ナイトレイヴンカレッジに進学して半年が経過した。
 念願だったモストロ・ラウンジの開店も無事に終わり、アズールは上機嫌で売上報告をめくっていた。
 その時、ふと彼女はどうしているだろうか、と思い出した。彼女とは、ミドルスクールで散々実験の相手を組まされたクラスメイトのことだ。今考えると最初の対応を間違えたせいで無駄な時間を過ごしたな、と思うが、なんやかんやで卒業のころにはふつうに会話が出来るぐらいの仲にはなっていた。
 彼女の通う陸のスクールには同郷の生徒が居ないらしい。なので月に二回ほど「話を聞いて!」と電話が掛かってきていたのだが、ここ二か月の間で彼女からの着信はない。丁度、店の準備が佳境だったので「僕も忙しいんです。あなたもご自分で解決する努力をなさい」と突き放したせいだろうか。
 一度気になるとどうにも彼女のことばかり考えてしまう。それはナイトレイヴンカレッジに入学したときからずっとだった。入学したばかりのアズールにはやるべきことがたくさんあって、彼女に思考を割いている暇などない。今は学校も離れているし実験のペアなわけではないのだ。アズールから彼女にわざわざ連絡して最近はどうです、と尋ねる必要など全くない筈だ。
 なのに、散々側でトラブルを起こすのを見て来たせいだろうか。新しい学校で変な騒ぎを起こしてはいないでしょうね、とつい彼女のことを考えてしまう。その度に自分には関係ないことだと考えるのをやめて、彼女からの着信がある度に適当な助言をしている。突っぱねればいいのに何故かそうすることは出来ず「今後、一般向けのメニューを考える際の参考にするので最近女子高生の間で流行っているものなどを教えてください」などと言ってはその情報を対価とすることで自分の中で調整を取っていた。
 最初はなんて要領の悪い生徒なんだろう、と思った。まるで昔の自分を見ているようでイライラした。それを隠しもせずにぶつけたせいでお互いの第一印象は最悪だった。いつからか彼女は「そんなに私に構ってくるなんてアーシェングロットくんって私のこと好きなの?」と言い出すようになった。間違いなく皮肉だ。今ならばにこやかに「ええ、僕はあなたに惹かれているのかもしれませんね」と嘘を並べることが出来るだろう。しかし、あの頃はそこまで大人になり切ることは出来なかった。だから馬鹿正直に「目の前で失敗しそうになっているのを止めただけで、どうしてそうなるんです?」と返してしまった。
 ことあるごとにそんなやり取りをする二人を見て、ジェイドが「好き、と言われたら彼女はどうするんでしょうね」と言う。確かに、とその時は思った。だが、その時のアズールは好きでもない相手に「好き」と言えるような男ではなかった。結果的に普段と違う様子の彼女をなんとか元に戻そうとして好意を伝えるような言葉を言ってしまったが、本当は全然好きじゃなかった。
 彼女の反応は思っていたものとは違った。すっかり照れて大人しくなった彼女に、最初からこうすればよかったのか、と気付いた。
 わざとらしく並べた言葉ばかりを真に受けて嬉しそうに「ありがとう」と言うところが嫌いだ。こちらが好きだと言った途端、どんなに言い争っていても素直になるところが気に入らない。あなたの目は節穴ですか、とアズールは何度言ったか分からない。
 要領の悪い生徒だな、と嫌っていた筈だ。自分の前で失敗されるたびにイライラした。ここをこうするだけで良くなるのに、意地を張ってボタンを掛け違えたまま進むのを見る度に歯がゆい気持ちになった。放っておけばいいのに、それが出来ない自分にも腹が立った。彼女を見る度に胸がざわつくので、結局いつも一言言う羽目になる。嫌いなものほど見てしまう、の典型だということに気付いて自分が嫌う非効率な言動だと自己嫌悪すらしていたのに。
 好意を伝えた途端「そ、そうなんだ」と勢いがしぼむ彼女を見て、こんな言葉で、といら立つようになった。向こうに勢いがなくなるとこちらだけ声を荒げるのも馬鹿らしくなる。いつしかふつうの会話が出来るようになっていた。最初は目が合う度に怨念の籠ったような目で見て来たというのに、卒業するころにはいつも気まずそうな顔で「おはよう」と言うのでおかしくて笑ってしまいそうになった。アズールはにっこり笑って「おはようございます」と返してやった。
 実験のペアは何故か卒業まで変わらなった。うっかりしがちな彼女の面倒を見れるのはアズールぐらいだという暗黙の了解のようなものがあったのだ。とんだ貧乏くじだ。いつしか「僕が優秀すぎるせいですみませんね」という嫌味にも彼女は「くそ〜、事実だからな」と顔をしかめるだけになっていた。
 アズールが席を外している間に彼女が他の人魚に質問をしているのを見るとイライラした。僕ならばもっと確実な回答ができるのに、僕が席に戻るのも待てなかったんですか、という言葉を飲み込んだ。
 教師に「あなたが彼女をリードしてくれるようになってから、授業もスムーズに進むのよ。さすがはアーシェングロットくんね」と言われた時はむず痒いような気持ちになった。彼女の世話までしなければならないのは面倒でしかなかった筈なのに、気付けばアズールには責任感のようなものが芽生えていた。卒業までに何とか彼女を人並みにしなければ。
 彼女は「全然そんなの頼んでない」と言ったがアズールが教えると「そっか〜。なるほど、すごいなアズール」と素直にアズールを認めるような発言をする。当たり前だろう。そう思うのに、彼女のそういう部分に心臓をつつかれたような心地の悪さを感じて「ありがとうございます」と返すのが精いっぱいだった。

