コトノハナ
部屋の扉を開けると同時、木製の扉の隙間に差し込まれていた何かがぽとりと床に落ちていく。一週間ぶりに現れた真っ白な花を拾い上げると、ナマエはそっとそれに鼻を寄せた。
まだ瑞々しさの残るその花は、恐らく今朝置かれたばかりのものだろう。ふんわりと香る甘い花の香りに癒されながら部屋に戻れば、寝ぼけ眼でベッドに寝転んでいた同部屋のナースたちは、ナマエを横目にふぁっと大きな欠伸をこぼした。
「あら、またあったの?」
「うん。今日のは多分カサブランカかな」
部屋奥の窓辺にある小さな花瓶を見れば、そこには少し元気を無くした薄いピンクのダリアが一輪差し込まれている。それを抜き去ると、ナマエは代わりに今朝来たばかりのカサブランカを差し込んだ。
「一体誰の仕業なのかしらね」
「もしかして隊長格の誰かだったりして・・・」
「えー!こういうことしそうなのって・・・うーん、ハルタ隊長とか?」
「そうねぇ・・・でもそれよりも誰宛なのかっていう方が気になるわぁ」
「確かに!リリアンは相手がいるから除外?」
「でも彼がいるからこそ、公に渡せなくてこっそりやっているっていう可能性もあるじゃない」
女性というものは揃って恋愛話には目がないらしい。朝からきゃいきゃいと黄色い声を上げ始めたナースたちの声を背に、ナマエは手にしていたダリアの茎の水分をタオルで綺麗に拭うと、引き出しから出した麻紐で丁寧に巻き上げる。そしてそれを天井のレールに逆さにぶら下げた。
他にもガーベラやラナンキュラスなど春の花が順番に吊り下げられており、今しがた吊り下げたダリアですでに五本目となっている。一番初めにきたアネモネはすでにからりと水分が抜け切っており、ドライフラワーとして第二の人生を歩み始めていた。
ナマエとナースたちの部屋の扉に花が差し込まれるようになったのは、二ヶ月ほど前からだったろうか。
ある日突然現れた一輪の赤いアネモネ。宛名もなく当然差出人も不明。最初は誰かの気まぐれや可愛いイタズラかと全員が思っていた。しかしちょうど花が枯れそうになる時期になると次の新しい花がまたタイミンク良く差し込まれるため、この部屋に想い人がいる者がやっているに違いないと、ここ最近ナースたちが色めきたっているのだ。
「ナマエは心当たりない?誰かに口説かれてるとか」
「えっ私?ないない。絶対ないよ」
「あっ!またそんなこと言ってぇ〜!」
必要最低限の化粧を施していれば、ふいに投げられた声にナマエは思わず首をぶんぶんと横に振った。この部屋はナースが三人、そしてマルコ率いる医療班で薬剤師を務めているナマエの合わせて四人のメンバーが使用している場所だ。綺麗で妖艶、尚且つプロポーションも抜群なナースたちを差し置いて、自分が誰かに求愛されることなどまずないだろう。
しかしナースたちはナマエの返答に不満そうに口を尖らせる。真っ赤なリップがとても似合うその厚い唇から「貴方結構人気あるのよ?」やら「過保護なマルコ隊長のせいよ」やらと援護が入るも、ナマエはただ肩を竦めて小さく笑った。
「お世辞でもそう言ってくれてありがとう。でも早くしないと朝ごはんの時間に間に合わなくなっちゃうよ」
ナマエの言葉にナースたちはようやく時計の針がもうすぐ八時を指すことに気がつき、全員が慌てたように身支度に動き出す。
海賊といえども、白ひげ海賊団ほどの大所帯になると色々と規則が設けられるところが多い。基本的に九時には朝食時間が打ち切られてしまううえに、ギリギリに行き過ぎると食欲旺盛な船員たちのおかわりによって食事を奪われてしまう可能性が高くなるのだ。
洗面所の奪い合いが始まった彼女たちに「お先に」と声をかけると、ナマエは足早に部屋を後にした。
コトノハナ
混み合う食堂で素早く食事を済ませると、ナマエはいつものように仕事場の医務室に向かう。主な担当は薬剤の調合、他にはマルコの手を煩わせる必要のない怪我人の手当だったり、雑用事務なども行うため仕事は多岐に渡っていた。
今日はまずストックが少なくなっている解熱剤の調合をしなければと、ナマエは頭を働せながら医務室の扉を開ける。「おはようございます」と声を上げて室内に足を踏み入れれば、中で紙と睨めっこをしていたマルコがこちらに顔をむけた。
「おはようナマエ。いいタイミングで来たねェ」
「・・・なんか朝から嫌な笑顔ですね」
薄い唇の端を上げるマルコに、ナマエは思わずじとりと彼を見上げた。マルコが朝一に笑顔で声をかけてくる時にろくな事があった試しがない。訝しげな表情をするナマエに、マルコは手にしていた紙を差し出してきた。
「注文してた薬と薬草、それから備品類が今から届く予定だから、中身のチェックと運搬整理を頼むよい。これ、注文表な」
