春跳ぶうさぎ
「ナマエと俺が?ないない!コアラと同じであいつはただの昔馴染みの一人だよ」
開け放たれた窓から聞こえてきたサボの声に、思わず握っていたファイルを落としそうになる。ほんの一瞬宙に浮いたそれを慌てて受け止めると、ナマエはそのまま隠れるように地面にしゃがみこんだ。
仕事終わりに気分転換で散歩でもしようと歩いていれば、突然聞こえてきた声。特別耳に入ってきてしまう聞き慣れたそれは、ナマエの長年の想い人のものであった。
「ほんとにほんとですか?みんな噂してますよ、サボさんとナマエさんが実は付き合ってるんじゃないかって」
部屋には誰か女性がいるようで、鈴の音のような軽やかな声がころころと降ってくる。確かこの声の主は事務方の女の子のものだ。とても美人で、いつもにこにことした笑顔でサボに声をかけてくる女の子。確かサボも彼女のことを妹のように可愛がっていたはずだ。
なんとも居た堪れない気持ちになりながら、ナマエはただじっと、地面の砂利を食い入るように見つめることしかできなかった。
「皆の期待に応えられなくて悪りぃけど、おれには恋人なんていねェし、変にナマエとの噂をたてられて困ってんだ」
「そうなんですね・・・。じゃあ・・・っあの、サボさん」
「ん?」
「もし今恋人がいないなら・・・来月のサボさんの誕生日は、私にお祝いさせてくれませんか?」
その言葉に、ぐさりととどめを刺されたような気がした。サボはどのような返事をするのだろうかと思わずナマエが小さく息を飲んだ瞬間、ふいにバンッと勢いよく部屋の扉が開く音が鳴り響く。
そして「サボくん印鑑ー!」と部屋に乱入してきたであろう、コアラの伸びやかな声が聞こえてきた。
「あら、お邪魔だった?」
「馬鹿言うな」
先程までの甘い雰囲気は何処へやら。コアラの登場によってわいわいと賑やかになる部屋の喧騒に紛れて、ナマエはそっと立ち上がるとその場を後にした。
不可抗力だったとしても盗み聞きをしてしまうだなんて、なんとも後味が悪い。しかもそれが想い人の自分に対する評価とあれば尚更だ。
元からサボが自分に対して恋愛感情を抱いていないことは百も承知であった。サボとは幼い頃から革命軍で一緒に育ってきた仲であり、それ以外特に何も変哲もない関係である。ただ何気なく共に過ごす中で、サボの優しさや彼の真っ直ぐな心意気に触れていった事で、ナマエが勝手に彼に恋慕していただけの話だ。
「誕生日・・・今年はあの子と過ごすのかな」
ぽつりと呟くナマエの声が風に乗って消えていく。毎年ささやかながらコアラやハック、イワンコフなど昔からの仲間とサボの誕生日をお祝いしてきたのだ。コアラと試行錯誤してケーキを作った年もあれば、たまたまみんな任務が入ってしまいドキドキしながらサボと二人で過ごした年もある。
今年はどんな風にお祝いをしようかと考えていた矢先にこの出来事だ。きっと神様がもう諦めろと言っているに違いない。
ぎゅっと痛む心にわざと気づかないふりをして、ナマエは手にしていたファイルを握り直す。そしてそのまま、自分の気持ちに蓋をするように足早に歩き出した。
春跳ぶうさぎ
「やば、飲みすぎたかも・・・」
ぴちょんぴちょんと水道の蛇口から滴り落ちる雫。それを見つめながら、ナマエは真っ赤になっている顔を少しでも冷まそうと、水の入ったグラスを煽った。
遡ること約一ヶ月前の二月中旬。新世界にある海軍GL第三支部に蔓延る裏金問題について情報収集の任務を命じられたナマエは、海兵として海軍に潜入をしていた。
本来であれば二週間ほどで終わる任務であったが、思ったよりもセキュリティが固く、未だに決定打となる物を仕入れることができていないのが現状であった。
あれよあれよと日が経つうちに気がつけばカレンダーは三月二十日をさしており、この日は上層部も参加するという大規模な宴会にナマエは参加していた。
「おっ新人ちゃん、意外と酒がイける口だね」
「はい、私結構お酒が好きで」
「いいねいいね。じゃあこのワインも飲んでみな」
「わぁ〜!ありがとうございます」
どうにかして情報収集をしようと躍起になっていたらしい。自ら上層部の人間たちが集まるテーブルについて、勧められるがままににこにこと酒を飲んでいれば、いつの間にかキャパを超えてしまっていたようだ。
席を外して手洗い場の鏡で顔を見やれば、そこには少し虚ろな目で顔を真っ赤にした己が映っていた。辛うじて酔いつぶれていないにしろ、もうここらが限界であろう。
今回も情報をあまり仕入れることのできなかった不甲斐なさに加え、任務中だと言うのに、サボが例の女の子と誕生日を楽しく過ごしている様子を想像してしまい、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
