穏やかな風に乗って、涙をすする音や別れを惜しむ声が空に舞う。卒業証書を片手に校内を練り歩いていれば、同級生や後輩たちに次々と呼び止められ、写真を撮ろうとせがまれた。今日だけは、何だか少しスター気分だ。
スマホのレンズにむかって白い歯を見せ、ピースサインで映り込む。そして別れ際に「ルフィのこと見てない?」と尋ねてみたが、皆揃って首を横に振るだけだった。校内で1.2を争うほどのお祭り男が、こんな大事な行事の日に鳴りを潜めているだなんてどう考えたっておかしい。
「また部活に顔出してくださいね!」と涙目で告げる後輩に手を振りながら、私はそのまま本校舎から渡り廊下で繋がる別館へと足を進めた。
階段をどんどんと登っていけば、音楽室や視聴覚室が並ぶ最上階へとたどり着く。しかし目的地はそこではない。そこからさらに屋上に繋がる階段の方を見上げれば、案の定予想していた通りの人物の姿が目に入った。
屋上に続く扉の前にある踊り場で背中を丸めて縮こまり、綺麗な三角座りで膝に顔を埋めた男。首にはトレードマークの麦わら帽子がぶら下がっており、顔を見なくてもそれがルフィだと言うことが見てとれた。
「おーい、ルフィ」
「・・・」
「寝てんの?」
「・・・」
「ありゃま、反応無しか。せっかくもらった紅白饅頭わけっこしようと思ったのにな〜」
無言を貫く彼の前で膝を曲げてそう告れば、ぐぅ〜と腹の音が代わりに返事をした。くつくつと思わず笑い声をもらせば、塊から「食う」と不貞腐れたような声がやっと聞こえてくる。
「白と赤どっちがいい?」
「赤」
「ねぇ、顔あげないと食べれないよ」
「やだ!」
まるで反抗期の母親と子供の会話だ。頑なに顔を上げようとしないのに、条件反射のように手だけは前に差し出してくる。こんな状況でも、食い意地だけは無くならないらしい。
しょうがないなとため息をつきながら、制服のポケットに差しこんでいた小さな箱を取り出して、赤の饅頭を摘み出す。フィルムを丁寧に剥がしてそのままルフィの手のひらに載せてやれば、それは一瞬にして彼の口に飲み込まれていった。まるで某有名メーカーの掃除機のようだ。
このままだと自分の分も取られてしまうもしれない。慌ててルフィの横に腰を下ろすと、私は壁に背中を預けて「いただきます」と白い饅頭にかぶりついた。
「餡子美味しいね〜。紅白饅頭食べるのなんて、入学式以来だから三年ぶりかも」
「・・・」
「ルフィは入学式がついこの間だから一年ぶりくらい?」
「・・・」
「ねぇ〜なんか喋ってよ。もうルフィと会えるの、今日が最後なのに」
あまりにも意固地な態度に思わずぼやき声を漏らせば、次の瞬間、弾かれるようにしてルフィはがばりと顔を上げた。うるうると潤む瞳はほんのりと赤く染まっていて、への字に曲がった唇は小さく震えている。
まさか、あのルフィが──と言う衝撃が頭を駆け巡るも、すぐに無理もないということを理解する。彼が本当の兄のように慕うサボとエースも、本日もれなく卒業してしまうのだから、泣きたくなるのも当然だ。
「ごめん・・・。エースとサボが卒業するんだから、悲しいに決まってるよね」
同じ家に住んでいるとはいえ、毎日登下校を共にしてつるんでいた大切な兄たちが、明日からいなくなってしまうのだ。ぽっかりと空いた穴を埋めるのは、なかなか時間がかかるだろう。
手に持った饅頭を見つめながらぽつりと呟けば、ルフィはごしごしと学ランの裾で涙を拭う。そしてずびっと勢いよく鼻水をすすった彼は、ようやくゆっくりと口を開いた。
「・・・めちゃくちゃ寂しい」
「・・・うん」
「エースとサボがいねェことはもちろんだけど・・・。ナマエも学校からいなくなっちまって、・・・ずびっ、もう会えなくなっちまうことが死ぬほど辛ェ」
ぽつりと漏れ出たかすれ声に、私は思わず「へ?」と間抜けな声を返した。
早くなる心音が、メトロノームのように規則正しく音を刻み出す。その言葉の意味は一体どれを指すのだろうか。慣れ親しんだ先輩として?面倒見のいい姉のような存在として?それとも、まさか、いや彼に限ってそれはないか。
ぐるぐると頭の中をフル回転していれば、ルフィの手がゆっくりとこちらに伸びてきて、がしりと私の腕を掴む。そのまま引き寄せられ近づいてくる顔。泣き腫らした真っ直ぐな視線が、じっとこちらを射抜く。
あぁ、まさかのまさかだった。でも何故だろう、少しも嫌な気がしない。そんな思いから、混乱しつつも私は訪れるものを受け入れるためにぎゅっと目を閉じた。
──ところが、いくらたっても唇に柔らかいものが降り注いでこない。代わりに、握りしめていた饅頭にふいに何か重みが加わり、指先にざらりとした刺激が走る。はっと目を開けてそちらを見れば、白い饅頭を私の指ごと食らおうとするルフィの姿が目に入った。
「〜っ何してんの!!」
「え?だって全然食わねェから、饅頭もういらねェのかと思って」
「あっ、あげるから!!指食べないで!!」
このままでは、本気で指ごと食べられてしまいそうな勢いだ。慌てて饅頭をルフィの口の中に放り込めば、彼は不思議そうな顔をしつつも、喜んでそれを頬張った。
吐露された想い。いつもの雰囲気とは異なる真剣な表情。そして指先に残る感触。それら全ての要素が、私の頬を真っ赤にするのは簡単だった。
「ん?どうした?」
さっきまでの真剣な空気は何処へやら。首を傾けてこちらを覗き込んでくる表情は、気がつけばいつものルフィに戻っている。ポケットにしまっていたタオルで指先を拭いながら、私は邪な想いを吹き飛ばすように顔を左右にぶんぶんと振った。
「なんでもない!!」
「ふーん、変なの」
「へ、変なのはルフィでしょ?さっきまでずびずび泣いてた癖に・・・!」
「いや〜よく考えてみたら、ナマエって確かサボと同じ大学に行くんだろ?こっからチャリで十分くらいのとこ」
「・・・うん。学部は違うけどね」
「あの辺によく買い出しに行く激安スーパーがあってよ。多分週に何回か、放課後サボと買い出し行く時に大学の前で待ち合わせすることになるから、その時に会えるなと思ったら寂しくなくなった!!行く時は連絡するからサボと一緒に待っとけよ!約束!」
名案だろと得意げに白い歯を見せて笑う彼の表情に、ドキドキしていた心臓は徐々に落ち着きを取り戻す。
恋愛漫画みたいなときめきより、暖かい陽だまりのような安心感。彼の傍にいて味わえるのはきっと後者だろう。けれど、私はそんな彼の方が好きだ。
眩い笑顔と共に突き出されたルフィの小指に、「そうだね」と笑いながら同じ指を絡ませれば、彼の目が嬉しそうに細まった。
毎週火曜と金曜の午後四時頃。校門前に赤い自転車に乗った学生服の少年が現れると大学内で有名になるのは、きっとそう遠くない未来。