これ見て陸の勉強しな、と渡されたのは表紙に人のような形をしたものが二体いる本だった。異国の言葉なのか、文字は読めない。
 これを渡してくれた人間の友達に「これ、何の本なの?」と尋ねると「んー、男女の組体操の本かな」と言われた。組体操。馴染みの無い言葉だったので意味を聞くと彼女は「えっ、そこから?」と呆れたような顔をする。組体操は、二人以上でする体操のことらしい。
 パラパラとめくってみると確かに、男と思わしき人と女と思わしき人が謎のポーズを取っている。
 体操ってこんなポーズを取るの? 悔しいが走ることにも慣れない私にこの脚の使い方はできそうにない。
 そんなことを考えていると「だからそれ見て体の使い方の勉強しなって。いつも授業の前にやってるストレッチも忘れずにね」と友人は去っていった。
 それが長期休みに入る直前の話である。一応、持って帰ってきたものの人型の時でないと意味はなさそうなのでまた帰ったら読もうと思ってすっかり忘れていた。
 一応ざっと目だけ通しておこうかしら、と防水魔法をかけた本をめくる。片脚だけで立っているのを見て、前に柔軟体操をした時は怖くて全然脚を開けなかったことを思い出した。陸の人間はみんなこんなポーズが取れるのだろうか。帰ったら貸してくれた子に聞かなければ。

「名前?」

 自分の脚と本とを見比べていると岩の入り口から声がする。声が聞こえた方を見ると、数ヶ月前まではよく一緒に居たウツボの幼馴染がこちらを覗いていた。

「ジェイド」
「ああ、読書中だったんですね」
「うん、学校の友達が貸してくれたの。組体操の本だからこれ見て体の使い方を勉強しろって」

 ジェイドに本を見せるとジェイドの目が瞬いた。

「陸の人間ってみんなこんなに脚が開くものなのかしら? ジェイド、知ってる?」
「身体を使う授業の前に軽く柔軟をするのですが、確かに身体が柔らかい人は居ますね」
「そうなのね……。私も学校に戻ったら練習した方がいいかしら」
「この組体操をする予定があるのですか?」
「友達は男女の組体操って言ってたのよ。うちは女子校だから相手がいないわね」
「なるほど、男女の組体操」
「何よ?」

 ジェイドが面白そうな顔をするので怪訝な顔を向けるとすぐに「いいえ、なんでもありませんよ」といつものにこにこ顔に戻る。

「そういえば、何しに来たの?」
「ああ、そうでした。昼食を一緒に食べないかと誘いに来たんです」
「えっ、もうそんな時間?」

 時計を見ると、確かに昼食を食べるのにふさわしい時間だった。

「アズールとフロイドは先にレストランに向かっているそうです」
「あら、じゃあ待たせちゃ悪いわね。急がないと」
「ふふ、急ぐあまりまたワカメに絡まったりしないでくださいね」
「いつの話をしてるのよ!」

 学校に遅刻しそうになり、猛スピードで泳いでいたらワカメの群生地に突っ込んだ挙句絡まったのはエレメンタリースクールの頃の話だ。
 同じく遅刻しそうだったジェイドとフロイドに泣いているところを発見されて「なんでワカメに絡まってんの? ウケる」とフロイドに散々笑われたのは今でも覚えている。
 ジェイドは「こら、フロイド。そんなに笑ったらかわいそうですよ。大丈夫ですか?」と心配している素振りを見せながらも結局笑っていた。この野郎、と思ったこともよく覚えている。
 そんな出会いから帰省した時に一緒にご飯を食べるくらいには良い友人関係が続いているので不思議なものだ。

「学校はどうです? 人の姿には慣れましたか?」
「普通に歩いたり、服を着たりするのには結構慣れてきたわね。今はスキップというのを練習中なのよ」
「おや、スキップですか。以前フロイドがやっているのを見せてもらったことがあります」
「えっ、フロイドはもう出来るの? 先を越されたわね」
「フロイドは天才肌ですからね。気分さえ乗れば何をやらせても上手にこなしますよ」
「ふうん、そこは陸でも変わらないのね」

 私が先に出来るようになって華麗なステップを見せようと思っていたのに。そう言って口を尖らすとジェイドは「ふふ、名前が出来るようになったら是非僕に教えてください」と言った。
 フロイドに聞けばいいじゃない、と思ったがジェイドのリップサービスは私の精神衛生上、素直に受け取っておいた方がいいというのを知っている。

「見てなさい、次の長期休みにはスキップも出来るようになっているし組体操出来るくらい身体も柔らかくなっているから」
「それは楽しみですね」

 ジェイドはいつものように微笑んだ。


***


 あれから3ヶ月。再びやってきた長期休暇だが、私はどんな顔をしてジェイドに会おうか悩んでいた。
 あの男女の組体操本が、陸のセックス体位教本だということを教えてもらったからである。それならそうと最初から言えという話だが友人は男女の組体操本で通じると思っていたらしい。妙に熱心だから恋人でもいるのかと思ってたわ、と言われたが海の人間の陸の無知さを舐めるなと言いたい。男女のダンスの本があるなら男女の組体操の本もあるのだと本気で信じていたし、身体の使い方の勉強になると思っていた私の素直な心を返せ。
 まあでも3ヶ月も前の話だし、ジェイドも覚えてないと信じて何食わぬ顔をしていればいいのだ。
 うっかりアズールとフロイドにも話さなくて本当に良かった!

