スターチス




 泣き虫ロシー。可愛いロシー。いつも自分の後ろを雛鳥のようについてきていた三つ年下のロシナンテを、ナマエはとても可愛がっていた。
 自分と同じ戦争孤児としてセンゴクに拾われ、海軍に入隊することになった彼の世話をするように命じられて早十二年。人間とはこんなにも変わるものなのかと戸惑いを覚えてしまうほど、ナマエは少し離れた場所で女海兵たちに囲まれているロシナンテの姿をぼんやりと眺めていた。


「悪りぃ、なんか捕まっちまった」
「いえいえお気になさらず、ロシナンテ中佐」


 話が終わったのか、慌てて駆け寄ってきたロシナンテにそう棘のある返事をすれば、彼はあたふたとしながら大きな身体を折り曲げてナマエの顔を覗き込んでくる。けれどナマエはつんっと顔を背けたまま、書類を片手に執務室に向かって歩き出した。
 ああやって女海兵たちが彼を取り囲むことがぐっと増えたのは、ロシナンテが中佐に昇級してからだ。元から物腰柔らかい雰囲気と愛嬌のある性格で地味に人気はあったのだが、そこに階級がプラスされたことによりさらにファンが増えた。


「良かったですね、あんなに若くて可愛い子たちに囲まれて!私なんかよりあの子たちの誰かを補佐にしたらどうですか?」


 嫌味のひとつくらい言わないと自分の腹の虫が収まらない。しかしロシナンテから何も反応が返ってこなかったため、余計にそれがナマエの癇に障った。
 ぐるりと身体を反転させて振り返れば、すぐ近くを歩いていたはずのロシナンテの姿がそこにはない。代わりに廊下に置かれた高そうな大きな壺に頭を突っ込んでひっくり返っている大男の姿があった。


「助けてくれナマエ〜!」
「・・・はぁ」


 相変わらず目を疑うほどのドジっぷりだ。そういうところは昔と何も変わらない。
 ナマエがため息をつきながら壺に手をかけて引っ張れば、ポンっと小粋味いい音と共に壺が抜け、ロシナンテの顔が現れる。「ありがとな!」と歯を出してニカッと笑うこの笑顔も、昔と何も変わらない。


「あーもうっ!・・・なんかロシーを見てたら、怒るのがバカらしくなっちゃう」


 そうため息をつきながら地べたに座るロシナンテの前にかがめば、彼は何やら嬉しそうに口元を緩めた。


「・・・なによ?」
「いや、俺の好きないつものナマエに戻ったな〜と思って!」


 いけしゃあしゃあと紡がれるその言葉。一気に全身に血が駆け巡るのを感じたナマエは、思わず持っていた書類の束でロシナンテの顔面を思い切り殴打した。


「いだーっ!!」
「うるさいバカ!!」


 再び地面に転がるロシナンテを無視して、ナマエはそそくさと執務室に逃げ込んだ。彼が戻って来る前にこの赤くなった顔をどうにか鎮めなければと、ナマエは部屋の窓をあけて己の手でぱたぱたと顔を仰ぐ。
 眼中に無い男に言われれば軽く流せる冗談でも、それが好きな相手となれば話は別だ。

 出会った当初、ナマエはロシナンテのことをただの弟分としてしか見ていなかった。しかしあっという間に身長も階級も追い抜かされ、ここ数年で一気に大人の男へと成長した彼に、気がつけば恋をしてしまっていたようなのだ。
 気持ちを自覚したものの、今更素直になることなど到底無理で、口うるさい姉のように接してしまう自分がほとほと嫌になる。いつもと変わらないテンションであんな台詞を言ってのけるロシナンテも、ナマエのことをただの年上の昔馴染みくらいにしか思っていないのは明白だ。
 そんな相手に勝負に出ようと思う自信もなければ、この関係性を壊したくないのがナマエの本音であった。


「前に進まなきゃなんだけどな・・・」


 自分に言い聞かすように呟きながら書類を机に並べていれば、ふいに背後からじめっとした視線を感じる。ドアの隙間からしょぼくれた顔でこちらに視線を寄越すロシナンテの姿を見て、ナマエはまた深くため息をついた。


「ロシー・・・。あなたもう中佐でしょう?そんなみっともない姿、部下に見られたらどうするのよ」
「だってよォ、ナマエまだなんか怒ってんだろ」
「・・・もう怒ってないから早く入って」


 ナマエがそう言うと、ロシナンテはまるで大型犬がしっぽを振るように目を輝かせて部屋に入ってくる。戦いの時などはとても男らしいのに、何故にこうも人が変わるのだろうか。
 席に着いたロシナンテの前にナマエが書類の山をどっさり置くと、彼の顔は一気に絶望の色に染まっていった。


