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 クリスマスの日。学校で行われたクリスマスパーティーはそれはそれはとても盛大なものであった。王族と貴族の子どもたちという王国でも選ばれた者たちが通う学校のため、その豪華絢爛さはもはや庶民からしてみれば異次元レベルであろう。
 しかし傍から見れば夢のような一夜であったとしても、ナマエからすればそれらに心が動かされるようなことは何もなかった。

 舌がとろけるほどの料理よりも、エースと一緒に食べた屋台の料理の方が、煌びやかな装飾よりも、エースと見た花火の方が何百倍も良かったと逐一比較をしてしまうのだ。
 終始浮かない顔で佇むナマエに、パートナーのマリウスが色々と手を尽くしてはくれたものの、ダンスの時はもちろんパーティが終わるまでナマエの顔が晴れ渡ることはなかった。マリウスに詫びの挨拶をすると、閉会の合図と共にナマエはそのまますぐに会場を後にした。

 あの日からもちろんエースには会っていない。そして彼がナマエに会いに来ることも一切なかった。
 それが全ての答えだと、ナマエ自身も理解していた。

 屋敷に戻り、湯浴みを済ませるとナマエは寝巻きに着替えてベッドに寝転がる。
 以前話を聞いていたところによれば、エースは確か一月一日の誕生日を迎えればすぐにでも出航すると言っていた。ゴア王国は比較的温暖な気候の島のため、カレンダーが冬を示していようが、海面が氷で覆われることは無く、出航は予定通り行われるはずである。
 あと少しだ。そして何年もすればきっと忘れることができるだろう。自分はこの先もこの島で生き、そして親が選んだ相手と結婚して慎ましく生きていくのが一番なのだ。

 いい加減考えるのをやめて眠りにつこうとした時、ふいに窓に何かがぶつかる音がした。風の音か、もしくはドアが軋んだ音か。しかし数秒置いてこつんと再び同じ音がする。ベッドからではカーテンの向こう側を伺うことが出来ず、ナマエはおもむろに立ち上がると、何重にも重なる上質な布の隙間から外を覗き込んだ。
 青白い月明かりが、部屋に一本の光の筋をつくる。その先にいた人物の顔を目に入れた瞬間、ナマエは思わず下唇を噛んだ。



「・・・エース」


 本当はずっと会いたかった人物が、そこにいた。
 窓のすぐ傍にある大きな大木に腰掛けた彼は、ナマエの顔を見るや否や、目を見開いたあと少し悲しそうな表情で笑う。
 もう会うべきでないと頭では分かっていた。しかし、気がつけばナマエの手はその窓を開け放っていた。


「よっ、久しぶりだな」
「・・・どうやって、ここに?」
「リリーがナマエの部屋の場所を教えてくれた。いやぁ来るのに苦労したぜ。さすがに高町は入口もセキュリティがかってぇな〜」


 高町に入るのなんて初めてだと、目線を少し下にずらし、いつものように明るい声で喋るエース。あまりに突然のエースの出現に思考が追いついていないナマエは、ただ口を横に結んだまま彼を見つめるしかできなかった。


「・・・急に、しかもこんな夜にきて悪りぃな。出航まであと少しだから、最後にちゃんとナマエに会っとかねぇと後悔しそうだと思って」


 嗚呼、どうしてそんなにも欲しかった言葉を真っ直ぐにくれるのだろうか。冷えきった心が溶けていくように、ナマエの中でじんわりと熱が帯びていく。
 込み上げてくるものを必死に飲み込もうとナマエは顔を伏せた時、ふいに外の少し離れた場所でチカチカと光が動くのが見えた。恐らく屋敷の警備の者だ。万が一エースが見つかってしまい捕まりでもすれば、大変なことになるのは目に見えている。慌ててナマエは面を上げると、目の前のエースに向かって手を伸ばした。


「急いで、警備がくるわ」
「・・・いいのか?」


 探るような声色にナマエがただ頷けば、エースは恐る恐る伸ばされた手を握ると、そのまま薄暗い部屋の中に飛び込んだ。
 エースが部屋に入ったのと同時、ナマエは彼から手を離すと窓とカーテンをすぐさま閉める。後ろにエースの存在を感じながらも、ナマエはカーテンを握ったまま、その場に縫い付けられたように動けなかった。

