと世話を焼いてしまうし、全て許してしまうのだ。これを恋と呼ばずになんと言えばいいのだろうか。ナマエが自分の気持ちに気づいたのは数年前。妹分としてしか見られてないことは重々承知で、ひたむきに想いを隠してきたはずだったのに。
「・・・ほんと、そう。ドフラミンゴさんも最近仕事が忙しくて日本にあんま居ないし、ローも仕事の都合で遠くに引越していくから、もう助けてもらえないんだよ」
ローの結婚式を目の当たりにして、好きな人と幸せになりたいという気持ちが膨れ上がってしまったのかもしれない。思わず口から滑り出てきた本音に、自分の心臓がとんでもない速さで音を刻んでいるのが分かった。
「コラさんって何でもないところでよく転ぶし、すぐ物壊すじゃん。それにこないだなんて、私が気づいて止めたから事なきを得たけど、高額商品買わされる詐欺に引っかかりかけてたよね」
「め、面目ねェ・・・」
「もうアラフォーなんだからさ、いい加減ドジっ子で済ませられないと思うの」
矢継ぎ早にダメ出しをされて、ロシナンテはしょぼんと項垂れる。そんな姿さえ可愛いと思ってしまい、さらには庇護欲をかきたてられてしまうなんてもう末期症状だろう。
ばくばくと鳴り響く心音を飲み込みながら、ナマエはそのままがしりと目の前のロシナンテの手を掴んだ。初めて握った手は、大きく骨太で、嫌でも大人の男を感じさせてくる。弾くように顔を上げ、驚いたように目を丸める彼を見据えながら、ナマエはゆっくりと口を開いた。
「そんなコラさんの面倒みてくれる気の長〜い優しい女の人なんて、そうそういないと思う」
「ゔ・・・」
「だからね、私がずっと傍にいてあげる」
お付き合いを飛び越して、一世一代の逆プロポーズ。天然な彼がこの言葉の意味に気づくか気づかないかは一種の賭けだったが、効果はテキメンだったらしい。
ナマエの言葉を聞いてぽかんと口を開けたまま動きを停めていたロシナンテは、次の瞬間にはベンチからずり落ちて地面にひっくり返っていた。一体全体どこでどうしたらそうなるのだろうか。
注意を受けた矢先にドジをかましてしまい恥ずかしいのか、彼は大きな手で自分の顔を覆ったままだ。甘い雰囲気が皆無のなんとも奇妙な絵面に、ナマエが失敗を覚悟して言い訳を考え始めた刹那。ロシナンテの指と指の隙間から、美しいルビーレッドがちろりと覗いていた。
「・・・その、こんなおじさんでもいいなら」
「へ・・・」
「よろしくお願いします」
ロシナンテから返ってきた思いがけないYESの答え。間抜け面で見下ろしていたナマエの顔が、彼の瞳と同じくらい真っ赤に染まるまではあと少し。