私には好きな人がいる。
 名前は迅悠一。その人はボーダー内ではとっても有名だし、自分で実力派エリートって言っちゃうくらい強くてかっこよくて仕事が出来る。ボーダー内には彼に憧れている人、尊敬している人、恋をしている人がたくさんいるんじゃないだろうか。たまに不意打ちで女の人のお尻を触っているところを見かけるけど、それにしたって本気で嫌がる人には絶対やらないし、触られた方もその時は怒っているけど数秒後にはけろっとした顔で笑っている。
 そんな彼は私の師匠である。近界民に襲われているところを迅さんに助けられてボーダーに入り、以来迅さんに憧れ、会う度に弟子にしてと頼み込み最終的には私を弟子にしてくれるまで離れないと足にしがみついた私にほとほと困り果てた迅さんが頷いてくれたのがきっかけだ。
 とは言っても迅さんは忙しいし、玉狛の人間なので本部に来る事も少ない。しかもS級なのでランク戦も出来ない。私が玉狛支部に行った時に迅さんが居て、尚且つ丁度手が空いている時にのみ稽古を付けて貰っている状態だが私はそれでも幸せだった。
 そんな迅さんが私の自宅にちょくちょく顔を覗かせるようになったのは理由がある。
 栞ちゃんに誘われて玉狛支部に遊びに行った日、丁度その時に迅さんが居て「時間が無いから5本だけな」と言われそれでも喜びながら玉狛の地下で特訓して貰ったのだが、帰り際に何かを視たのか「火には気を付けろよ」と彼は言った。不思議に思いつつも迅さんの未来視のサイドエフェクトのことを思い出した私は素直に頷いた。
 その日私は一人暮らししているアパートで危うくボヤ騒ぎを起こしそうになる。心配だったのか様子を見に来てくれた迅さんのおかげで大事には至らなかったが、フライパンから火柱を上げさせてしまった私は暫く一人で火を使った料理をするのを禁じられてしまった。
 火を使った料理禁止ってサラダぐらいしか作れなくない? 料理を始めたばかりでレパートリーも少なかった私はその日から一週間キャベツを食べ続けた。ボヤ騒ぎを起こしそうになってしまった自分への戒めの気持ちもあり、たまにはキャベツ以外のサラダを作ればいいのに馬鹿の一つ覚えのように朝昼晩ドレッシングを変えて毎日キャベツを食べ続けた。
 ボーダーの給料で家賃から生活費まで賄うのは結構厳しいので購買でパンを買うなどという選択肢にも至らず黙々とキャベツを食べていたら見かねた友人がお弁当を恵んでくれるようになった。それでも朝と夜はキャベツを食べ続け、意図せずキャベツダイエット状態になってしまい、また栄養の偏りから顔色も悪くなった私のもとに現れたのはやっぱり迅さんで、「なんで苗字は0か100しかないかなあ」と苦笑していた。
 そんな迅さんが持ってきてくれたのは木崎さんの作ったご飯で、久しぶりの肉の味にちょっと泣いていたら迅さんが「ほんと、なんで苗字はこんな頭悪いんだろうね」と笑っていた。
「電子レンジとかオーブンとかあるじゃん、何で馬鹿みたいに生キャベツばっか食べてんの」
 炊飯器あるならせめて米炊きなよ。迅さんに言われて初めて存在を思い出したそれらに確かに、という顔をしていると迅さんはまた笑い出した。っていうか馬鹿みたいにぼんち揚げばっかり食べてる迅さんには言われたくない。
「ほら、レイジさんにたくさん作って貰ったから暫くはこれ食べて栄養取るんだよ。冷蔵庫に入れとくから」
 しかしそう言って冷蔵庫にタッパーを詰める迅さんにありがたみを感じたのと木崎さんが作った肉料理がうまいのと感動した結果合掌しながらめそめそ泣いていたら「なんでそんな追い詰められてんの」とその辺にあったティッシュを迅さんが持ってくる。よしよしと頭を撫でながらティッシュを渡してくる迅さんにちょっときゅんとしていたが自分が今ひどい顔をしていることを思い出してきゅんどころじゃなくなったので渡されたティッシュで顔を覆った。冷静に考えるとすごく恥ずかしい。
「なんていうかボヤ騒ぎを起こしそうになった身ですし、ちょっと自分を戒めようかと思いまして……」
「苗字が反省してるのはよく分かったし、おれの言いつけちゃんと守ってるのも分かったからそろそろちゃんとした物食おうな」