はぁと深くため息をつくとナマエは再びグラスに唇をつける。ひんやりとした水が喉を通っていく感覚でなんとか頭を冷やそうしていれば、ふいに後ろから誰かがナマエの肩を叩いた。
「大丈夫?結構飲まされてたみたいだけど」
「・・・パトリック少将。すみません、なんとか大丈夫そうです」
顔をあげれば上層部のメンバーの一人である人物がこちらを見下ろしていた。若くして少将の称号を持つ男は、新しく東の海から赴任してきたという設定であるナマエのことを何かと気にかけてくれている人物だ。
「もう今日はこのまま抜けてもいいんじゃない?」
「そうですね・・・。お言葉に甘えてそうさせて頂こうと思います」
とりあえずグラスを返しにいこうと、ナマエが軽く会釈をしてその場を去ろうとした瞬間、ふいにパトリックに手を掴まれ行く手を阻まれる。思わず目を見開きながら彼の顔を見上げれば、パトリックの指先がナマエの手の甲をゆるりと撫でた。
「良かったらこの後おれの部屋においで」
壁に寄せられ徐々に詰められる距離に、ああこれはとナマエはまだ辛うじて正常に動いている頭を働かせた。
上手く誤魔化して逃げるべきか、これを機に近づいて彼の懐から情報を抜くべきか。天秤にかけたところで、普段任務で女性として己の身体を使うようなことをしないナマエからすれば、答えはひとつしかないはずだった。
けれどまたしてもサボとあの女の子の仲睦まじい姿が脳裏にチラついたことによって、ナマエの中の何かが囁き出す。『任じられた仕事すらまともに出来ないだなんて、仲間としてもサボの傍にいる資格はないよ』と。
ぐらりと揺らぐ意思。ナマエが思わずパトリックの手を取ろうとした刹那、ふいに彼の背後でパリンとグラスが割れる音が鳴り響いた。
「すみませんお客さん!手が滑ってしまって!お怪我はないですか?」
宴会場から食器やグラスを運んでいたのだろうか、ふいにウエイターの格好をした男が声をかけてくる。その男の顔を見て、ナマエは思わず小さく息を飲んだ。しかし彼はナマエのことなど気にとめていないように、パトリックの服の端をつまみ上げる。
「申し訳ありません、服に飲み物がかかってしまってますね・・・。すぐにお着替えを用意しますので、どうぞこちらに」
「えっ、いや・・・別に」
「いえ!遠慮なく!どうぞどうぞ!! 」
躊躇するパトリックを半ば強引に連れ去ると、男はすぐ近くの部屋に彼を押し込み、他のウエイターに声をかけこちらに戻ってくる。そしてナマエを一瞥すると、にこりと満面の笑みを浮かべた。
「お客様はどうぞこちらへ」
ウエイターの男−・・・いや、サボの貼りつけたようなこの笑顔。久方ぶりに見たが、これは彼がとてつもなく怒っている時に出るものである。
ナマエの任務が手間取っていると誰かから聞いて、恐らく助っ人として現れたのだろう。自分の不甲斐なさにナマエは眉を下げると、スタスタと黙って前を歩いていくサボの後ろをただ項垂れるようにしてついて行った。
店を出て十分ほど歩けば、港のすぐ近くにある公園にたどり着く。街頭がぽつんと灯るすぐ下にはベンチが一つあり、サボはそこに腰掛けると自分の横をポンポンと軽く手で叩いた。座るように促してくるそれに従い、ナマエは口を結んだままサボの横に腰かける。
「・・・お前、ほんと何してんだよ」
いの一番にかけられた声にナマエはギュッと拳を強く握る。情報収集に一ヶ月もかかっていることから怒られても当然なのだが、想い人に呆れたような声色で言われるのは、たまったものではなかった。
「・・・ごめんなさい。今回、なかなか上手く情報を掴めなくて」
「・・・え、いやそうじゃ・・・」
「でもリストの存在までは分かってるから、あとは現物を入手するだけなの。だから・・・あと一週間猶予が欲しい」
「おい、ちょっと待・・・」
「ごめんね。サボ、今日はせっかくの誕生日なのにこんなところにまで来てもらっちゃって・・・。事務方の女の子にお祝いしてもらう約束してたんでしょ?悪いことしちゃったね」
何かを言われる前に全て懺悔してしまおうと、ナマエはサボの声を遮るようにして言葉を吐き出した。言語化することで現実味が増してくる。ずきずきと胸が痛みだし、なんだかとても悲しくなってきた。けれどここで泣いてしまってはなんとか保っている己のプライドが傷つくうえに、サボとの今までの関係が全て泡となって消えてしまうだろう。
それだけは避けなければと、ナマエは「あと一週間猶予をもらえるように私からドラゴンさんに連絡しとくから」と小さく零すと、そのままこの場を去ろうとした。しかし次の瞬間、ふいにサボの手がナマエの腕を掴みとった。
「・・・座れ」
「・・・っ」
「いいから座れ。早く」