文字が羅列されている紙に目を通したところ、ざっと見ただけでも結構な量である。一人で船着場と医務室を行き来するとなると、なかなかの時間がかかることは明白だった。
「これマルコ隊長も手伝ってくれたり・・・?」
「しねェな」
「えぇ・・・!」
「親父の診察があるんだよい。まぁ代わりに強力な助っ人を召喚しておいたから安心しろい」
そう言って楽しそうに笑うと、マルコは頭にクエスチョンマークを浮かべるナマエの背中をぐいぐいと押してそのまま医務室から追い出した。色々と聞きたいことがあったが、何やらスイッチが入っている彼から情報を聞き出すのは至難の業だろう。大人しく指示に従いナマエは船から降りて船着場に向かった。
船着場で作業をしている仲間たちと挨拶を交わしながらきょろきょろと視線を動かせば、たくさんの木箱や袋を荷車に乗せた見慣れない男を見つける。声をかければ案の定マルコが手配していた薬屋で、ナマエは彼と一緒に注文表と中身を照らし合わせた。確認が終わり料金を支払うと、男は積荷を置いて去っていく。
思っていた以上に膨大な量だ。果たしてこの量をどのようにして捌こうかとナマエが頭を捻っていれば、ふいに後ろから「よっ」と聞き慣れた声が降ってきた。
「はよ」
「わっ、エース隊長!おはようございます」
「待たせたな。運ぶのってこれか?」
「あれ・・・もしかして、助っ人って・・・」
「ん、おれだな。今朝の飯の時に、暇だったらナマエの手伝いしてやってくれってマルコに頼まれた」
にっと人懐っこい顔で笑うエースの姿に、ナマエは思わず頭を抱えたくなった。いくらなんでも隊長格に頼む仕事ではないだろうとマルコにパンチを食らわせたくなる案件だ。
だがしかし無下に断わることも失礼に値するだろうと、ナマエはそのまま彼の優しさに甘えることにした。詫びを入れながら運ぶものを指示すれば、エースは重い箱を軽々と担ぎ上げてくれる。その横でナマエも持てる範囲のものを手にすると、彼と共に船に続くタラップを上がっていった。
「にしてもマルコも人使いが荒りぃよな。お前、毎回こんなこと押し付けられてねェか?」
荷物を運びながら何気ない会話を交わしていれば、医務室に第一便の荷物を運び終えた頃、ふいにエースがそう呟く。
「まぁ・・・ナースを除いたら、私が医療班で一番下っ端ですしね」
「だとしてもなァ・・・」
「なんだかんだマルコ隊長は私が困ってたら絶対助けてくれるんで、不満はないですよ。今回みたいに自分が手伝えない時は、こうして助っ人に誰か付けてくれるように手配してくれるんで」
手に付いた木くずを叩きながら何気なく答えれば、ナマエは自分の中の違和感にはたと気がついた。
そういえば、その助っ人が最近は立て続けに同じ人物な気がする。いや、気のせいではないだろう。二週間前にした医務室の大掃除の手伝いも、二ヶ月ほど前に大量の買い出しを頼まれた時の荷物持ちをしてくれたのも目の前のエースだったと、その事実に気がついたナマエは思わず眉を下げた。
「・・・って、その助っ人がここ最近エース隊長ばっかりでしたよね」
「あっ、え・・・と。そうだな」
「マルコ隊長と仲良い人で一番年下だからつい頼んじゃってるのかな・・・。ごめなさい、私気づかずに失礼な発言しちゃって。私が力不足だからエース隊長にしわ寄せが来てるのに・・・」
「えっ!いや、その・・・」
「エース隊長ばかりに頼むのは辞めてくださいって私からマルコ隊長に言っておきますね。すみませんでした」
ナマエがそう言って頭を下げたと同時、ふいにエースが「いや待て!」と大声をあげた。思わず顔をあげて彼を見やれば、目の前には珍しく少し狼狽えたような様子のエースがいる。
一瞬目が合うもすぐに逸らされてしまい、彼は首の後ろに下げていたトレードマークのテンガロンハットを深く被った。
「ちょうど暇な時間に手伝ってるだけだし、気晴らしついでだからいいんだよ。だから、その・・・マルコには言わないでいい」
少し照れたように頬を染めたエースの言葉が、じんわりとナマエの心を温めた。船に乗った当初から年齢が近いこともあり、何かと気にかけて声をかけてくれるエースではあったが、こういう反応を見ると本当に優しい人なんだなと実感する。
「・・・ありがとうございます」
「・・・おう」
「あのっその代わり、私に何か手伝えることがあったら、その時はぜひお手伝いさせてくださいね!」
両方の拳を握りしめ、軽く掲げながらナマエがそう意気込めば、エースは白い歯を見せながらまた照れくさそうに笑った。
***
それから十日後。モビーディック号は広大な向日葵畑が広がるとある夏島に停泊していた。白ひげのナワバリを侵略しようとした敵船を見事追い払ったことから、祝勝会として船で大規模な宴会が行われることになったのだ。そのため昨夜遅くまで甲板では飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが行われていた。