 そこまで思い返して、アズールは溜息をついた。電話を掛けよう。
 アズールは時計を見た。時間は九時。まだ消灯時間ではない筈だ。メッセージを送るのも煩わしかったので、アズールは直接電話を掛けることにした。

「あれ、アズールじゃん。どうしたの?」

 三コールほどで出た彼女は相変わらず能天気な声をしていた。少しだけ緊張していたのに、気が抜けてしまった。

「あなたが全然連絡を寄越さないので。何か新しく問題を起こしているのではないかと心配になったんです」
「アズールさあ、そういう言い方するの本当にやめた方がいいよ」
「……お元気そうでなによりです。切りますね」
「えっ!? ちょっと待って! 話したいことあるある!」

 声を聞いた段階で特に落ち込んだ感じなどはなかったので、大丈夫だろう、と判断して電話を切ろうとした。すると、慌てて彼女が声のボリュームを上げるので思わず笑ってしまった。求められるのは悪くない。

「忙しそうだったからあんまり邪魔しちゃよくないかな、と思って控えてたんだよね」
「あなた、普段は図々しいくせにこんな時だけ気を遣うんですね」
「図々しいのは否定しないけど、こっちの学校に人魚の友達がいないのが予想以上に辛くって。悩みとか話せるのも陸にいる人魚だとアズールぐらいしかいないし。色々気遣っているうちに気落ちしちゃって」
「……あなたにそういうのは似合いませんね」
「それはそう」

 アズールと話してたら元気になってきたな、と彼女が笑った。最初、能天気だと思った声は無理をしていたのだろうか。彼女が嬉しそうにふふ、と笑うと胸がくすぐったいような気持ちになる。

「電話くれたってことは落ち着いたの?」
「はい。以前お話していたモストロ・ラウンジも無事に開店させることが出来ました」
「おめでとう! いつか私も行ってみたいな」
「マジフト大会では一般向けに出店するつもりです。その時にはあなたを招待しますよ」
「ありがとう、いっぱい食べられるようにお金貯めとくね」

 バイトとかもしてみようかと思ってるんだ、という彼女の話を聞くついでに近況を聞くと、とんでもない爆弾を落とされた。

「そういえば、彼氏ができたんだよね。もう別れたんだけど」
「は?」

 最後に通話したのは二か月前だ。その時にはそんな素振りを見せていなかったので、この二か月のうちにあった出来事なのだろう。アズールは嫌な予感がした。彼女がうっかり調合を誤った鍋を見たときと同じ感覚だ。

「説明してください」
「えーとね、出会いはナンパで」
「あなた、……っ、いえ、続けてください」

 卒業前に変なナンパに引っかからないように、と散々言い聞かせたのを忘れたのか。言いかけて、まずは話を聞くべきだ、と椅子に座りなおした。

「なんかすごい褒めてくれたから一緒にカフェに行って。それで付き合ってほしいって言われたからオッケーって言って。いや、軽率だった。それは分かっているから何も言わないでね」
「分かっているならいいです。続けてください」