 再び私の頭をよしよしし始めた迅さんにキャベツばっか食べていたせいで若干情緒不安定になっていた私が泣きながら抱き着くと迅さんはサイドエフェクトで分かっていたのか特に驚くこともなく子供をあやすように背中をとんとん叩いてくれた。
 家族と別れて以来こんな安心感に包まれることが無かった私は気付くと意識を手放していた。後から迅さんから聞いた話によるととんとんして3分後くらいには爆睡だったらしい。赤ちゃんか。目を覚ました私が居たのはベッドの上で、顔を上げると既に目を覚ましている迅さんが居た。
「こら、寝るのは良いけどおれにしがみついて寝るなよ」
 がっちりと迅さんの袖を掴んでいる私に困ったように笑う迅さん。その気になればきっと引き剥がすことも出来ただろうにそれをしないでここに居てくれたのだ。
 窓から差し込む朝日がきらきらと輝いて迅さんを照らす。それを見ていたら私の中で形容しがたい何かむくむくと膨らんで、あっという間にはちきれた。
 気付いた時には口から零れ落ちていた「好きです」の言葉に珍しく迅さんがぽかんとした顔になる。
「迅さん」
「えっ?」
「なんだか私今、すごい迅さんのことが好きです」
「あ、ああ、ありがとう」
「ぎゅってしてもいいですか」
「えっ、だめ」
「なんでですか!」
「いや、だめでしょ」
「じゃあ付き合ってください」
「全然じゃあじゃない! ……悪いけど苗字とは付き合えないよ」
「……じゃあえっちしてください」
「それこそだめでしょ」
 私渾身の誘い文句にも即答である。即答であったが迅さんはびっくりしたような怒ったような顔で私を見ている。
「おまえさ、いつも男にそんなこと言ってんの?」
「そんなこと?」
「ぎゅってしてとか、…えっちしてとか」
「えっ、言う訳ないじゃないですか」
 男の人に告白するのは初めてだ。こんなにも好きだって気持ちがあふれてきたのは初めてだったから気付いた時にはそれを口にしていたし、迅さんにもっと触りたいなって思ったからぎゅっとしたかったし、もっと言えば迅さんとえっちなことだってしたいからそう言った。
 好きの気持ちと一緒に溢れてきたのは女の子が口にしにくい欲だったけどしたいって思っちゃったんだからしょうがない。私は迅さんみたいな駆け引きなんて出来ないからいつだって全力直球勝負だ。
 それを迅さんに説明すると迅さんは何とも言えない顔になる。
「苗字は女の子なんだからさ、そういう風に身体を安売りするもんじゃないよ」
「安売りじゃないですよ。彼女にしてくれなくても、迅さんがぎゅってしてえっちしてくれたら嬉しいです」
「……そういうのを安売りっていうの」
 こつんと私のおでこを軽く叩いた迅さんは最近の女子高生はこわいと顔を覆った。
 そうか、付き合ってもくれないしぎゅっともしちゃだめだしえっちもしてくれないのか。
 目に見えて落ち込んだ私に迅さんが気まずそうな顔をする。
「……ぎゅってするくらいはだめですか。なんかこう、ハグ会みたいなものだと思って」
「ハグ会って」
「ちゃんと参加券としてぼんち揚げ渡しますから! でないとこの溢れる迅さんだいすきってきもちが爆発しちゃいます!」
「……わかったよ。まあ、ぎゅってするくらいなら」
「やった!」
 じゃあ早速! と迅さんに向かって両手を広げると迅さんも渋々と言った様子で手を広げて胸を開けてくれる。そこに勢いよく飛びつけば「わっ」という声が聞こえたが無視して胸に顔を押し付ける。なんだかすごく心が満たされていく。迅さんの背に回した手に力を入れると迅さんの身体が少し固まった。私の背中に手は回らないけれど、今はこれだけで十分満足だ。
「……もういい?」
「もうちょっとお願いします、もうちょっと迅さんのにおいを堪能します」
「ええ……」
 迅さんが困っているのは分かったが知らないふりをして迅さんを堪能した。
 結局流石にそろそろ離れてと迅さんが言うまでずっと引っ付いていた私を引っぺがした迅さんに「またぎゅってしてもいいですか」と尋ねる。
じっと迅さんの目を見つめていると根負けしたのか私から視線を逸らす。
「……本部とか玉狛とか、人が居るところではやめてね」