そんな日は医務室に担ぎ込まれる人間が増えるため、医療班の誰かが夜通し待機するルールになっている。その日はナマエが当番の日だった。酒に呑まれた者たちが幾人か医務室に転がりこんできたが、幸い重篤な状態になる者はおらず、処置も簡単なもので済んでいたため、早朝になるとナマエはコーヒーを啜りながら医務室で欠伸を噛み殺していた。
そんな中、ふいに医務室の扉が開いたかと思えば、マルコがひょっこりと顔を覗かせる。
「夜勤ご苦労さん。どうだった?」
「おはようございます。特に重症な人はいなかったので今回は楽チンでした」
「それは良かったよい。交代するから部屋に戻って寝てきな」
「いいんですか?」
「おう。おれは上手いこと見切りつけて部屋に戻って寝てたから問題ないよい」
そう言って白衣に身を通すマルコの姿がいつもよりさらに後光が差して見える。思わず拝みそうになる手を思いとどまらせ、ナマエは彼の言葉に甘えて医務室を後にした。
自室に向かって廊下を歩いてれば、窓から朝焼けの光が差し込んでくる。夜勤明けの身体に染み渡る日差しを噛み締めていると、ふいに視界に見覚えのある人物が写った。
黒髪にオレンジ色のテンガロンハット。紛うことなきエースの後ろ姿だ。こんな早朝に出歩いているなんて、朝方まで誰かと飲んでいたのだろうか。
そんなことを考えながら、挨拶をしようとナマエが歩を進めて彼に近づけば、ふいにエースの手に何かが握られていることに気がつく。黄色い太陽のような花。光をめいっぱい浴びて輝く小ぶりな向日葵が一輪、彼の右手に握られていた。
点と点が全て繋がったような感覚。思わず「あ」と声を漏らしてしまえば、その声に弾かれるようにしてエースがこちらに振り返った。交わる視線。驚いたように口をはくはくと動かすエースに、ナマエは気まずそうに頭を軽く下げた。
「おはよう、ございます」
「・・・はよ」
「あの・・・」
「・・・おう」
「お花・・・エース隊長だったんですね」
この先はナースたちの部屋が並ぶ方角である。無論、ナマエの在籍する部屋も、だ。そこに早朝、花を一輪持って現れたとなれば、今まで部屋に花を差し込んでいた人物がエースだということに相違ないだろう。
花に無縁そうな男が意外とロマンチストだったとはと、ナマエは目を瞬かせながらも、固まったままのエースに慌てて声をかけた。
「あのっ私、誰にも言いませんから!むしろもし目当ての子がいるなら、喜んでお手伝いしますので!」
前に伝えていた通り、今まで色々と助けてくれたお礼だ。といっても役にたてるかは全くもって不明であるが。
気まずさから思わず息巻いてナマエがそう声をあげると、それを合図にエースがこちらに歩み寄ってくる。そして目の前で立ち止まったかと思えば、彼の手に握られていた向日葵がナマエの方に差し出され、そのままぐいっと手元に押し付けられた。
「・・・やる」
「えっ?」
流れるままに向日葵を受け取ると、ナマエは黄色い花とエースの顔を交互に見やった。真っ赤に染まる彼の顔。その表情に何も感じないほど、ナマエも色恋沙汰に疎くはなかった。
バクバクと上昇する己の心臓の音に、ナマエは思わず向日葵を握り締める。今朝島で摘んできたばかりなのか、向日葵からは陽だまりのような暖かい香りがした。
「少し前、一緒に買い出しに行った時、花が好きだってナマエが言ってたから・・・喜ぶかなと思って」
「えっ・・・」
「・・・でも柄じゃねェから、直接渡せなくてよ」
振り絞るように紡がれたエースの言葉に、ナマエは過去の記憶を掘り起こす。
確か二ヶ月前、エースが買い出しの荷物持ちの助っ人に来てくれた時だった。たまたま通りかかった花屋でナマエが思わず楽しそうに花を眺める様子を見て、エースが『花が好きなのか?』と尋ねてきたのだ。
『はい。仕事柄、薬草とかに興味のある延長でなんですけど・・・』
『ふぅん・・・』
『花って部屋に一輪あるだけでも、なんだか毎日幸せな気分になれますよね』
そう言ってその時は自分のお金で一輪の淡いピンク色のチューリップを買ったのだ。確かそのチューリップが枯れそうになった頃に扉に差し込まれたのが、最初の赤いアネモネだったろうか。
「・・・これからは、直接お前に渡してもいいか?」
真っ直ぐこちらに向けられたエースの視線。じわじわと、まるで身体が熱に侵食されていくような感覚に息を飲みながら、ナマエはただ小さく首を縦に振った。
恋がもうすでに始まっていたことを知っていたのは、花たちだけだったのかもしれない。
(アンケート結果 同率の第二位エース夢。投票ありがとうございました)