「おや、名前。帰っていたんですね」
「あら、ジェイド」

 荷物も置いたし、適当に散策でもするか、と泳ぎ始めた時だった。同じように泳いでいたジェイドに声をかけられる。

「久しぶりね、フロイドは?」

 いつもセットなのに一人は珍しい。

「久しぶりの故郷ですからね。遊んでくる、と言って一人で出かけて行きました」
「珍しいのねぇ、いつも一緒だと思っていたわ」
「ふふ、一人になる時間というのも必要でしょう?」
「確かにそうよね」

 大人になるにつれて一人になりたい時間は増える気がする。
 さて、この前のことからなるべく外れた話題を、と考えているとジェイドが先に口を開いた。

「そういえば名前、スキップは出来るようになりましたか?」

 ドッキン、と心臓が跳ねたのが分かった。
 スキップは出来るようになったか、の答えは"出来るようになった"だ。友人の指導の甲斐あり、スキップは出来るようになったし走るのも前より上手くなった。
 しかしスキップの話題に答えるということは次に来るのは当然組体操の話題なのではないか。
 どうかスキップのことしか覚えていませんように、と願いながら引きつった笑みでなんとか「え、ええ、もちろん」と答える。

「それは良かった。僕にも教えてください、と言ったのを覚えていますか?」
「お、覚えてるわ」
「じゃあ今からちょっと陸に上がってみませんか?」
「今から!?」

 そんな展開になるなんて思ってなかった。
 私のプランでは「組体操の方はどうです?」と続いて「組体操は諦めたの」で話を終わらせるつもりだった。まあ、組体操の話題が出ないならそれはそれでいい。今から陸に行くのはちょっと急すぎるけども。
 今からは嫌だという顔をすると、ジェイドも申し訳なさそうな顔をする。

「ああ、すいません。帰ってきたばかりだから疲れていますよね? 僕は明日でも明後日でも構いませんよ。その時には多分、フロイドも一緒だと思いますが」
「…………仕方ないわね、陸に行きましょう」

 フロイドが一緒だと絶対に振り回される気がする。悩んだ末に了承するとジェイドはにっこり笑って行きましょう、と私の手を引いた。


***


 てっきり普通に陸に上がるのかと思っていたら魔法の鏡を使ってナイトレイヴンカレッジの寮に侵入すると言われてひっくり返った。大丈夫、寮内に誰も居ないのは確認しましたから、と言われても他校に侵入するなんてとても心臓が保ちそうにない。
 たとえ誰かに会ってもローブを被ってたらバレませんよ、とローブを被され、なんとかジェイドとフロイドの部屋まで辿り着いた時には冷や汗がすごいことになっていた。

「帰りもこんな思いをしないといけないなんて……」
「帰りは僕のローブの中に入っていきますか? 名前一人くらいなら覆えそうですよ、ほら」
「流石に脚が四本あったらバレるでしょう」

 入ってみます? とローブを広げられたが無視して部屋を見渡す。故郷から持ち込んであろうものも散見されて、なんだか落ち着く。
 一通り部屋を見終わった後にふと気付いた。言われるがままに手を引かれていたので頭が回っていなかったが、本来の目的を思い出して首を傾げる。

「部屋でスキップなんて出来ないわよね?」
「ああ、そうですね。僕としたことが」

 困ったような顔をしたジェイドになんとも言えない顔になる。確信犯だということは分かったが、なんの目的を持って部屋に呼ばれたのかは分からなかった。

「もう一つの方の練習をしてみませんか?」
「……もう一つ?」
「前に言っていた、男女の組体操の方ですよ」
「だっ……!?」

 覚えてたんかい! しかも部屋に連れてきたのは最初からそういうつもりだったってこと!?
 何も言えなくなる私にジェイドが畳み掛ける。

「身体は柔らかくなりました?」
「一応、毎日寝る前に柔軟体操をしてるわよ……」

 って、そうじゃない。あれは人間の交尾の仕方の本だったのだ。そんな練習はしたくない。

「あ、あの、ジェイド? あの本はね」
「流石にいきなりアレは無理でしょうから、簡単なやつから練習しましょうか」
「話を聞きなさいよぉ……」

 ベッドに座ったジェイドに近付きたくなくて立ち尽くす。
 あの本がなんの本だったのかの説明は出来ればしたくないし、この部屋から出たところで、迷うことなく鏡に辿り着けるとはとても思えない。私はにっこり笑ったジェイドを睨むしかない。
 私が下手に拒否すれば「何かやりたくない理由があるんですか?」とジェイドは追求することだろう。ジェイドは言いたくない理由がある時に限ってそういう意地悪な聞き方をする。だから、私はそれが何の本だったのか説明した上で拒否するしかない。