 すごい褒めてくれたからって知らない男にほいほい付いていくな!
 しかし、その話をするのは後だ。話はまだ途中なのだ。途中で横槍を入れて機嫌を損ねられても困る。

「それで、色々あって友達に『絶対ヤリモクだよ、獣人とか人魚とかとヤッてみて〜って言ってたの見たもん』って教えてもらって、確認したら本当にそうだったから別れた」
「……その後、何か音沙汰は」
「全然。ちなみにこれ先週の話」

 思っていたより最近だった。何と言ってやろうか。アズールが注意をしてやる義理もないのだが、一言言ってやらねば気が済まない。しかし電話越しというのもモヤモヤする。

「一度、会いましょう。あなた、今週の土曜は空いていますか」
「待ってね、……空いてた!」
「では、十一時に──駅の時計の前へ」
「オッケー。そういえば人間になってから会うの初めてじゃない?」
「そういえば、そうですね」

 海で別れてそれっきりだった。人間の彼女を見て分かるだろうか、と考えるアズールをよそに彼女は「足が二本のアズールって想像つかないなー!」と笑っていた。


***

 約束の日、少しだけ早く着いたアズールが時計の下で待っていると「アズール?」と声を掛けられる。振り向くと、少し下から見上げる彼女の姿があった。いつも長身のリーチ兄弟を見上げることが多かったので新鮮な気持ちだ。変わったのは肌の色と足があることぐらいで、他に違和感を感じることは無かった。着ている服が似合っているな、と思ったぐらいだ。
 久しぶりに会って胸がざわざわとしたのを必死で落ち着けようと、アズールは深く息を吸い込んだ。

「本当に足二本じゃん」
「当たり前でしょう。人間というのは大まかな規格は同じなんですから」
「最初立ち上がるとき苦労したんだよね。アズールも?」
「もちろん。フロイドは早々にコツをつかんでいましたけど」
「あ〜、さすがだ」

 二人で陸あるあるを話しているうちに目的の店へたどり着く。メニューを見て、せっかくなので、モストロ・ラウンジのメニューの参考とするために二人で別々のものを注文して半分ずつ食べることにした。普通の友達みたいにこうして二人で向かい合っているのは少し落ち着かない。

「で、この前の電話の件ですが」
「はい」

 彼女が佇まいを直した。小言があることは分かっているらしい。

「僕が卒業前に言ったことを覚えていますか」
「知らない男に声を掛けられても着いていかない」
「稚魚でも出来ることが何故あなたは出来ないのですか」
「……褒められて舞い上がっちゃって?」
「どうせ『君すごいかわいいね、彼氏いるの? いない? へー! そんなかわいいのに? じゃあ俺とカラオケでも行っちゃわない?』だとかなんとか誘われたんでしょう」
「それ! 本当にそんな感じだった! アズール上手いな」
「こんな分かりやすいナンパにどうして引っかかるんですか!」
「うわっ、びっくりした」

 思わず身を乗り出すと彼女がビクッと肩を震わせた。ハッと我に返ったアズールはすぐに謝った。

「……すみません、つい」
「いや、そんだけ真剣に怒ってもらえるのもありがたいから……」

 どうやら陸での生活で彼女も大人になったらしい。

「てか、アズールもそういうお世辞みたいなの言えるんだね」
「……あなたにも言って差し上げましょうか?」
「えっ、聞きたい」

 今後、違うタイプのナンパに出会わないとも限らない。アズールは昔読んだ恋愛物語の王子のセリフを思い出した。

「『僕と君が出会ったのは運命だ。もう僕は君なしじゃ生きることは出来ない。君のその艶やかな髪、幻想的だがはっきりとした意思を感じさせる瞳、僕を虜にしてやまない、蠱惑的なその唇。すべてが素敵だよ。どうか僕と付き合ってくれないか』」

