両親によって年末年始のパーティに連れ回されていたナマエがエースにようやく会えたのは、彼が出発する三日前のことであった。
 二人はいつもの待ち合わせ場所で落ち合い、入江へ向かう。想いを伝えあってからは初めて顔を合わせるため、少し気恥しい気もしたが、エースはいつもと変わらぬ様子でナマエの横を歩いていた。
 堤防に到着し、腰を下ろしたエースの横にナマエが座ろうとすれば、ふいに彼の手がそれを遮る。導かれるようにエースの足の間にナマエが収まれば、そのまま逞しい腕が腹に回り、後ろから抱き寄せられた。


「エ、エース」
「いいだろ別に」


 そう言って首筋に頬を寄せてくるエースはまるで大型犬のようである。このまま雰囲気に流されてしまえば、本題をなかなか切り出せなくなりそうだと、ナマエは慌ててバッグから小さな赤い袋を取り出すと、エースの顔の前に掲げた。


「なんだこれ?」
「誕生日プレゼント。クリスマスプレゼントも渡せてなかったから一緒になっちゃったけど・・・お誕生日おめでとう、エース」


 ナマエの言葉にエースは一瞬目を丸めた後、すぐにくしゃっとした笑顔を浮べ、ナマエを抱きしめる力をさらに強めた。


「遅くなってごめんなさい。船旅だから荷物になったらいけないと思って、大したものじゃないの・・・」
「いいや、ありがとな・・・。言葉だけでも充分なのに」


 弾んだ声色で「開けていいか」と問うエースにナマエがすぐさま頷けば、彼は袋の封を開けて中身を自分の手のひらに取り出す。
 現れたのは紅白の刺繍糸を合わせて編み込まれた紐状のアクセサリー。それはナマエが昼夜エースのことを思いながら編んだものであった。


「・・・これ、もしかして手作りか?」
「うん。願いが叶うまで付けるお守りみたいなものなの。昔他国の商船が売りに来たものの中で見たことがあって・・・」


 果たして気に入ってもらえたのだろうかと不安な気持ちを抱いていれば、ふいにエースの指がナマエの顎をすくい取ると、そのまま唇を奪っていった。
 先日のものは違い、触れ合うだけの啄むようなキス。けれどもナマエの頬を真っ赤に染めるのはそれだけで充分であった。


「すっげぇ嬉しい・・・。これ、つけてくれるか?」
「・・・ええ、もちろんよ」


 ふにゃりと全身から喜びを溢れさせた笑顔でそう告げられれば、先程の予告無しの行為に苦言を呈したくても無理な話である。
 ナマエはエースからアクセサリーを受け取ると、差し出された左手にくるりと一周させ、解けないようにキツく結んだ。
 エースに似合うと思い選んだ赤と白。赤は「太陽 」を、白は「希望」を意味する色だ。エースの旅の無事と、彼の大海賊になるという夢が叶いますようにと、ナマエの願いが込められている。



「私の代わりに、エースを守ってね」


 波の音に乗せて小さく呟くと、ナマエはエースの腕を取りそれに軽く口づけをする。その言葉の意味することがエースにも伝わったようで、彼の手はそのままナマエの指先を絡めとると、これでもかという強い力でナマエを引き寄せた。
 

「・・・私、エースのお荷物になるのは嫌なの」


 吐き出されたナマエの言葉にエースは何も言わなかった。
 エースも当然分かっていたはずだ。何も出来ない雛鳥のようなナマエを抱えて乗り切れるほど、偉大なる航路は甘くない。かといってようやく想いが通じあったというのに、このままずっと離れ離れになってしまうという運命を易々と受け入れられるほど、エースも大人ではなかった。
 それはナマエも同じである。だから考えて考えて、考え抜いたのだ。そのことを伝えようと、ナマエはくるりと身体を反転させるとエースと向い合い、彼の両頬を己の手で覆った。


「だからね、私・・・航海士になろうと思うの。春から大学に行って海のことや気象のこと、一から勉強する。いつか大海賊になったエースの船に乗った時、きちんと役にたてるように・・・だから、」


 向かい合うナマエとエース。くるりと丸められたエースの黒い瞳の奥に、炎のような揺らめきを感じた。


「いつか必ず、私を迎えにきてね?」


 その時は何もかもかなぐり捨てて貴方の胸に飛び込ませて欲しい。そんな想いとともに流れ落ちたナマエの涙を、エースの骨ばった指が拭いとる。そして目の前にある愛しい顔を記憶に刻み込むようにじっと見つめると、エースはこつりとナマエの額に己のものを合わせた。