強くなる語尾と腕を握る力に、ナマエは思わずまたサボの横に腰を下ろした。その様子を見てはぁと深いため息をつくと、サボはナマエの両手をやんわりと包み込むように握る。思いがけない行為に弾けるように顔をあげれば、サボの黒い瞳がこちらを見つめていた。
「なんか勘違いしてるみてェだけど、おれは別に任務の助っ人に来たんじゃないぞ」
「・・・そう、なの?」
「あぁ。それに今回の任務のことはドラゴンさんも時間がかかるって承知の上だ。難しい案件だからこそ、信頼出来るお前に託されてるんだ。そこは自信持って引き続きやってくれ」
「うん・・・。分かった」
少しばかり安心して安堵のため息をつけば、サボの手がこちらに伸びてきて、ナマエの眉間をぐりぐりと人差し指で強く押した。「いだい」と思わずナマエが眉をひそめても、その指先の力が緩むことは無い。
「おれが怒ってたのは!お前が良からぬことをしようとしてたことだ!おれが止めに入んなかったらどうなってた!?」
「え、と・・・それは」
「二度とすんな!約束が守れねェならもうこういう任務からは金輪際外す!返事は!?」
「は、はい!」
まさか自分のやろうとしていたことが見抜かれていただなんて計算外であった。豪速球のボールのように矢継ぎ早に飛んでくるサボの言葉に慌ててナマエがこくこくと頷けば、彼は再び深いため息をついてからようやく手を離した。
そして一息置くと、もう一度ナマエの方に向き直る。
「・・・あと、誰に聞いたのか知らねェけど、あの子からの誘いはきっぱり断ってる。毎年ナマエたちが祝ってくれてるから、今年もそうだろうと思ってたし。まぁ今年は長期任務が重なったからか、お前から何も声掛けてくれなくて正直へこんでたけど・・・」
「ご、ごめんね」
「まぁ任務なんだししょうがねェよ。だから代わりにわざわざ自分の任務後に直行してここに来たんだからな」
「え・・・どうして?」
「どうしてって・・・」
きょとんと目を丸めてナマエそう答えれば、サボは一瞬面食らったような表情をした後、己の顔を手で覆うとそのまま天を仰いだ。
星々が瞬く夜空には雲ひとつなく、澄み切った風が吹く。突然のサボの登場と夜風に当たることですでに酔いが冷めきっていたが、ナマエにはなぜサボがここにいるのか理解ができていなかった。
「・・・誕生日くらい、好きな奴と一緒にいたいし・・・面と向かっておめでとうって言って欲しいだろ」
絞り出されたサボのか細い声。
すきなやつ、好きな奴?とその意味を噛み砕くように脳内で単語を反芻させれば、いつの間にやら手を顔から離していたサボがこちらを向いていることに気がついた。
余裕が無さそうな、けれども熱い視線を含んだサボの表情。全てを悟ったナマエの頬は、噴火してしまいそうなくらい真っ赤に染まった。
「う、嘘!だってサボ、私の事昔馴染みの一人で、付き合ってるって噂たてられて困ってるって・・・」
「おまっ、もしかしてあの子と話してた時近くにいたのか!?」
「あ、えっと。いや、わざとじゃなくて・・・たまたま聞こえる所にいただけで・・・。でも、勝手に聞いてごめんなさい」
焦る気持ちを隠すようにナマエはギュッと握りこぶしをつくる。すると上からサボの手がふんわりと覆いかぶさった。自分より大きな手、骨ばった指に、心臓の鼓動が上昇していく。跳ねるようにサボを見上げれば、先程より二人の距離がぐっと近くなっていた。
「あれは、その・・・噂になってるって聞いて、敵やおれのことを良く思ってない奴に、お前が何かされでもしたらと思って言っただけで・・・」
「・・・うん」
「本音じゃねェ。・・・むしろ、ほんとはずっと、」
そこで言葉が途切れたかと思えば、サボの手が伸びてきて、ナマエの頬をゆるりと撫でた。
「お前に好きって伝えたかった」
ああ、その顔でその声でその仕草で、言われて落ちない人間なんているのだろうか。こつんとナマエの額にサボの額が合わさる。鼻先が触れそうな距離に、ナマエは目を瞬かせた。
「返事は?」
「っ・・・分かってるくせに」
「ナマエの口からちゃんと聞きたい」
甘えたような口調に、ナマエの脳内はすでに白旗をあげていた。
「・・・私も、サボのことが好き」
「・・・ほんとに?」
「うん、多分・・・サボよりずっとずっと前から」
酔いなどとっくに醒めていたはずなのに、熱に浮かされたように脳内がクラクラと揺らぎ出す。
「誕生日プレゼント、今もらってもいいか?」
痺れるような声に小さく頷けば、サボの唇がナマエのものに優しく重なる。
「誕生日おめでとう、サボ」
綿菓子のように柔らかく甘い口付けとともに贈られた言葉。サボは屈託のない笑みを浮かべると、溢れんばかりの愛を込めてナマエを力強く抱きしめた。
Happy Birthday SABO!!
(アンケート結果 同率の第二位サボ夢。投票ありがとうございました)