 今エースの顔を見てしまったら、全てが崩れてしまいそうで、かといってなにをどう話すのが正解なのかも分からない。
 静寂の時間はどれくらいだったろうか。先にその均衡を崩したのはエースの方だった。


「なぁ・・・なんで、最近俺の事避けてたんだ?」


 エースがどんな表情をしているのかは分からない。ナマエは小さく息を吸うと、そのまま目の前のカーテンを見つめたまま口を開く。


「避けてなんかいないわ。たまたま、予定が立て込んでて・・・」
「・・・」
「今日もね、学校のクリスマスパーティーがあって、同じクラスの素敵な人にダンスのパートナーに誘ってもらえたの。だからとっても楽しくて、あぁ貴族に産まれて良かったって幸せな気分だったわ。それで・・・」


 会えなかった間、エースのことなどこれっぽっちも考えている暇はなかったと、ナマエの口から次々と紡ぎ出される嘘。エースはただ静かに、ナマエの話を聞いているようだった。
 これ幸いと、ナマエは最近の出来事を聞かれてもいないのに話し続ける。やれ新しいドレスを買ってもらえて嬉しかったやら、やれ春に行われるバレエの発表会でついにプリンシパルに選ばれたやら。
それはまるでエースがいなくても充実した日々を送っていて幸せだと、自分に言い聞かせているようだった。


「それでね、発表会では薔薇の祭典っていう演目をやるんだけど」
「・・・なぁ、おい」
「エースは知ってる?童話のお話なんだけどね、お花の妖精が主人公で・・・」
「・・・ナマエ」


 諭すようなエースの声とともに、彼の腕が後ろから伸びてきたかと思えば、カーテンを握っていたナマエの右手をエースの指先がゆっくりと撫でた。びくりと肩を揺らして息を飲むナマエを見て、エースは再び口を開く。


「・・・なんで、泣きながら話してるんだよ」


 苦しそうなエースの声色に、ナマエはようやく、自分の頬からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていることに気がついた。
 止まることを知らない涙を拭いながら、ナマエは何でも無いと言うようにふるふると首を横に振る。それと同時、エースの無骨な指がナマエの指を強く絡めとった。


「おめェは・・・おれがいなくても、平気だったか?」
「・・・っ」
「おれは・・・ナマエに必要とされないことが、一番つれぇ」


 その言葉が引き金だった。カッと身体の中が熱くなるような感覚を覚え、ナマエはエースの方に身を翻す。


「・・・エースが、エースがっ私のこと、必要としてくれなかったんじゃない」
「・・・っは?なんだよ・・・それ、」
「私ばかり浮かれてっ・・・でも貴方には他に大切な子がいて・・・!」


 言葉を吐き出した後、呆気にとられたような傷ついたようなエースの顔を見て、ナマエの心臓にずきんと痛みが走った。
 エースと見知らぬ少女の仲睦まじい姿が脳裏に蘇る一方で、今までの楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡る。自分が気持ちを押し殺しさえできていれば、何もかも丸く収まっていたはずなのに。
 大切な思い出たちを最後に全て自らの手で叩き壊してしまった悲しみから、言葉が上手く続けることができず、ナマエは思わず両手で己の顔を覆った。


「っごめんなさい・・・本当は友人として、笑って貴方を見送りたかったの。でもっ私には、無理だったみたい」


 そう告げると同時、ナマエの手をエースが掴んだかと思えば、そのまま引き寄せられ、ナマエは彼の胸の中に勢いよく収まった。
 突然の事に「離して」と身をよじったが、エースに力で適うはずもなく、ナマエは大人しく彼に抱きしめられるしか術がない。すすり泣くナマエを落ち着かせるかのように、大きく暖かい手がナマエの頭をゆっくりと撫ぜた。


「・・・おれの話、聞いてくれるか?」


 優しい声色に少しばかり冷静さを取り戻したナマエは、エースの肩口に顔を埋める。鼻をすすりながら黙りこくるナマエの様子を肯定の返事と取ったのか、エースは小さく息を漏らすとそのまま言葉を続けた。


「おれはもうすぐナマエの目の前からいなくなっちまうし、まず第一に身分が違いすぎる。だからこんな事、俺には伝える資格なんてねェってずっと思ってた」
「・・・」
「でもあの日、ナマエが知らねェ男と手を握り合ってるのを見て・・・耐えられなくなっちまった。ずっとナマエの傍にいたのは俺なのに、なんで他の男が横にいんだよって」