「ああ、約束だ。必ずお前をでっけぇ船で迎えに来る」
「・・・うん」
「だからそれまで待っててくれるか?」


 エースの問いにナマエが首を縦に振れば、そのまま彼の唇がゆっくりとナマエのものに重なる。存在を確かめるように何度も重ねられたキスは、一生忘れることのない海のような味がした。



-05-


 エースを見送ってから二年後。とある偉大なる航路にある世界屈指の名門大学がそびえ立つ大きな島。そこにナマエの姿があった。
 元から人より熱心に学問に励んでいたナマエではあったが、女が学ぶことを良しとしない風潮の世の中だ。当然両親からは猛反対を受けたのだが、ナマエの説得に折れた形で大学への入学が認められた。
 恐らく王族や名門貴族の子息たちが多く通う全寮制の大学だったため「さらなる玉の輿を狙える」という事実を知って目の色を変えたのだろう。不本意ではあるが、それで両親が納得するのであれば気にはならなかった。
 航海士になる為の勉強は大変ではあったが、とても興味深いものばかりで、ナマエはのめり込んで勉学に励んでいた。そのため同級生たちより一年以上も早く飛び級で卒業することが決まっており、教授からこのまま大学に残らないかと誘われるほどであった。


 エースとはあれから一度も連絡を取ってはいない。便りがないのは元気な証拠だと気にはならなかったし、ニュースや新聞でエースの名が取り沙汰されるようになったことで彼の安否確認はできていた。さすがに億超えの賞金首になった時と、白ひげ海賊団に入団したという記事を見た時には己の目を疑ってしまったが、今となってはそれもいい思い出だ。
 いつか迎えに行くという約束の日が何時になるかなんて、誰にも分からない。不安な気持ちがないといえば嘘になってしまうが、エースのことを信じているナマエにとって、それは取るに足らないことであった。


「やぁ、ナマエ。君ってもうすぐ誕生日なんだろ?」


 授業を終え、いつものように羽根ペンや教科書をカバンに詰めていたナマエの元に降り注ぐ声。艶っぽいムスクの香りに、ブロンドの髪を靡かせた青年が颯爽と現われたかと思えば、彼はナマエの横の席に腰を下ろした。
 何度か話をしたことがあるクラスメイトで、どこかの国の王族の末裔らしい彼はいつも従者を引き連れているのだが、今日はどうやら一人のようだった。


「ええ、よくご存知ね」
「お褒めに預かり光栄だな。でも君のことならもっと知りたいと思っているよ」


歯に衣着せぬ物言いに思わずナマエが目を丸めると、青年はそっとナマエに赤い薔薇を一輪差し出してくる。


「良ければその日は僕にお祝いさせてくれないかい?」
「えーっと・・・」
「おっと、返事はすぐにじゃなくていいんだ。君ほどの人だ・・・きっとお誘いなんてたくさんあるだろう?もし僕でいいと思うなら・・・」


 すらすらと紡がれる青年の声にナマエが耳を傾けていると、ふいに教室の扉が勢いよく開かれる。そして姿を現わした生徒が、仲間うちの誰かに興奮した様子で何かを語っているのが目の端に映った。
 彼らの会話の内容がふいに耳に入った瞬間、ナマエは勢いよく立ち上がると、目の前の男には目もくれず、気がつけば教室を飛び出していた。


『白ひげのモビー・ディック号が港に現れたらしい!!』


 夕暮れの空の下。息を切らしながら、港に向かってナマエはただひたすら走り続ける。聞こえた会話は断片的なものではあったが、ナマエにとってはたったそれだけでも十分有益な情報であった。
 エースはナマエがこの島にいることは知らないはずだ。補給目的なのか、はたまた違う何かなのか−・・・白ひげ海賊団の目的は不明だが、エースがこの島に来ているという事実だけがナマエをただ突き動かした。
 一目だけでいい。ただエースの姿をこの目で見たい。あわよくば話がしたい。そんな邪な思いがむくむくと湧いて出てくる。
 しかし港まであと少しというところで、ナマエはふいに何かとぶつかり、そのまま石畳の上に尻もちをついてしまった。同時に目の前で何かが落下してガラスの破片が砕け散る。流れ出た液体が、シュワシュワと気泡を出しながら地面に小さな水溜まりを作っていた。


「おいおい!俺のビールどうしてくれんだよ!?」


 そう言って巨体を揺らしながら大男がナマエを見下ろしてくる。どうやらナマエがぶつかってしまった相手のようで、反動で手にしていたビールの瓶を地面に落下させてしまったようだった。


