『エース隊長って、ワノ国に必ず迎えに行くと約束を交わした女がいるらしいぞ』
ふいに耳に入ってきた声に、ナマエは思わず持っていたジョッキを落としそうになる。
あと一時間ほどで新年の幕開けという、十二月三十一日の夜更け頃。モビーディック号では一年を締めくくる大規模な宴会が行われており、甲板にはご馳走が並び、やんややんやといたる所で大歓声があがっていた。
そんな中、料理に舌鼓していたナマエの元に突然舞い込んできた衝撃的な事実は、一気に酔いを醒まさせる。
二番隊に所属することになって早一年。密かに育てていた恋心は無惨にも砕け散ってしまい、心臓がじくじくとまるで針で刺されたように痛み出す。呆然と酒の入ったジョッキを眺めていれば、ふいに背後に現れたマルコがナマエに声をかけてきた。
「ナマエ。例の件だけど、食堂でサッチが用意してくれてるから、今から取りに行ってくれよい」
「えっ?」
「エースの誕生日ケーキ。お前が渡す役目になってただろい」
マルコの呆れ顔を見て、ナマエは数週間前の出来事を思い出す。
事の発端は、普段エースと仲の良い隊長たちの間で、一月一日の彼の誕生日にサプライズでケーキを用意しようという話になったことから始まったらしい。たまたまナマエが医務室に顔をのぞかせた時、その計画をたてている最中のマルコとイゾウに鉢合わせ、なぜか二番隊隊員代表としてケーキを渡す任務を仰せつかったのだ。
きっと聡いマルコあたりには、エースへの恋心がバレていたに違いない。恥ずかしさがあったものの、喜ぶであろう彼の笑顔を間近で拝めるだなんて役得だと、ナマエは二つ返事で了承した。
しかし蓋を開けてみれば、想い人には遠く離れた異国に愛を誓い合った人がいるというではないか。なんと神様は残酷なのだろう。
新年とエースの誕生日というめでたい尽くしにも関わらず、この状況はナマエにとってまさに地獄である。そうなるともう、己の傷心した心を守るための手段は一つしか残されていなかった。
「あっ、それがですね・・・私ちょうど0時から不寝番だったことを忘れちゃってまして!」
「は?不寝番は確か今日は六番隊のはずじゃ・・・」
「すみません!デュースさんか、もしくは隊長と仲の良い可愛いナースにでも代わってもらってください!」
「おいっナマエ!」
引き留めようとするマルコの制止の声を振り切って、ナマエはジョッキを置くとそのまま足早に駆け出した。
日付を跨ぐまであと二十分ほど。自分を追いかけてくるよりも代役を探すことを選んだのか、マルコが追ってくる気配はない。ギリギリで役目を放り出す事にはかなり罪悪感を感じたが、背に腹はかえられぬと、ナマエは心の中で謝り倒しながら船の前方にある見張り台へと向かった。
見張りをしていた六番隊の隊員に声をかけ、酔いを覚ましたいからと不寝番の交代を願い出れば、男は顔を輝かせて受け入れてくれた。春島が近いと言えど、夜の風は少し肌寒い。良かったらと借してもらったブランケットにくるまって星空を見上げていれば、しばらくして甲板から声を揃えてのカウントダウンが始まった。0まで数え終わったと同時に野太い雄叫びがあがり、たくさんの乾杯の音が鳴り響く。
さらに、そんながやがやとした喧騒に紛れて「エース、誕生日おめでとう〜!」と言う声が聞こえてきたため、ナマエはこっそりと見張り台から下を覗き込んだ。豆粒ほどの大きさで見えたのは、錚々たる顔ぶれの隊長たちと二番隊の隊員らに囲まれるエースの姿。無事にお祝いが済んだようで良かったとほっと息をつき、そのままナマエは月明かりの下で踊るように波が揺らめく海へと視線を戻した。
ナマエが白ひげ海賊団に入団したのは、エースより半年ほど前のことだ。銃の腕をかわれ、イゾウ率いる十六番隊に所属していたが、エースが二番隊隊長に任命された際に移動を命じられたのだ。最初は慣れ親しんだ隊から離れる事にとても落ち込んでいたが、エースの気遣いと優しさのかいもあってか、すぐに二番隊に慣れることが出来た。