「一時間で終わらせてね」
「む、むり・・・」
「無理じゃない!やる!あと煙草は絶対吸わないでよ!書類燃やしたりしたらおやつ抜きだからね!!私は今からセンゴクさんのところに印鑑もらってくるから、サボっちゃダメよ!」


 まるで苦手なものを無理矢理母親に食べされられている子供のように渋い顔をしながらも、ロシナンテはナマエの言う通りに書類に目を通し始める。その様子を見て、書類を無事に片したらロシナンテの好きな焼き菓子をおやつに出してやろうと、ナマエは執務室を後にした。



***



 出会いとは突然降ってくるとはよく言ったものである。
 オフの日にナマエが街で買い物をしていると青年が突然声をかけてきて、一目惚れをしたからデートをして欲しいと申し込んできたのだ。歳はナマエより少し上で、街で船大工として働く男のその真剣な申し出を、ナマエは戸惑いながらも受けることにした。
 ちょうどロシナンテのことを諦めなければと思っていた矢先である。神様が前に進めと言っているのかもしれないと思い、ナマエはその男と一週間後に街でデートすることとなった。

 デートはそれはそれはとても楽しいものであった。ウィンドウショッピングをして街を周り、海辺で夕焼けを見た後は、男の予約した評判の良いレストランで食事をするという王道のデートコース。別れ際に「君に似合うと思って」と小さな花束まで用意してくれているなんて、なんと完璧な男であろうか。
 もしかしたら彼が自分の運命の相手なのかもしれないと、ピンク色の花が咲き誇る花束を片手にふわふわと高揚した気分で宿舎に戻ると、なぜかナマエの部屋の前で腕を組んで立っているロシナンテの姿があった。


「ロシーどうしたの?また自分の部屋の鍵でもなくした?」


 仕事で毎日顔を合わせているのに、オフの日の夜にわざわざ会いに来るなんてよほどのドジがあったに違いない。声をかけても口をへの字に曲げたままのロシナンテの様子を不思議に思いながらも、ナマエは部屋の鍵を開け、彼にも中に入るように促す。
 すでに夜の十時を回っていた部屋は暗く染まっており、外から差し込む外灯の光を頼りにナマエは部屋の電灯のスイッチに手を伸ばし、灯りをつけようとした。が、それは叶わなかった。
 ふいに後ろから腕を引っ張られ、ナマエの手から花束がこぼれ落ちる。気がつくとナマエはロシナンテの腕の中にすっぽりと包まれていた。


「・・・ロシー?」
「・・・今日街で一緒にいたの、誰だ」
「え、なに、見てたの?」


 ふわふわとした金髪がナマエの頬を撫で、ロシナンテの吐息が首筋にかかる。
 この状況は一体なんなのだろうかと必死に考えるが、心臓が飛び跳ねるように鼓動をたてていて上手く思考回路が結びつかない。


「付き合ってる奴か?」
「・・・まだ違うけど、そうなるかも」
「・・・っダメだ」
「え?何でよ・・・ロシーには関係ないでしょ」


 ロシナンテが言葉を発する度に、酒の匂いがナマエの鼻につく。もしかして彼は酔っ払っているのだろうか。それならばタチが悪い。からかうのも大概にして欲しいとナマエが思わずロシナンテの顔を見ようと首を横に向ければ、ふいに彼の骨ばった大きな手がナマエの顔を撫ぜる。
 そしてそのままナマエの顎を掴むと、ロシナンテの大きな口がナマエの唇にかぶりついた。啄むようなキスが息付く暇もなく何度も送られ、リップ音が静かな部屋に鳴り響く。ナマエが必死にロシナンテの手を振りぼとこうとするも、体格がふた周り以上も違う彼から逃れることはそう容易くはなかった。
 どれほど人の気持ちを弄べば済むのだろうか。
 嬉しさよりもだんだんと悲しみの感情に溺れたナマエは、いつの間にかぼろぼろと涙を流していた。



「えっ、ナマエ!?なっ泣かないでくれ!」


 はっと我に返ったように慌てふためくロシナンテは、ようやくナマエを解放する。しかしたがが外れた感情を、今更止めることなんて出来なかった。
 勢い任せにナマエがロシナンテに飛びかかると、突然の攻撃にバランスを崩した彼はそのまま床にひっくり返る。腹の上に馬乗りになったナマエは、大粒の涙をこぼしながら、ロシナンテの分厚い胸板に思い切り拳を叩きつけた。