 その言葉に、ナマエは思わず面を上げながら涙で濡れた目を瞬かせた。勘違いでなければ、それはまるでエースが自分のことを好いていると言ってくれているようで。


「でも、エースも・・・っ知らない女の子とキスしてた」
「・・・は?」
「中心街で女の子といたのを見たの、私・・・だから」


 「エースのことをずっと避けてた」と呟けば、目の前のエースは百面相のようにころころと表情を変える。そして最終的に深いため息をついて顔を抑えたかと思えば、そのまま彼は天井を仰いだ。


「・・・頼むから弁明させてくれ」
「・・・どうぞ」
「まずキスなんかしてねェ。未遂だ。むしろおれは哀れな被害者だ」
「・・・どういうこと?」
「下町でおれのこと慕ってる連中がいるっつってただろ?そのグループの一人で、妹分みたいな奴でさ。・・・好きな奴にヤキモチ焼かせたいから、デートしてるフリをしてくれって頼まれたんだ。そしたらそれ自体が嘘だったみてェで・・・」
「本当は・・・その子はエースのことが好きだったってこと?」
「・・・多分な。それで、突然キスされそうになっちまったから・・・思わず投げ飛ばした。そしたら『最低!』って爪で思いっきり引っかかれてそれきりだ」


 「ここらへんに引っ掻き傷残ってんだろ?」と頬骨のあたりを指さすエース。確かに薄い蚯蚓脹れのような傷が三本、頬から口元まで伸びている。それを見たナマエは空いた口が塞がらなかった。
 勘違いをされるような行動をとったエースしかり、最後まで事の顛末を見ずに走り去ってしまった当時の自分の愚かさを呪いたい。そしてこんな大事にしてしまったことに恥ずかしさしか残らず、穴があったら入りたい気分に陥っていた。
 そんなナマエとは裏腹に、エースは小さく笑い声を漏らすと、「誤解は解けたか?」と聞いてくる。それに対してただ小さく頷くとエースはそのままナマエの額に己の額をこつりと合わせた。
 鼻先が触れそうなほどの距離に、ナマエの鼓動が大きく波打つ。


「なぁ・・・おめェもおれと同じ気持ちだって思ってもいいか?」


 この距離でその聞き方は卑怯だ。
 ナマエは一瞬目を瞑った後、エースの瞳を見つめながらゆっくりと首を縦に振る。きゅっとエースの瞳が緩く三日月を描くと、彼はそのままナマエを強く抱きしめる。


「おれ、ナマエと出会えてから、産まれてきて良かったってより一層思えるようになったんだ。だから・・・これからもずっと、おれの生きる理由になってくれねェか?」


 先程までとは違い、じんわりと広がる胸の温かみと共に、ナマエの頬に涙が零れ落ちる。エースのその言葉に、ナマエの答えはもうとっくに決まっていた。


「もちろんよ、エース。私を選んでくれて、ありがとう」


 これから幾多の困難があったとしても、最後には二人で笑い合える未来を選び取りたい。そう気持ちを込めて紡いだナマエの言葉。
 それを合図に、愛おしそうにエースはナマエの頬をゆるりと撫でると、そのまま彼女の唇を己のもので塞いだ。降り注ぐエースからのキスの嵐をナマエはただ受け入れる。
 初めてのことに息の仕方はどうすればいいのか?やら、手はどこに?やら脳裏に掠ったが、それを実行できるほどの余裕は生まれない。ようやくその唇が離れた時には、ナマエの呼吸は絶え絶えになっていた。


「・・・悪りぃ。これ以上いたら、多分止めらんねェから今日はひとまず帰る」


 てらてらと艶めかしく光る唇から漏れ出たエースの申し訳程度の謝罪に、ナマエはただぽかりと軽く彼の胸を叩いた。


「いつ出航するの?」
「二週間後。コルボ山の海岸からの予定だ」
「・・・そう」
「とりあえずそれまでにまた会いに来る」


 全てを捨てて着いてこいと言わないのは、きっとエースの優しさだ。それを決める権利があるのはエースではなく、ナマエ自身なのだから。
ナマエはただ彼のぬくもりを記憶に刻むように、エースの胸に頬を寄せた。


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