何より、エースが東の海から新世界まで辿ってきた冒険譚を聞くのが、ナマエはとても好きだった。あのキラキラした少年のように輝く瞳に恋したのは一体いつからだったろう。
海軍と衝突した時、海に落ちかけたところを助けてもらった時か。いや、それよりも少し前に、上陸した島で一緒に買い出しに行って帰りに花畑に立ち寄った時か。けれどそんな淡い恋心も、たくさんの思い出も、全てに蓋をして心の奥底に眠らせなければいけない──。
そんなことを考えていれば、ふいにギシギシと木が軋む音が真下から聞こえてくる。誰かが見張り台に続く縄梯子を登ってきているようだ。不思議に思いナマエが顔を覗かせれば、そこにはなぜかバスケットを腕にかけ、梯子を登ってきているエースの姿があった。
「エ、エース隊長!?」
「お前何してんだよ。今日の不寝番はうちじゃねェだろ?」
「えっと・・・その、酔っちゃって、ちょっと気分転換でもと・・・」
突然のエースの登場に、ナマエの脳内は処理が追いつかなくなる。しどろもどろ返答をしていれば、エースは「ふーん」と少し訝しげな表情を浮かべるも、そのまま梯子を登りきって見張り台の中に入ってきた。
「あの、どうしてここに?」
「ん?あぁ、さっきサッチお手製のケーキをもらっちまってさ。お前が見張り台にいると思うってマルコに聞いたから、差し入れに持ってきた」
「そんな・・・わざわざ、すみません」
「いや。おれもちょっと風に当たりたかったからちょうど良い」
彼とは不釣り合いな、ころんとした丸みを帯びたバスケットの中には、カットされた苺のケーキが二つ。クリームが少し皿についてはいたものの、ケーキが大きく崩れていることはなく、エースが慎重に運んできた事が伺える。
「食おうぜ」とにかっと歯を見せて腰を下ろすエースにナマエが躊躇すれば、彼は自分の横に空いたスペースの床板をぽんぽんと叩いた。
「新年早々、こんだけ隊員がいる中で親父を狙う馬鹿なんていねェだろ。後方にも見張りがいるし、ちょっとくらいサボっても大丈夫だって」
「・・・はい」
無邪気な笑顔に頷くと、ナマエはゆっくりとエースの隣に座った。それを見て再び満足そうに笑うと、彼はバスケットの中からケーキの皿とフォークを取り出してナマエに差し出してくる。 素直に受け取りちらりと目線をエースに向ければ、彼は「いただきます」と手を合わせると早速ケーキにかぶりついていた。
「おっ。さすがサッチ、めちゃくちゃうめェ!お前も早く食えよ」
生クリームを頬につけながら目を輝かせるエースに促され、ナマエも手を合わせてケーキを口に頬張った。甘さ控えめの滑らかな生クリームがふわふわのスポンジにマッチしており、間に挟まれた甘酸っぱい苺が良いアクセントになっている。さすがとしか言いようがない手の込んだ味に、ナマエも思わず「美味しい」と呟いた。
「だろ!?ケーキまで作れるだなんてすげェよな。毎日食いたいけど、普段の食事だけで手一杯だっつって誰かの誕生日の時くらいしか作ってくれねェからなぁ・・・」
一瞬にして胃袋にケーキを納めてしまったエースは、頬についていたクリームを指で取るとそのままぺろりと舐める。彼の口から出た『誕生日』というワードにナマエははっと息を飲むと、食べかけのケーキが刺さったフォークを皿に置いてゆっくりとエースに向き直った。
「あの・・・エース隊長」
「ん?」
「・・・お誕生日、おめでとうございます」
本当なら、誰よりも一番最初に伝えたかった。けれどそれは叶わなかったし、彼の想い人のことを慮ると、邪な気持ちを持っている自分がそれをしてはいけないだろう。