「考え事は終わりました?」
「……終わってないわよ」
「大丈夫ですよ。名前が嫌がることはしませんから」
「……」

 口を挟む間もなく連れてきたくせに。こういう時だけ本当に困った顔をするな。
 私の気持ちが徐々に解れてきたことに気付いたジェイドは「じゃあ、まずは膝に乗ってください」と自分の膝を指した。

「あ、向きはこっちです」
「正気!?」
「もちろん」

 てっきり同じ方向を向くのかと思ったら向かい合わせに座って欲しいらしい。

「ちょっと、……もうちょっと深く腰掛けなさいよ」

 なるべくジェイドから身体を離すためにジェイドの身体をぐいぐい押してから、なるべく離れた位置に座った。うっかり落ちたりしないかしら、と後ろを振り向いているうちにジェイドの腕が腰に回る。そんなことは許可してない、という顔でジェイドを見上げると、落ちるといけませんから、とさも私の安全のためのようなことを言う。

「本は返しちゃったからどういう風にするのかあんまり覚えてないわよ」
「おや、意外と乗り気じゃないですか」
「どうせ気の済むまで付き合わないと解放されないんでしょ」
「流石によく分かってますね」

 じゃあもうちょっと近くに来てください、と腕を引かれる。
 胸に顔がつきそうになって咄嗟に身体を後ろに倒すと、思ったよりも勢いがついてしまった。

「そんなに拒否しなくてもいいじゃないですか」
「だ、だって急だったから」
「これからもっと近付くんですから、慣れてくださいね」
「もっと……!?」
「ええ、もっと」

 そう言って、私の背中を支える腕はそのままにもう片方の手のひらが頬を覆う。人と同じ肌の色をしたジェイドが近付いてくるのを、私はただ眺めることしかできなかった。

「だっ、な、ファーストキス!」
「すみません、やってみたくて」
「やってみたくて、じゃない! せめて許可を取りなさいよぉ!」
「名前、キスしても?」
「今更遅いわよ!」

 鏡を見ていないが顔が熱いのは分かる。
 ファーストキスを特別大事にしていたわけじゃないが、こんな、いきなりされるなんて!
 そりゃ、具体的なキスのマナーなんて分からないけど、と考えていたらまた上を向かされた。案の定降って来たキスに「首が痛い」と文句を言う。それくらいしか言えないのが恥ずかしい。

「ふふ、ドキドキしてきました」
「……いつも通りの顔にしか見えないのだけど」
「僕だって少しは照れているんですよ?」
「じゃあそういう素振りを見せなさいよね……」

 全然そうは見えないのだけれど。人になったおかげで多少血色はよく見えるけどそのくらいだ。
 私ばっかり動揺を晒して恥ずかしいったらないが、ジェイド相手に私が優位を取れたことなんてほぼ無いに等しい。
 そして、このキスで確信したがジェイドはあれが何の本なのか気付いていたのだ。本当に組体操の練習をしようなんて思ってるやつはキスなんてしないもの。

「……どうせあれがなんの本なのか分かってたんでしょ」
「なんの本とは?」

 流石にこれ以上流されるわけにはいかない、と本のことを話すと案の定ジェイドは首を傾げて分からないフリをした。

「だから……あれは男女の組体操本じゃなくて、陸の人間の交尾に関する本だってことよ……」
「そうだったんですか? 全然気が付きませんでしたよ」

 恥を忍んで言ったんだから妙な気の遣い方はするな!

「あーもー! そういうわざとらしいのは良いのよ! どうせ私の反応を見て楽しんでたんでしょ!」
「ふふ、かわいいなと思って見てました」
「なんなのよもう……」

 かわいいって言われてこんなに嬉しくないのは初めてだ。

「すみません、実践の予定も無いと言うのでしばらくはかわいい勘違いを堪能しようかと」
「もう十分堪能したわよね? 終わりでいいわよね?」

 流石にもういいでしょう、と膝から降りようとしたのにジェイドが腰に回した腕を引いたことでそれは失敗に終わった。
 なんなのよ!?
 今日のうちに何度睨みつけたかも分からないが、抗議の視線を送るとジェイドが言った。

「ちょっとだけ、やってみませんか。服を着たままで」

 ちょっとだけ、服を着たままで……?

