大きく振りかざされた長い鉄パイプが、夕陽に照らされキラリと輝く。鈍い音が鳴り響き、どさりとどさりとナマエの足元に二人の男の身体が倒れ込んだ。


「大丈夫か?」

 オレンジ色の光を背負いながらこちらを見下ろす少年の姿を、ナマエは生涯忘れないだろう。


-01-




「ナマエ様。今日も来てましたよ、彼」


 迎えに来たメイドのリリーの言葉に、ナマエは跳ねるようにして窓の外を見る。バレエ教室の二階の窓からちょうど見える位置にある中心街の大きな門。門の影にオレンジ色の帽子の端を確認すると、ナマエは手鏡を取り出しササッと髪を撫でつけた。
 そしてしれっとした顔でナマエの行動を眺めていたリリーの手を握る。


「ねぇリリー。貴方の好きなおやつを食べてきていいから、今日も少しだけ目を瞑ってちょうだい」
「・・・パティスリーアラマンダのケーキ二つ」
「それでいいわ!」
「・・・必ず16時にはいつもの場所に戻って来てくださいね?」
「ええ、約束する」


 交渉成立といわんばかりに小さく目配せをしたリリーに、ナマエは自分の財布からお駄賃を渡すと、そのままバッグを持って教室を飛び出した。
 リリーはナマエの世話役といえども、年齢も近いし小さい頃から一緒に育ってきたためか、ほぼ友人のような関係性だ。こういう時に目を瞑って送り出してくれる彼女の存在は本当に有難いものである。
 門に近づき、乱れた息を整えると、ナマエは柱にもたれて立っていた青年に後ろから声をかけた。


「エース」


 己の名を呼ぶ声に振り返り、ナマエの顔を視界に入れるや否や、エースは太陽のようにパッと顔を輝かせた。


「ナマエ!今日は抜け出して大丈夫なのか?」
「うん。今日はお父様もお母様も出かけているから」
「そっか。そんじゃまぁ行くか」


 先週は両親が共に在宅していたため寄り道ができなかったので、エースとナマエがこうして会うのは実に二週間ぶりだ。夏の日差しを浴びて小麦色に日焼けしたエースは、なんだか少し大人びて見える。
 胸の高鳴りを覚えながら、エースの横に並んで歩き出すと、ナマエはちらりと彼を見あげた。すでに頭一つ分ほど違う身長差。出会った当初はあまり変わらなかったのに、成長期とは凄まじいものである。

 ナマエとエースが出会ったのは、四年前−二人が十二歳の時であった。
 家族旅行の帰り道、港でナマエはいつの間にか両親とはぐれてしまい、近づいてはいけないと口を酸っぱく言われていた端町に迷い込んでしまったのだ。上質な服を身にまとったナマエはすぐにならず者たちの標的になってしまい、危うく連れ去られそうになったところをエースが救ったのである。

 何度断ってもお礼をさせてくれと食い下がらないナマエの気迫に押され、後日再び二人で会うことになったナマエとエース。お互い居心地の良さを感じたのか、それから今日まで何となく付かず離れずの交流が続いていた。
 といっても高町に住む貴族のナマエとエースでは身分が違いすぎるため、おいそれと会うことはできない。そのため、今日のバレエ教室のようにナマエが中心街に来るタイミングに合わせて、エースがナマエに会いに来てくれるようになったのだ。

 たわいも無い話をしながら、中心街を抜ければナマエたちは海岸にたどり着く。港の中央から外れて少し入り組んだこの入江は人目に付きにくく、ナマエとエースのお気に入りの場所だった。一足先に石が積み重なった堤防に軽々と登ったエースは、そのままナマエの方に振り返る。


「ほら、手ェ貸せ」
「ありがとう」


 差し伸べられたエースの手。上から一気に引っ張りあげてもらったものの、着地する際に石に躓いてバランスを崩したナマエは、そのまま後ろに倒れ込みそうになる。しかし既の所でエースは彼女の腕を思い切り引き寄せると、己の胸でナマエを受け止めた。


「セーフ!おい、大丈夫か?」
「う、うん」


 危うく浜辺に落ちてしまうところだったという恐怖感と、エースの胸に抱きしめられているという高揚感。その二つの感情が入り交じり、ナマエは思わずエースの手を握る力をぎゅうっと強める。
 その様子を見て、少し照れたようにエースは頭をかくと、手を握ったままナマエを立たせ、そのまま堤防の上を端に向かって歩き出した。


「エ、エース!」
「・・・なんだよ」


 なんだよ、ではない。手が繋がったままだと、ナマエは頬を赤くしながら困ったように視線をエースに向けるも、彼は前を向いたままでこちらに振り返らない。
 そのまま五分ほど歩けば、海が目の前に広がる堤防の先端にたどり着いた。いつもの場所に二人で腰を掛けたタイミングでナマエが手を離そうとしたが、力強く握るエースの指先がそれを許さない。


「ナマエ、顔真っ赤だぞ」
「・・・エースだって、人の事言えないわ」
「うるせェ」


 エースの言葉にナマエが口を尖らせて反論すれば、エースは繋いでいない手でわしゃわしゃとナマエの頭を撫で回す。しばらくして満足したのか、エースはごろんと寝転がると、オレンジ色のテンガロンハットを顔に乗せて喋らなくなってしまった。
 もちろんナマエとエースの手は繋がったままだ。
 いつも自由奔放なエースに振り回されてばかりだと、ナマエは小さくため息をつくと、そのまま目の前に広がる青い海を眺める。

 これが恋だということに、ナマエはとっくに気がづいていた。そして同時に、叶わぬ恋だということも知っていた。
 自分とエースでは身分が違いすぎる。そして何より、エースには大海賊になるという夢があり、十七歳になったら海に出ていってしまうのだ。
 いずれ目の前から去っていってしまう彼に気持ちを伝えれるほど、ナマエは強くなかった。そして何よりも、残り少ないエースとの時間を純粋に大切にしたかった。


 波の音に思いを馳せてどれくらいたっただろう。気がつけばウトウトと船を漕いでいたナマエの頬を、いつの間にか起き上がっていたエースがつついた。


「時間、大丈夫か?」


 その声にナマエは慌ててバッグから真鍮の懐中時計を取り出し、時刻を確認する。そろそろリリーとの待ち合わせ場所に向かった方が良さそうだ。
 寝ている間に自然と離れていた手に名残惜しさを感じながらも、ナマエはバッグを持って立ち上がった。


「もう戻らないと」
「おう、いつものとこだろ?送ってく」
「ありがとう」


 腰を上げて伸びをしていたエースはこちらへ振り向くと、そのまま自然にナマエの手を取る。


「また来週会いに来るから待っとけよ」


 そう言って無邪気に笑うエースの手を、ナマエも強く握り返した。


top/back