「ばか!ばか!酔ってキスなんてすんなばかぁ!!」
「いだ!」
「人の気もしらないで!!ロシーのこともう諦めようって決めて!他の人とデートして、折角前に進もうとしてるのに!!なんでこんなことすんの!!」
「ちょ、待っ!ナマエッ」
「最低!ほんと、ロシーのことなんて、私っ・・・」


 大嫌いだと言えたら、どんなにいいだろう。
 うぇぇっと嗚咽をもらしながら子供のように泣きじゃくるナマエも、大抵酒が回っているのかもしれない。ロシナンテの胸に突っ伏して泣くナマエの背中に、恐る恐るロシナンテの手が伸びてきたかと思えば、彼女を落ち着かせるようにその大きな手が優しく上下に動いた。


「・・・俺の勘違いじゃねぇといいんだけど」
「・・・なに」
「さっきの台詞を聞くに、ナマエは俺のことが・・・好き、なのか?」



 改めて言われると、何とも言えない感情に包まれる。こうなればヤケクソだと、ナマエはロシナンテの胸に顔を押さえつけたまま、こくこくと頷いた。
 すると次の瞬間、がばりと身体を起こしたかと思えば、ロシナンテはそのままナマエをその大きな両手で力強く抱きしめた。


「・・・ごめんナマエ。もっと早く、俺からちゃんと言うべきだった」


 降り注ぐ言葉にナマエが思わず顔を上げれば、ロシナンテの真剣な瞳とぶつかった。


「ナマエのことが好きだ」
「う、嘘・・・いつから?」
「・・・五年くらい前から」
「え、なっが」


 五年前なんてロシナンテがまだ十五歳の時で、なんならその時ナマエには海軍同期の彼氏がいた時期のはずだ。まさか自分より先に相手がこちらに片思いをしていただなんて気づきもしなかったと、ナマエが思わず口をあんぐりとさせれば、ロシナンテは困ったように眉をしかめた。


「ナマエ、その頃は俺のこと弟としか見てなかっただろ」
「・・・うん」
「だから隠してた。それに、俺には成し遂げなきゃならないことがあるから・・・恋愛なんてしてる暇はねぇって思ってた。でも、」


 そこまで言うとロシナンテはナマエの額に己の額を合わせる。近くなる距離に、ナマエは己の心臓の鼓動がどくどくと早くなるのを感じた。


「ナマエが他の男に取られるのを見て見ぬふりをするのはもう耐えられねぇ。それほど、お前のこと・・・愛しちまったんだ」


 贈られた真っ直ぐな愛の言葉。真っ赤になった顔を見られたくないとナマエが思わず両手の甲で顔を隠そうとするも、ロシナンテがそれを許さなかった。



「ナマエは、俺のこと好き?」


 答えなんて知ってるくせに。
 そう悪態をつけるほど今のナマエに余裕はない。物欲しそうに覗き込んでくるロシナンテの熱い視線に答えるかのように、ナマエは彼の頬に擦り寄った。


「・・・好き。大好き。ずっとロシーの隣にいさせて」


 必死に紡いだナマエのその言葉を聞くや否や、ロシナンテはナマエは抱きかかえたまま勢いよく立ち上がる。そしてそのままナマエをすぐ近くにあったベッドに下ろすと、自身はナマエの上に覆い被さり彼女の唇に食らいついた。

 先程とは違う深いキス。何度も何度もナマエの唇を割っては、ロシナンテの舌が遠慮なくナマエの中に侵入してくる。絶え間なく注がれる愛に息絶え絶えになったナマエが思わずロシナンテの胸を叩けば、彼はようやく身体を離し、吐息を漏らしながら光悦とした表情でナマエを見下ろした。


「・・・こんなのっ、ロシーじゃない」
「それって褒め言葉か?」


 骨ばった指先でゆるりと太ももをなぞられれば、ぞくぞくと子宮が疼き出す。もっともっとちょうだいと、全身がロシナンテを求めていることをナマエ自身が痛いほど感じていた。


「・・・酔ってて明日起きたら忘れてたとか無しだからね」
「ナマエこそ」
「私はワインちょっとしか飲んでないもん」
「俺だって二杯だけだ」
「・・・やけ酒?」
「・・・どっかの誰かさんが俺の気もしらないで呑気に他の男とデートしたりするからな」


 ベッドの上でなんとムードのない会話なのだろうか。思わずナマエがくすくすと笑えば、ロシナンテは愛おしそうに目を細め、そしてまたナマエの唇にキスを送った。


「ナマエ、愛してる」
「私もだよ、ロシー」


 泣き虫ロシーは、もういない。
 ナマエは幸せを噛み締めるように、その細い腕を目の前の愛する男へと伸ばした。




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