 自分で言ってて寒いな、と思ったのに目の前の彼女は感動からか目をキラキラさせている。

「すごい、そんなの初めて言われた……。ありがとう!」
「ありがとう! じゃないんですよ!」

 こんな上っ面の言葉に引っかかるんじゃない! 大体、外見だけを褒めるような人間とは付き合うべきではないのだ。

「いいですか、よく聞きなさい」

 アズールは思わず語り出していた。

「あなたの良いところは誰に対しても物怖じしないところです。どの教師相手にも堂々と×を△にしてください、とイチャモン、いいえ、交渉をする姿は中々真似できないものですよ。やり方を変えるだけで上手くいく、ということをもっと学ぶべきです。その肝心なところで馬鹿正直なところも嫌いではありませんが、今後生きていく上でこうも騙されやすいと周りは心配で仕方がないでしょう。まずは相手がどういうつもりでその言葉を言っているかをしっかりと見極める訓練を──って何を言わせるんですか……!」

 途中で我に返ったアズールは、その瞬間じわじわとした羞恥心に襲われた。散々悪い部分だけを指摘してきたのに、考えることなく彼女の良いと思うところが出て来たことが余計に恥ずかしさを煽る。

「勝手に言ったんでしょ! 途中褒めてんのかよく分かんないところはあったけど、さっきの言葉よりも愛情を感じた。ありがとう。アズール、私のこと大好きだね」
「ぐっ……好きじゃありませんよ」

 ここで何事もなく「ええ、そうなんです」と返せるほどアズールは熟していなかった。

「好きじゃないのにこんなに褒めてくれてるの? それはそれでありがとうなんだけど」

 私もアズールの好きなところ言った方がいい? と聞いてくるので丁重に断った。アズールが言ったのは彼女の良いと思うところだ。好きなところとは、……そんなに違うわけではないが違う。

「なんか意外に私のこと見てくれてたんだな、と思ったよ。なんやかんや入学してからも話聞いてくれたし」
「……当たり前でしょう。僕はあなたのことが好きなんですから」
「えっ」
「えっ?」

 自然に口から零れた言葉にハッとする。違う、そうじゃない。いつもそう言って宥めているから口が勝手に、と思ったが、どうそうじゃないのかを考えているうちに弁解の機会を失った。彼女だけじゃなく、自分も赤い顔をしている自覚があった。

「ど、どっちなの」
「さあ、好きにとってくださって構いませんよ」

 アズールは半ばヤケになってそう言った。在学中にも似たようなやりとりをしたな、ということを思い出したが、その時とは確実に彼女に向ける気持ちが違うことには気付いていた。ここまでのやり取りで、気付かざるをえなかった。

「……分かった、さっきの話の続きだ。私が変な誘いに乗らないかどうか試しているんでしょう」

 アズールは思わず天を仰ぎそうになった。
 どうしてそこでそっちに進むんですか!
 前から思っていたが、彼女は勘の働きが鈍いように思う。具体的に言うと、二択を絶対に外す。
 はあ、と溜息をついたアズールに「何よ」と彼女が声を掛ける。

「いいえ、何でも」
「……もしかして、本当に?」

 彼女が顔を真っ赤にしている。やめてほしい。変な空気につられてこちらまで赤くなってしまうのだ。

「……一度しか言いませんからよく聞いてくださいよ」
「う、うん」

 アズールは、再び自分の口が勝手に動き出すのを止めることが出来なかった。

「僕は、もしもあなたと付き合うことになったなら付き合いが続く限りはあなたのことを愛し続けます。なので、あなたも僕と付き合っている間は僕だけを見てください。それならば出来るのではありませんか。何かイレギュラーなことがあった際は、その都度話し合いです」

 なんだか、思っていたより仰々しい言葉になってしまった。
最近は契約書ばかり書いていたからだろうか。途中から自分でも何を言っているんだ? という気持ちになった。こんなことを言うつもりではなかった。なのに、それが嘘なのかと問われると嘘では無いのだ。そこで、アズールは自分が彼女に関わる為の理由が欲しかったのだと気付いた。彼女はそんなことを気にしていなくてもアズール自身にはそれが必要だった。
 そして、言ってしまった以上は反応が気になる。返事は、と思って彼女を見ると目を見開いて固まっていた。それから、思わず零れたように「はい」と言うのでアズールも息が止まったような感覚になる。

「ええと、おめでとうございます?」

 料理を運んできたウエイターに声を掛けられるまで二人して真っ赤な顔で固まってしまった。
 ああ、こんなところでこんなことを言う予定では全く無かったのに。
 アズールはもう二度とこの店には来れないな、と思った。


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