せめて最後に気持ちを消化させるように呟けば、エースは一瞬目を丸めた後、ゆるゆると口元を緩ませて照れくさそうに笑った。
「おう、ありがとな」
「こちらこそ、ケーキをわざわざ持ってきてくださってありがとうございます」
喜ぶ顔を見れて良かったとほっと息をつけば、ふいに下から「エースー!どこ行ったー!?」「飲むぞー!」と彼を探す声が聞こえてくる。恐らく酔っ払った隊長たちが、姿をくらませた主役を探しているのだろう。
エースの居場所を下に知らせるために、ブランケットを脱いでナマエが立ち上がった瞬間、ふいに服に何かが引っかかった感覚を覚える。視線を下に向ければ、そこにはなぜかナマエの動きを制止するかのように、服の端をしっかりと握るエースの姿。酒が回っているのか、心做しか頬を赤くした彼がこちらを見あげていた。
「エース隊長?」
「・・・おう」
「あの、みんな隊長のこと探してて・・・」
「分かってる。でも・・・」
「・・・」
「まだおれはお前と二人でいてェんだけど・・・。駄目か?」
言葉に合わせて、彼の手により一層の力がこもる。ばくばくと激しく鳴り出した心音を抑えるように、ナマエはゆるゆると首を横に振った。
「だっ・・・駄目じゃ、ないです・・・」
「そっか・・・」
「でも・・・」
「でも?」
「その、私・・・勘違いしちゃいます」
「・・・勘違いってなんだよ?」
「だって、エース隊長・・・ワノ国に、想い人がいるのに」
「・・・は?」
「その・・・いつか迎えに行くって約束した人がいるんですよね?なのに、そんなこと言われたら・・・」
「おいおいおいおい。待て待て待て待て」
むず痒いような甘酸っぱい空気が流れていた中、ふいに正気を取り戻したようにエースは真顔になると、勢いよく立ち上がってナマエの肩に掴みかかる。「落ち着け」と言う割に、目の前の彼が一番動揺しているのではと思いながらも、ナマエはただ黙ってエースの顔を見つめた。
「それはお玉のことを言ってんのか?それともヤマトか?」
「えっ!二人もいるんですか!?」
「ま、待て!勘違いすんな!お玉はまだちんちくりんの子供だし、ヤマトはおれよりふた周りくらいでかい上に、あのカイドウの娘だからな!?」
「・・・しゅ、守備範囲が」
「〜っ!!違う!頼むから説明させてくれ!!」
頭を掻きむしりながら、エースは話にでてきたお玉とヤマトとの関係について話し出す。白ひげ海賊団に入るより前──エースがワノ国に訪れた際に知り合った二人との約束を、ナマエは目を瞬かせながら聞いた。
「・・・てなわけで、噂されてるような話じゃねェんだよ。全部ガセだ」
「そうだったんですね・・・良かった」
きっと人から人へ伝わるうちに、面白おかしく話がねじ曲げられてしまったのだろう。真実を知ったことでナマエがほっと胸を撫で下ろしていれば、肩に触れているエースの指先にぎゅっと力が入ったのを感じた。
「良かったってことはよ・・・」
「え?」
「・・・おれの方こそ勘違いしちまうけど」
気がつけばすぐ目の前にあるエースの顔。ゆらゆらと波間のように揺れる彼の瞳に射抜かれ、ナマエはごくりと喉を鳴らしながら思わず目線を下に外した。
しかしエースがそれを許さない。腰を折り曲げて覗き込んでくる彼の表情に含まれている色が分からないほど、ナマエも子供ではなかった。
「・・・勘違いしてもらって、大丈夫です」
ややあって降参したようにナマエが告げれば、エースは一度ぽかんと口を開けたまま静止する。かと思えば、数秒後にはぱちぱちと炭酸が弾けるように目を煌めかせた。そしてそのまま「よっしゃー!」と大声を上げ、勢いよくナマエを抱き上げる。
「ありがとう。最高の誕生日プレゼントだ」
子供のように無邪気に笑うエース。愛しい者から贈られた最上級の言葉を噛み締めながら、ナマエは彼の燃えたぎるように熱い身体を抱きしめた。