「ごめんなさい・・・!っ私、急いでて・・・。ビール代、お支払いします」


 慌ててナマエは頭を下げると、バッグから財布を取り出そうとする。が、慌てて教室を飛び出してきたためか、荷物を全てそのまま席に置いてきてしまっていたことにようやく気がついた。
 事情を話して少し待ってもらおうとナマエが口を開こうとした瞬間、ふいに腕を掴み取られ、ナマエは男に身体を引き寄せられていた。


「んー?よくみりゃいい女じゃねぇか」
「ひゅー!棚ぼただなお前ェ」
「ビールが女に化けたな!」


 気がつけばナマエは数人の男たちに取り囲まれていた。完全に酒に酔っているのか目が虚ろであり、見た目的にも話が通じそうにない相手である。街のチンピラなのか、周りの者はみなこちらの様子を遠巻きに眺めるだけで、見て見ぬふりを決め込んでいるようだった。


「すみません。お代は倍にして払います。だから離して頂けますか?」
「おうおう〜気の強い女は嫌いじゃねぇぞ?すぐ近くで話をするだけだ。な?悪いことは言わねぇから」
「・・・っぃや!!」


 猫なで声と共に、すすっとナマエの尻に男の分厚い手が回る。混乱したナマエは思わず小さな悲鳴をあげて目を強く瞑った刹那。
 ふいに後ろから勢いよく手を引かれたかと思えば、ナマエそのまま誰かの胸に強く抱きとめられていた。


「悪りぃな、兄ちゃん。こいつはおれの女でね。手を出さねぇでくれるか?」


 久方ぶりに聞いた癖のある声。そして陽だまりのような安心する匂い。ずっと会いたかった人物が、ナマエの目の前にいた。
 初めて出会った日と同じく、オレンジ色の夕陽を背にしたエース。安心させるためにこちらに優しい笑みを向けたあと、彼はそのまますぐに目の前の男に向き直った。


「あぁん?そいつがぶつかってきたんだぞ!落とし前つけてもらわねぇとな!?」
「金なら払う。いくらだ?」
「金じゃねーんだよ!!」
「はぁ・・・そっちがその気なら、やるしかねぇかぁ」


 そう言うとエースはナマエを抱きしめている手とは反対側の手をかざすと、その腕に一気に炎を宿らせる。それを見た瞬間、大男は真っ赤に染めあげていた顔を瞬時に青色に塗り変えた。


「ひ、火拳のエース!?」
「ご名答〜!どうだ、まだやるか?」


 ニカッとエースが歯を見せれば、男たちはあっという間にしっぽを巻いて逃げ出していく。余りにも呆気ない幕引きにナマエが呆然と固まっていれば、ふいにエースの手が腰に周りナマエを高く抱き上げた。
 すぐ目の前にあるエースの顔。ナマエは幻ではないのだろうかと、存在を確かめるように彼の顔をぺたぺたと触れ回る。その行為にエースはくすぐったそうに肩を揺らした。


「ほんとに・・・っほんとにエース?」
「おう」
「なんでここにいるの?」
「なんでって・・・」


 ナマエの言葉に少し眉をひそめたエースはため息をつくと、ナマエの額に己の額をこつりと合わせた。


「お前のこと、迎えに来たに決まってんだろ」


 じんわりと広がる胸の温かさ。ナマエはぼろぼろと涙を流しながら、そのままエースの肩口に顔を埋めた。
 ずっとずっと待ち望んでいた。いくら強がっていても、どこかで不安な気持ちが過ぎり、もしかしたらエースは自分のことを忘れて自由に生きているのかもしれないと考えてしまうこともあった。なのに、彼は約束通りこうしてきてくれたのだ。これ以上幸せなことがあるだろうか。
 子どものようにしゃくりあげながら泣き続けるナマエの背中を、エースは宥めるように優しくさすった。


「おれ、ついに白ひげ海賊団で二番隊隊長になったんだぜ。ようやくナマエを守れる力を持てたって自信がついて、親父に『ナマエを船に連れてきたい』って頼んだんだ」
「・・・っなんで、私がここにいるって分かったの?」
「そりゃ当然リリー様様だ。あいつには一生頭が上がらねぇよ」
「そう、リリーが・・・」
「ナマエの居場所が分かったから一人で行こうとしたら、親父が『息子の未来の花嫁だ。盛大に迎えにいかねぇとな』って言い出してよ・・・。やることが大袈裟なんだよ親父は」
「は、花嫁って・・・」


 告げられた言葉にナマエは思わず顔をあげてエースを見つめれば、彼の黒い瞳が愛おしそうに弧を描く。



「なぁナマエ、おれとずっと一緒に生きてくれるか?」


 答えなんてきっと、初めて出会った時から決まっている。
 言葉の代わりにエースの唇にキスを送れば、あの時と同じ幸せの海の味がした。



fin.


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