「えっ、そんな、いきなり着衣なんて……」

 間違えた。ここは真っ向から拒否する場面だったのに。
 着衣というワードに気を取られてなんだか前向きな返事をしてしまった。

「名前は意外とムッツリなんですね」
「なっ、ジェイドに言われたくないわよ」

 無知な私で遊んでいた人に言われたくない。

「流石に挿れるのは怖いでしょう?」
「そういう気遣いは出来るのね?」
「別に挿れてもいいんですけど、どうします?」
「や、やだ……」

 流石に男の身体への興味でそこまでやってはいけない気がするので、今度はちゃんと嫌だと言った。

「じゃあやめます」

 ジェイドはあっさりと言ったがじゃあこの体勢で何するの、という話だ。何するのっていうかもう着衣でちょっとだけしてみるっていうのは確定なのかしら。どうなの、ジェイド、とジェイドを伺うと「身体に触るのはいいですか?」と聞かれた。私は変なところじゃないなら、とオーケーを出した。
 どうやら確定らしい。今更ながらちょっとだけしてみるってどういうことなんだろう。私に分かるのは挿入はしないということだけだ。

「名前も僕に触ってください」

 触ってください!? どこを!? 私が知っているのは組体操本で覚えたほんの一握りの体位のみなのだけど!?
 ちょっとしてみる、が何を指すのかが分からない私は狼狽た。
 おろおろする私を見てジェイドが小さく笑う。

「じゃあ、名前から僕にキスをするのはどうです?」
「あ、はい……」

 私がしやすいようにとジェイドは目を閉じて顔を近づけてくれた。少し迷って、ちょん、とくっつけてすぐに離す。自分からするのってすっごく恥ずかしいわねこれ。

「もう一回してください」
「ええ……」

 ジェイドがまた目を閉じる。一回して弾みがついたのか、今度はさっきよりも戸惑うことなく口を付けた。すぐに離そうとしたのにジェイドの手のひらが頭の後ろに回って、これ以上離れられないようにしてくる。
 そのうち苦しくなってきて、そうだ、今は人だったのだと思い出して、息をしようと口を開くと、唇よりも温かい、ぬるりとしたものが口の中に入ってきた。はじめての感覚になんだかお腹が落ち着かなくて、意味もなく脚を動かしてしまう。

「こら、暴れないで」
「だって、ん……」

 ジェイドは私の頭を撫でたと思ったらまた私に口付ける。なんだか変な気分になってきた。
 パンツが湿っぽい気がするし、私が座っている部分が硬くなってきた気がして落ち着かない。
 ジェイドの服を汚しちゃ悪い、と思って腰を浮かせたのに、ジェイドの腕は腰を下ろすことを促すような動きをする。

「服、汚しちゃう」
「大丈夫ですから」

 珍しく、切羽詰まったような声だった。

「ちょっとだけ、ここも触ってくれませんか? 服の上からでいいです」

 ジェイドの手に導かれて、硬くなったそこに触る。どう触っていいのかも分からなくて、指の腹でさすることしか出来ない。
 これで大丈夫なのかしら、と思ってジェイドを見上げると、眉を寄せ、見たことのないような色気に満ちた表情をしていた。またお腹の底が落ち着かなくなって、脚に力を入れて堪える。
 ジェイドが支える方の手をお尻のほうに回してるのもよくない。変なところは触らないでって言ったのに。

「ね、お尻いや」
「どうして?」
「ムズムズするから……」
「大丈夫、すぐによくなりますよ」
「何が大丈夫なのよぉ……」

 そのよくなる、はどういう意味なの。


***


いつまで続くのか分からなかった、頭がぼーっとするような時間はジェイドの一言で終了した。

「これ以上すると我慢出来なくなっちゃいそうです」

 困ったように笑ったジェイドに、そうよね、と答えるべきか、もっとしたい、と答えるべきか迷ってしまった。結局何も言わない私に、ジェイドはくっつけるだけのキスをした。

「怒ってます?」
「……怒ってはないわ」
「そろそろ帰りましょうか」

 簡単に衣服を直したけれど、立ち上がった時に濡れたパンツが引っ付いているのが分かって落ち着かない。
 非日常のムードに流されているのは分かっているし、これを言ったら後から後悔する、というのも分かっている。でも今後これを抱えたまま過ごすのも憚られて、結局口を開いた。

「……ジェイド」
「はい」
「今度はその……、組体操もしたいって言ったら一緒にしてくれる?」

 まだ私の柔軟の成果を見せてないし。
 直接的には言えなくて、結局変な伝え方になってしまったが、ジェイドは目を瞬かせた後、にっこりと笑った。

「ええ。僕で良ければ、もちろん」


200422


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