「じゃあ私の部屋しかないですね」
「……」
「迅さんから来てくれないと我慢出来なくて人が居るところで抱き着いちゃうかもしれません」
「……わかったよ」
「ついでに木崎さんのご飯も持ってきてくれると嬉しいです」
「どさくさに紛れて図々しいこと言ってるね」
「お肉おいしくて」
「レイジさんに伝えとくよ」
 読み逃したな……と言う迅さんがなんだかかわいくてにこにこしていると「何笑ってんの」と再びおでこを軽く叩かれた。
「いつかえっちしてくださいね」
「そんないつかはないから」
「その予知覆します」
「やめてよ、苗字のそれ本当洒落になんない」
「えっ、もしかして迅さん女子高生の誘惑に負けちゃう未来が見えてるんですか?」
「見えて無い! 見えて無いから! ……けど、嵐山とか苗字みたいな前向きで目標に向かって一直線に走ってくタイプは割と早い段階でその未来を確定させちゃうからこっちが何したって最終的に実現させちゃうんだよね」
「つまり私は迅さんとえっちできるかもしれないってことですね」
「苗字とはしないし女の子が身体を安売りしないって言ってるでしょ」
「迅さんにしか売らないんで大丈夫です」
 笑顔で言うとはー、と溜息をついた迅さんはそろそろ帰ると言って立ち上った。呆れられてしまったのだろうかと少し心配になったが、玄関まで付いて行くと靴を履いて振り返った迅さんが私の頭にぽん、と手を置いた。
「火はまだ一人で使っちゃだめだよ。レイジさんのご飯、また持ってくるから」
 迅さんはそれだけ言うとさっさと出て行ってしまった。
 迅さんの手が置かれた場所を両手で押さえる。ただでさえ溢れて溢れてどうしようもない迅さんへの気持ちが更に溢れてきて、ワンルームだからすぐ側にあるベットにダイブして右へ左へとごろごろ転がる。
 迅さんとえっちする前に私が迅さんにときめき殺されるかもしれないと本気で思いながらしばらくごろごろと転がった。

 そんなことがあって以来迅さんはちょくちょく私の家に訪れてくれるようになった。私がまたキャベツばっかり食べていないかの確認と木崎さんのご飯のお裾分けと私の愛が外で暴走しないように、私が部屋でくつろいでいる時に迅さんはひょっこり現れるのだ。
 今日も制服を脱いでお茶を出して、次は迅さんいつ来てくれるんだろうな、と思いながらくつろいでいるところにチャイムが鳴る。扉の先に居るのが誰かも確認せずに勢いよくドアを開けて、思わず「迅さん!」と飛びつきそうになるのを「ストップ!」と制止されてしまったので大人しく待つ。扉の先に居たのはやっぱり迅さんだけど迅さんは怒った顔をしている。
「誰か分かんないのにドア開けちゃだめだろ」
「はい」
「ちゃんと確認してから開けること。ただでさえ女の子の一人暮らしは危ないんだから。わかった?」
「わかりました」
 迅さんの言うことに素直に頷く私に迅さんは「よし」と言って私の頭を撫でた。それだけで私はすぐに甘い気持ちになるのにやっぱりそれだけじゃ満足できなくて前と同じように「迅さん、ぎゅってしていい?」と尋ねる。
「その前にとりあえず中入るよ」
「うん」
 迅さんを家の中に招き入れると、迅さんに抱き着きたくてうずうずしている私を見かねて迅さんが両手を広げる。それに飛びつくと今度は想定していたのかふらつくこともなく私を受け止める。迅さんの両手はやっぱり私の背中に回ることは無く広げられたままだったけどやっぱり私は幸せで迅さんをじっくり堪能する。
「はい、もう終わり」
「えー!」
 前回より早く私を引っぺがした迅さんに私が文句を言うと「文句言うならもう二度とさせないけど?」と言われたので大人しくごめんなさいした。
「レイジさんからご飯貰ってきたから冷蔵庫入れとくよ」
「ほんとですか、やったー!」
「顔色良くなってきたね」
「おかげさまで」
 えへへと笑った私に迅さんも口元を緩める。前から迅さんに憧れていた私だけどそれが恋だと自覚して、迅さんのことをもっと知りたいしもっと触れたいと思うようになってからは毎日迅さんを好きだという気持ちが溢れて止まらない。今も目の前に迅さんがいるのに何も出来ないのがもどかしくてそわそわしてしまう。
「迅さん……」
「……なんて顔してんの」
 迅さんにぎゅってして欲しいな、もっとぎゅっとたいなと考えながら迅さんを見ると迅さんが困ったように笑う。心なしか迅さんの顔も赤い気がする。
「苗字の気持ちは嬉しいけど、おれ、今は誰とも付き合う気は無いし付き合って無いのに身体だけ繋げる訳にもいかないだろ。苗字は大事なおれの弟子だし高校生だしさ、無責任なことできないんだよ」
 だからあんまりおれのこと惑わせないで。迅さんは私の頭を撫でながらそう言った。
「……迅さんってすっごいずるい」
「ん?」
「私のこのきもちをどう表現したらっていうくらい今迅さんにときめいてる、ほんとずるい」
「それを全部本人に言っちゃうところが苗字だなって思うよ」
「迅さん顔真っ赤だよ」
「誰のせいだと思ってんの」
 顔を隠すように片手で顔を押さえた迅さん。そんな迅さんがかわいくてふふ、と笑い声を漏らすと睨まれたけど、赤い顔でそんなことされても怖くない。
「もー、最近の女子高生ほんとこわい」
「なんでですか、こわくないですよ」
「こっちがこうやって色々考えてんのにそんなの関係なしにそれを飛び越えてくるとこ」
「まだ若いですからね、やりたいようにやらなきゃ」
「おれが年寄みたいな言い方やめて、二個しか違わないでしょ」
「そう、二個しか違わないんですよ」
 二個しか違わないけど迅さんは私には見えない物をたくさん見ていて、三門市のこと、ボーダーのこと、色んなことを考えている。でも迅さんだってまだまだ若いんだからたまには自分のしたいようにしたらいいんじゃないだろうか。例えば、目の前の女子高生をちょっと受け入れてみたりだとか。もちろん迅さんが嫌じゃなければだけども。
 迅さんをじっと見つめてそう提案してみると迅さんははあ、と溜息を吐いた。
「スコーピオン使うのは一向に上手くならないくせに男を誘惑するのだけは随分上手くなったね」
「それって私に誘惑されてくれるってことですか?」
「言ったでしょ、無責任なことできないって」
 ピシ、と私のおでこを指ではじいた迅さんにむっとしていると迅さんはようやく口元を緩めた。
「まあでも、今回は苗字に誘惑されてあげようかな」
「えっ」
 喜んだ私が期待の籠った目で迅さんを見るよりも早く柔らかいものがおでこに触れた。すぐに離れたそれに驚いて目を瞬かせると「まあこれくらいならセーフってことで」と照れくさそうな顔をした迅さんが居た。
 耐えきれずに迅さんに抱き着くとこの未来を見ていたのかしっかり迅さんは私を抱きとめた。
「迅さん、すき、ほんとすき」
「……ありがとう。でも、これ以上はだめ」
 私を剥がした迅さんは今日はもう帰るよ、と立ち上がる。
 思わずもう行っちゃうのかという目で見ると「これ以上居ると苗字に流されちゃうから」ってそんなことを言われたら期待してしまう。 誰とも付き合う気がないならそんな期待を持たせるようなことは言わなくてもいいのに、もしかしたら迅さんも迅さんで満更でもないのかもしれない。
「迅さん」
「ん?」
「私、頑張って迅さんのこと誘惑します。絶対迅さんに好きって言わせます」
 いつまで迅さんが彼女を作らない気か分からないけれど、私に迫られて流されそうになるくらいには情を持ってもらっていることは分かった。なので迅さんが私を彼女にしたいと思わせるよう私は迅さんにアタックするのみだ。迅さんが言った通り相変わらず目標まで一直線の思考でそう考えて、思ったことをそのまま迅さんに伝える。
「……お手柔らかに」
 迅さんは少し目を見開いたものの最終的にはうっすら笑みを浮かべつつそう言った。いつもと同じように私の頭をぽんぽんと撫でて私の部屋を後にする。残された私はベッドまで辿り着くことも出来ずその場に座り込む。さっきまで私と同じように真っ赤になっていた癖に最後の笑みは完全にいつもの迅さんだった。年は二個しか違わないけどその二個の違いを見せつけられた気分で、ほんと迅さんってずるいと呟いた。


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Lilca